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全力リラックス!辻タダオ
おぐまゆきとのユニット「中前適時打」メンバー辻タダオのブログ。生涯一東北楽天ファン。中前適時打は2016年4月結成。
huluとかの仕組みについて
なんだかんだで、
TSUTAYAでDVD借りるよりは
割安なのかなあ
って思うんだけど
コンテンツ数は
物足りない気がするし
「期間限定」配信
みたいなのが
よくわからない。

私の記憶違いかもしれないんだけど
特に「期間限定」みたいな表示を見た記憶ないんだけど
いつのまにやら
視聴不可能になってる連続ドラマ
もあったような気がする。
違ってたらすみません。

まあそりゃ「商売」なんで
「アーカイブ」ではないんですよね。

そこいらへんのことは
ちゃんと最初から
もっとわかりやすく明示しておいてほしいですね。

ということで
ネット配信動画サービス

アーカイブ
じゃありません。
ってことを
これから「入会」考えてる人は
考慮にいれましょう。

自分の実感からすると
それでも
ある程度
お得
だとは思います。
岩波映画 日本発見は面白い。
スカパーで放送してたのを
47都道府県分47回
(当然沖縄は沖縄県でなく「沖縄」表記)
すべて録りためて
ちょっとずつ見てて
ああ!そうゆうことなのか!
とか気づかされる瞬間が
凄く多いわけですよ。

まだ4分の1くらいしか
見終わってない状況で
こうやって投稿するのも
どうかなとは
思いますけど
そのあたりは
フリーハンドってことで。

何が面白いってまずその
製作が1961年~1962年
ってことなので
いわゆる
「きょうびのメディア世界の
ありがちな表現方法」
のノリが皆無
と。

それと「岩波」なので
リベラル寄り表現
なのかというと
そうゆうこともなく
淡々といろんな事物をとらえてます。

だからといって
「演出」がない
わけでもなく
時折、明らかな「小芝居」もありますし、
BGMはクラシックからJAZZから
多用しまくりです。

そのへん
「観察映画」の想田作品とは真逆。

ま、でも
なんらかの「結論」ありき
の「世論誘導」的なものは
ほとんど感じません。

なので
「俳優の小芝居」
じゃなくて
市井の「職業人」の
「本音」とかがとても面白い。

福岡県
の巻
ですと
やはり「炭鉱」に多く時間が割かれてまして、
私はもちろん全く無縁の世界であるがゆえに
興味深く見るわけです。

1962年の時点で
既に炭鉱の「衰退」
始まってたんだ
ってなことを
あらためて知る、と。

石炭から石油へ
って流れですね。

で、
小さな炭鉱

大きな炭鉱
であれば
小さいほうが先に
つぶれてゆくわけです。

そこで
「小さな炭鉱」は
「小山(こやま)」
って言うんだ!
みたいなね。

こうゆうのが
琴線に触れるんですよね。

これいまのパチンコホール業界
とほぼ一緒の構図じゃん!
みたいなw

で炭鉱労働者の本音
も紹介されてて
「夏は涼しく冬は暖かい
しかも給料高い、こんないい仕事は
他にそうザラにない」
と。
ああ、そうだったのか、と。

無論、落盤事故もあるし
本質的に「命がけ」な仕事であるのは
承知しておりますが
「夏は涼しく冬暖かい」
とか
そんなことは知りませんでしたよ。
いやほんとに。

きょうびの
特に「日テレ」あたりでありがちな、
必要以上の「苦労話」強調
必要以上の「お涙頂戴話」強調
のノリとは真逆なわけです。

なんかこう
現場で撮影仕切る人
とかが
「いやいやそんなこと言わずに
もうちょっと大変さをアピールしてください」
みたいな
余計な不純なノリが皆無。

神奈川県の巻
では
相模原市の養豚業者の人が
豚一匹各々を
完全に「柵」で囲って
育てる養豚法で成功を収めている様が
紹介されるんですけど
この時のドヤ顔でのコメントが
実にすばらしい。

