全力リラックス!辻タダオ
おぐまゆきとのユニット「中前適時打」メンバー辻タダオのブログ。生涯一東北楽天ファン。中前適時打は2016年4月結成。
ヤスジソムリエしょにょ4
さて「データダウンロード」で読む
ヤスジ全集、
自分でもヤスジ本「日本一」のコレクターを自称し、
過去に流通出版されたけどいまはもうどこにも売ってない
大量の「紙書籍」を所有してるんだけど、
それでも「初見」のエピソードが今回やはり
たくさんあった。
そうゆうのを読むと
ほんとに感涙ものなわけだ。

で今回は
アギャキャーマン
全集第九巻の
37~44p所収の
「ペタシと釣り師」

「そゆの大嫌い」の巻である。

定番キャラ「ペタシ」は
全裸にタオル一枚
で現れる
「落ちぶれた高学歴」風のオヤジで
浜辺で「ペタシと釣り師がからむ」
ってのは
かなりたくさんのパターンがある。
でこのパターンの場合は
大体毎度毎度
「ペタシと釣り師は初対面」な設定である。

今回とりあげたエピソードは
「初対面」という「状況設定」を極限まで活かしきり、
とにかくお互い相手の言葉尻やらリアクションの仕方やらを
ことごとくあげつらって
「そゆの大嫌い」とひたすら応酬しあう
ってだけの
単純明快な展開なんだけど
これがまた抱腹絶倒必至!
みたいなw

ペタシが釣り師に
「釣れてますか?」
と尋ねれば
釣り師が
そんなこた私の勝手じゃないですか
そゆの大嫌い!
と言い、
釣り師がペタシに
どちらからお越しですか?
と聞けば
そんなこたあどうだっていいじゃないですか
そゆの大嫌い!
と言う。
そんなのが延々と繰り返されてるうちに・・・
みたいなそんな話です。

実になんの生産性もない
くだらない話なんだけど
やっぱりこの面白さは
他では味わえないんすよねえ。

学者的な言い回しを使えば
これは
人間のさけがたい
「コミュニケーション不全」を
スルドク描いた作品なのだ!
みたいなことも言えなくはないんでしょうけど、
そんな小難しいことを考える前に
「そゆの大嫌い!」の
理不尽なまでの応酬に
ただただ笑ってしまう
みたいな。

これでもほんと
最近「オープンマイク」開催してるお店も増えて
加速度的にいろいろなお店に「出演」するようになって
その都度それこそ「初対面」のミュージシャンの方と
お会いすることが増えて
「ファーストコンタクト」の会話
みたいな機会もどんどん増えるんですけど
そうゆうときの「緊張感」ってのを
如実に表しているような気がするんですよ。

初対面だと
「どこまでシャレが通じるのか?」
「何が相手の琴線に触れるのか?」
とかわかりませんもんねw

そんなわけで
「ペタシと釣り師のそゆの大嫌い」
ミュージシャン必読の神回
に認定いたしますw

やはり「のんびり物語」は凄い
ということで、
谷岡漫画の「アナーキー」な破壊力は
どちらかというと
マイナーな雑誌で
自由奔放に書きまくっていたから
生まれたものだ
ってのも
確かにそうなんだろうと思うんだけど
最晩年の
メジャーな
「モーニング」で
しかも連載してて
それも「カラー」使用だった
のんびり物語
は凄いっす。

「全話」神回!
といっても大げさじゃないですね。

以前にも書きましたが
「のんびり物語」は
終始一貫
「父と子」がテーマで
エピソード毎に
「泣き」だったり「笑い」だったり
「ドライ」だったり「ウェット」だったり
そのあたりが
その都度の感覚で
自由に描かれているのがとても良いのです。

以前なにかで投稿したときに
のんびり物語
は「妻」の存在が希薄な
「父子」の物語
だと書いたような気がするんですけど
今回読み直してみたら
「妻」の存在
わりかし全般的に重要じゃん!
ってことに否が応でも気づきましたw

「クジラ」の父と子
「馬」の父と子
の巻や
それから「河馬」の父と子の巻は
そのへんの「人情の機微」が
とても繊細に表現されてて
泣きそうになりましたよ。
ヤスジソムリエしょにょ2
タイトルもヤスジ風にしてみた。
ちなみに前回投稿を
「しょにょ1」に変えるつもりはない。

