FC2ブログ
全力リラックス!辻タダオ
おぐまゆきとのユニット「中前適時打」メンバー辻タダオのブログ。生涯一東北楽天ファン。中前適時打は2016年4月結成。
今年54なので14だったのは1978年
ってまあ
ツイッターでけっこうな長時間トレンドにあがってたので
自分も「反応」した
大人になってからの音楽の好みは14歳の時に
聴いた音楽で形成されている

の件。

当たらずとも遠からず、くらいな話
なんじゃないのか
と思って
ツイッターでは
14歳の頃はFM雑誌買ってなんでもかんでも聴いてたから
「なんでもかんでも」だ
ってつぶやいた。

で、PC電源落として
用事済ませて
再度電源入れてネットつなげたら
まだトレンドにあがってたんで
念の為に
「1978年のヒット曲」をググった。

この「年代流行」ってサイトに載ってた。

ご覧のとおり、
ピンクレディーの1,2,3フィニッシュ!!
の年である。

UFO
サウスポー
モンスター
でそろい踏みである。

で、54の現在
年がら年中
ピンクレディーを聴いてるか
といえば
全然そんなことはないので
やっぱりあの記事は出鱈目だ!!
と主張できなくもない。
できなくもないけれど
それはしない。

なんでかというと
「聴く」のは確かにしていないが
UFO
サウスポー
モンスター
全てイントロからなにから
身体に染みついちゃってるんで
わざわざ聴くまでもない
という側面もあるからだ。

さすがに当時の熱狂的な
「ピンクレディー女子」のように
「振り真似」までは出てこないけど。

そして「リスナー」視点では
いま現在ピンクレディーとは無縁だけれど
作詞作曲者
シンガーソングライターとして考えれば
阿久悠作詞都倉俊一作曲テイストってのが
完全に身体に染みついちゃってるところは
間違いなくあり、
なので「辻タダオ作品」は
フィクション系が多いとも言えるわけだ。

大体「燃えろスタジアム」という自作曲は
「サウスポー」に対応してる感丸出しだし。

まあ最初から「サウスポー」っぽくしよう
と思ってたわけじゃなく
どっちかといえば
漫☆画太郎風の曲を作ろうと思ってたのは確か。
で、結果「サウスポー」的でもあるなあ
と。でもそれはそれでいい!と思った、と。
そうゆう流れだった。

故ナンシー関が批評してたように記憶するんだけど、
UFOだのサウスポーだのモンスターだの
の何が凄いかって
比喩というか暗示というか
何か裏に隠された深い意味とか
そうゆうのを全然追い求めてない!
てゆうね。

ま、どの曲も
薄ーく「恋」はからめてはいるけれど
基本的には
サウスポーはサウスポーのことを
UFOはUFOのことを
モンスターはモンスターのことを
唄っているだけで
それ以上の何も「暗示」はしない!
みたいな
そんなようなことを書いてたと思う。

思わせぶりに「深さ」を追わない!
みたいな。

これはけっこう自分には「影響」あったように思う。

「深さ」とか「意味」とかから
逃げたい!!みたいなね。

そのへんは三つ子の魂百まで
ってところあるかもしれない。

作詞作曲
という作業をしようとした場合に。

意味と深さから逃げるのは
当時、阿久悠だけじゃなくて
「出所後の陽水」

「デビューしたてのサザン」
もやってたわけだ。

なぜか上海
とか
勝手にシンドバッド
とかね。

それも込みで
三つ子の魂百まで
ってのはあったかも。

しかしほんと1978年のランキングは
なんというかまあ濃いっすねえ。

ビリージョエル
サンタエスメラルダ
ビージーズ
アラベスク
って洋楽4曲50以内に入ってるってのも
時代を感じさせますねえ。

東北楽天の応援のしょっぱなに流れる
「青葉城恋唄」もこの年かあ
みたいなね。

ま、ちょっと
サウスポーとか
阿久悠とかに話を戻すと
これはもうあてずっぽうの自論なんすけど
一連のピンクレディー作品世界って
そこをさかのぼること3年前の
スピルバーグの「ジョーズ」の影響あったんじゃないかな
みたいな。

わたしが児童生徒の頃は
「映画」ってのは全部
「教育的効果」を狙ってるもので
見終わると
「知識」が増えたり
「徳」があがったりする
という効果が必ずあるものとして作られているもの
とゆう思い込みというか信仰に近いものがあった気がするのです。