ま、そこは未見の人へ
「ネタバレ」を配慮し
ここでは書きませんけど
そんな考え方もあったのか?
って
驚く事必至!
とだけ強調しておきましょう。

あと鹿児島県の巻の
離島での農業者の件では
「陽射しがあまりに強いので
作業は朝と夕方のみ」
とか、
なんだ
おれの生まれる前から
冷静な人は冷静だったんだ
とかねw

そんなこんなで
ノスタルジーに浸る
ってゆうことではなく
「きょうびのメディア」が
言いそうなこと
描きそうなこと
と無縁な
「岩波映画 日本発見」は
老若男女すべての皆様に
お勧めいたします。






単純な話
「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか (ちくま新書)
浅羽 通明
筑摩書房
売り上げランキング: 1,938

以前にも書いたと思うんですけど、
事前にいくら煽っても「安倍政権」になるのは
労働人口の割合が昔と違って
「第三次産業」に従事する人の数が増え
そうゆう層の人に向かって
特定の政治イシューを美辞麗句で
あれこれ訴えたところで
全く心に響かない
どころか
なんだなんだ?おれらの生活をつぶすのか?
って話になっちゃうわけですよ。

コンビニ弁当食べて
寸暇を惜しんで
激務をこなす「実務家社会人」にしてみれば
原発も安保も
適当な落としどころをみつけて
いつのまにかなんとかしておいてくれればOK
であって、
この本の239Pの小見出しにある
「実務社会人の関心は景気と社会保障」
ってゆう
この文言で
特定問題に拘るリベラル派
の弱点
というかターゲッティングの間違い
はもれなく言い表されてると思います。

何十万人
「動員」しようが
それは単なる「互助会」というか
「サークル」でしかない、と
それだけのことです。

自分が学生の頃
ビッグコミックスピリッツ
がわりと流行してて
「気まぐれコンセプト」ってゆう
アメコミ風味のいかにも
「広告代理店」風味の漫画が
載ってたりして
その前哨戦で田中康夫氏の
「なんとなくクリスタル」とかが
あったりした記憶があり、
田中氏の場合は一匹狼なのかもしれませんけど
その田中氏の作品名に添えば
「なんとなく」
流れに乗る
みたいなのは
これ現在過去未来絶対に
治らないと思うわけですよ。

恋人はサンタクロース
とか
ほとんど
「自分」には完全に意味不明でしたし。
でもそうゆう世の中の流れを
止めようとかなんだとか
何も思わないし思っても無駄だし、と。

ま、それはそれとして
この本に関しては
それまで当たり前のことと信じられていた
「年功序列」「定年退職」の路線から
ハシゴを外された者、
具体的に言えば「リストラ」された者
「早期退職」迫られた者等の
「悲惨」を語ったところに共感しました。

自分がほとんんどそれなので。

なので
「非進歩的」だし
「反知性的」なのかもしれないんですけど、
社会人未経験の若者政治集団
とか
商売未経験の学者
とか
机に向かって物書いたり
適当なことしゃべってたりする
だけの経験しかない
著作人だとか
(私は「経験至上主義」ではありません)
あなたたちには
政党とか組合とかメディアとかいう
「互助会」があるのであれば
それに甘んじるのではなく
もうちょっと
人の魂に染み入ることを
発信してみろよ、と。