今回とりあげるのは
全集第六巻アギャキャーマンの
81p~88p所収の
「アオの狸寝入り」の回だ。

話としては
馬のアオが狸寝入りをしていたら・・・
ってだけのことであって
これを読んだからといって
クッキングパパやこち亀のように
なにかの「薀蓄」が増すわけではなく
とにかく己の人生の何かの役にはまったく立たない。

そこがヤスジ漫画の醍醐味なのである。

働き疲れた脳みそを
「シュワーッチ」
するのが
ヤスジ漫画なのだ!
とご本人も言ってたような気がする。

ということで、
「村(ソン)」は
ワンパターンなようで
意外とワンパターンではなく
変幻自在だ
ということに着目してみよう。

「村(ソン)」に限らず
メッタメタガキ道講座から
一貫してるのは
「連続性」がない
ってことである。

よくいわれてることだが
この前死んだやつが
平然とまた生きて活躍する
ってのが
ヤスジワールドなわけだ。

つまり死が軽い扱いなのだ。

というか
「設定」という概念が
とても「軽い」のである。

サザエさんでいったら
ちゃぶだい囲んだ
各人物の座り位置
みたいなものは
揺らがないようにできている。

しかしヤスジは違う。

「村(ソン)」の」風景、
地平線があって雲があって太陽があって
一本道があって
遠目の「タゴ」が見えて、
となれば
大概手前の一本木とその土手では
牛の「タロ」がキセルをふかしているはずなのだが
今回の「アオの狸寝入り」の巻では
その「タロ」がいるべき場所に
平然と「アオ」が寝転がっており、
結局「タロ」は一切出てこない。

それでも成り立つところが
ヤスジ漫画の「自由」さなのだ。

村(ソン)のアイドル花っぺ

性格が
その都度全然違う。

つまり
「性」に積極的なのか
消極的なのか
で真逆に描かれたりする。

ということで
「論理的整合性」
みたいなものを
一貫して
「完全無視」
なのが
ヤスジワールドの醍醐味なのである。

しかし
そこに描かれたものは
実に「繊細」なのだ。

ストーリー

ほぼない。

しかしこの世界感
他には絶対ない!

というのを
「狸寝入りしているアオ」を
いじる「タゴ」の姿で味わって欲しい。

これはアメリカの
ドタバタアニメ
にもない世界だと思う。
さて谷岡作品の肝は
私が考えるに
やはり「村(ソン)」が中心の
アギャキャーマン
とか
ベロベーマン
だと思うわけだ。

ってことで
「谷岡ヤスジソムリエ」
第一回は
全集の第六巻
アギャキャーマンの
97p~104p所収の
ペタシ「蟹」になる
の回だ。

全裸にタオル
の「ペタシ」は
いわゆる定番キャラなんだけど
この回が発表された頃は
べつにペタシなんていう「呼称」も
なかったような気がする。
パチンコやパチスロの「機種名」なんて
誰も気にしてなくて
「これ」とか「あれ」とか
言ってた時代だったし。

いきなり浜辺で
「なんで私は蟹になったんだろう?」
とかいって「人間」なのに
頭の横からはさみ出て胴体ほぼナシ!
ってところから始まるわけだ。

で「回想」シーンにいって
あれこれやって
ああだこうだとなって
オチに至る
みたいな。

そんなわけで
谷岡ワールド
意外に「蟹」は
重要なタームな気がする。
谷岡ヤスジ関連の基礎データは
こちらのサイトに依拠しております。
http://sokuyomi.jp/product/collective/taniokayas_001/CO/0/?
とりいそぎ以上です。
気づかぬうちに出てた「全集」
を、
概ね「ダウンロード」データで
チェックしたので
しばらく御無沙汰だった
この「谷岡ヤスジ関連」カテゴリーの投稿も
再度活性化させていこう、と思う。

さてまず、
何故普通の書籍という形態ではなく、
「データ」や
紙にしても「プリントオンデマンド」という
ややこしくてしかも価格設定高め
な販売方法にしたのか?
というのを
市井の一マニアだけど部外者
って立場で考えてみよう。

まず第一に
爆発的に売れる
土壌がいまの日本にはない
ってのは間違いない。

というのも
谷岡漫画には
昨今のトレンドである
BL要素
萌え要素
オタク要素

全くない
とは言えないにせよ
あまりにも独自な作風なので
幅広い層を拾って掬うような
マーケティング的小細工は一切ないし、
おそ松さん
のように「後付け」で
どうにかなる世界でもない。

