全力リラックス!辻タダオ
おぐまゆきとのユニット「中前適時打」メンバー辻タダオのブログ。生年1964、生れ高松、育ち三多摩、元々の「本籍」は那覇、多摩市在住町田市勤務。中学吹奏楽部 町田市立忠生中学校 ・高校吹奏楽部 都立町田高校 ・大学ビックバンド 立教大学NSH 職歴 パチンコホール業界 →ブルーベリー農家。大阪近鉄からの東北楽天ファン。中前適時打は2016年4月結成。作詞作曲、key&vo 漫画原作等を手掛ける。心の師谷岡ヤスジ。無党派。表現規制反対派。ピアノはコードブック派我流。断煙断酒断パチ継続中。
フェイク祭り
さて、たまたまなんだけど、
最近車でよく通る道沿いのGEOが
なかなかの品ぞろえで
旧作レンタルの値段も150円だし
ってことで
本来だったら新宿か渋谷のTSUTAYAにでも
いかないと無さそうなものも置いてあったりするので
ちょくちょく借りてて
でそのなかに森達也の「FAKE」もあった。
でオーソンウェルズの「フェイク」は
多摩地区7市図書館協定の某市で借りて観てた。
そして今日はNHKクローズアップ現代が
「フェイクニュース」の回だった、と。
特に意図してたわけではないが直近数か月内で
「フェイク」題材コンテンツをやたらとみてるわけだ。
まあそれぞれ詳しく触れる気力もあまりないので
オーソンウェルズの「フェイク」は初見ではないから
それだけ除いてあとの二つについて述べるとして
まず森達也の「FAKE」。
今日やってたクローズアップ現代にも本人が出てたし。
一応「衝撃のラスト12分」みたいな謳い文句なので
細部省略で書くけど
映画挿入曲の佐村河内作曲の「レクイエム」についてだが
この曲そのものに自分は全然「感動」しなかった
ってのが感想としては一番強調しておきたいところだ。
これ以上いろいろ詳しく言うと「ネタバレ」になるんだろうから
やめておいて、あとの見どころとしては
佐村河内に対して
「番組出演交渉」に来たフジTV局員達のとこかなあ。
これもネタバレ防止で細部省略するけど
諸々の流れがすごい高度なギャグになってた気がする。
佐村河内、森達也、フジ局員の面々
これら勢揃いなのはなかなかに圧巻だった。
ま、なんにせよ
まだ売れてない現代音楽作曲家が見ると
くそーあんなインチキで儲けやがって!
って気持ちにはならず
あ、あれで売れるのか!
って、気が一瞬楽になるかもしれない。
でもその為には「フェイク」か?
やっぱりそこまでやってやっと売れるのか?
ってなるというか
フェイクまでいかなくても
キャラ設定
とかしないとダメなんかなあ
とか憂鬱にはなるだろうなあ。
世の中やっぱり厳しいのだ、と。
テレビに出たくない引き籠り型の芸術家タイプの者は
見ていてツライものがある映画だろうな。

で今日のクローズアップ現代なんだけど
フェイクニュースに踊ったメディアで
外交官一人が自死というのは深刻な話題だが
とにかく台湾中国問題の話ではないか、と。
そのように個人的には思った。
で森達也はコメンテーターとして
「注意喚起」をネット民へ促す、と。
というか皆様のNHKともども一丸となって
ネット民への「注意喚起」を行った、と。
それ以上でも以下でもなく
御説ごもっとも!!
以上終了みたいな印象であった。

炎上を狙わず、刑事罰の対象になるような投稿せず、
出所不明の情報に反応せず、
いつも通りに過ごせばいいだけのことである。
自分の場合は。
芸風をひとつに定めることなく
その時々の気分で。

ってことで
肩すかしにあった気分である。

NHK様の注意喚起はそれはそれとして
自分としては普通に今後も
鼻歌交じり冗談交じりの感覚も込みで
ネットに対応していくのみである。
人生に大事なことを学ぶ場所。
むかし、それは「幼稚園の砂場だ!」
って本があってベストセラーになってたけど
そもそも自分は「幼稚園」も「保育園」も行かず
「そこらへん」をウロウロしてた。

親が「学生結婚」みたいな状態だったので
それどころじゃなかったってゆう流れ。

「幼稚園」に通ってるはずの年齢のとき
座間キャンプの米軍人さんの娘さんと
道端で「お店やさんごっこ」してた。
娘の名はカレン。

しかしいまはカレンのことは飛ばそう。

このように「幼稚園の砂場」で学べなかった者
もいるのだから
そういった少数者にも配慮して、
そういったタイトルの書籍は
もっと人目に触れぬように蔵書棚にしまっておけ!
とか言うつもりも毛頭ない。
幼稚園の売り上げに貢献できずすまない、
とゆう気持すらある。

わたしはこう言いたい。
2018年の日本国における
「人生に大事なこと」は
「空調の効いた適正温度の室内で
パワーポイント操作と話術に長けた
各々の分野の専門講師から学べ」
と。

花粉症と熱中症のことを考えれば
「砂場」などという屋外は
学びの場としては「論外」と言うほかない。

気合いで「暑さ」や「花粉」をしのげる時代ではないのだ。

わたし自身ほとほと老いた母に
きょうびの「ITに基づいた生活技術」を説くことに
疲れてきたし。

というか自分自身も記憶力が落ちてきてるし
正確に仕入れたはず!
と思ってた「IT知識」が勘違いだったり
覚えた
と思ってたものを忘れてたり
とかいろいろと不具合が多くなってきている。

公民館のデカいプロジェクター使って
「交通系ICカードの使い方」
「コンビニの作法」
「ファミレスの作法」
「クレジットカードの使い方」
「携帯もしくはスマホメールの使い方」
「wi-Fiの意味と使い方や使わない方法」
「SNS各種の意味と使い方や見るだけにしておく方法」
「USBポートに繋がってる機器を
とりあえず外すと直ったりすることもある
PCエラーの件」
なんかを
スパッとササッと
スマートに教えてやってくれよ
と。

マジで切に願うものである。

というかジャンルによっては
おれにも教えてくれー
みたいなw

いやほんと
全部「人生に大事なこと」ですからね。
上にあげつらったようなことってのは。
歳関係ないっすよ。

で加齢で意固地になっちゃって
いやいやわしの知恵の方がすぐれておるから
心配ご無用!!ってなお年寄りも
少なからずいらっしゃるように
町にでるたんびに思うわけだけど
そうゆう段階じゃないっすね。