「体育館」に集められて
無理矢理見せられる映画
ってほぼ大体そうゆうノリだった気がするし。

老若男女ほぼみんな
映画ってそうゆうもんだ
と考えてたフシがあった気がするんですよ。

そこにあの「ジョーズ」は
かなりなインパクトあったと思うんすよね。

なんだこりゃ
マジでサメの怖さ以外の何も描いてねえ!!
みたいなね。

それがなんだかスゲー!!
みたいな。

なんというか
対象物をむき出しのまま
そのまま描いてもいいんじゃん!!
みたいなね。

これに
「日記」マニアで
世の中の森羅万象メモりまくっていた
阿久悠が反応しなかったはずはない、

勝手に想像してみました。

78年前後の日記は
公開されてはいないようなので。
困った時のクラシックや読書
さて、1か月くらい前だったか
クラシック音楽は「お金持ちの知的な趣味」みたいな
なにかのネット記事に反応して
単に音源聞くだけだったら
一番安上がりな分野って書いたような気がするんだけど
「読書」も
まあ「お金持ちの知的な趣味」って一面もあるけど
これも「クラシック音楽」と一緒で
「図書館」と「青空文庫」でかなり低コストになる。
さて、タイトルに「困った時」って書いたんだけど
それは「お金」に困っているので
それを公言してお金貸してください
って言おうとしてるのではなく
そんなことより「体力」「気力」がないのだ。
五十肩のような全身筋肉痛症状で。

こうしてブログの投稿するのも
うんとこどっこいよっこらっしょ
って感じで
ちょっと前までのように
鼻歌交じりで原稿用紙5枚分スラスラ書く
とか無理なようだ。

「音楽活動」に関しては
二年前にやった左手中指腱断裂の影響か
ギターはもう人並みには弾けそうもない。
全身筋肉痛症状との合わせ技の状況下では。

ちなみに複数個所の医療機関で
「内科」的な所見では
異状ナシ
である。

健康体である
とすら言われる。

それでこの症状なので
最早どうしようもないと
そこはほぼあきらめ、
多少の「改善策」には取り組むが
端から「完治」は無いと決め込んで
これからの人生設計を組むことにした。

がしかし、
特に悲しんではいない。
金とか資産とかといっしょで
体力やら気力やら
も無ければ無いなりに過ごすのみ。

そうゆう割り切りは得意なのである。

それに「中前適時打」では
ピアノと唄
だけで
ギターや踊りやダイブは無いので
ほぼ影響なし。

ただライブハウスに行ったり来たり
ってゆうのがダルいだけ。

ま、それくらいであれば
まだ耐えられる。

で、ライブとか本業のあれこれで
いろいろと必要な作業や動作や
移動をこなす以外の時間の過ごし方だが
ちょっと前なら
「趣味散歩」ってことで
近所をフラフラあるいてりゃ満足
だったのが
いまは「体力気力」ないので
率先してやりたい気持ちにならない。

でまだプロ野球も始まらない。

なので本読むか
youtubeでクラシック音楽ばかり聴くか
プライベートな時間は
ほぼそうやってただひたすらじっとしている。

そうしながら併行して
今後、「家事」をいかに簡略化していくか
を考えている。

炊事洗濯その他諸々
全部の作業を簡略化しないと
この痛みようでは生活がままならないからだ。

洗ったり干したり乾かしたりとか
そうゆうことが必要な食器や衣類なんかは
とにかくほんとに「必要最低限」に数を減らす
とかそうゆうことだ。

で、時間つぶしの気晴らしでyoutubeで
聴くのが「クラシック」なのは何故かというと
気楽だから。

読書も
「ギリシア・ローマ名言集」みたいな
文章が長くない「古典」っぽいものにしてる。
何故ならこれまた「気楽」だから。

こうゆうときは
自分と遠くにあるものの方が
接するのが楽なのだ。

健康維持して頑張ってる人
病や困難を乗り越えて頑張ってる人
そのいずれにしても
老若男女有名無名を問わず
「同時代」のものには触れたくない気持ちである。

それはただ単に自分が「嫉妬深い」からである。
ほんとそれだけ。
体力気力がなくなってくると
心も狭くなるようだ。

そして自分可愛さで
それも受け入れる、と
そうゆうこと。

でいま丁度いい感じなのは
こうゆうやつ。

ほとんど何も
余計なことを考えなくて済む。

ちなみにモーツアルトの41番は
自分から「遠い」わけではなく
児童の頃
テオドールグシュルバウアー指揮
バンベルク交響楽団のLPで擦り切れるほど聞いた。
CDも持ってる。
持ってるんだけどいまは廃盤で
youtubeにも全然動画あがってない。
で、どこかにしまってあるはずのCD