で、エログロナンセンス
の要素も時にかなり
ドギツイので
児童生徒のみなさまにも
安心してお届けできます
というわけにはいかない。
いまの安心安全重視の世の中では。

谷岡漫画の場合のエロは
「性描写」
というよりは
ほとんど
「性器描写」
なので
どっちにしても
いまも昔も
大手をふって表通りを歩く
という類のものでもないし。

なにしろ
公式サイト
でも
キャラクター紹介の数少ないしw

マニア的観点で言えば、
「チクリ先生」とか
「診察トン」とか
「チュバチュバ隊」とか
なんで出してあげないの?
全部「バター犬」に背負わせて終わりなの?
みたいなw
じゃなんで「バター犬」だけは
許されてるの?
みたいなw
あと「押しかけ女房の豚のマリーナ」
も紹介してあげて!
みたいなw

ということで
ネタは浜辺の砂の数どころじゃなく
たくさんあるので
今後このカテゴリー
「谷岡ヤスジソムリエ」
として
どんどん書いていきますので
お暇でしたらお付き合いください。
萌え要素と「やでうでしや」について。
今回は個別具体的な「神回」ではない話で
またヤスジネタ。

萌え要素
ってのは女性なら女性の
曲線美を精密に描くか
あるいはデフォルメして極端な強調をして描くか
とかだいたいそんな感じだと思います。
ただわたくし「絵心」はほぼ皆無なので
そのあたりに関しての専門的知見を
披露する立場の者ではございません。

現役作家でヤスジ師匠的な
「オラオラオラー」系の漫☆画太郎先生の場合
ばばあ
じゃなくて
真の萌えキャラ
をごくたまに描くことがありまして
これがまた惚れ惚れするくらいに
萌えさせますね。人を。

じゃヤスジ師匠はどうなのか?

女性キャラで代表的なのは
「村(そん)」の「花っぺ」ですが、
身体の線を極端にデフォルメして強調する
という描き方です。
じゃあさて「花っぺ」に
萌え要素を感じるか否か?

わたしは
あまり感じないんですよね。
で、感じないから絵として悪いとか
そうゆう問題でもない、と。

あともう一人じゃなくて一匹
「押しかけ女房の豚のマリーナ」
ってゆう物凄いキャラがいて
これは世の全男性を恐怖に陥れる存在として
常に描写されてますので
身体の線がどうのこうのとはまた全然別の話になります。

じゃそれなら
ヤスジ作品に萌え要素は皆無なのか?

私が出した結論は
「ヤスジ作品は萌え要素満開であり
ただしそれは性差とか生物の種別の違いとか
に関係なくただひたすらキャラクターの表情にあらわれる」
というものです。

怒り、悲しみ、喜び、
いろいろな感情を派手に表したり
淡々とした状況を淡々とした目つき顔つきで表したり
ヤスジ師匠の生み出すキャラの「表情」というものは
まさに変幻自在なのですよ。

そこで「やでうでしや」です。
まあ師匠特有の言い換えで
「やれうれしや」をデフォルメした
よくあるパターンの定番セリフです。

この「やでうでしや」が出るのは
ほとんど
「そのキャラクターが何事かを自らの力で
成し遂げた時」でして、
まあだいたい
「喜びの感情が勝ち過ぎて半泣き」
になってるわけです。

これが飛び出すとですね、
そのキャラクターが
男であろうが女であろうが
若者であろうが老人であろうが
それこそ動物であろうが人間であろうが
動物でも人間でもない化け物であろうが
とにかくいついかなる場合も
「なんともいえない絶妙な表情」
なのですよ。
いやほんとマジで。
背筋が凍るくらいに。
でこの背筋が凍る感覚は
「萌え」である
と断定してかまわないのではないか、と。

先ほどのべました
「喜びの感情が勝ち過ぎて半泣き」
ってゆうのを
「生誕の瞬間」と考えますと、
男女の性差も生物の種別の違いも
現実なのか架空なのかも関係なく
あまねくあらわれる現象なのではないか
とも考えられます。

なので
世にいう「萌え」とは
ちょっと次元が違うんですよね。

そこいらあたりが
「天才」たるゆえんなのでしょう。

ちなみに「やでうでしや」
が出たあとの
ストーリーって
大概
ものすごく悲劇的な結末
になることが多いです(笑)




