全力リラックス!辻タダオ
おぐまゆきとのユニット「中前適時打」メンバー辻タダオのブログ。生涯一東北楽天ファン。中前適時打は2016年4月結成。
球が高けりゃそりゃ無理というもの
3月29日札幌
F11-1E
勝ちガラテ
負け横山
陽1号中田1号レアード1号

いやもう特に感想なしですね。
オープン戦で
結果出してた若手投手が
本番になったらことごとく球が高めに浮いた
でござるの巻
なので
サバサバ割り切る他ございません。

横山にしろ入野にしろ
次で修正できるかどうか
でしょうね。

次カードで塩見あたりが
まちがいなく出てくるのでしょうが
ここの出来が
序盤戦の行方を決めるものと思われます。
戦後レジュームからの脱却と家父長制
さて1945年の敗戦により、
憲法が別物になり
その他
財閥解体やら農地改革やら
要人の公職追放やら
いろいろあって、
大体が米国主導で行われたことなので、
出来るだけ日本国主導で
物事行おう
ってゆうのが
現首相の「戦後レジュームからの脱却」
ってことなんだろうな
とはそこらへんのおっさんでも
なんとなくはわかる。

でももう戦後70年以上経ってて、
いまさら
戦中戦前の
「家父長制的価値観重要視」
とか
ノンポリの私でも嫌だ。

徹底した
トップダウンとか
徹底した
隣組的監視システム
とか
どう考えても息が詰まる。

パブリックドメイン
となった
戦中戦前の「国策映画」
とか
いまはyoutubeで
いくらでも見放題になってて
後学のために時々見る。

で「天皇陛下」の為に
死ぬのが当たり前
ってゆうのが前提なので
その目的に向かって
人々が苦闘していく様子
ってのは
ある意味「様式美」なので
戦後の民主主義教育を受けた自分でも
やはりどこか感銘を受けるところもある。

しかしやはり
そのような世の中
に生まれなくてよかった
と思う側面のほうが大きい。

ということで、
無党派層として
安倍政権に対しては
「是々非々」の態勢で
臨んでいるのだが
こと「教育」に関して
国家神道的な思想を
実際に反映しだすかどうかは
注意深く見守る。

神道が
悪いとか
嫌い
という意味ではなく。

それこそほんとに
アメリカ的価値観
東アジア諸国的価値観
旧ソ含めたロシア的価値観
アラブ諸国的価値観
といったような
すべてのものから
解放された
自由なものの考え方

あってしかるべきだろう。

昨今流行の
「日本万歳」
「日本礼讃」
的な言論を
自省の念
もなく垂れ流すのはいかがなものか
とは
私も思う。

でも
全世界に向け
「よりマシ」な方向に
導けるだけの力は
安倍政権だろうと
その他政権だろうと
十分に我が国にはあると考える。

少なくとも
旧態依然とした「家父長制」を
多くの国民は
肌感覚で認めていないからだ。

その意味では
まさに
言葉の真の意味での
「先進国」
なのだろうと
心底つくづく感じる。

大塚家具の騒動とか見てると。

できることはなんでもやろう
さて昨夜はGINZA TRILLに
「北川マスター&三浦さん」の
お弁当つきライブを見に行って
「大人の娯楽」を満喫したんだけど、
ものすごく久しぶりに
「カポあり」と「カポなし」のギター2台
のアルペジオで
しっとりとした歌を聴く
という時間があって
ああ、いいなあ
と思った。
しかもそれが
ありのぶ店長の名曲だったりして。

フォークとかニューミュージック
と呼ばれるジャンルでは
「王道」の編成なんだけど、
意外と「生」で聴く機会ないんですよね。
アコースティック系のハコで。

基本、
アコースティック系のハコ

ソロの人中心
ってのがありますからね。

あと「オープンマイク」なんかも
大体
「個々人の勝負」
って感じなんだろうし。

ってことで
今後
「辻タダオ」として
サポート
とか
自分のバンド
とか
トロンボーン
とか
何かと活動予定目白押しなんですけど
「ギター」もちょっと視野にいれておこう
という
刺激になる一夜でした。

いい勝ち方でしたね。
3月28日札幌
F2-4E
勝ちレイ
負け武田勝
S松井裕

ま、レイ初勝利に松井裕初セーブに
大久保監督初勝利おめでとうございます。

オープン戦でやってたことが
「本番」に活きるのかどうか
という面で心配なところもありましたが
2試合目で払拭できたのはよかったと思いますよ。

デーブ采配は
バレンタイン時代のロッテ

権藤時代の横浜

足して2で割った感じなのかな
という印象ですね。

「猫の目オーダー」
とか
「中継ぎ投手のローテーション」
とか
そうゆうのを目論んでるような。

まあいまのところ
福山とか西宮あたり
ちょっと「登板過多」になりかねない
懸念はありますが。

なんにせよ、
松井裕が
初登板でビタッとハマった
のはデカいですよ。

ただほんと高卒2年目の若者がクローザー
なので
このままどこまで続くのか?
ってのは
いろんな意味で
ハラハラドキドキですよ。

実際、
相手が誰であれ
それこそプホルズだカブレラだろうが
なんだろうが
「三振」をとれる能力はあるので
「クローザー」適性は間違いなくあります。
あるんだけど、
「先発完投」で
1試合奪三振記録を
更新してほしい
ってのもあるし。

大谷の二刀流とともに
松井の「先発か抑えか」
ってのは
侍JAPAN視点で考えると
今後悩ましいですね。

最悪の試合だったがそれが開幕でよかった
とゆう考え方も成り立ちますね。

3月27日札幌
F5-2E
勝ち大谷
負け則本
S増井
ウィーラー1号

まあ嶋と銀次が絡んだ
「2ラン失策」がほぼすべての敗因でして、
華やかな「開幕試合」で
エラーで負ける
とか
そりゃもう限りなく「最悪」ですよ。
則本「自責ゼロ」なのに負け投手
とか不憫すぎる!
みたいな。
ですけど
これ以上悪いこともそうは起きないだろう
ってゆうね。