探し当てて持ってくる
ってゆう体力気力がない、とw

この動画の音源は
サイト運営者の言によれば
「素材サイトから仕入れたので
演奏者不明」ということらしいが
自分好みのグシュルバウアー版の演奏と似ていて
なおかつ
「繰り返し記号」をちゃんとやってるところが
よいと思う。
もしかして
動画作成の際に音も加工や切り貼りしてるかもしれない。

願わくば第一楽章も制作して欲しいものである。
この音楽の鳴り方をどう感じるか?

ってのは「人それぞれ」
なんだろうとは思うんすけど
普段はあんまり見ないTVの朝のワイドショー的なやつを
流れでボーッと見てたら
例の地下鉄のBGMの件で視聴者アンケートみたいなの
とってたんだけど
BGM賛成派の方がかなり多くてビックリ。
ま、そんなものなのかなあ
って感じすかねえ。

で急に
以前、仕事の関係で住んでいた湯河原町の「アベマリア」を
思い出したのでyoutube動画を貼ってみました。

まあ大体下校の時間に大音量で町全体に
響き渡ってましたね。
「防災無線行政音楽」ってゆうんですね。
この類のものは。
「下校の音楽」じゃなくてね。
そんなこともついさっきググって知った次第です。

なんというか
地下鉄のBGMに関しては
大きなお世話だバカヤロウ!
って感じなんすけど
この「アベマリア」は
住んでた頃は全く「悪印象」なかったなあ。

地下鉄BGMには反発を覚えるけど
防災行政無線音楽に関してはそうでもない
ってことですね。
自分の場合は。

ま、「たまたま」かなあ。

でもこれは文句つけようがないんだよなあ。

「さかなクンには文句つけようがないんだけどなあ
おれは。」
って思うのと一緒で。
大阪でスマホで書くブログ
連夜の無理矢理「指先入力」スマホ投稿、from大阪。西成、新世界、宗右衛門町、東心斎橋などで過ごしてきた一日。甘味レポート、レトロ喫茶店レポートなんぞ書く余地もなく格安自販機で70円の緑茶ペットボトルを購入して飲んだり、「田中」じゃない、ゲームで射幸心を煽ったりしない串かつ屋でタレの量が物足りないと思ったらキャベツにタレつけてそこから串本体の具の下部方向に滴り落とすとよい!という内容の貼り紙目にしたときには既にキャベツ完食してたという間抜けぶりを発揮しつつもライブはやりきった。なかなかに味わい深いライブだったと思う。なにしろサイバーパンク演歌・Σさんという人との対バンだったし壮絶に面白かったとすら言える。しかしその詳細はPC のローマ字入力で書く。指先入力じゃ疲れる。というか触りだけ言うと、指先指先指先とか言ってるうちになんだか淫靡な雰囲気に包まれるそんな大阪の夜であった。
中森明菜と人生の勝ち負け
ツイッターでも触れた
「今の時代なに? 4Kって。毛穴なんて全部映っちゃう。
あれって脅迫でしょう(笑)。昔から女優ライトってあったでしょ。
絶対にムリムリムリ(笑)」 by中森明菜
のこの発言、自分は勝手に「名言」認定したんだけど
何が凄いって
中森明菜のいま現在の芸能人生が
「負けるが勝ち」
という塩梅になってるということを如実に
表しているってゆうね。
テレビ業界中華思想
の立場からは
「テレビに出ない」
「テレビに出られない」
「テレビからお声がかからない」
ってゆう現状は
「負け組」認定したいところなんだろうけど
一般人からしてみりゃ関係ない話だし
「もし自分がテレビに出ることになったら」
という仮定で考えた場合
ほんとに明菜が言うとおりで
やっぱりそりゃ化粧とかメークとか
異様に面倒くさそうだし自分だったら
顔のパーツから肌から全部取り替えないと
無理無理無理だし
そんなにがんばらなきゃいけないんなら
べつに出なくていいやってなるだろうし
普通に「大スター中森明菜」のディナーショーなら
一生に一度でもいいから見てみたい!
ってなるでしょ。
たとえチケットが高額でも。
ということでここのブログでは
何度も書いてますが
私は若い頃「明菜マニア」だったけど
いま現在は遠くから見守る立場であって
ぶっちゃけ人に会っても
「中森明菜いいですよ。
聴いた方がいいし、
見た方がいいです絶対に!」
とかそうゆう風に薦めたりなんかしたことは
大人になってからは
一度たりともない
ので、
コアなファンやマニアから
おまえごときが何をいまさら!
って指弾されてもおかしくない立場だけど
そこを押してあえて言おう。
中森明菜のディナーショー
ベネチアとか日光並みに
死ぬまでに一度は見るべき!
と。
本人がここまで
ぶっちゃけたり
開き直ったりできてる
ってことは
それを見たあなたの運気が下がる
ってこともないでしょうし
逆にあがるんじゃないでしょうかね(ここは適当)