お受験ママと蝉と
さてまたヤスジネタなんですけど、
ヤスジ業界界隈でも伝説になってるのは
フリージャズピアニスト山下洋輔氏の
ヤスジ漫画1篇完全文章化
です。

完全文章化
なので
私のようにネタバレを
おそれて前後をぼかす
とかはないのです。

で今回は
手元に資料ナシ
の「記憶だより」
で書きます。

確か「お受験ママ」
が出てきて
受験生たる子息は
そのプレッシャーに耐えかねて
家を出ていくかなんかするんですよ。
で「お受験ママ」発狂!
みたいな。
でその「お受験ママ」は
「和服」で「年増」風に描かれてましたね。
でその家庭環境を冷静に観察していた
「蝉」が出てくる
と。


あんたが息子を追い込んだから
こんなことになる
みたいなことを
蝉がママに諭す。

手元に資料がないので
うろおぼえなんですけど
大狂乱状態のお受験ママは
和服の帯も緩みまくって
肌も露わな状態になってしまうのです。

でなんだかんだで
蝉がママに向かって放尿するわけです。
そしてそれを浴びてしまうわけです。

ママはそのことを
一生の不覚!!
と感じ
「こうなったらわたくし洗いぬくざます
徹底的に洗いぬくざます!」
と気張るわけですよ。

ってゆうようなエピソードを
最初から終いまで
山下洋輔氏は文字のみで
完璧に再現してるんですよね。

ヤスジ師匠現物著書
よりは
こちらの方が入手はしやすいと思うので
気が向いた方は
「谷岡ヤスジ 山下洋輔」とかで
検索してもらって
値段が折り合えばご購入くださいませ。

※その後調べたところ
多分「ピアニストに手を出すな」という本です。
AMAZON見たら「中古」しかなかったので
あえてリンクははりません※

※その後また記憶の覚醒がありまして、
ママが洗いぬくざますと力んでいるのは
蝉の尿を浴びたからではなく、蝉に体臭を
指摘されからだったかな、と。※


前々回の投稿はさらに文章の構造から若干手直ししました。
と申しますのも
「心酔している人物」について
書いているわけですから
やはりその「隙」はちょっとでも減らしておこう、
と。
自分としては珍しく真面目に物事に取り組もうと
そう思ったのでした。

ただやはり
アドリブ感とかも
残したいので
基本このカテゴリーは
原資料であるところのヤスジ師匠の著書
を目の前において丹念に読み込んでから書く
のではなくて
かつて読み込んだ「記憶」を頼りに書く
というかたちになるべくもっていこうかな、
と。
しかし100%ということでもなく
臨機応変にいきます。

前回のタベルーマンは
読んでから書きましたし
前々回の「キ行変格活用」は
記憶だけを頼りに書きました。
「現物」は保有していますけど。

今回は師匠晩年の傑作
「のんびり物語」についてです。
これについては「記憶」だよりで
PCのまわりには何も置かずに書いてみます。

のんびり物語はモーニングで連載されてまして、
珍しく「毎回オールカラー」で
単行本も大判でオールカラーの全3巻でした。
さらに珍しかったのは
「毎回動物の父と子が出て来る」
と「設定のしばり」もあったのです。
異例づくめです。

前回タベルーマンの紹介で
「ヤスジ師匠の描く子供は大概可愛くない」
と書きました。
のんびり物語の場合は
必ずしも可愛くなくはない
感じで「子」が描かれてます。
オールカラーということもあるかもれません。

さて記憶をたどって
印象的なエピソードを・・・
となるとまず出て来るのが
「テントウムシの父と子」です。

そもそも「テントウムシの父と子」
の見た目が
あの背中の七つ星を背負った大きいやつと小さいやつ
で科学的にあってるのかどうか
とかは
ヤスジワールドでは気にすることではありません。

テントウムシの父と子は
村(そん)の木の下でキセルをふかす
定番キャラ「タロ」らしき牛に「煙害」を訴えようとします。

で、父が子に
「おまえがツーイしてきなさい」
と指示するのでした。
「ツーイ」は「注意」のことだな
とよく訓練されたヤスジファンにはすぐわかります。

で案の定子供は
「やだよ父ちゃんが行ってきなよ」
と反抗し
会話を重ねていくうちに
「もしかして父ちゃん自分で行くのが怖いんじゃないの?」
と言い始める
みたいなね。
そこからあれこれ繰り広げられる、
と。