箱根そばやなか卯や松屋の
券売機前や
セブンイレブンのコーヒーマシン前なんかで
心も体も
「カオス」になってる人とか出てきてる時点で。

空調の効いた公民館に
くれぐれも夏場の「弱冷房」とか
そうゆうケチ臭いマネをせずに
ほんとのほんとに「快適」な空間を
用意して差し上げたうえで
親切丁寧に
おしえてあげて欲しいです。

わたしには人にものを教える能力はない
と決めてますんで。

そんなことはない頑張れ!
とか言われても絶対に逆らいます。
おれには無理!
と。

ちなみにあんまりパワポの操作が上手すぎると
そっちに感動しちゃって
中身覚えてない
ってことも有り得るので
注意が必要ですw
(何を隠そうそれは私)
画も見てないし音も聞いてないので
巷で話題の
「葛西が会見で滑った」
のこの件、
記事を読んだだけじゃ
なんとも感想を述べようがない。

ないんだけど
そこはもうこうなったら
無理にでもまた「自分に寄せて」
あれこれ書く。

自分もこれに近い経験ある。

前の職場で
ちょっと記憶もおぼろげなんだけど
大体「5年」ごとに
永年勤続の表彰があって
自分は20年いたから
少なくとも2回くらいは
それへのリアクション的に
人前で「あいさつ」した。

でありがちなおふざけで
「こんにちのわたくしがあるのも
これみなすべてわたくしのおかげです」
っていったら
会場ドン引き!!
みたいなねw

まあ葛西選手とは状況はやや違いますけど
いま現在にいたるまで
そのことに関して反省もしてないし
悔いてもないし悩んでもないのは
一緒かなw

あと「勤続」の表彰じゃなくて
どこかの店の「OO周年」のあいさつで
責任者だった頃だったと思うけど
自分はその店の「オープン」に立ち会ったわけでも
なんでもないのに
「こんにち当店が無事OO周年をむかえられますのも
これひとえにわたくしのおかげです」
とか。

ほんと「自分」あんまり関係ないのに。

葛西選手と状況は違うけど
これに関しても
いま現在にいたるまで
後悔も反省もないっす。

人生54年、
「平成」を過ごした時間の方が長いけど
やっぱり
森繁とかクレイジーキャッツとか
ドリフとかの
いかにも「昭和」なノリの
ベタなふざけかたをしたくなっちゃうのは
社会人になっても抜けてなかった
ってことですね。

いまにして思えば。
ヘッドフォンとか危ないって
べつに記事のリンクとかは
もう面倒なので貼りはしないんだけど
東京の地下鉄で車内にBGM流そうかなあ
みたいな話題で
「いらーん!!」って声がたくさん出てて
私も同意見なんだけど
それはそれとして
「どうせみんなスマホとかで
イヤホン、ヘッドフォンとかしてるし
関係ないんじゃないの?」
みたいな声もちらほら見受けられ
それも至極ごもっともだとは思う。

思うんだけど
個人的にはもう何年も
「自宅」以外でヘッドフォンやらイヤホンやら
ほとんど装着してないし
まして「屋外」やら
「屋内」であっても公共のスペースやら
での装着は
意識的に100%絶対にしない
と決めてそれを実行し続けているし
これからも続ける所存である。

というのも
ただでさえ耳が遠くなりかかっているのに
ヘッドフォンなんかしちゃったら
「ゴジラ来襲」とかあっても
気づかない恐れが多々あるし、
坂道を徒歩で下ってる時に
後ろから猛スピードで走行してくる
無謀運転の自転車の音に気づけないのは
何としても避けたいという思いが強い。
あれはほんとにマジでやヴぁい。
二度ほど死ぬかと思ったことがあった。

大容量のipodもいまは家の中だけで
使用している。
とにかく「表現規制」には反対します。
まあ「反応したら負け」みたいな気持ちも
若干あったんで、ツイッターでも
エディーマーフィーのスタンダップのVHSの
アマゾンURLを貼るにとどめ、
例の「ガキ使の扮装問題」にはブログでは言及してこなかったけど
それもこれもあれこれ全部「込み」で
「表現規制」には全て「大反対」!!
と言っておきますよ。
このブログではその類のことは何度も書いてるけど
あらためて念押しの意味で。

だからと言って、
「ガキ使」手放しで礼賛
する気ももちろんないっす。
ないけど「エディーマーフィー扮装が
あたりまえのようにダメな世の中」に
なって欲しいとは毛ほども思わない、
ってことです。
なのでもちろん
放送した「日本テレビ」を擁護する気持も
さらさらないんすけど
ひとつだけ。

あの扮装に強烈に「反対」を
表明している方々のなかには
論をすすめるにあたり、
「ポリコレの流れを読めない無知蒙昧な
日本のテレビ局上層部」
ってゆうような前提を立ててる方も少なからずいらっしゃる。
わたくし個人的にこれはいくらなんでも
テレビ局上層部のリテラシーを過小に見積もっている
としか思えない。

つまり
「わかっててやった」に違いない
と自分は考えます。

というのも
「お笑い」番組作るのに
「エディーマーフィーの人となり」
とか
「エディーマーフィーの芸風」
とか
知らずにやる
「お笑い番組制作者」がいる
とはいくらなんでも考えにくいわけですよ。

で念を押しておきますが
わたしはここで
エディーマーフィー礼賛論をぶちあげる
つもりはありません。
だいたいエディーマーフィー作品って
新しくなればなるほど日本で「公開」される率が
どんどん低くなってまして
それは「ヤヴァい」からじゃなくて
単に「面白みに欠ける」と配給会社側が
判断したからだと思われますし。

実際「扮装」のネタになった
ビバリーヒルズコップも
物凄くつまらない駄作
ではなく
映画としてはそこそこ面白い作品
だとは思いますが
純粋に「お笑い」の要素だけ考えれば
前述した「スタンダップ」とか
あるいは「サタデーナイトライブ」の方が
数倍数十倍「面白い」のはもうこれ間違いないっす。
それか映画でも「傷痍軍人なりすまし」ネタ
があった「大逆転」とかね。
で、
「ガキ使」制作者は
そのへんも十分
「わかっててやった」
と推察します。

だからこれだけ長い間
ああだこうだと騒ぎたい人達が騒いでますけど
日本テレビ側が「謝罪」する気配皆無なわけです。
だって
「わかっててやった」んですから。
謝罪するはずがありません。