まあチケットが買えればの話ですけどね。
半分は当たっているが
ま、この
「クラシック音楽はなぜ『お金持ちで知的な趣味』なのか?」
記事に反応すると
クラシックに「金がかかる」のはそりゃもう間違いない。
コンサートのチケットや高音質のCDは高価だから
聴いたり見たりするだけのユーザー側もそうだし
演奏家になろうとすればそりゃもう裕福じゃないと
相当困難。楽器もレッスン代も普通の家じゃ無理。
で、ひるがえって自分はどうなのか?なのだが
ここでは何度も書いたように、
「中途半端なお坊ちゃま育ち」な為に
おれけっこう金持ち
って思うときもあれば
おれけっこう貧乏
と思うこともあり、
個人情報なので詳細は省くが
いま現在は「困窮」はしてはいないものの
「板一枚、下は地獄」ってゆう自営業の
ふわふわ不安定な感じを味わいながら
暮らしているので
ま、海外の名高いクラシック演奏家の
「来日公演」に行こう、って気にはならない。
で、タイトルに「半分は当たってる」って書いたのは、
単に手段は問わず「聴く」だけであれば
そんなに金はかからない
とも言えるからだ。
なにしろクラシックだけに
「著作権切れ」のパブリックドメインだらけでもあるから
ジャスラック管理曲と比較すれば
「無料でしかもそこそこ高音質で」
聴ける音源の数は圧倒的に多い。
DTM風画面で音と譜面の進行を
目で追える動画なんかもけっこうあるし
意外に「独学」でもけっこう修得できるんじゃないの?
って感じもするし。このIT社会であれば。
図書館に行けばCD,DVDも
「軽音楽」に比べればたくさん置いてあるし。
競馬で潤ってる府中市なんかは
府中市民が図書館カード作ると
ナクソスのネット音源聴き放題!!
みたいな物凄い住民サービスがあったりもするし。
NHKFMとかならかなりの頻度でクラシック流れるし。
一面「金持ちの道楽」ではあるけれど
「音源を数多く聞く」ってことのみであれば
「庶民」に最も開かれている分野は
クラシックだと思いますよ。
いや「思います」
じゃなくて、
無料で「庶民」が聴ける音源が多いのは
間違いなく「クラシック音楽」です。
演奏家になるならないは別問題として。

ま、あと記事のタイトルにある
「知的」ってゆう語句ですけど
誰にも異論はないと信じますけど
クラシック=知的
ってのはちょっと違うんじゃないの?
ってね(^^♪
なんでも「決めつけ」はよくないですよ。
クラシック好きで知的な人もいるし
クラシック好きで知的じゃない人もいる、
と。
メルカリ出品開始
ついさっき
「出品」ボタンをポチッと押したばかりなので
まだ販売実績はなく
画面見たら
ああ、ちょっと思い通りにはなってないなあ
って感じなので
反応みながらどんどん修正はかけていこうと思う。
水谷吉克氏の「ゴロゴロ」ってゆう曲になぞらえれば
「これからOO税もあがるっていうし」
ってのが続々目白押しですからね。
いやほんとマジで。
もう「税金貧乏」になることほぼ確実ですんで
金になりそうなことはなんでもやる、というか覚えますよ。
で、このメルカリやってみて
どうしても思い出すのはやはりあの
「ファイティング」が付く前の
ダウンタウンブギウギバンドの
「売り物ブギ」(ママ)ですね。
いやほんと出品作業のあれやこれややってるときに
頭のなかをぐるぐる回ってましたもの。
いま考えると凄い曲ですよ。
阿木&宇崎コンビ
やっぱスゲー
としか言い様がありませんw