デーブ采配
に関しては
まだ1試合目なので
特にございません。

則本下げるの早すぎたのかどうか
ってところもあった試合ですが
まあシーズン長丁場ですし、
ビハインドでしたから
仕方なかったかな、と。

とりあえず
新外国人野手3人全員にヒット出たし、
首位打者獲りを宣言してる銀次もマルチ安打だったし、
2戦目以降の
打線に期待します。
朝日新聞が夕刊でロッシーニベタ誉め!
久々の新聞ネタ。

朝日新聞が
夕刊で
ロッシーニのオペラの
思想性の希薄さ
というか
物語としての「深み」のなさ
をベタ誉めしてて
なんだかなあ
と思いつつも、
ちょっと面白かった。

単純な話
自分のところで
「招聘」してるんで
「商売がらみ」
ってのはわかる。

自分は個人的に
「セビリアの理髪師」

最高のオペラ
だと思うので
ものすごく久しぶりに
朝日の記事

「共感」
した。

ちなみに
演目は
「ランスへの旅」
なんだけど
ランスと聞くと
「広島のランス」
を思い出してしまい、
なおさら笑ってしまう。
政治と芸術
簡単な話、
自分は右翼だから
大江健三郎は一切読まない!
とか
自分は左翼だから
石原慎太郎は一切読まない!
とか
そんな子供っぽい人は
世間一般では
少ないだろうと思うし
世の中わたりあるいていくためには
どちらの知恵も吸収しておくべき
と考えるのが
「普通の大人」のあるべき立ち居振る舞い
だろうと思う。

というか
そもそも
小説そのものが
それを著した作家の
普段の政治思想が右翼的だから
左翼的だから
つって
作品の内容にすべて影響する
という単純なものではない
ってなことは
普通に義務教育で国語を習っていれば
誰だって薄々気づくんじゃないかと思う。


それはそれとして右派左派各々の陣営の
商売の都合上、
反対勢力を口汚くののしったりするのであって、
実際は
「反対勢力」と意識するものがあるのであれば
それはもうしゃにむにその相手の著作を
「読みふける」
「線をひく」
「自分で注釈をいれる」
くらいなことをするのが
「言論」で勝負する者の
最低限の基本姿勢であって、
右翼が左翼を
左翼が右翼を
攻撃するための
「そんな汚れた思想に触れてはいけない」
的ないわゆる「不買運動」みたいな、
「読まない」ススメに
ひっかかるのが
一番ダメなことなのだ。

そうゆう「言論統制」みたいなことばかりしている
勢力があるのであれば
それこそ
「似非右翼」であり「似非左翼」なのだろう。

自分にとって
耳障りのよい人の意見
のみを鵜呑みにして
とにもかくにもそれにしたがってしまう
ってのは
楽なことではあるが
そうゆうことがもとで
「狂信的前衛的政治集団」とか
が大活躍してしまい、
普通の国民が迷惑を被る
ってのが
歴史上繰り返されてる
のである。

ということで、
ここで最も強調したいのは
黛敏郎の「涅槃交響曲」は最高だ!
と。
ただそれだけ。

昭和世代であれば
御存知の通り
キャリアの後半において
ほぼ「極右」の政治思想だった人です。
黛敏郎氏は。

しかしそんなことは
まったくおかまいなしに
黛敏郎の「涅槃交響曲」をBGMにしながら
大江健三郎の「性的人間」を読む
というようなことを私は出来る。

ただもちろん
みんながみんな
そうゆう人になって欲しい
などとも思わない。

なにを読む聞く、読まない聞かない

思想信条良心の自由
ですからね。

でもほんと
涅槃交響曲は
心を空にして聞くと
実に素晴らしいと思います。

※あくまで個人的な感想※
ですけどw

ネットと保身
さて自分の場合
会社の「業務」でネット上に文章の投稿をする
とか始めて15年、
個人での発信を始めて12年、
と、おおよそそんな感じなんだけど
やはり2ちゃん勃興期の西暦2000年前後って
「一度投稿した文章を保身の為に後で削除する」
ってゆうのは
「卑怯者」のする行為であって、
「恥」と見做す風潮があったように思う。

個人サイトで掲示板を設置したはいいものの
「嵐」的投稿殺到!
みたいな悲惨な事態に際しても、
あえて削除せずそのまま放置するのが
「武士」としてのあり方としてふさわしい
みたいな風潮もあった。

で、時は2015年、
シンジくんやミサトさんが
戦ってる時代に突入して
つくづく思う。

「ネット上での武士道精神は一切合切無駄!」
ってことを。

で、例えば
「あなた恥ずかしいからって投稿を削除しましたね、
私はしっかり保存しましたからね」
と言われたとしよう。

そうしたら、
こう返すしかない。
「あなたが、私が恥ずかしいと思うことを
世間一般に広めてくれたことには感謝します」
と。

仮に私が「恥ずかしい」と思ったネット上の投稿を
あとで「削除」して、
でもそれ以前に「保存」されて
自分の意図に反して
「公開」されたとしよう。

もうそれはそれでどうしようもないし、
というか
そんなことは気に病んでも仕方のないことだ。
開き直って前向きに進むしかない。

「自分はその時恥ずかしいと思って
保身の為に投稿を削除しました」
と素直に言えばそれで終了
でいいんじゃないかと思う。

削除したことを
「謝罪」する必要すらないだろう。

なんにせよ、
行き過ぎた
「原理原則主義」とか
行き過ぎた
「議論吹っかけ好き」とか
ちょっと勘弁して欲しい
と思う今日この頃である。
あまりマメな性格ではないので
ブログの本文の投稿に関しては、
ほとんどスポーツ感覚で
ワーッと書いて
さて寝るか
という感じなんですけど、
周囲の
「リンク」とか「プラグイン」とか
細かいところまでは
あまり目が行き届いてませんでして、
長らく放置
というのが目立ち、恐れ入ります。