ということで
「反応したら負け」と思いつつ
今日このタイミングでこれを書いたのは
この
「ウディー・アレンはハリウッドから追放されるのか」
記事を読んだからでして
いくらなんでもここまでくると
「レッドパージ」や「文化大革命」との
本質的違い
が最早わからない
と。
この問題自体は厳密にいえば
「表現規制」とは
また別のことなのかもしれませんが
この段階で
「ウディーアレンオワタ」的決めつけ
って
ちょっと冷静さを欠きすぎでしょう。

イデオロギー的にどっち側か?
とかは置いておいて
たとえばレッドパージの時に
「仲間を売った」として「業界」から
裏切り者扱いになってるエリア・カザンとか
永山則夫問題の時に文藝家協会脱会した
筒井康隆、中上健次、柄谷行人、とか
いろんな人たちのことが思い浮かびますよ。

その人物の行状や思想と
「作品を生みだす行為」を
どう関連付けるのか?
という意味で。

エリアカザンは純粋悪だったのか
筒井、中上、柄谷は絶対善だったのか
もうこうなってくるとわかりません。
わかりませんが
エリアカザンの作品も
筒井、中上、柄谷の著作も
視聴閲覧は可能なので
ウディーアレンの問題もそんなに深刻では
ないのかもしれません。

しれませんけど
とにもかくにも「表現規制」には反対します。

ひとつ
心理的に「援軍」となりえる記事の
リンクを貼っておきます。

女子現代メディア文化研究会の
~国連女子差別撤廃委員会、「日本における女性の権利」保障~
議題「性的暴力を描写したビデオや漫画の販売の禁止」についての意見書
です。
この類の問題に関しては
もっとも「まとも」で「冷静」な意見だと個人的に思います。
「優しさ」じゃない理由で反文春。
さて小室引退問題で
文春批判の論調がさかんに
見受けられるようになってきて
相撲協会VS貴乃花問題同様に
世論二分の様相を呈してきたわけだが
私は比較的単純に「文春批判」側にまわることにして、
ツイッターにも
「文春はネット記事は読むけど雑誌本体は買わない」旨
表明して「固定」ツイートにしておいた。
いつ固定を解除するか、はたまた消すかは
いまのところ決めてない。
党派的イデオロギー的に何か深い考えがあるわけでなく、
ゲス極とベッキー報道の頃から
一貫して「不倫報道」煩い鬱陶しいと感じていた
ってゆうただそれだけ。
したがって小室会見も見てないし
その内容にもほとんど興味がないし
ああまたかようるさいなー
ってだけ。
あんまりうるさいんで
おたくの雑誌は買わないよ
って言いました
ってだけ。
ある程度そうゆう声も挙げとかないとね
ってゆうね。
「小室報道みんなが喜んでくれて大ラッキー!!
これからも不倫報道がんがんやって
売って売って売りまくってやるぞー」
って変に張り切ってもらっても困る、と。
なので言葉数少な目だけど
意思表示はしましたよ、と。
したがって私自身なにか
崇高な価値判断みたいなものを
提示するつもりはさらさらない。
求めてないものはいらない
というだけであって
不倫報道を求める人の存在を否定はしないし、
「廃刊しろ」とまで言う気もさらさらない。

とここまで淡々と描いてきたわけだが
では何故そうゆう風に考えるのか?
だ。

ここから先はおそらく誰も考え付かないであろう
「おれ流」理論が展開される。
しかもそれは面白くしようとして
「はったり」で言ってるのではなく
正真正銘「おれの魂の叫び」だと思ってもらってけっこう。

私が著名人芸能人の「不倫報道」、
「下半身スキャンダル」の類を
煩わしいとか鬱陶しいと感じる最大の理由は
過去から現在にいたるまで
自分の人生一度たりとも「事情通」だったことはない!
と。
なのでああゆう報道はほんとうにうるさい。

学校でも職場でも
周囲の男女の「関係」について
やたらと詳しい人とかいるじゃないですか。
で、自分の場合
そういった「事情通」の人からいろいろ聞かされて
「え?そうなんだ?」ってなるタイプであって
大概「なに気づかなかったの?鈍感だなー」
という流れになるわけだ。
ああ、はいはい
鈍感で悪うございましたね
とそのたんびに
こっちが気を悪くする、とw
他人のことなんてどうでもいいから
放っておけばいいじゃん!
ってゆうね。
なので自分は「人を気遣う優しさ」から
文春批判にまわっているのではない。
単に「薄情」だからだ。
加えて「事情通」の人のような
情報収集力もない。
情報が集まってこない
すなわち
人望がない。
ああ、おれってダメだああ
ってなる
と。
したがって文春には
人望がないおれの劣等感を刺激するなー
と言いたいわけで
だから「おたくの雑誌は買わないよ」
なのだ。
わかったかこんにゃろめ!
と。

まあ言ってることは
かなりメチャクチャだという自覚はある。
あるんだけど
やはり自分が文春を批判したい気持ちの
「根源」にあるものってこうゆうことなんだよなあ
どう考えても。

自分の祖父の死因も知らないくらいなので
疎遠になってる間に若くして亡くなった旧知の人
のことなんかも
ほとんど事後に知るわけであって、
そういった面の「能力欠如」に関して
いまさら埋めようなんて気も起きない。
それこそ時間の無駄だとすら思う。

で日本の会社組織でマネジャー職とかやると
ほんとに真面目にそうゆう「事情通」的
情報収集能力求められてましたからね。
いまはどうだか知りませんけど。

部下同士の恋愛事情
とか「何も知りませんでした」
とは言えない!
みたいな。
ほんとは知らなかったのに
さも知ってたかのように
対上司との場で取り繕ったりとかね。
そうゆのもまた「嫌な思い出」なわけですよ。

だから下半身スキャンダル追いかけて
実際にとってくる奴とか
嫉妬の対象でしかないわけです。

そうゆう意味で
文春こんにゃろめ!ちくしょうめ!
って感情が沸き立ってきてしまうのです。

一生懸命に善意で不倫報道に
取り組まれても
このように不快に思う者もいるんだ!
ってことで
ささやかながら声をあげてみたわけです。

ま、この理屈jは
Me Too
にはならないだろうなあw

急がなくてもいいが普通に走れ
ってことで
ツイッターでもチラッと触れたんだけど
ちょっと古いこの
「街中でもたもた運転は増えた?~」
の記事に反応しよう。

昨今は自分での車の運転は避けて
「公共交通機関」を使うか
「徒歩」で移動するようにしているんだが
中前適時打のツアーも含め
日常生活においても
「バス」に乗る機会が増えてるんだけど
何度か「バスの前」を
スイスイ走らない車を見て
ああ、そういえばこんな記事あったなあ
と思い出した次第。