※その後よく調べてみたら
「賣物ブギ」の作詞者は島武実さんでした。
大変失礼いたしました。
謹んでお詫び申し上げます。※
ヴィルトゥオーゾか「勢いとノリ」か
ヴィルトゥオーゾってのは
まあクラシックやジャズの
業界専用「批評用語」という側面があり、
わかりやすくいえば
「演奏技術に物凄く長けている」
ってことかな。
唄にせよ楽器にせよ。
もっと短くいえば
「名人芸」ってことか。

で、「勢いとノリ」ってのは
それこそパンクとかどフォークとか
プログレ以外のロック全般とかの
軽音楽で重視される要素で
もちろんジャズでも
ヴィルトゥオーゾではなく
「勢いとノリ」重視のプレイヤーも多くいる。

どっちがいいわるいってのは
特にないし
聴く
ってことだけに関しては
どちらも好きなんだけど
自分で「人前で演奏」することに関しては
「勢いとノリ」派ですw
どっからどう考えても。

そういう意味では
あくまで自分のエゴで
「自分に都合よく」
生きてます。

たとえば
クラシックの打楽器奏者の人が
60秒を
時計も見ずに
正確にカウントできる
とか
管楽器や声楽の人が
「440ヘルツ」と「441ヘルツ」を
正確に使い分けるとか
あるいはダン池田のように
舌打ちと指ならしと拍手で
3連音符を早く正確に刻むとか
そうゆうことは
自分にはできないわけです。
ブラスバンドとかビックバンドとか
そうゆう「集団活動」も経験あるので
そのような「練習」も実は
かなり長時間やった経験はあるんですが、
なんなんでしょう
やっぱり早く楽しくなりたい
ってゆう風になっちゃう
快楽主義的性分なので
なんだかんだで
「作詞作曲」系弾き語り系に
落ち着いたって感じなのでしょうか。

考え方ひとつなんですよね。
そのへんも。
まあ各自の「好み」でいいんじゃないでしょうか。
ってそんなこと言ってるのも
専門教育は一切合切受けてない自分の
「自己都合」で言ってますw

いやほんと
「ボイトレ」受けてないやつは
ステージに立ってはいけない
ましてCD作るなんてとんでもない
みたいな極端なことを言う人も
そこそこたくさん見てきたんで
あえて言いますけど、
それは「学校」や「教室」の都合であって
出来た音源が面白かったり楽しかったり
感動的であったりすることとは
何の関係もない!

あくまで学校や教室やトレーナーに
お金を払うつもりゼロ

「自己都合」で申し上げている次第でございますw

何故知らないのかそれは嫉妬心だ
以前にも書いたかもしれないんだけど、
2000年、00年代初頭くらいまでは
いわゆる邦楽、まああまり使いたくはないけど
「J-POP」の最新曲を年齢のわりに
よく知っていたのだ。
それは職場のパチンコホールってものが
大概ほぼ営業中ずーっと
いわゆるオリコンチャートの邦楽の上位20曲
くらいを流す「有線」のチャンネルを選択してたから。
だけどだんだん「版権モノ」の機種が増えてきて
その機種の元の「コンテンツ」にまつわる曲や
会社独自の「宣伝ソング」なんかを流すようになり、
「有線」で最新のチャートを知る
ということもなくなり
自然と邦楽のヒット曲に疎くなったのであった。
ということは歌手名にもバンド名にも疎くなる。
で、ここからが話の肝なんだが
人前で音楽をやっておきながら
「最新の邦楽の動向」を知ろうとしなかった件。