そんなわけで
ブログ右下あたりの
「辻の出演店」の箇所
今は亡き「渋谷多作」さんを削除し
この頃すっかりお世話になってる
「東高円寺カットウ」さんを新たに
表示するようにしました。
早く気づかずすみません。
3月20日に「めまぐるしく変わる世の中」についてまた語る
ちょっと前に
自分が若い頃に見た
「テレ朝の朝生に幹部勢揃いで出たオウム」
の件を書いて
かいつまんで言うと
マスコミ人よりオウムの人たちの方が
明らかに善良そうに見えた
ってことで
つまり私も騙されていたわけだ。

ただその時はそれ以上深くは何も考えず、
自分は以後ずっと
新興宗教に興味を抱くことは一切皆無で
暮らし続けている。

で、地下鉄サリン事件の発生の時には
首都圏某所の遊技場でゴト師との
「神経戦」にはいっていた
ってゆうのもちょっと前に書いたんだけど、
ゴト師との神経戦が延々と続く日々
ってことは
どうゆうことかというと、
宗教とかオカルト的なものごとについて考える
契機はほぼ全くない
ということなのだ。

でまた遊技場というある種の水商売だから
仕事終われば憂さ晴らしに脂っこいもの食べて
ビールを飲みまくる!
目前の攻防→終わったら憂さ晴らし
という感じで延々日を重ねるのである。
形而上的なことはあまり、というか
ほぼ一切考えない
というような。

で、そのことに関し
何か「後悔」の念があるかというと、
それは一切ない。
人間関係のわずらわしさ
というのをあまり感じなかったからだ。
もちろん「皆無」というわけでもない。
ただ「遊技場」のよいところは、
いざ人間関係に軋轢が生じかけたとしても、
「逃げられる」のである。

店が繁盛していれば
スタッフ同士あるいは上司部下間
で直接会話をしてる暇はほぼないので
自然と逃げられるし、
アイドルタイムで気づまりだったしても、
玉拾いメダル拾いを率先してやっております
という行動に出れば、それを怒る理由は誰にもないし、
店は綺麗になるし
人間関係の齟齬も生じない
ってことで一石二鳥だ。

ま、役職がついて店長などになったときには
学生時代に返ったかのように
本も読むようにした。
「訓示」を述べるという仕事があるので。
それでも「宗教」とか
サブカルチャー系とかには
手が伸びなかった。

てなわけで、
普通の新卒者は在籍を渋りがちな
パチンコ業界だけど
たまたま運よく自分の体質には
「合っていた」としか言いようがないのだ。
ま、最後の数年は
機種の多様化、細分化に個人的に嫌気がさして
パチンコスロットそのものをプライベートで打つのも
苦痛だったので
丁度20年で身を引けたってのもラッキーである。

で、話はうんと飛んで
大学の件である。

ISが台頭し、
するとイスラエルとアメリカが
ぎくしゃくし始めるとか
なんだかもうわけがわからない
全世界範囲での
宗教対立の激化は
一体今後どうなるんだろう?
と、ズボラな性格ながらも考えた。

で、ふと
そういえばオウムの事件が「発覚」する前は
「宗教学者」という肩書の人達が
たくさんいたなあ、と。
「オウムの犯行」発覚後、皆、軒並みかなり非難されてた。
私は上述の件もあって
そんなに非難する気持にはならなかったけど。

でオウムは公安にマークされるようになりつつも
形をかえてまだまだ生きながらえてて、
あまり知性的に形而上的なことを考えない日々
を送ってきて宗教そのものに興味ナシだと、
「オウム以外」の団体のこととか
その後どんどん新しく設立された団体のことなんかは
耳にも目にもはいってこない。

相変わらず、酒と野球と時々のライブがありゃ
それでいいやってゆう生活態度だからw

でも、それではちょっといけないのかも
と珍しく「自省の念」みたいなのが芽生えたのは
単純な話
「娘が進学を契機にスマホを入手し案の定LINEも始めた」
からですw

世の危険要素
ってのも多少は教え伝えておこう、と。
そのときふと
「そういえばほぼなんにも知らないぞおれ」
と思い至ったのだ。

なのでこうゆう「乱世」においては
逆に
「真っ当な宗教学者」さんの存在は貴重だし、
論文なり講義なりに触れてみるのもいいかも
と考え
その流れで
そういえばあの
「リベラルアーツの雄」とも称される
母校立教大学において
「文学部史学科地理学専攻」というところに
在籍していたんだ自分は!
ということを思い出す。

文系の学部を5年かけてギリギリの成績で
やっとの思いで卒業した底辺学生だったので
もちろん当時の講義とかゼミとかの
細部なんかは何も覚えてはいない。

ただ「地理学専攻コース」ってのは
地理そのものよりもその周辺の
文化人類学だの宗教人類学などの
科目の方が多かった記憶がうっすらある。

決して忠誠心の高い学生ではなかったけど、
縁あっての母校だし、
その手の公開講座とかあれば聴講してみよう
と考え、母校の最新状況を探るべく
サイトにアクセスしてみたところ
「文学部史学科地理学専攻」
という看板は2010年に廃止され
現在は
「文学部史学科超域文化学専攻」
に変わっておりました。

ま、教育内容については
「文化人類学、地理学、地域学など幅広い領域が
うんぬんかんぬん」って書いてあったので
昔と大きく変わってはいないのでしょう。

念の為言っておきますが
時間に余裕のある自営業だからって
「復学」しようなんてゆう気持はサラサラございません。
せいぜい単発の講座程度ですよ。ほんとに。
もともと「授業」とか「宿題」とか「塾」とか
好まない性格ですし。
そんな時間あったら、
美味い居酒屋
探しますw