いやほんと
どいつもこいつも
金太郎飴
としか言い様がないです。

いまのままだと。

そんな適当な商売の仕方だと
どんどんお客様減るのみ
でしょう。
とりあえず2月はライブ終了。
一作日の晩は新橋ZZさんでの初ライブ。皆様お疲れ様です。ブッキングのマサゴロウさんお疲れ様です。LB1/4さん、おがわたいちさん みつゆめめびとさん、と濃い方ばかりで楽しかったです。しかも「あの」ダディー竹千代さんと話せて嬉しかったですよ。
おがわさんはブルージーなギタープレイ気持ちよく、お若いようにお見受けしたのですが歌詞世界がバラエティーに富んでて和みました。LBさんはぶっ飛んでましたね。完全に。あのぶっ飛び方はなかなかないので「パクリ」とかはしませんけど、大いに参考にします。みつゆめびとさんは、Himeさんと黒川オゾンさんのユニットなんですけど、出だしからサンラアーケストラ的な演出で正直戸惑ったんですが歌唱力に圧倒されました。皆様また何かの機会がありましたらよろしくです。そんなわけで4月12日にも新橋ZZさんに出演することになりました。詳細は追ってまた。
価格設定の間違い
ニュースZAP見てたら、
「観察映画」の想田氏が
アメリカの大学の学費が
「年間500万」とかになってる
とか言ってて
ビックリすると同時に
そりゃトランプやサンダースが人気になるのも
うなずける、と。

「学費年間500万」ですよ。

異常ですよ。

で全然話はかわって
よく書く「パチンコ」業界の件ですけど、
2000年代前半くらいまでは
パチンコ台もスロットも
店側が購入する際
1台20万~25万だったのが
2003年くらいから
40万~50万当たり前!
みたいになったりとかね。

よく判らない価格設定にして
「額に汗してない上級国民」
がどんどん国民から金を吸い上げる
ってのは洋の東西問わず一緒なんだなあ
とあらためて思いましたよ。

もう騙されないぞ!と。

日本国でいうと
昔「固定電話の加入権」が
7万円くらいしてたような記憶がありますけど
なになに「7万円」ってどうゆうこと?
みたいな。
その金、サラ金のグレーゾーン金利みたいに
返してくれよ、とw

私立大学の「受験料」が
2万5千円
って聞いて
「2千五百円の間違いじゃないの?」とか
80年代中盤にびっくりした記憶ありますw
いまどうなってるのかは知りませんが
まあ「値上げ」されてるんでしょうね。

このご時世に
「国立大学」の学費値上げ
とかやっちゃってるみたいだし。

さらには
「公務員」の給料も値上げ
らしいし。

役人と政治家の
「センス」を疑わざるをえません。

無党派層なんで
革命だ!
尊王攘夷だ!
とか叫ぶつもりはないんですけど、
理不尽な価格帯
を平気で言い募る業界は
「不買」でいいんじゃないかなあ。

大学とか
「借金」してまでいく価値あるの?
とか。

なんでもかんでも
「節約」
とか言ってたら
「経済縮小」
になってしまうので
そこまで主張する気はないんですけど、
「金の使い方」
に関しては
これまでの
「日本の常識」とか捨てないと
ただただいいように
吸われるだけなような気がしますよ。

いやほんとマジで。
マウンティングとかいう言葉
遅ればせながら
昨日初めて知りましたよw

まあ「上から目線」ってやつの
巧妙な変形なのかな
と思いますけど、
意外と便利な言葉かな
とも感じました。

男は外に出たら7人の敵が必ずいる
って
これちょっと
正確かどうかはわかりませんが
男であろうと女であろうとゲイであろうとレズであろうと
老人であろうと子供であろうと
とにかく世の中「戦い」の連続の日々ですよ
ってゆう教訓を体感するためには
よくできた格言だと思うわけです。

で、マウンティングですが
つきつめると
世の中
特に「仕事」とか「商売」とか
まあ職業ってことになると
「マウンティング合戦」でもあるわけです。

単純に
そこに「参戦」してるのであれば
おもいきりマウンティングしあえばいいし、
ただ人生「有限」なので、
全ての「戦い」に参加することもない
と。

ワイドなショーで武田鉄矢氏が
失言自民党議員に関して
「教えたがり」気質

言葉の過剰を生み
結果墓穴を掘る
みたいな
ことを言ってて
なるほどなあ
って思いました。

スターウォーズ見てないの!?
的なものの言い方
がマウンティングだと
BLOGOSのブロガーが書いてましたが、
まあ「プロアマ」の境目で
「プロ」側の人達は必ずマウンティングします。
あらゆる分野全世界でそうでしょう。