これはもうどこからどう考えても
ただ単に
「嫉妬」からくるものだ。

おれは売れてないけどあいつは売れてる
みたいなw
そんなもん聞きたかねーよ!
なんで他人の売上に貢献しなくちゃいけないんだ!
みたいなw

そこで思い出すのが
故円蔵師匠がおそらく円鏡時代に
マクラの部分で
「売れてる落語家の落語なんか
見もしないし、聞きもしないですよ。
おれより売れやがってって思うだけで
面白くないっす」みたいなことを
言ってたこと。
これは当時だと
小朝だったり楽太郎だったりのことを指していたのか?
そのあたりはもううろ覚えでよくわからない。
でもその言葉だけは
あー、なんだかきれいごとぬきの素直さだなあ
って凄く印象に残っているのだった。

ということで
「セカオワ?あーはいはい」
「ゲス極?あーはいはい」
という感じで過ごしているために
人前で音楽やってる人間なら
ほぼ誰でも知ってる的な
「業界の有名人」であっても真面目に知らなかったりする。
なので本来なら、もしかして
直立不動、平身低頭すべきな人物に
普通に「初めまして辻タダオと申します」という
短めなあいさつで終わってしまい
その後のフォローの言葉なにもなし
ってことが起こり得る。
起こり得るのだけれど、
これをいまから治すために
「業界人名事典」的なものを閲覧して
最新知識を必死に頭に叩き込もう
という気にもならない。
なぜなら「嫉妬心」が沸き起こって
「面白くない」気持ちになるからw
まあでも円鏡師匠の言うような
心持があってもいいと思う。
謙虚な気持ち
も大事なんだろうけど
「人前でなんかやる」
のであれば
「おれがおれが」の
自己顕示欲の方を優先すべきなのではないだろうか。
音楽祭だよおっかさん
いやタイトルには
深い意味はないんすけど
まあ秋なので
公共空間で
無料で聞ける野外音楽祭みたいなのが
開催されがちでして
たまたま昨日は自宅の地元駅前でやってて
まあ、夜に生きるおれのような日陰者には
関係ないや
どうせブラスバンドやビックバンドや
コピーバンドとかが
明るくて誰でも知ってる曲とか
やるだけだろ
と通り過ぎようとしたら
意外にもけっこう
人の知らないような「オリジナル」とかもアリらしく
なんだそれならおれにも電話かメールくれよ
とか思ったりしましたw
そうゆう場であれば「ノルマ」とかも
おそらくないでしょうしね。
でもやっぱりあれかな
「中前適時打」であれ辻ソロであれ
「市民の集う屋外」向きじゃないかなw
というか通り過ぎなかったのは
縁日っぽく食べ物や酒を売ってたから
ってだけって説もありますけどねw
まあツイッターでも書きましたけど、
酔いが回ったのか
普段そんなことは絶対にしない
「楽屋に押しかけほめちぎる」
みたいなことをやってたっぽいのですが
はい
全然細かい記憶がございませんw
ばかなのかおれは
さて最近はあまり地上波テレビを見ないので
最新の「お笑い」に関しての知識は不足しているのだが
「馬鹿よ貴方は」は面白いということを急に思い出した。
彼らは元気にやっているのだろうか。
なぜこんなことを今急に書いてるのかというと、
まさしくそのお笑いコンビ名の
「馬鹿よ貴方は」と言われる状況が
自分の身の上に多発しているからで
スマホのタッチペン無くす
のみならず
スマホの本体無くす
帽子無くす
失禁する
嗚咽する
舞台で歌詞を忘れる
舞台でピアノの鍵盤押し間違える
とか
もしかしておれはばかなのか?
と自分でも思うわけなのだが
しかしまあそれほど気に病んではいない
って思うこと自体が
やっぱりおれってばかなのか?
という疑念を増幅させる。
が、やはり気に病んではいない。
それは何故かと言うと
やはり第一に
芸名ではないほうの
本名の姓名の一部に
「馬鹿」と似ている部分がある為に
幼少期から
「馬鹿よ貴方は」みたいなことを
言われがちだったので
「馬鹿と名指しされる」ことに慣れ過ぎていて
ま、特になんとも思わない
みたいな。
しかし他人様から馬鹿と言われる
ってゆうことと
自分がほんとに馬鹿な状態になってる
ってゆうことは
それはべつべつに考えねばなるまい。
くらいなことはさすがに私でも思う。
思うのだが
最早どうでもいいかな?
ってゆう開き直りもなきにしもあらず。
そもそも
「自作の歌を人前で披露する」
なんてゆう行為そのものが
馬鹿どころかほとんど基地外だってゆう
理屈は十分成り立つわけで
そのことは同年齢のシンガーソングライター小林薫も
明言していた。
昔、通ってた大学で
あのしりあがり寿先生のイベントが
学園祭で行われていたのだが
そのイベント名が確か
「集まれ馬鹿ども」だった記憶がある。
なので各地のライブハウスで夜な夜な
実施されている「通常ブッキングライブ」も
なんらかの「企画ライブ」も
それまとめて全部
副題「集まれ馬鹿ども」ってついてても
違和感はない。
ま、やはりその
「おれって、あたしって
人前で自作の歌披露するとか
馬鹿なことをやってるなあ」
みたいな恥じらいや照れみたいな
気持ちは無いよりは
多少なりとも持ってるほうが
人間としての面白みがあるではないか。
懇意の間柄のシンガーソングライターの
皆々様ほぼ全員といっていいくらい
そうゆうところあるし。
で自分なんぞは齢50過ぎて
近頃やたらと「新曲」作ってるんで
そりゃもう馬鹿の極みと言えよう。
そして「やれるもんならやってみろvol1」
というタイトルの水木翔太企画ライブat新宿御苑前RUTO
が明日7月23日(日)に
迫ってきているのでしたw
おれは何故空手バカ一代が好きなんだろう。
まずそもそも
生まれつきの
くすぐったがり
なんで
「格闘技」そのものが
実際にやるとなると苦痛でしかない
ってのがあって
テレビとかで
「観戦」するとなると
同郷沖縄の具志堅とかが強かったころの
ボクシングくらいで
プロレスとかほとんど全く見なかった。
にもかかわらず
何故か
「空手バカ一代」だけ
好きだった。
好きだったけど
もちろん実際に空手をやったわけでもない。