で、記事には全然書いてない
「おれの思いつき」による
大胆仮説をツイッターで披歴したんだけど
ようするに誰しもが考える
「高齢ドライバーが増えて
運転下手なやつが路上に増えた」
ってゆうありきたりな論ではなく
みんなお金が無くてガソリン代も勿体ないので
エコロジーというよりエコノミーの比重の高い
極端な「エコドライブ」が増えてるんじゃないか?
とまあそうゆうこと。
ガソリン代一時凄く安くなったと思ったら
また元に戻ってきてるし
まったく油断ならぬ世の中だわい
つって
アクセルもブレーキも出来るだけ踏まず
とにかく極力「惰性」で走るのじゃ!!
みたいなね。
子も孫もワシのガソリン代までは
世話してくれんし(-_-;)
みたいなね。

ウィンカー出すのも勿体ない
みたいな危険思想に至る!
みたいな。
ほんとにそうでも考えないと
全然説明のつかない
「変な運転」の車
けっこう見ますよ。
バスに乗ってるだけでも。

あと普通に歩いてるだけでも
狭い住宅地交差点で一時停止しない危ないやつ
駐車場から出る時の歩道を脇目も振らず
駆け抜ける人命軽視のやつ
とか見ますよ。
なので絶対に「ヘッドフォン&スマホ」とかしませんもの。
うわっアブねー
って歩きながら感じること
この数か月で数回あったし。
あの時耳ふさがってたら絶対に
はねられてたに違いないって確信してるし。

ってことで
お正月なんかは特に
普段運転してない高齢者ドライバーが
華麗に路上に参上!!
となりがちな時期でもありますし、
皆様どこにいても
交通安全にはお気を付け下さいませ。
運がいいとか悪いとか
ってことで
この
「バブル世代のリストラバブルは止まらない~」
という記事に反応するんだけど
誰しもが思う事なんだろうけど
「退職金5000万」ってところだけで
それだけで「強運」の持ち主じゃないか!とw
ま、とにかく凄すぎる額である。
「リストラという悲劇」感がまるでない。
しかし当事者はそうはいかないだろうから
「同世代」の話でもあるし
ツイッターでも触れたけど
5000万貰うのを邪魔するつもりもないし
まあ頑張ってね
としか言い様がない。
でこの記事はバブル世代高年俸社員の
市場価値について事細かに書いてるんだけど
まあ、当事者にしてみれば
「外野からああだこうだ言うな!うるさいぞ」
ってな話だろうし
自分が同じ立場だったら間違いなくそう思う。
私も間違いなくバブル世代なんだが
判で押したかのような「バブル世代批判」ってものには
時にうんざりもするんだけど
当たらずとも遠からずって部分もあるよなあ
ってのもあるので
さわらぬ神にたたりなし
とばかりに基本はスルーなんだが
やはりその
5000万円
ってのはちょっと無視できない。
行きつけの呑み屋の店主が会計の時に
「はい5000万円!」ってゆうのとはやっぱりわけがちがう。
それにやっぱり自分自身が
「千万単位の退職金」ってのを
「絶対に手にしないこと確定」人生を歩んできたので
ひがみやっかみもある。
あるがしかし
それはそうゆう風になる努力はしてこなかった
「自己責任」もあると割り切ってもいる。
「千万単位の退職金はおれには無い
しかし無ければ無いでどうにかする」
ただそれだけのことだ。
というかほんと
「5000万円あげるからとっとと辞めて」
って言われたらどんな気持ちになるのだろうか。
やっぱり「ツライ」のだろうか。
けっこう興味が湧くのだが
実際どうなんだろう?
自分なら神妙な顔つきをしながら
「仕方ありませんね」という体で
貰って素直に辞める
以外の選択肢を思いつかない。
やっぱり自分の業種、職種が
「死に体」になってるってゆう自覚はあるだろうし、
であるならなおさら
「貰えるうちに貰って辞める」
以外選びようがないよなあ。
サンタコスで板挟み経験アリ。
昨日は毎年恒例のクリスマス撲滅デモも
あったみたいですけど
ついさっきまでそれに関するネット記事の
リンクも貼って原稿用紙2枚分くらいの分量で
ここで投稿してたのを
間違って全消去しましたよ。
ええそりゃもう。
その前には浴室で
「シャンプー」してないじゃん
って退室動作の際に気付く
とか「おれ大丈夫なのか?」って話ですが
まとにもかくにもライブのステージには行きます。
で表題の内容ですけど
かいつまんで言えば
昔いた会社で現場マネジャーやってた頃に
「サンタコス」着せる側だったんだけど
「着たくない」一点張りの女性スタッフがいて
「持病がある」とか「宗教上の理由」とか
の論拠一切ナシ!
ただ「ウザい」の一点張り!の剛の者だった
という話でした。
結論は「おれ放置。現場周囲の者から不平不満出ず。」
ってゆういたってシンプルな流れ。
ただしまあ「板挟み」相手の
現場にはいなかった「上司」には
一切報告しませんでしたので
まあ組織人としては「失格」ってやつで
おかげさまで「企業社会」では出世しませんでした(*^^)v
アルハラ&DVじゃないですか。
とふと
あの海援隊の「母に捧げるバラード」の
「あの時父ちゃんが酒さえ~」のくだりを思い出した。
me tooの動きが盛んな報道世界に触れて。
しかし一応「物語」としては
あの時酒に酔った父ちゃん、が
いなかったら武田鉄矢は生まれてなかった
ってゆう筋立てなわけだし
実際武田鉄矢であればこの御時勢だから
ハラスメントだDVだと原理原則論で騒ぐのは
いかがなものか?といかにも言いそうではある。
ということで
普段から口を酸っぱくして言ってるように
私は積極的無党派なので
武田鉄矢のいう事
に関しても是々非々なので
なんというかまあ
「母に捧げるバラード」は
アルハラやDVを容認しかねない内容を
歌詞に含む反動的な曲だからけしからん!!
などと言い募るつもりは皆無どころか
むしろ軽い擁護派といってもいい。
なにしろ「酒でも呑まないとやってられない」
ってまさに「言葉の真の意味で(柄谷行人調)」
ほんとにそのとおりな人ってたくさんいるし、いた
と思うわけだ。
性に限らず、何か事に及ぼうとする時に
「酒の力を借りる」こと全部を無かったことには
出来ないのではないかと思うわけだ。
しつこいようだが「酒仙投手今井雄太郎」の
エピソードをこの世から消してはいけない。
もっとも昨今「断酒」している自分としては
最早どっちでもいい
ような気もするんだけど
でもねえ
セクハラだパワハラだアルハラだ
とかそうゆうのってのは
機械的に割り切って
なんでもかんでも規制だ逮捕だ自粛だ追放だ
でほんとにいいのか?
とは常々思いますよ。
思いますけど
自分もワゴンに乗った変態性欲者に
さらわれそうになったことがあって
運よく逃げられたんで「トラウマ」とか
ないですけど
イーストウッド監督の「ミスティックリバー」に出て来る
ティムロスのあのキャラとかほんと
可哀相だよなあ
って思いますから
ハラスメントとか性犯罪暴力犯罪野放しでよし!
ってわけにもいかないので
なんとも難しい。
痴漢冤罪ってのもあるし。
ま、シンプルに嘘と暴力はあんまりよくないよ
ってことで
そうゆうところに近づかないようにするしかないでしょう。
と過去
「嘘」や「暴力」が他より多目の
歌舞伎町で酷い目に遭いまくった
おっさんが申しておりますw
特に反省するつもりもないけど
もう同じことを繰り返すつもりもございませんw
左右大同団結の様相
ま、自分も小谷野敦のネット署名には署名したので
基本的には賛成。
ってのがBLOGOSの
「たばこはそんなに悪いのですか?」記事。
ま、こうゆうのはイデオロギーの右も左もない
ってことでいいんじゃないですかね。
わたしは基本的に「法律」は少ない方がいいと
考えるタイプの者なので
屋上屋を架す
みたいなことは出来るだけやめてくれ
ってただそれだけなんすよ。
ブレードランナーでハリソンフォードをたしなめる
うどん屋のおやじと一緒で
「十分ですよ」と言いたい!
ただそれだけなわけです。
現行十分「分煙」進んでますから。
ちなみに自分はかつてタバコ一日ひと箱20本吸ってて
やめてから6年経ってますけど
全然禁断症状ないうえに
最近は「煙い」の苦手かなあ
ってなってきてますけど
まあでもそれはそれってことで。
というかまあたまたまなんすけど
こないだとあるファミレス行ったら
喫煙席の方が
「高齢者」で混んでたりしてたし
ほんとに「完全禁煙やります」とかなったら
BLOGOSとかそうゆうネットのコンテンツに
あまり普段触れないデジタルデバイド気味の
おじいさんおばあさんが
「そんなはなしはきいてない」
って言いだすんじゃないかなあ。