だからなんなんだ
という長文に最後までお付き合いいただき
ありがとうございます。
あっという間に読了
参謀 (講談社文庫)
参謀 (講談社文庫)
posted with amazlet at 15.03.18
森 繁和
講談社 (2014-03-14)
売り上げランキング: 256,278

さて、自分はパリーグ中心に野球見始めて丁度15年なので、
監督落合時代のドラゴンズ
ってなんだかよく物議を醸してたよなあ
と遠巻きにしか見てない部分もあるし、
でも日本シリーズにはよく出てたので
いろいろな試合の記憶も意外とあるし、
なんとなくモヤモヤしてた面も多々あったので
書店で見かけて即買いしました。
実に面白かったです。
やっぱり肝は
対メディアへの
「情報統制」ですよね。
それを実現する為に
コーチ陣は
「口が堅い」人材をチョイスしてた
とか、
そこまでしてたんだあ
と感心してしまいましたよ。

「勝つ」ために
全てを「逆算」して
徹頭徹尾
合理的に考える
というところが
いかにも落合博満です。

ただ100%「主知主義」ってことでもなく、
当然
部下であるコーチや選手に
「情」をかける時はかける、と。

ここでは何度も述べましたが
自分はノンポリ無党派層で
何事も是々非々で臨んでいる者です。

単純に
「メディアに愛想の悪い人」
ってのは
笑っちゃうくらいに
「メディアに叩かれやすい」
という構図があります。

もうこんなのは
ちょっとすばっしこい小中学生でも
気づいているようなことでしょう。

落合VSメディア
ってことで
ふと気づいたのは
単純な「二元論」じゃないな、
と。

上述した
「主知主義」という言葉にしても、
「完全無欠な100%の主知主義」
とか実行しようもないし
その逆の
「完全無欠な100%の主情主義」
も有り得ない
と私は考えました。

割合というか配合の問題
ですと
落合サイドは「主知」に重きをおき
メディアサイドは「主情」に重きをおいている
のだけれど
どちらも100%にはなり得ない。

で、メディアってのは
扇情的でないと売上伸びないので、
実際落合監督の理屈はよくわかる
ってゆう記者でも
ここで落合礼讃とか出来ないなあ
となるんでしょう。
構造的に。

なのでちょっと思ったんですけど、
世にある
「パロディー」という手法を用いて、
一見
段組みとか見出しのサイズとか色合いとか
いかにも「トーチュウ」ってゆう紙面のレイアウトで
勝っても負けても
とにかく「落合礼讃」ってゆう記事を「創作」して
パラレルワールドSF小説として世に表すのも面白いかな、
と。

せっかく
このように貴重な「参考文献」も出てることですしw

ま、ちょっと
筒井康隆の「美藝公」っぽいかな。
ああ、いまごろ「目のかゆみ」来た。
一週間くらい前から
今年の花粉は量が凄いってことで、
妻子は実際症状出て
新たに導入した新型空気清浄器をフル稼働させて
それでもグズグズいってたのに
自分そんなに症状出てなかったのだ。

おお、もしかして
バナナとかマメに食べてたから
もう大丈夫なのか?

ぬかよろこびしてたら、
今日になって
去年味わった
人生最悪の目のかゆみ
とほぼ同レベルの症状が出始めた。

だったら
最初からにしてくれよ
と。

一瞬、
ぬかよろこび
をさせるな!

誰に言えばいいのか
ってえと
誰にも言い様がないのであった。
歌い手の属性
昨日は
シンガーソングライターおぐまさん
の企画した
「平成の詩人」
というライブを見に行った。
知り合いの人と
初めて見た人と
半々くらいな感じだったんだけど
みんな凄かったです。
「平成生まれ」のみ
ってことで
つまりは
全員20代
と。

軽音楽の世界では
「30代以上は信用するな」
ってゆう
格言みたいなのがありますけど
ほんと
「自分の言葉」を紡ぐ
20代の皆様は素晴らしかったです。

みんな
オリジナリティーに溢れてたし。

50歳のオヤジとしては
それを
うらやましい
とか
若返りたい
とか
思うのではなく
今の自分にできること

再度確認する
みたいな。

それぞれ
個性のある
20代の皆々様の
歌の世界は
作風も個々人によって
全然違うんですけど
無理矢理
「共通点」を見出すとするなら
とにかくみんな
「人間」を唄ってる
と。

あくまで
自分の場合
なんですけど
最近
「人間」を唄う
ってのがなかなか困難な気がしてたので
実に有意義な一夜でした。
あまのじゃくだけれど、
ってことで
でも場面場面によっては
意外と
「人の言うことを素直に聞く」
ことによって
上手くいった
ってなことも
これまでの50年の人生で
そこそこ多かった辻タダオでございます。

いちばんでかかったのは
大学の就職課の職員の人ですね。
さすがに名前も顔も思い出せませんけどw

このブログでも何度も書いたように
あのバブル期の
就職大楽勝の頃でも
全然「内定」を勝ち取れなかった
「不良学生」だった私は
さすがに
こりゃまずいぞ
と考え就職課に向かったのです。
ただ
それほど悲壮感はなくて
そもそも
「就職することによる人生設計」
というような真面目な構想は
当時皆無で
「一生宮仕えはなんだかなあ
って思うけど、ボーナスってやつを
一度は貰ってみたい」
という「甘い考え」全開!
だったんです。
で、就職課で
自分の考えとか
そういったものを
訊かれたとおりに
素直に話したのです。

そして
「君は就職するなら水商売以外はまず無理だね」
という
おそろしく的確なアドバイスを
もらったわけです。

で、その場でもらった資料の
会社で20年働くことになったのです。
おかげさまで
持ち家こそございませんが
そこそこの貯蓄と
妻子と共にいる楽しい家庭
を築くことができました。