やっぱりあの主題歌の
「醜い利口になるよりは綺麗なバカで生きてやる」
ってのが
好きなんだな。

家の両親はリベラルな人たちだったので
梶原一騎先生の世界感とか
当たり前のように
「根性論だ精神論だ」
とか
クールに批判するタイプだったから
逆に
幼心に反発して
好きになったのかもしれない。

というかマジで
イデオロギーどうこうとか
関係なく
「空手バカ一代」面白いんで
大人の人は
DVD全巻購入とかしてください。
ほんとに面白いですから。
もうめちゃくちゃですから。

設定的に大山先生の
「一番弟子」の
有明くん
のあれやこれやが
いちいち面白いっす。

詳細は省きますw
何故かフルネームで知っている
率が高いのは
自分の場合
クラシックやジャズの音楽家の人達で
洋の東西は問わず!
みたいな。

スビャトスラフ・リヒテル
とかね。

ラサーン・ローランド・カーク
とか。

ヘルベルト・フォン・カラヤン
とか。

ムスティスラフ・ロストロポービチ
とか。

ウラディーミル・アシュケナージ
とか。

オスカーハマースタイン2世
とか。

ってなんか
ただ単に字数の多い人を
あげつらう大会になってきたなあ。

もうジャンルとかすっ飛ばしちゃうと
バレンティンも
ウラディーミル・バレンティン
なんだよね。

ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト
とか
ルートビヒ・ヴァン・ベートーベン
とかも
十分長い。

そんななか
ティムロス
とか短い。

チックコリアとか。

壇蜜とか。

グスタフ・マーラー
とか
ヨハネス・ブラームス
とか
あたりが
まあまあ
普通
な感じの字数なのかなあ。

どうなのかなあ
あのピカソの
フルネームは寿限無並みに長い
ってことで
山下洋輔も曲にしてるくらいなので
あれなんだけど
やっぱり日本でいえば
武者小路
とか
伊集院とか
そのへんが
トップ集団なのかなあ。
西園寺とか
そうゆう感じの。
薬師丸とかね。