でも現行のルールは喫煙者もきっちり守って
ダメな場所で平然と吸うのはやめてくれよ、と。
とか、あるいは「あり」の場所で、特に喫煙禁煙
どっちともとれるような場所でマスクして咳き込んで人
がいる場所では遠慮しておくくらいにしてね、とかね。

それくらいでいいんじゃないかなあ。

いやまあ
「実利」考えれば相方おぐまも喉不調になったりもしたし
なんとも微妙なところもあるんですけど
「大きく」考えると
やっぱり「法律」増えて
お役人肥え太るってのは
どうにもこうにも嫌ですね。

禁止や規制
が増えるのよりは
緩和や撤廃の事例が増えて欲しいですよ。
こと「法律」に関しては。
どんなことでも。
ま、絶望的にそうはならない予感
しか、しませんけどねw

あ、べつにわたし
アナーキストじゃないんで
すべての法律無くせ!
とまでは言ってませんからね。
念の為。
マウンティングマウンティングヤッホーヤッホー
私はことあるごとに、
ネット上においては
ノンポリ無党派層であることを
明言してきたし
また一歩突っ込んで
非グローバリズム
非新自由主義
的な立場であるとも表明した。
で、それは「積極的選択」であるとも言った。
ものは言い様
ってのを援用すると
「ノンポリ無党派」を名乗るってことは
「全方位的に反抗的で
そうやすやすと他人のフォロワーには
ならない強い意思の持ち主」
だとも言える。
なんだかカッコいい感じではないか。
裏をかえせば
「すべてのことについてめんどい
と思ってる」だけなのかもしれないのにw

で、今日の引用ネタは
「外国では…」 とにかく気持ちいい“出羽守説法”の万能感
ってゆう中川淳一郎の記事。

ほとんど100%納得の内容。
とだけ言っといて
あとはいろいろ自分の思うところを。

で、まず
「日本語読解力」の点で念押ししておくけど
この記事で批判というか
まあ「揶揄」の対象になってるのが
共産党の女性議員なんだけど
書き手の中川淳一郎が
特別に「極右の反共主義者」でないように、
私も「極右の反共主義者」ではない。
あくまで「ノンポリ無党派」の
「反」ではなく
「非」グローバリストである。
そこのところは勘違いのないように。
で、それについても
「ノンポリって言っておけば得られる
とにかく気持ちいい日和見説法の万能感」
ってゆうような批判や揶揄の対象になっても
まあおかしくはないだろうなあ
ってのも承知のうえでやってる
とだけ言っておく。

で、この記事や
この記事に対するコメントでも
「出羽守説法」が内包する
「マウンティング感」についても触れられてるので
まずは自分の個人的体験から
「ぼくがかんじたマウンティング」の例をば。

もうねこれはなにをおいても
前職「パチンコホール業界」在職時の
「元マルOン中途採用者」のマウンティングぶりの
超絶物凄ことといったりゃありゃしない
そりゃもう大騒ぎさ
の件。
これに尽きる。
これ一択と言ってよい。
いま冷静に考えれば
「元マルOンだからどうしたっての?
それが何?」
なんだけど
当時は「飛ぶ鳥落とすどころか
死んだ魚も生き返らせる勢い」の
まさに「天下のマルOン」だったので
中くらいだったり小さかったりするホール業者は
「元マルOン」キャリアの者を
こぞってありがたがって採用しまくった
ってゆう哀しい歴史もあるわけだ。

で、結果としては
来るもの来るものことごとく
「マウンティングマウンティングヤッホーヤッホー」
状態であり
既存の現場の者どもと齟齬をきたしまくって
わりかし短い期間で去っていく
ってなケースが多々あり
業界内中途採用市場において
「元マルOン必ずしも万能ならず」という空気が
流れるようになったのである。
ま、「マルOンであればなんでもかんでも
ありがたがっていた」という
「異常」な状態が
正常化しただけ
とも言える。

ってことで
「互助会」が付与する
八百長的な「権威づけ」的コピーライティング
みたいなもんは
最早通用しないわけだ。
「ほぼ日」の糸井重里まわりも
大木運び
で炎上する世の中なわけだ。