最初の
「ありがたいお言葉」が
水商売以外無理
ということであれば
その次が
「借金は絶対にするな!」
という
言葉でした。

就職課の親切な職員の方の勧め
によって
入社することになった会社のオーナーの
言葉です。

もっとも入社してすぐに
そう言われた言葉ではありません。

なにしろ水商売ですから
「馬券」をめぐる
金のやりとりとか
詳細は述べませんけど
私人の間でちょこまかあった時代でした。

で、
そうゆうことは
見過ごせない!
ってゆう流れになったんです。

そこで
ある日
「とにもかくにも借金禁止!」
ってなったのです。

もともとあまのじゃくな私は
そんな硬いこと言うな
って気持だったんですけど
反攻してボーナスとかもらえなくなるのも
お得ではない
と考え
言いつけに従いました。
もともと公営ギャンブルには
あまり興味がなかった
ってのもありますけどw

でそれが
現在にうまくつながりました。
結果的に。

なんというのか
私利私欲の為に
あれこれ
算段をめぐらせるよりも
(私利私欲を否定はしません)
日々の生活をやりくりして
上手く切り抜けている人
の言葉に従ってみるのが
人生の破綻を防ぐ一番の近道なのでしょう。
最近つくづくそう思います。

もちろん
人生「日々是決戦」ですから
私の人生は「破綻していない」
などと勝ち誇るつもりもございません。
せめてもの望み 


せめてもの望み

Am G
しょーもない春
F E
しょーもない夏
Am G
しょーもない秋
F E
しょーもない冬

しょーもない春
しょーもない夏
しょーもない秋
しょーもない冬

Dm7 E
せめて夏だけでも
Dm7 E(x2)
せめて夏だけでも
Am G F E
しょーもなくなくなればいいのに
Am G F E
しょーもなくなくなればいいのに

しょーもない東
しょーもない西
しょーもない南
しょーもない北

しょーもない東
しょーもない西
しょーもない南
しょーもない北

せめて西だけでも
せめて西だけでも
しょーもなくなくなればいいのに
しょーもなくなくなればいいのに

しょーもない上
しょーもない下
しょーもない左
しょーもない右

しょーもない上
しょーもない下
しょーもない左
しょーもない右

せめて下だけでも
せめて下だけでも
しょーもなくなくなればいいのに
しょーもなくなくなればいいのに

しょーもない夏
しょーもない西
しょーもない下
しょーもないおれ

しょーもない夏
しょーもない西
しょーもない下
しょーもないおれ
というか簡単な連絡事項
友人知人の皆様のなかには
ここのブログのみ閲覧してる方も
いらっしゃるかもしれないので
軽くご報告。
本名でやってるFACEBOOKは一旦「利用解除」します。
アカウントの完全削除はしません。
再開する状況になったら再開します。
FACEBOOK疲れ
とかそうゆうことでありません。
念の為。
しめのめん

しめのめん

しめのめん
しめのめん
おれの生きがい
しめのめん

しめのめん
しめのめん
呑めば最後は
しめのめん

馬券が宙に舞い散って
すすり泣きするかわりに
すすったしめのめん

店主(おやじ)のこだわりはいらぬ
ゴチャゴチャ具もいらぬ

ナルト 長ネギ チャーシュー
ナルト 長ネギ チャーシュー
ナルト 長ネギ チャーシュー
ぐらいでいいのさ

しめのめん
東雲方面で
しめのめん

しめのめん
働く男のしめのめん

仕事を突然失って
二度とすすれぬ気がした
そんな気がしたしめのめん

店主(おやじ)のこだわりって何それ?
具なんかもうどうでもいい

こうなりゃ
なんでもかんでもつめこめ
なんでもかんでも乗せきれ
なんでもかんでも積み増せ
あふれんばかりに

しめのめん
身体にゃよくないしめのめん

しめのめん
それでも心いやすぞしめのめん
腹を満たすぞしめのめん
おれの生きがいしめのめん
会話に飢えるお年寄り
さて、
人には2種類あって
「おしゃべり」な人と
そうではない人とにわけられる。
私の場合
人付き合いの「酒席」などでは
わりかししゃべるほうだけど
普段はそんなにしゃべらない方だ。
なんとなれば
一日なにも話さなかったとしても
苦痛は感じない。
だがしかし、
「しゃべり好き」な人は
そうゆうわけにはいかないようで、
こちらが聞いていようがいまいが
延々しゃべる。
さらにお年寄りになってくると、
「その話何度も聞いてるんだけど」
なんてのもおかまいなしに
しゃべり続ける。
で、特に「しゃべり好き」ではない部類の者
にとっては
やがてそれが苦痛になってきて
適当に相槌だけ返して
はいはいそれじゃお休みなさい
とその場を離れる
ってなことになりがちだ。

さて
そうなると
「しゃべり好きの老人」
に同居人がいない
つまり独居老人だったら
どうなるか。

つまりいわゆる
振り込め詐欺
みたいな犯罪
というのは
そこいらあたりの心理を上手く突いているのだろう。

認知症でもなんでもない人が
「まさか私がだまされるとは・・・」
ってなるのは
「会話に飢えた独り身の老人」
という要素が引き起こしているのではなかろうか。

投資詐欺にせよ
振り込め詐欺にせよ
電話口の向こうの者は
間違いなく
「親身になって」語っている。
振り込めであれば
実際「親族」を装うのだろうし、
投資のほうも、
「今回は特別にOO様のために」
というような甘言をまき散らすのだろう。

会話に飢える独居老人
だと
話の「内容」以前に
「話ができている」
という状態に
舞い上がってしまうのだ。

自分は特に「しゃべり好き」
ではないけど
親族に
「会話に飢えた独居老人」がいる
という心当たりのある方は
是非とも
気にかけてあげてください。
気にかけた結果
「またその話かよ!」
ってイライラするかもしれませんけどねw
ノンポリとして安倍政権を考える
閣僚クラスのスキャンダル続出の
安倍政権であるが
それでも「長期政権」になりそうな気配である。