なかなか哀愁ただよう一編でした。

次に印象に残る一編は
「父と子」というパターンから
ちょっとずれた
「豚の一家」のエピソードですね。
「妻」も出て来るという変則系です。

養豚場で飼われているとある豚一家の父が
養豚場主の「意図」を疑い始めます。
で、その疑いが「確信」に変わったところで
妻子に「おまえら出されたメシをガツガツ食ってるんじゃねえ」
と強く指示するのです。
妻子は「????」状態です。
なんで?
なんで食べちゃだめなの?みたいな。
だっておいしいじゃない
ありがたいことじゃない
みたいな。
このあたりの細かい言葉の応酬もまた
いちいち爆笑ものなのですが
そこは省いて肝だけ紹介しましょう。

父はなかなか自分の意図を察しない妻子に向かい
言い放つのです
「おまえらそうやってガツガツ食ってると
やがて人の食卓を飾ることになるぞ!」
と。

妻子は一瞬キョトンとします。
「食卓を飾る????」
というふうに
言葉の意味を探ります。
そして
「あらいいじゃない!飾るなんて素敵
どんなオシャレをしていこうかしら」
と返し
相変わらずガツガツ食い続ける、と。

念のため言っておきますが
ここがオチじゃないですからね。

なんか凄い話だなあ
と何十年たっても
思い続けられる力が
「谷岡ヤスジの神回」にはあるのです。
前回投稿「てにをは」とか若干直しました。
ツイッターでもつぶやいたんですけど、
以前は飲酒状態で長文投稿しても
わりとスラスラ書けてたのに
ここのところめっきり誤字脱字やら
文章自体の破綻やらが目立つようになってまいりまして、
寄る年波ってやつだなあ、と若干意気消沈しておりますが、
気を取り直して
今日も元気にヤスジネタで。

今回は「ヤスジ師匠の描く子供は大概可愛くない」
の件です。

出世作の「メッタメタガキ道講座」からして
まさにメッタメタですからね。
元祖鼻血ブー
ですからね。
その後若干画風が変わって
「タゴ」とか「タロ」とか「アオ」とか「花っぺ」とか
が主要キャラになってからも
出て来る子供は大概擦れてる感じなのです。

ということで今回は
「タベルーマン」と子供と父親のエピソード
について触れましょう。

タベルーマンはその名のとおり
人を食べるキャラです。

ヤスジキャラ特有の
「タラコくちびる」に目と足をつけた
みたいな実に単純明快なコンセプトのキャラですね。

突如あらわれて
人を食うわけです。
「ひさしぶりにタベルーマンが
現れたりして」とか言いながら
全速力で浜辺にいた5歳男児を
執拗に追い回してペロッと一飲みしてしまうのです。

そこへ父親が現れます。
うちの子供が見当たらないなあ
というような風情で。

で普通に
5歳くらいの子供見なかった?
とタベルーマンに尋ねます。
するとタベルーマンは
「オコサンの特徴は?」
と逆に尋ね返します。
そこでの父親の返しが凄い。

「目付きがすわってて人相が悪いんだ」
ですよ。

ま、実際そのように描かれてますし。

目付きが座ってて人相の悪い5歳男児

タベルーマンの
ものすごい追走劇
のあとに
あらためて言葉でその事実を
たたみかけられた私は
椅子から転げ落ちる勢いで
笑ってしまいましたよ。
初めてこのエピソードを読んだときは。

でそのあと
タベルーマンが「親身になったふり」とかして
父親と一緒に「マサル」という名の
「人相の悪い子供」を捜すふり
という子芝居を打つんですけど
ここいらの描写の一コマ一コマがまた
実に絶妙なのです。

で、タベルーマンの胴体の一部で
「子供が手足をバタバタさせている」
描写があって
父親がタベルーマンを疑い出す、と。
さっきからなんか怪しいと思うんだけど
とか言いながら。

でここから凄いのが
「口アーンしてみろ」と父親が言い
それに対してタベルーマンは
「私の口をアーンさすには法務大臣
ならびに政府高官の許可が必要です」
と返すわけですよ。
なんなんですかこのくだり
と思い
私はから揚げ弁当のから揚げの衣などを
4畳半アパートの畳の上に豪快に噴いてしまいましたよ。