こうゆう現象を見るにつけ
私のようにはっきり「表明」しないだけで
全方位的に反抗的
というよりは
「懐疑的」な姿勢を取り得る
積極的無党派層は
確実にしかもかなりなペースで
増えているのだと思われる。

安倍さんはそう言う
しかしそこは違うと思う。
が、まあそこはなんとなく賛同する。

志位さんはそう言う
しかしそこは違うと思う。
が、まあそこはなんとなく賛同する。

糸井さんはそう言う
しかしそこは違うと思う。
が、まあそこはなんとなく賛同する。

って考えるのが
あたりまえで
普通の大人でしょ
ってことだ。

ということで今後
これまでは
あまり批判の対象になってこなかった
「大御所」もどんどん矢面に立たされることに
なるんじゃないかな、と思う。

で、それは
「世の中がギスギス」しはじめた
ってゆう
「悲しい」事態ではなく
ただの「正常化」である。

これまで
「面白い」「素晴らしい」
とされてきたものは
ほんとに面白いのか素晴らしいのか?
ってな疑問がどんどん表明されるようになるわけだ。
互助会のフタがはずれまくって。

繰り返すが
これは
ただの「正常化」である。

なぜわたしはしつこく
そう主張するのか?

これについてもまた
自分個人に引き寄せて述べようではないか。

いま現在はまた
「立場」を微妙に変えているかもしれないのだが
私は実の親がそれぞれ
いまの政治勢力図に置き換えて例えるなら
「自公」側と「立民&共?」側に
思想信条的に真っ二つに分かれ
実生活においても別れた
とおおざっぱにいえば
そんなような時期がかつてあって
さらにその両方の「居場所」を
行き来していたこともあったのだ。

以前にも多少触れたかもしれないが、
結局その際
「思想信条的」に
自分はどっちの側にもつかなかった
ということである。
ただ単純にそれだけ。

で、そこには
哀しいとか悲しいとか嘆かわしいとか
その逆の
面白い素晴らしい望ましい
とか
そういった一切合切のエモーショナルな要素皆無
であった。

右には右の良さも悪さもあるね。
左には左の良さも悪さもあるね。
そして自分は
どっちの「兵隊」にもなりません。
ってだけなのだ。

考えても欲しい。
あなたがその立場になったら
どうする?と。(朝日新聞調)

ということで
酒席とかで
こうゆう「身の上話」は
嫌がる人もけっこういるし
それをさらにネットで書くのは
さらにさらに嫌う人も
いるんだろうけど
自分の場合はある程度そのへん
書いておかないと、
自分で「説明」をするときに
自分も「納得」出来ないし
読む人も「納得」しないだろう
と思うので、
細かい個人情報は省いたうえで
おおざっぱには書くようにする
という方針でやっているのだ。

なんというか
「自公側」
「立民&共?側」(?なのはまあ多分「合流」はしないだろうってこと)
どっちの「身内感覚」も
そこそこ知っちゃってるんで
あーはいはいそうですか
ってならざるを得ない。

ってことで
最近は右の互助会にも左の互助会にも
どっちにも入っていないように見える
モーリーロバートソンとか小谷野敦とか
そうゆう言論人というか文化人の文章を
積極的に読むことが多いんだけど
べつにそうゆう人達の言う事を
ありがたく拝聴する空気が生まれる前から
「右も左も関係ない!!」って動きは
一般市民の間から「自然発生的」に湧き上がっていた。
そうそれがあの
「プロ野球1リーグ10球団化」に反対する
「市民運動」である。
日本で唯一成功した市民運動だ
とすら言いきれる。
だが、
モーリーロバートソンも小谷野敦も
野球は好きではないようだし
というか
インテリ、文化人関係
野球嫌いの人が多いのは間違いない。
それは
あの時「ナベツネ批判」した文化人がほとんど全然
存在していなかった
ことでわかる。

がしかし
べつにそれも特に嘆かわしいってほどの
ことでもあるまい。

インテリや文化人は
互助会や権威の庇護のなかで
生きていたし
いまでもそれはほとんど
変らないけど
一般市民にしてみりゃ
「ナベツネ」なにそれ?
業界の権威?
芸能界のドン?
そんなの知らんもーん
ってゆう
広大な「宇宙船地球号」(リベラル調)
のなかの
「悲喜劇」の一幕である
と思えば
なんてことはない。

大体ぐるっとまわって
いまでは
ナベツネよりは
ホリエモンのほうを
「みんなが知ってる」状態ではないか。

歳をとってよいのは
こうゆう「栄光盛衰」的な
「悲喜劇」をシミジミ味わえる
ってことだなあ
と最近つくづく感じる。
これぞまさしく国論二分の火種。
まあ単純に日本国内の「国論」のみならず、
トランプ登場で発生した
トランプ認めるか否か
みたいな「世界的論争」の火種になること必至なのが
こういった「酒」がらみ問題ってことで、
アル依の父親を題材にした菊池真理子のエッセイを
基にして泥酔者に寛容な日本社会に疑問を投げかける
弁護士ドットコムの記事

を肴に持論を展開していこう。
というか「を肴に」なんて言い回しを使うと
いかにも挑戦的な態度のようであるが
なんと!辻タダオともあろう者が
ここでは中立的に振る舞うことにするぞ。

ちょっと前なら
あらゆる理屈総動員して
この記事を世に現した
弁護士ドットコムを批判しただろう。
だがいまはそれをしない。
何故なら「アルコール由来の脂肪肝で倒れた」から。

単純な話
「痛い目に遭った」から。

大体、自分は過去において、
「辻タダオの酒武勇伝」的行為を
実際にやらかしていて
それらのことの数々は自分以外の人によって
語られたり書かれたりされまくった立場の者だし、
自分はそれを否定もしなかったし
むしろ一緒になって笑っていたりもしたから
菊地真理子の境遇を慮って「そうそうやっぱり酒は毒だからみんなで
やめましょう」なんてなことを言う気にはなれない。
そのへんはただの自己保身自己憐憫じゃないか!
と指摘されれば返す言葉もないし
批判は甘んじて受け入れる。
なんというか「痛い目」に遭うと
「根拠のよくわからない反骨心」
のようなものも湧かなくなってくる。
なわけなので
「酔っ払い武勇伝に疑問を投げかけるなんていうような
無粋なマネはよせ!この石部金吉野郎め!すっとこどっこいめ!」
ってゆうツッコミもいれる気にならない。

