全力リラックス!辻タダオ
おぐまゆきとのユニット「中前適時打」メンバー辻タダオのブログ。生涯一東北楽天ファン。中前適時打は2016年4月結成。
「傘がない」随筆千本ノック1本目
ということで早速
千本ノックの1本目。

まずはここから

テレビでは我が国の将来の問題を
誰かが深刻な顔をしてしゃべってる
だけども問題は今日の雨 傘がない

「傘がない」から引用 作詞 井上陽水



この部分の解釈は様々あるだろうが
私はこう思うのだ。

テレビ番組は全部地域ネタにしろ
と。

ここをお読みのソフィスティケイテッドピープルの
大半の皆々様は昨今のテレビ、
特にニュースやワイドショーを見て
「またそのネタかよっ!!」
と感じてらっしゃると思う。
私もその例に漏れない。

ま、もともとここのブログやツイッターでも
さんざん書いてきたけど
自分はあの「ワイプ」が定着して以来、
積極的に「テレビ番組を見るのをやめた」という経緯もあるから
実はそんなに「またそのネタかよっ!」の現場に
居合わせてはいない
というか
家族と共にテレビを見ながら食卓を囲む
というよくわからない「習慣」を既にやめてるので
あまり現実をちゃんと確認してはいないのだが
そんなことは最早どうでもいいので
こうなったら言いたいことを言うのみだ。

「またそのネタかよっ!」
ってのは
一心不乱な状態であり
ひとつのことに一生懸命であり
猪突猛進であり
「これを伝えたい」という必死さが伝わってくるのであり
こういった要素だけを並べてみると
何かとても素晴らしいことのようにさえ思えてくる。

で、数多ある陽水作品の歌詞の特性のひとつに
「興奮状態を抑制する」効果があるのは
これまた数多ある論説の指摘するところでもあり
上記に挙げた「傘がない」の一節なんかは
その典型的なものである。

さて随筆千本ノックなので
当然、既存の論調とは全然違う色合いのものにするのだが
それが
テレビ番組は全部地域ネタにしろ

ということである。

陽水には「青空ひとりきり」のなかに

二人で見るのは退屈テレビ

「青空ひとりきり」から引用 作詞 井上陽水


ってな一節もあったりして
聴いてる者に
「この人テレビが嫌いなんじゃないか?」と
思わせるところが随所にあって
実際の陽水がどうだったのか、今現在どうなのかは
この際完全にすっ飛ばして云えば、
私はべつに「テレビが嫌い」なのではなく、
単純に昨今のテレビ番組の、というか
昨今のテレビ番組の制作手法、演出技法なんかが
肌に合わないから見たくないので見ない
ってだけのことであって、
テレビやテレビ番組はあってもいいと思う。
というか
不快でなく
しかも役に立つっていうのなら
月300円くらいなら有料でいい、
とすら思うわけだ。

せっかくの「インフラ」なわけだし。

で、
テレビ番組は全部地域ネタにしろ
なわけだ。

どうゆうことか。

実例をあげると、
「いつのまにか時間帯進入規制になってる道があった」
ってのに出くわして
違反切符を切る破目に陥る
みたいなことがあれば
人はこう思うはずだ。

どうしてこうゆう重要なことをおれにいち早く知らせない!!
と。

あとは
細い抜け道で
地震対策の工事やってて時間ロスした
とかそうゆう場合も思うだろう。

どうしてこうゆう重要なことをおれにいち早く知らせない!!
と。

そこでテレビの出番なわけだ。

駅前のあそこの道は時間帯によって進入禁止になりますからねー
とか言え!と。

言っておくが
私はまだゴールド免許保有候補で在り続ける
無事故無違反者であり
いまあげつらった例は
自分のこと
ではない。
念の為。

交通以外でいえば
病院の医師の人事異動とか
個人経営クリニックの開廃業とか
TSUTAYAやBOOKOFF開閉店とか
駅前スーパーの閉店時間が早まったとか
いろいろ重要な情報はあるわけだ。

そうゆうのを矢継ぎ早にどんどん
知らせてくれよ、と。

いま地上波でやってる
「報道」とかほとんど大半ネットで代用きくし
テレビでやらなきゃいけない理由とか
まったくもって万にひとつも見当たらない
と個人的には思うのである。

アメフトの問題とかも
A4用紙一枚程度の分量で事の経緯を知らせてくれれば
「掘り下げ」はこっちでやったりやらなかったりするので
いい加減ほっといてくださいよ
ってなるわけだ。

アメフトの問題が
全然重要じゃないとか
報道することが無意味ってことじゃなくて
タイミングとか分量とかそうゆうのが
全てにおいてアンバランスなので
完全なる「時間コスト損失装置」になっとるぞ!
と。
昨今のテレビ。
それも特に「報道」に関して言えば。

あとこれはたまたまなんだけど
自分がいる町田市では
「徘徊高齢者」情報を防災無線で
ガンガン鳴らして情報提供を呼びかける施策をとってるけど
そうゆうのもテレビ画面でガンガンやれ、と。
その為に「ワイプ」でも「テロップ」でも駆使しろ、と。
「ワイプ」なんかは特にそこで「画像」表示すれば
地上波のワイドショーの使い方なんかに比べれば
遥かに有効的ではないか。

そのおじいさんおばあさんが見つかるまで
番組中出しっぱなしにすればいい。

あかの他人のタレントの表情から
そいつの自我のありようを読み取るとか
そんな無駄な作業よりはよほど有益である。

私に「傘がない」から得た教訓みたいなものが
あるとして、いの一番に知らせたかったことは
こうゆうことなのだった。

ちなみに「千本ノック」なので
次回2本目以降も
こうゆう書き方をするかどうかは
全くわからない。

というか
2本目書くかどうかもわからない。
「傘がない」随筆千本ノック開始宣言
井上陽水の「傘がない」は、
語り尽くされた感のある
「超」がつくほどの名曲、というか
「有名」曲だと思う。
その有名たるゆえんは
歌詞の内容にあるのは言うまでもない。

これまで数多の作家、学者、等々の
著述業を営む人達が「傘がない」を
語ってきたし、私も「陽水好き」だから
そういった類の文章の数々を読んでもきたが、
おそらく全部が全部は読み切れていないし
これから読み切ろうとも思わない。

何故かというと
「傘がない」の歌詞そのものが
最早「聖典」の意味合いを帯びてきている
と言っても決して大げさではないし
「聖典」なので
今後も様々な「傘がない」関連文章が
産み出され続けるのは必定であろう、
と推測されるからだ。

というか
既に
巷によくある「カルチャースクール」
みたいなところの
「作詞家養成講座」みたいなものの
テキストに
絶対に載ってそうである。
ソースはないので
断言はできないが
載ってるんじゃないかな、
多分載ってると思う、
ま、ちょっと全然載ってない可能性もある、
くらいなことは言えると思う。

そんなこんなで
「傘がない」を肴にして
適当に話をふくらませる投稿を
今後1000本書こうと思って
このブログに
「『傘がない』随筆千本ノック」という
カテゴリーを設置した。

1000本くらいは
十年かからずに書ける。
書けると思う。
書けるんじゃないかな。
ま、ちょっと書けないかもしれない。
くらいな感じでいく。