世界中で毎日皆
戦ってるわけですよ。
実物の兵器が使われる
紛争や戦争があろうとなかろうと。

実物の兵器が使われる
紛争や戦争に遭遇しないで済むのは
実に幸せなことだ
ということを前提に
いわゆる「知識合戦」の
マウンティングについて
私自身の所見を述べますと
とにもかくにも
「全て」に参戦する必要は皆無である、と。

なんですけど
「マウンティング」する自由
も100%認めるべき
と。

ということなので
興味のない事柄に関して
あれこれ言ってくる人に遭遇したら
「浅学非才ですいません」
と言って
「逃げる自由」もあるし
興味のあること
を人にしゃべりたくてたまらない
ってゆう人の「しゃべる自由」も
ある、と。

それくらいでいいんじゃないですかね。

マウンティング禁止
ってなったら
そりゃ人類の進歩もなくなりますからね
って自分のような者が言うのも
とても変な話ですけどw

私は長年
ガンダムオタクのものの言い方に
反発心を覚えてましたけど
虚心坦懐見てみたら
予想以上に面白かった
ってゆう経験もあるので
マウンティングの全部が悪いとも思いませんし、
それはそれとして
おれが見て面白いと思ったガンダムを
おまえが見ていないのなら是非見ろ!
そうでないとおまえとは友達にはならない!
なんて
滅茶苦茶な事を言うつもりもございません。

世の中それくらいの適当さでいいんじゃないでしょうかw
繰り返しになりますが。
TPPに関しては、
実現しようが企画倒れでポシャろうが
どっちでもいいんですよね。
自分自身のいま現在のポジションですと。

農業従事者ではありますが、
規模「零細」で、
地元のJAと個人の常連様に
販売してるだけで
補助金の類一切貰ってないし、
低利の「融資」を利用して
「設備投資」とかもしてないので
ほんとにまあ
農業分野ってのは
それぞれの「農家」によって全然事情が違う
ってことですよ。

そのへんは以前に所属していた
パチンコホール業界とは
まったく真逆な感じですね。

パチンコ業界の場合は
「日本限定」の
クローズドな側面もありますけどね。

まあ単純な話
なんでもかんでも
世界に開いて
規模拡大して
世界は一家人類は皆兄弟
とか
変に人道主義理想主義で
いろいろシステムをあれこれいじらなくても
べつにいいんじゃないの?
と。
それこそ
「今現在の市場経済の有り様」

何が不満なの?
と。
極端な保護貿易やら鎖国主義やらを
となえているわけでもないし、
と。

なーんて思ってたら
米大統領選の有力候補が
ほぼ「TPP反対派」のみ
になってきてて、
いやほんとに
世の中の変化のめまぐるしさといったら
物凄すぎてオッサンにはついていけませんw

結果予測としては
「オバマ在任期間中に
なにがなんでも議会で通して
TPP成立」
ってのが有力みたいですけどね。

ま、それはそれ
でしょうかね。

一点
「知財保護」
というか
「著作権」
分野のあれは
人類にとってなんのメリットもないので
やめて欲しいとは思います。
「青空文庫断固支持!」
ですよそんなもの。
人類にとってディズニーと青空文庫
どっちが貴重かといえば
青空文庫に決まってますよ
そんなものw

で、ちょっと
最初のほうに話を戻しますけど、
「借金」についてなんですが
「借金」はほんと「借金」なのであって
よい「借金」もわるい「借金」もないわけで
それで生活破綻する人もいるだろうし
なんだかんだで切り抜ける人もいるだろうし
それこそほんと「運」としか言い様がない。
善悪どっちか
って問題じゃないんですよね。

ただ、
サブプライムローンをきっかけに
リーマンショックが起きたのは
「歴史的事実」で
いわゆる新自由主義とか
グローバリズムとかいう考えが
説得力をどんどん欠き始めたゆえの
サンダース、トランプの怒涛の勢い
だと思うわけです。