なんでかと言うと
前にも書いたように
アメリカで起こった
共和党VS民主党の
「保革伯仲」状態、
例えばブッシュVSゴアの時の
集票作業の見直しまで検討された
50対50
の状態に
先進的な超大国が陥った場合
そりゃもう大騒ぎさ!
ってことになり
その悲惨さを対岸で眺めていれば
とりあえず今回は民主党にしておこう
とか
やっぱり民主党は信用ならないので
今後50年自民党にお願いします
とか
極端に「与党」が勝つ構図になるのであろう、
と私は考えた。

そして安倍政権である。

ノンポリとして、
ワタミとかAKBの総帥を
長用してる様を見ると
巷間言われてるように
いわゆる「高学歴」な左翼の皆様から見て
「低学歴」の安倍首相はやはり馬鹿なんだろうなあ
とか
思う時もある。

その一方
「円安株高」になったのも
安倍政権のおかげ
であったりもする。

衆院選の選挙結果から鑑みて、
民主党時代の
アホみたいな
「円高株安」は
もうやめて!
ってのが
安倍長期政権を
成立させてる
という側面はあるだろう。

この状態になって
「円高」の方がいい!
「株安」の方がいい!
なんて言ったところで
1ミリも説得力はない。

だがしかし、
ノンポリの自分としては
100%「安倍政権」を信じるつもりも毛頭ない。
消費増税や
TPPに対する姿勢をみると
明らかに
「新自由主義」的なスタンスだからだ。
なんかもう
「流行」に乗ってみました!
感満載ですよね。

自分個人としては
「新自由主義」
でもなく
「共産主義」
でもない
適度な「ぬるい資本主義」を
掲げる政党が出てくればいいのに
とつくづく思う。

いまのところ
そんな政党ないですもんね。
「維新」とか「みんな」とか
そのへんもうちょっと
精査すればいいのに
と思います。


映像や画像と教育
さて、
ちょっと前に
小学校の教師が授業で
ISの残虐処刑動画を児童に見せた
ってのが問題になってて、
自分としては
ま、そりゃ確かに問題だろうなあ
と思ったんだけど、
それ以上は
深くつっこみどころを見いだせなかった。
授業でやることはないだろう、
くらいかな。
やはりその
人類の「残虐性」ってのも
それはそれで
ある程度知っておいた方がいい
ってゆうような気持も
心の奥底に若干あるし。

で、自分が「児童」だった頃は
図書室に
「朝日年鑑」とか「毎日年鑑」などが
置いてあって
ベトナム戦争真っ盛りだった関係で
ノーカットの悲惨な死体写真が
見放題だった。
うわあこりゃ悲惨だ
と思った。
以上終了。
という感じ。
特にトラウマにもなってない。
だけど、
同様のグロテスクな画像や映像を
それ以上繰り返し見たい
とも思わなかった。
しかしやはり
戦争はよくないぞ
という心持も強くなったのは確かだ。
なので、
残虐画像や動画を
完全隔離するのもどうかと思う。
思うんだけど
いま現在50歳の自分に関しては
そんなものは見たくないので
無理やりにとか不意にとかでも
見せられたら間違いなく怒る。
でも
子供への教育
って点では
いかにも微妙なスタンスを取らざるを得ない。
積極的に見せろ
とも
絶対に隠せ
とも
どちらとも言い難い
みたいな。
ただまあ
すばしっこい子供は
自分で勝手に検索かけて
見てるんだろうなあ
みたいなことは
容易に想像がつく。

で、話の方向を転換し、
「映像」とか「動画」ってことであれば
ISの残虐処刑動画
よりも
むしろ
あの「オウム真理教」の幹部勢揃いだった
伝説の「朝生」とかのほうが
教育効果が高いのではないかと
ふと思ったのである。

一連の様々な「事件」が
発覚する前に
勢力を伸張していた頃の
オウムが
「朝生」に出たわけだ。

以前にも書いたんだけど
リアルタイムで見てて
どこからどう考えても
オウム=善良な人々
田原総一郎氏を筆頭とするマスコミ人=俗物
ってゆう印象が強く
心情的にオウム側についてしまう
みたいな。

自分は意識的に
「マスゴミ」ってゆうような
スラングは使わないようにしてるんだけど、
マスコミは「ゴミ」だってゆうような意識は
何もここ5~6年に始まったことではなく
それこそTV放送開始時くらいから
ずーっと連綿と続いてきた
国民の「共通認識」だと思う。

なにしろ
日本の労働人口の比率を考えれば、
マスコミ人という「口舌の徒」の人達なぞ
パーセントで一桁以下なわけであって
それだけ考えれば
「マス」でもなんでもない
ということになる。

それが
根拠もなく
「マス」だ
となんで言い張ってるの?
馬鹿じゃないの?
ってゆうのは
30年前40年前くらいにも
普通に
そこいらへんの町の人々にもあったわけだ。

豊田商事の会長刺殺事件
とか
松本サリン事件の誤認逮捕事件
とか
あれ見ただけでも
「馬鹿かこいつら」
と思うのが
普通の人間の感覚であろう。

で、オウムである。

オウムは
「朝生」で
いかにも俗物で馬鹿そうな
マスゴミ人種とは違う
「寡黙」で「崇高」な感じがして
マスゴミが醸し出す
俗で下劣な空気とは正反対の世界へ
あたし、や
おれ、や
ぼく、や
あたい、や
おいどん、を
導いてくれるんだ!
という風なイメージ戦略
を最初から立てていたのだろう。