やっぱり「痛い目に遭う」と
実際ほんとにマジで「痛い」ので
それを覆い隠そうって気にもならない
と。

それ以上でも以下でもない(柄谷行人調)。

まあ、「中立的立場」をとることにしたので
個人的な酒に関する見解は
「悪いこともあればいいこともあるのでほどほどに」
であり、
WHOなり厚労省なりが「介入」してくることには反対!
くらいな感じなのだが
WHOなり厚労省なりの公式見解が
どう出てこようと
それとは関係なく
実際にほんとうに
「悪い事の方が多い」んだろうなあ
ってのは認めざるを得ない。
さすがに。諸々の事実を見聞したり
自分で「体験」したかぎりにおいて。

従来の自分の基本路線で
ここは「曲げない」ってのを
ひとつだけ挙げれば
「そうは言っても過剰な表現規制だけはやめてね」
ってところかな。
あ、もちろん「禁酒法」みたいなものは
論外なので
それはない
ってゆう前提での話ね。
広告や販売時間や販売場所なんかの
一定の「規制」が入るのはやむを得ないかな、と。
ただし映画やドラマなんかでの
「酔っ払い武勇伝的表現」みたいなものは規制しない!
と。
それやっちゃうと
喫煙シーンなしで過去をリアルに描けるのか!?
の問題と同じことが起こりますからね。
小谷野敦がよく指摘している。
ま、自分は小谷野敦の全面禁煙反対署名運動で
実名で署名もしましたし。
「酒仙投手今井雄太郎」のエピソードとか
表現規制で無かったことにする
とかはほんとにやめてほしい。

まああとは
酒飲んでもほんとに全然大丈夫な人

生涯大丈夫だったので天寿を全うした人
もいらしゃるのは事実かもしれないので、
自分の場合はそうゆう才能は無かった
と淡々と考えるだけかな。

ま、わかりやすく言えば、
自分は酒で身体を壊したけれど
長寿番組「酒場放浪記」の
吉田類をうらやましく思いはしても
酒なんてものを賞賛しやがって
この鬼!悪魔!なんていう風に
非難や批判、嫉妬をするつもりは毛頭ナシ!
ってことです。

やっぱりね
酒の場合は
必ずしも
よくある「業者の都合」陰謀論的なものだけで
ここまで広くあまねく普及しているわけではない
ってのがあるんで
なんかこう一概にああだこうだ
って断定できないものがあるよなあ。

うん、
おれは呑まないけど
呑みたいひとは
どんどん呑めばいいじゃない
としか
やっぱり言い様がない。

そしてそれは単純にうらやましいっす。
ほんとマジで。
十大とか重大なんかのニュースの季節
がやってきたので
ブログのネタには日々困らないなあ
と一瞬思ったんだけど
10月に意識消失で救急搬送される
ってゆうようなことがあって
それ以前の「自分の周囲とは関係ないこと」
であるところの世情一般って
細かいことを思い出すのも面倒なので
まずはあくまでおおざっぱに全体振り返る。

流行語大賞の「忖度」やら
あと昨今の角界問題もふくめ
やっぱその「互助会」的な雰囲気で
「まあまあまあ」とかで物事すすめるのも
なかなかどうして上手くいかないよ
って感じになってきましたね、と。
何気なくサッカー元日本代表の武田も
インサイダー取引うんぬんとか言われてるし。
八百長的なズルはダメなのよ!!
みたいな流れ。
ま、そりゃ公正公平な世の中であって欲しい
とは
全力リラックス!
の私でも多少なりとも思いますよ。
流行語大賞についてはもともと関心ないので
置いておいて
まだまだ残る「互助会」「八百長」要素について
考えていくと
角界は昨今追及検証されまくりだけど
スポーツ文化芸能部門は幅広く
壮大に「互助会」の網の目で覆い尽くされてますね。
で、消費者たる自分がその互助会と関係なければ
いくら親しげな態度をTV画面のなかでアピールしてても
「仲間意識」なんか到底持てませんよ、と。
コメンテーター的芸能人、文化人に関しては。
おれがテレビに呼んだわけじゃないし
みたいな、クールな接し方というか。

角界問題を例にあげれば
貴乃花に心情的に味方するのであれば
白鵬&協会擁護論客なんか
「何いってんのこいつ?」になるし
真逆もまた有り得る、と。
全般そうなってますよね。
「世論」をひとつの方向に「誘導」って
もう無理でしょう。いくらなんでも。
逆に言えば国民幅広い層で
薄々、「文化芸能互助会の馴れ合いはもう勘弁」
ってなってきてるのは
確実だと思うんで
多少の期待はしてますよ。
これからの世の動向については。

なにしろ
首相の忖度も
相撲協会の忖度も
野党の忖度も
AKBの首領の忖度も
それらひっくるめた
全体的な互助会的八百長的空気
みーんな気に入らん!!
ってなると
空気読むの好きじゃなかったり
得意じゃなかったりして
勝手なことガンガンやっちゃうキャラ
ってのが
けっこうアリになるんじゃないか、とw

バケツリレーとか何やってんの??
みたいなクールな世の中になればいいなあw

山尾議員の当選にその萌芽が現れてるしw

不倫ごときでガタガタ言うんじゃねえ!
ってゆうことですもんね。
いや実に気風がよい!

ってなんだか
まとまりがなくなってきたなあ。

ま、世の中のことは置いといて
自分は自分で
やりたいことをやりたいようにやりますよ
って感じですかね。
アウトローにならないように気を付ける
という
「最低限の市民感覚」までは捨てませんが
人生一度きりなんで
「空気読む」ことに使うエネルギーは極力省力化です。
意識消失救急搬送の時「あ、死んだかも」とかちょっとでも思ったので
なおさらですねw

なので昨年末から
おりにふれて宣言してますけど
わたくし「年賀状」は未来永劫発送しない派に
属してますのでよろしくお願いします。
さらになおさらに頑なにそうします。

ちなみに家人はべつの考えですので
あしからず。

ってなんだか脈略なくきょうはおわり。
世論は二分されてるのかいないのか
どっちなのかよくわからないような
事柄が多いわけだ。
角界の件とか。

まあ、なんというのか
「国民世論が」
あたかも二分されているかのように
騒いで言い立てて
ってゆうようなこともままある
我が国の報道事情なので
なんとも言えないし、
相撲に関しては嫌いとか好きとかの感情はなく
単に疎いのでよくわからないのだが
「理不尽な上下関係」みたいなのに
「暴力」が絡む
ってのは常識的によくはないんだろう
くらいはわかる。