もう一度話を卑近なところに戻すと
「呑む打つ買う」で背負った借金も
「住宅ローン」で背負った借金も
「車」で背負った借金も
「学費」で背負った借金も
私は全部同じ
と考えます。

呑む打つ買うはダメ
学費はOK
とか
人によっては
そう考えるかもしれません。

人は人
自分は自分
ですので
わたしは単純に
「本質的に全部同じ」
と考える
ただそれだけです。

で、とにかく
新自由主義とかグローバリズムとかの考えに立脚すると
「借金は善」
ってことになりますよね。
なにしろ「金融至上主義」でもありますから。

それに対し私は
単純に「善でも悪でもないんじゃないの」
って言いたいだけです。

ウォール街占拠の人達みたいに
大規模な金融機関ぜんぶつぶれろ
とまでは思わない、と。
思わないけど
まあ「金融至上主義」の論法には
乗らないぞ
と。

なんでそう思うかってえと
やはり身近な
それこそ内田教授のいうところの
「街場」のいろいろな風景を見てきた
一市民の「実感」ってだけのことなんけど
「借金」
するよりはしないほうが
人間「自由」でいられるんじゃないの?
ってゆう
ただそれだけなんですよ。

それをいっちゃおしまい
ってゆうもっと
高レベルな「人生の達人」もいて
「借金なんて踏み倒してもOK」
で世の中渡っていく
という手もなきにしもあらず
なんすけど
それにはやはり知力のみならず
腕力も必要ですし
人生なるべく「リラックス」できる時間が長い方がいい
という方には
とてもじゃないけど
お勧めしませんw
人生いろいろライブハウスもいろいろ
昨晩は、
八王子びー玉さんでのライブでした。
ツイッターやFBでも書いたんで
重複する内容は省きます。

ライブハウスっていろいろなノリがあって
ステージ上の「出演者」と
客席にいる人
まあそれがまたほぼ全員その日の「出演者」
ってことも多いので
「お客様」って書かないんですけど、
とにもかくにも
ステージと客席で
「会話」が起きるってゆうお店もあります。
ステージとPA担当のマスターとかね。

ま、これは
構成かっちり決めて
ほぼ事前の計画どおりになんでもかんでもやる
ってゆうノリのお店では
そうそうある話じゃないですし
べつにそれはそれでいい
と思いますよ。

人生いろいろ
ライブハウスもいろいろ
ですよ。
ほんとにw

で、それはそれとして
客席とステージとの「会話」で
昨晩はわりかし「水商売」系というか
「下半身系」の話題が多かったんですよ。
詳細はそりゃ明かしません。
とにかく面白かったですよ。
悔しかったら現場に来い!
としか言い様がないですねw

まあ「野球」の話題もそこそこありましたけどね。

で、そんな流れのなかで
ステージ上の
k-奥田さんから
「タダオさんは女の人好きですか?」
とか
いきなり尋ねられたので
「そりゃ好きですよ
ノンケだし」
って反射的に応えたんですけど
そのとき
自分が「ノンケ」だとか
生まれて初めて
「口に出して」発音した気がします。
で、その後
二丁目のゲイバーとかに行くのは
それはそれで面白い
みたいな話になっていったんですけど、
まあとにかく
「不意に」
なにがおこるかわからない
ってのは楽しいですね。

まあ何が言いたいのかってえと
「LGBT」の人達への理解は
最大限持つべきだし
「LGBT」の人達の「結婚」する権利とかは
認めるべきだと思うわけです。

ただI am Not Abeが全然OK
なわけですから
i am Not LGBT
って言ってもOKでしょ余裕で。

最近のポリティカルコレクトだの
レイシズムだのの議論を見てると
そのへんが非常にあいまいな気がしますよ。

ぼくはホモとかゲイじゃないです
私はレズビアンじゃないです

「宣言」しても
レイシスト扱い?
みたいな。

いま君はLGBTではないかもしれないけど
この世は不確定性で満ち溢れているのだから
将来どうなるかなんてわからないだろ?
だのにそんな宣言なんかしたら
自分の人生の可能性を狭めてるんじゃないのか?
そんなことじゃ現代的で開明的な
ソフィスティケーテッドピープル
とは言えないな
みたいなことをネチネチ言ってきそうな予感満載!
みたいなw