いまから考えても
恐るべき狡猾さだと思う。

なにしろ
田原総一郎氏を筆頭とした
アジテーション丸出しの
「マスゴミ風しゃべり方」
ってのを
麻原尊師以下
幹部の皆様は一切しない。

人の話を
きちんと最後まで聞いて
それに対し
真摯な姿勢で
朴訥に応える
ってゆう姿勢を貫くわけだ。

オウムの勢力拡大
ってのは
このあたりの戦略がしたたかだったからだろう、
と今になって思う。

なので
「マスゴミが醸し出す馬鹿な空気」
から
阻害された
高学歴者を集めたのであろう。

とにもかくにも
「いい人」オーラ
には気を付けよう
そして
もっと「俗物」が生き生きとできる
世の中にしよう
ということだけは
強調しておきたい。





前日の続き
ボブマーリーが
関わった
ラスタ運動について
出演者全員
誰も否定的な発言をしてなかったんだけど、
それもまた疑問で
あの時代のジャマイカで
ボブマーリー本人が
ラスタ運動をする
ということに関しては
べつに異論はない。
しかし
ラスタ運動
には
「21世紀的先見性」があった!!
とか言って
2015年を生きる世界の現代人にも
援用できるかも
みたいな論調には到底納得できない。

「コミューン」
肯定論全開バリバリなんだけど????
みたいな。

コミューン
が出現しないように
個々人
または
個々の一族

不自由なく生活できるような
努力をすべきなのではないか?
と私は思うのだ。
コミューンを作ることが
目的
になるってゆう論調には
かなり違和感がある。

ボブマーリーが生きてた時代の
ジャマイカの現地の人達が
コミューン最高!
ってゆうのはそりゃわかる。

しかし
時代も地理も離れた
日本の知識人が
ラスタ的コミューン最高!!
なんて言ってるのは
全くもってただの欺瞞であろう。

たとえば
現代日本の
「シェアハウス」
の件だが
自分ならそんなもの
お断りである。
あれのどこに「快適性」が
あるのか
まったくもって疑問だ。

というか
「空き家問題」の方が
深刻なんだから
シェアハウス
なんかに尽力するんじゃなくて、
それこそ
「母子家庭」が
安価に
気兼ねなく住めるような
住宅を供給する方が
先決であろう。

そうゆう意味で
昨日述べた
ボブマーリー
ジョンレノンの話で言うと
レノンの場合
「イマジン」ではなく
「アクロスザユニバース」の
nothing's gonna change my world
という
「超わがまま」な
フレーズの方が
現代人にとっては
示唆に富んだ
重い言葉だと
考えるべきだろう、
と私は思う。

ジョンレノン

ボブディラン

ボブマーリー

「人を不快にさせない
安全な言葉づかい」
を選んでいない
ってことを
積極的に考えるべきであろう。
NHKBSのプロファイラーでボブマーリー
が題材になってて、
個人的にあの
「LIVE!」ってゆうCDは
自宅デッキでの累積再生回数NO1なので
概ね楽しめた。
というか
やはりボブマーリーは偉大だ
ということはよくわかった。
で、番組の作り
としては
「ワンラブ」に重きをおいて
ジャマイカやあるいは世界の
「平和」に貢献したボブマーリー像
というものを浮かび上がらせていた。
それはそれで
特別違和感はないし、
概ね事実に基づいた話だと思う。

若干疑問だったのは
「ワンラブ」一曲に
論点を集中しすぎる傾向があり、
「ワンラブ」は確かに名曲なんだろうけど、
たとえば
「ノーウーマンノークライ」とかは
曲名の表示すら番組中に一度もなかった。
ボブマーリーの番組なのに?
と思った。

もちろん
「アイショットザシェリフ」

「ゲットアップスタンドアップ」
のような有名曲もクローズアップされていた。

で、流れ的に
アイショットザシェリフ

ゲットアップスタンドアップ
の世界から
恒久平和を願う「ワンラブ」

人間的成長を遂げたボブマーリー
と解釈される確率が高い
ストーリー構成になってて
それはそれで
物凄く間違ってはいないんだろうけど、
ちょっと待て?
そんなに単純なことなのか?

思わずにはいられない面も
正直かなり感じた。

よくある
「ボブディラン像」の押しつけ
「ジョンレノン像」の押しつけ
的なものもあるのかもしれない
みたいなね。

案の定
「ワンラブ」

「イマジン」
の比較的考察みたいな時間も設けられてたし。

で、
コメンテーターのいとうせいこう氏である。
「怒りは怒りでしかない、
なので自分はその怒りの沸点を
十分感じつつも、一旦矛をおさめて
頭を冷し、作家として文章で何かを
表すときにはポジティブなものに変換する」

なんだか
わかったようなわからないような
ことを発言し、
その横にいた
青山テルマ氏

ああ、それは大変勉強になりました

感激する
と。

この一連の流れで感じたのは
ただただ
ボブマーリーを題材にして
自分の言いたいことを
残らず余さず言ってるだけだよね
と。

私はいとうせいこう氏の
「物凄い高速で
目の前を通過する八代英太」
というネタも好きなので
声を荒げて批判するつもりは毛頭ないんだけど、
少なくとも
ボブマーリー番組のコメンテーターとして
100%共感
は出来なかった
とだけ明言しておきます。

さて、
長々となんでこんなことを書いたかというと
「ワンラブ」も名曲だとは思いますが
わたしは
「アイショットザシェリフ」

「ゲットアップスタンドアップ」
のような曲のほうが
どちらかといえば
ボブマーリーの
「真髄」なのではないかと
考える
一オーディエンスだからです。
故ボブマーリー個人の意思

聴き手の意思

完全一致しなければならない
なんて法は存在しませんし。

これは
※あくまで個人の感想です※
なので
異論も当然あちこちから湧き出るでしょうし、
これを他人様に
「押し付ける」気持は毛頭ございません。
意外な一面(やや尾籠なお話です)
どのカテゴリーで書くか迷ったんだけど、
自分の周囲の昔話
なので「自分語り」でくくってみた。
ま、でも「自分」のことではない。
ま、べつにどっちでもいいことだけど。