でさらに凄いのは
父親が「無理矢理に」
法務大臣と政府高官の許可を
「とってきたもんね」
とか言いながら取り付けてきたりするわけです。
もう爆笑の渦ですよ。

これ以上書くと
「完全ネタバレ」になるので
やめておきますが
この「理不尽の雨あられ状態」は
なんなんだ?
と思わされるんですよね。
谷岡ヤスジの「神回」には。

ということで
一度この世界にハマってしまいますと
「普通のコンテンツ」
には戻れなくなります。

ディズニー何それ?
状態ですよ。
いやほんとに。

でも
こういう有り様ですから
「ヤスジーランド」建設
は実現性低いのかなあ
とも思います。
そこは割り切るほかないんでしょうね。
造語能力すげえ「キ行変格活用」とか言い出す男!
ということで
ヤスジ礼讃投稿です。
昨今の出版状況では
回顧的リリースもあまりない「ヤスジ図書」でして、
時折「アンソロジー」的書物が
出るくらいなんですよね。
長らくの間。
「濃いヤスジファン」にしてみると
「薄く」感じる書物でも
そこに「アツいコメント」を寄せてくれる人は
基本的に「みんな大好き」な自分です(笑)
そうゆうところは単純です。
ということで
中崎タツヤ氏が
好きな作品
として挙げてくれた作品の件に触れます。
これはですね
わたくし思いますに
「人類最高の芸術作品」
なのではないか、と。
ということで精魂込めて
「濃いヤスジファンの著名人文化人」
の皆様のアツい文章の数々に
負けないように
なるべく「わかりやすく」説明します。

なんかこう「狭い一本道」で
「侍と馬」が対峙するわけです。
どっちかが引かないと
先に進めない
みたいな。

でまた馬はごく普通に
「人間語」というか「日本語」を
しゃべるわけです。

で、
「どけ!」
「どかん!!」
「どけ!」
「どかん!!」
とか始まるわけですよ。

もうこの時点で
ポテチとか床にちらばるくらいな
「大爆笑」を
自分はしてます。

そして「侍」が
「馬」に対し
「お前がどかないなら斬る!」
と宣言するのです。
で「馬」がどうするのか?

ここからが
ほんとうにすごい
「谷岡芸術」だと思うんですけど
「馬」は「侍」に対し
「おまいさんにワシが斬れるかな?」
みたいなことを言い出すんですよ。
「?」マーク連発したりなんかして。
で侍の方は
「何故斬れん?」
みたいなリアクションになり
しかしそれでも斬る!!!
ってなった瞬間
「おまいさんにワシは斬れん
何故ならばワシはキーキーキルキルキレン
つまりキ行変格活用だからだ
恐れ入ったか!!!」
とか言うわけで、
実際お侍さんは
斬らない、と。

ということで
このエピソードは
いま私が語った前後の
展開もかなり凄いですよ。
マジで。

言論表現美術芸術活動
に関わる皆様は
最低限これくらいのレベル
の表現活動は
維持して欲しいものだと
心底思います。




さあ堰を切ったかのようなヤスジ語りいきますよ。
2005年にこのブログを立ち上げて
「谷岡ヤスジ関連」というカテゴリーを設定しておきながら
これまで活用してこなかった理由として
前回「谷岡作品の過激さ」ということを述べたわけですけど、
その他でデカいのは著名人の「濃いヤスジファンのヤスジ語り」
の存在もあるわけですよ。
でしかもヤスジ好きが語る濃いヤスジ論
って「絶対数」は多くないんだけど
濃いだけにどれも面白い!!
みたいな。
なので通りすがりの一農民
の自分が参戦するには
ちょっと敷居が高いなあ
みたいな部分もあるわけです。
あるわけですが
「人間どうせいつかは死ぬ」
と考えれば
有名無名も関係ねえ!
ってゆうのもありますので
今後なんの遠慮もなく書くわけです。

ということで
今回は谷岡ヤスジの「言語感覚」に触れましょう。

よく使われるのが
「OOしたりなんかして」
とか
「OOしたりなんかしち」
とか
そうゆう広川太一郎的語尾ですね。

ヤスジマニアを自称しておきながら
この「なんかして語尾の多用」が
ヤスジが先なのか広川太一郎が先なのか
実は知りません。
というか
どっちでもいいような気がします。
この際。