門外漢にはそれくらいしか言えない。

いわゆる
「国技」扱いの「伝統芸」扱いの部分で
神事ゆえの聖域、例えば「女人禁制」のような
国際秩序の動向とは無縁の習慣が
あることについては
「地域特性」も大事にすべき
という考えに立脚すれば
全然なんの疑問もないし
「直す」必要もないだろう

これもまた普通にそう思う。

「暴力事件」と
国技ゆえの前近代的習慣
は、
別々に考えるしかないんじゃないの?
とありきたりな結論に達したところで
「上下関係」のこともそうだけど
「これまでの常識」が覆ってしまうような
事件事故やら思想や政治経済やらの動向やら
いろいろ噴出してる世情に昨今突入しているなあ、と
全力リラックス!なんてなタイトルのブログを
運営しているお気楽野郎の私でも感じる。
感じるなかから
「ああ、これは、その『取沙汰』されている
『分野』の内部における『世論』を真っ二つに
するようなことになるだろうなあ。」
と自分なりに推察できるような
ネット上の論稿やら記事やらを
拾い上げて
ああだこうだと言ってみることにする。

例をあげれば、今般
相撲素人が外野から見てても
わかりやすかった
「貴乃花悪玉論」の登場である。
日馬富士引退が取沙汰されてる段階に達しているいま、
やはりこれは「悪玉論」側の負けだろう。
くらいなことは素人でもわかる!
みたいななことを
他人のふんどしで語ろうってゆう
外野で喧嘩をはやし立てるような
安直と言えば安直な「企画」であるが、
我が国には「言論の自由」があることになってるので
細かいことは気にせずどんどん書いていこう。

まずは「企業経営」に関してだが
東レにも改ざん問題が噴出して
邦人企業ほぼ全部にあまねく行き渡る
「PDCA思想」に対する疑念を表す論稿
記事:PRESIDENT Online 2017年11月27日 09:15 加登 豊
が既に出ているのには驚いた。
学者の人が書いてる文章なので
PDCAを感情的に全否定してるわけではなく
他にも企業経営にありがちな「ほころび」を列挙して
そうゆう事柄についてこれから論ずると
予告宣伝しているんだけど
特に「あるある」を感じたのが
10個ほど挙がっている「ほころび例」のうちの
予算目標未達の場合、第3四半期に入って、強力に挽回計画を推し進める
ってゆうこれ。
なんつったってこれ。
これはですね、「買う側」からすると
どうでもいいっちゃあどうでもいい話なんだけど
「予算執行させる」経営最高部じゃなく
「予算執行する」下々の者どもは
自分の「評価」やら「待遇」に直に響くわけなので
とんちんかんなこと起きるよなあ
みたいなね。
あれですよね、逆に、
「あの会社は、あの店は
今頃予算未達でヒイヒイ言ってるだろうなあ」
って考え、それを見越して商品売り込みをかける
「めざとい周辺業者」とかいるよなあ
ってゆうか
いたよなあ
みたいなw
ハロウィンなんかそれもあって
ここ数年「推し」が強まってんじゃないの?
みたいなw

結果から考えると
「予算は達成できません
査定は最低評価でいいので
解雇だけは後生ですから勘弁してください」
って言ってたほうが傷口少なかったのに
とかねw
ハロウィン推し
でいったら
在庫抱えちゃった(-_-;)
みたいなw

まさに悲喜こもごもの企業経営だが
この論稿に関して言えば
「企業社会」という世の中の一定の割合を
占めている分野の「世論」を二分するだけの
インパクトがあるだろうと考えるし、
「PDCAとか古い考えに固執してる
老害役員に悩まされている中間管理職」の皆様が
自らの「理論武装」に使うのもいいんじゃないのかなあ。
ということでこの論は「中間管理職助け」的ポジションで
書かれていて、「中間管理職」ってかなりのボリュームだから
今後そこそこ広がりを見せていくかもしれない。
頭が固まってる経営最上層部に喧嘩を売ろう!
ってゆう話だから。単純化すれば。
悩める中間管理職諸氏が
これに依拠して勝負に出て吉とでるか凶とでるかは
私にはわからない。
無責任だが
それぞれの会社による
としか言い様がないw

あと家族経営の小企業零細企業には
無縁の話でもあろう。

てなわけで
この流れで
今後ほかの分野についても
なにか「一悶着」起こしそうな
論稿なり記事なりを見つけたら
その都度触れてゆこうと思う。
組織の一員である夢
を最近よく見る。
おっさんの「夢」の話なんぞ
とてもくだらない
ってのは判ってるんだけど
まあ聞いてくれよ
ってことで。

でその「組織」は
いいやつ
悪いやつ
に分けると
大概
「いいやつ」
の方に属してる設定なわけだ。
このおれさまが。

で、悪いやつらが
残して行った
「手がかり」を探るために
どぶさらい
とかしてるわけだ。

でその
どぶさらいをしながら
なんだよ
なんでどぶさらいとか
おれさまがしなきゃいけないんだ
あーあ
とか嘆いていたりする。

でも袖をまくってる
その「いいやつ」の集まりの
「制服」が好きなんで
やめられない
みたいなねw

なんだろう
板一枚その下は地獄
ってゆう
自営業者だからかなあ。
「政治」に理想なんてない
さて小池選別劇場で
おおいに盛り上がる解散総選挙
なんすけど
本質をつきつめれば
面倒くさいことを
自分のかわりにやってくれる
それが議員だ!
ってゆう気持ちがありまして
実際、地盤看板のない
普通の無産者が
「議員」になろうとすれば
高学歴大好き!
の左派系政党になんとか
食い込むしかないんでしょうけど
それにしたって
なんだか軍隊みたいな
旧弊あふれる組織なのは明白であって
スマホでササーッと情報収集できる世代
にしてみれば
ただのクソダサい
声だけデカい
いいとこどりの
馬鹿野郎どもの集まりなんであって
ようするに
ほんとそれこそ「裁判員裁判」みたいに
政治家こそ
くじ引きにすればいいと思うわけです。
だいたい
裁判員裁判そのものは
いつのまにやら
だれが決めたんだ!
って話ですよ。そんなもの。
でハガキで呼ばれた素人が、
トラウマに耐えながら
嘔吐感に堪えながら
「死刑判決」だしたのに
それを覆す馬鹿がいるわけです。
高学歴の裁判官に。

だったらそんな制度を
最初から作るんじゃねえ!
って話ですよ。

トランプや安倍を
上から目線で非難出来るほど
頭よくないだろ
って話ですよ
そんなもの。