過去に何度も書いたように、
私は教師から怒られやすいタイプの
児童生徒であった。
特に美術とか体育とか技術家庭とか
自分自身が「気乗り」しない科目の教師に
よく怒られた。
そうゆう意味では
「空気」読めない
コミュ障
だったのかもしれない。
しかし
それを悔いるつもりも
毛頭ない。
ここでこうゆう態度をとると
大人は怒るんだな
ってことを
教えてもらった
くらいな感覚である。

で、やはり
「天敵」だったのは
体育教師で
他の科目の先生と比べると
「気合だ根性だ」的な
精神論強めな気がして
とにかく嫌で嫌で仕方がなかったのだ。

夏のプールの授業で
「長髪」を
整髪せずに臨んだら
「おまえそんな髪でプールに入れると
思ってるのか?いますぐ俺が切るぞ!」
とか言うので
「いや、それならプロの
床屋さんに行きます」
って答えたら
完全にキレられましたw

というか
我ながら思いますに、
そりゃ「大人」としてキレるのが
正解でしょうw
50歳の立場で振り返るとw
ガキが生意気言ってんじゃねえ!!
って話ですもの。

あ、でも
なんというか
完全に病院送り
みたいな
そうゆうやられ方ではなかったんですよね。
そのあたりは
加減を心得てるというのか。

で、体育の場合
実技とはべつに
「座学」のいわゆる
保健体育
ってあるじゃないですか。

その先生は
けっこう
その「保体」になると
わりと話術が巧みでして、
梅毒と淋病の恐ろしさを
語るときなんかは
稲川淳二か!
ってゆうような絶妙な口調だったのです。

まあ
これだけですと
単なる「エロい」人なのか?
ってゆう印象を抱かせてしまうかもしれませんけど
「性病は怖い」

厨房に植え付けるためだけの
あの迫真の語り口には
実は感動を覚えたものです。

で、ここからが
話の肝
なんですけど
その先生は
「保体」の
座学の授業の際に
「いいかお前ら
大のあとは必ず石鹸で
手を洗え!必ずだ!
小の時ですら石鹸使うのが
望ましい!!」
と力説してまして、
へえ?おおざっぱな人かと
思ったけど
そこまで言うなら
それにしたがってみよう
と素直に感じたのです。

その後
「小」のあとに
全然手を洗わない日本男性が
あまりにも多いことを
「接客業」に従事して体感するわけですが
ああ
あのぼくの不得意だったあの先生も
実に正しいことを
生徒に的確に伝えていたんだなあ

いまにして実感しております。
戦いと歌
4月11日に東高円寺カットウさんで
「野球好き」が集まる企画ライブが開催される
ってことなので参加することにしました。
同様の企画は2度目なんだけど
前回は舞台衣装も「普段着」だったりして
中途半端な姿勢で臨んでしまいましたが、
今回は「イーグルスファンクラブ」から
送られてきたユニフォームも着用し、
演目もマジで「野球関連しばり」でいこうかな、
と。

さてそこで、
「野球」と歌
ってことでいうと
古関 裕而大先生がまず思い浮かぶ。
六甲おろし

闘魂込めて

古関先生だ
ってのは
川柳川柳師匠のネタで
思い知らされたw
「戦意高揚」の曲を書きまくった
にも関わらず
「戦犯」扱いされなかった、とか。

で、大久保新監督は
選手の登場曲に
「バラード」使用禁止令を出したんだけど、
これに関しては
私も諸手をあげて賛成で
これからグランドに立つ
ってところで
いきものがかり
は無いだろう
とずっと思っていたのです。

そんなことを言ってのける私は
べつに「好戦的な右翼思想」の持ち主ではなく
何度も申し上げておりますように
ただのノンポリ一小市民でございます。
国家間の本物の戦争
とか大嫌いです。

上述した川柳川柳師匠も
高座で「軍歌」を唄いまくる
ってゆう固有の芸風ですけど
川柳川柳師匠が
「好戦的な右翼思想」の持ち主だ
とはだれも思わないでしょう。
軍歌を唄いまくるからといって。

ここいらあたりってのは
ほんとに日本社会の
微妙なところで
「軍歌調」というか
「軍歌風」ってだけで
全否定
みたいなのもあるわけですよ。

サークル
とか
部活
とかではない
まさに「社会人」のみ
の「会社員のカラオケ」

「空手バカ一代」
を唄ったら
「そんな軍歌みたいな唄を
ニヤニヤしながら唄うな!」
って怒られたことが
ありまして
ええええええええ?????
と驚いたことがあります。

怒った人
のことを
うらみがましく
思うこともないですし
ただただ
ああ、まあ
それも仕方ないのかなあ
って受け止める他はないです。

でもやっぱり
たとえば
「球団の歌」
とかでも
変にカタカナ混じりで
砂糖たっぷりって感じの
ポップス調の曲よりは
「軍歌調」の方が
絶対に馴染む
と私は考えるのです。

ですので
パリーグで言えば
イーグルス

ホークス
の曲は
理にかなってると思いますよ。

その意味で
「経営母体」が変わっても
「若鷹軍団」の曲を変えなかった
ソフトバンク経営陣の判断は
実に正しかったと思います。

だって
普通に考えて
12球団のなかの
1位
になるのを目標としてるわけですから、
12人の家族みんななかよく
って
言ってる場合じゃないですよね。

若鷹軍団
ってのは
そのへんが実に秀逸で
他の11球団に対し
「おまえらとちがって
うちのチームは若手の層
が厚いんじゃあああ」
って宣言してるわけで
曲調もあいまって
実に絶妙ですよね。
ホークスファンではないんだけど
うらやましく思いますよw

でも
アナクロニズム丸出しの
イーグルスの歌も
実はかなり好きです。

実際
2005年に
「楽天の歌って
つい口ずさんじゃうよね」
って
現場の多くの選手たち
が言ってたみたいですよ。