昔、甲子園の「審判」で
「天王寺谷」って人をみたことがあるけど
そのへんが
字数で言えば
最強なのかなあ。

というかやっぱり
ストラヴィンスキーとか
ショスタコービチとか
がいる時点で
ロシアが最強なのか。

ロジェストヴェンスキーとかいらっしゃいますし。

なんでこんなことを
書いているのかってえと
芸名も本名も
字数が少ないからですw

あこがれ
ってやつですかね。

あれかな
辻クリストファーグリーンウェルタダオ
とかに
すればいいのか。

いやしないしないw
頭を抱えてしまう
昨夜は野方の焼酎ばあくんちゃんに
黒田さん企画の
アリーさん、敏さん、ON。さん
のラインナップのライブを見に行きまして
そりゃもういろんな焼酎を飲み
おぐまゆきやプレジー3吉も
周りにいて
とても楽しく過ごしていたんだけど
なんだか最後の方は
変な酔い方をして
「一体おれは何なんだ!?」
みたいなノリになってました。
まあなんというのか
だからといって
よりいっそう頑張る!
いや頑張らない!
とかそうゆう問題でもないので
自分なりに頑張ります。
ってもう何言ってるんだか
わけがわからないやw
ということで
皆様お疲れ様でした。

明日は荻窪です。
自らの呼称について
さて自分の場合は
「シンガーソングライター」
を自認し名乗ってるんだけど
こうゆうのも
人それぞれの感覚だ。

シンガーソングライター!!??
糞恥ずかしいんですけど!
ってゆう
感覚もあっておかしくない。

そうゆうのをふまえたうえで
まあ「シンガーソングライター」である
としか言いようがない。

すくなくとも
「アー」はない。

なんなんすかね「アー」とか。

アー
って
アーチストのことなんすけど
日本でアーチストを名乗っていいのは
プロ野球の
ホームランアーチスト
のみ!
だと私は真剣に思いますよw

だって実際
メジャーな音楽シーンで
アーチスティックなこと
なんて
できないでしょう。
商売的に。

なければないで
対処していくだけでして
現存のシステム

あわせる必要は全くないですね。
歯医者で流れたら終わりなのか?
ってどうゆうことなのか
ってえと
個人経営の
歯医者に行くと
患者をリラックスさせる為なのか
ヌルめのインストのBGMが流れてる時があるし
個人経営の美容院、理髪店でもありがち。

あと、何かを「選ぶ」のがめんどくせー
と思った居酒屋とかw

とにかくメロディーラインは琴!
みたいなw

そうゆう時にいちいち印象深いのが
わたしの敬愛する井上陽水の「少年時代」だったり
あと青春時代に一世を風靡した松任谷由美の
「春よ来い」だったりするわけだ。

なんかやたらと
少年時代と春よ来い
を聞かされる印象が強い。

実際両方とも
「教科書にのる」
的な曲だし。

でももともと陽水を知ってる
ユーミンを知ってる
ってゆうユーザーだと
少年時代や春よ来いが
各々の「代表曲」じゃないだろ!
って皆思ってるはずだ。

思ってるけど
あえて主張しない
ってゆう
そこが70年代後半以降に物心ついた者

奥ゆかしさなのだw

ボブディランがエレキを持った!
からと言っていちいち怒らない
ってゆうね。
カテゴリー分けに悩む投稿。
というのも、
週末土曜は八王子びー玉でのライブ
MIZOROCK&おぐまゆき共同企画
に「中前適時打」で出演。
で翌日にはそのびー玉関係者結集の
「草野球」の試合。

まあ「びー玉」はライブハウスなので
カテゴリーは「音楽ネタ」でいきますか。

なんすけど
ライブのことはあまり思い出したくないわけで
それは何故かというと
相方のおぐまゆきが不機嫌になるほど
自分の唄も、ピアノも不出来でした。

しかし
「野球」のほうも
相変わらず「無安打」続きで
パッとせず。

さんざんな日々ですよ
って感じなんだけど
何故か笑って過してる時間の方が
長かったような気がするんで
ま、いいか
ってところかなあ。

野球のあとは
毎回びー玉で
録画した試合の映像を見ながらの
「打ち上げ」というか「反省会」
をするんですけど
なんか得も言われぬ面白さがあるんすよね。
時々、自宅の近くのグラウンドで
見ず知らずの人達が草野球やってるのを
見入ってしまうあの感覚
にプラスして
お馴染みの面々が
なんか馬鹿なことを言ったりやったりしてる
ってゆう
結果わかってるんだけど
笑ってしまう!
みたいなね。

やっぱり野球は
「試合」やるのが楽しいっすよね。

結果でなくても
あまり気にしないようにしますよ。

でも「会社員」時代の野球では
けっこう外野に飛ばしてたんだけど
いま全然内野を抜けないのは
ちょっと悔しいっす。

ただ自宅近くの
「バッセン」無くなっちゃったんだよなあ。