ただ広川氏が意識してたかどうかは
わかりませんが
「んなーんちて」は
ヤスジ専売語尾になってました。

で漫画本編のネームの語彙は
それはそれとして
谷岡作品の「タイトル」ってのも
かなりキテるわけです。

前回挙げた
「チクリ先生としょの一味」
だの
「格言カッパ」
だの
といった特異なキャラが登場してたのが
「アギャキャーマン」
とか
「ベロベーマン」
とか
その類の
いわゆる「村(そん)」がよく登場する作品群なわけです。
その他
「アニマルぞろぞろ」
であるとか
「オノケゾリッチ」
であるとか
「バカが行く」
であるとか
「シデー世ですこと」
であるとか
とにかく「村(そん)」中心の
シュールな展開多目の作品のタイトルは
上記のように
全て「一見人生の深みとか何も感じさせない」
わけです。
「もっともらしさ」
はひとかけらもないわけです。

実際
「人生の深み」
とか
「芸術におけるもっともらしさ」
とか
を追求するとして
「アギャキャーマン」
とか
「ベロベーマン」
とか
そんな題名つけるほうがおかしいわけです。
おかしいんですけど、
ヤスジ師匠は
べつに「芸術表現の深み」を
放棄していないのも事実です。

というかむしろ
漫画のタイトルが
ベロベーマン
だろうが
アギャキャーマン
だろうか
そんなこたあ知ったこっちゃねえ!!
みたいなところが
谷岡ヤスジの真骨頂なのですよ。

ということを考えると
逆に
「谷岡ヤスジの世界の中心からOOを叫ぶ」
みたいな作品も
読んでみたかったような気もしますね(笑)

ということで
だんだん面白くなってきたので
次回以降
谷岡ヤスジの鋭敏な言語感覚
の世界に
どんどん踏み込んでいこうと思います。
このカテゴリーの投稿数いままでゼロ
ブログを始めた2005年に
とりあえず「谷岡ヤスジ関連」
とひとつ設定はしておいたんですけど、
なかなか書こうという気持ちにあまりなれない
というか実は先日一回投稿したんだけど
思い直して「削除」したのです。

ま、なにせわたくしの人生の師匠
「谷岡ヤスジ」ですので
まずその作品の内容は
基本的に「過激」なわけですよ。

下ネタも多い
政治ネタも多い
「現代の規準からは問題のある表現ですが」的言葉づかい
も多い、
と。

そういった過激コンテンツについて
自分の所見を述べますと
その「自分の所見」も
やはり「過激」にならざるを得ないわけですよ。

谷岡ヤスジを「師匠」とあがめておきながら
その日和見的な態度はなんだ!!!
というお叱りの言葉も
そりゃもう覚悟はしております。
おりますが、
たとえば
「チクリ先生としょの一味」
ってゆうキャラがいるわけですよ。
総勢3名というか1名&2匹というか。

こいつらのことを知らない人に
いったいどうゆうキャラなのか
というのを説明するのには
「あたりさわりのある語句」
を使いまくらないと
全然伝わらないわけです。

ここをご覧の皆様は
ソフィスティケーテッドピープル揃い
であると信じ、
おそらく皆様であれば
「バター犬」はいくらなんでも御存知であろう
という前提で語りますが
「チクリ先生としょの一味」は
「バター犬」の100倍過激なやつらである
と断言できます。

「バター」じゃなくて
「針灸」の「針」ですよ。
チクリ先生が使用する道具は。
実にとんでもないわけです。

とんでもないんですけど
その引き起こす笑いの力たるや
そりゃもう大騒ぎさ!!
って感じなんですね。

だから、
あまりみんなと共有したくない
とかゆう部分も無きにしもあらず。

まあでもせっかく設けたカテゴリーだし
人生無限ってわけでもないし
すこしづつでも書いていこうかな、と。

「チクリ先生としょの一味」
ほどの過激さはないけど
かなり好きなヤスジキャラに
「格言カッパ」ってのもいます。

出てくるのは冒頭の1コマ~2コマ
と決まってて
ただ一言「でたらめな格言」を
作者の名前も明記して発声し、去っていく

それだけのキャラなのです。
眼鏡かけてますね。
見た目は「カッパ」です。

「校長の目がトローンとしたときは要注意
byスタンダール」
みたいなことを言うのです。

この格言のくだらなさ

引き合いに出された著名人の固有名詞
との
ギャップというか
ギャップのみならず
スタンダールがほんとうにそう言ったのかも?
と思わせる力技感というか
これはちょっとほかに見当たらないキャラクターですね。
日本漫画史上において。

まあそんな感じで
重箱の隅をつつくように
このカテゴリーは書いていきますわ。

あたりさわりも
あるかもしれませんけど(笑)