そうゆうのには
わるいけど
そんな「勧誘」に乗るわけねーだろ!
としか言い様がないわけですw

これがもし「レイシズム」だってもし思うのであれば
理詰めで論破していただければ幸いです。

繰り返しますが
私は
LGBTの人達の「結婚」もアリだと思うし、
プーチン政権のように
LGBTの人達の「広告宣伝行為」をやめろ
とかは全然思いません。

ただ
シンプルに
「自分はLGBTではない」
「自分はLGBTに今後なる可能性は皆無である」
と宣言しても
怒ったり言論弾圧しないでね
と。

いやほんとただそれだけです。

LGBT問題に限らず
何事にも狂信的な人が多いご時世なので
ほんと「自由」を守るのは大変ですよね。
じつはけっこう自由な日本国
空気を読み
世間体を気にして
がんじがらめ
で生きづらい
ってゆうような評されかたをする
「日本社会」なんだけど
逆にいえば
「そんなのしらんもーん」って
開き直りさえすれば
それはそれで通るわけで
世界中探しても
これほど自由な社会はないんじゃないだろうか。

まあ時代と地域と場所によって
そうではない
ってこともあるだろう
あっただろう
ってのもわからなくはないけど
やはり根本的には「自由」な国だ。

理不尽な因習にとらわれた「田舎」から
「都会」に出ていく「自由」もあるし
「荒廃」した「都会」から
澄んだ空気の「田舎」に隠棲する自由もある。
なんとなれば
海外に移住したって誰にも怒られない。

家制度も
強固なようでいて
じつはそこそこ適当であり
実際誰が結婚しようが離婚しようが
知ったこっちゃないし
異母兄弟がいたからといって
そのことで生涯悩みまくる
ってことも
ほんとはない。

なので結局
「悩むふり」
「苦労するふり」
ってのがどうにもこうにも
ダメなんじゃないかと思うわけだ。
害悪ですらあると。

本来「悩む」必要もないのに
ことさらに悩んでみせたり、
べつにあんた「苦労」してないでしょ
ってひとが
やけに「苦労話」をしたり
とか
そうゆうところは
「自由な国」日本国において
嫌なところだと思う。
思うんだけど、
そうゆうことをするのもまた「自由」なんすよねw

私は出自沖縄で
パスポート使って「渡航」して
幼少時から三多摩方面で生活してたんだけど
なんらかの「差別」を受けた記憶
「皆無」である。

父母祖父母の世代は
またちがったのかもしれない
ただ自分に関しては「皆無」である。

時々
沖縄から来たってことは
英語ペラペラなんでしょ
ならかっこいい英語しゃべってよ
とか
言われたこともあったけど
それで「傷つく」感性は自分にはなく
$とセントは使ってたけど
しゃべれるわけねーよ
と、
単純に反論して「以上終了」でしたよ。

明治大正時代に「職」を求め
沖縄から「内地」に渡って
沖縄っぽい苗字を
本土風に変えた
ってゆう例も相当あったらしい
ってのは知ってます。

それはそれで
その時の「正しい」判断
だったんじゃないでしょうか。
としか言い様がないです。

うちなーの心をふみにじった裏切り者!
とか
全然思いません。

というか自分自身が
そもそも
「うちなー」な意識ゼロですから。

普通に「三多摩人」
でしかないです。

うちなーぐち

それから
沖縄率高めの
関西弁

しゃべれないし。

そんな中途半端なポジションの自分でも
余裕で生きていける日本社会は
ほんとに素晴らしいと
思いますよ。
マジで。



リア充自慢
バレンタイン前後だと
非モテアピールも
いいんだろうけど
逆に自分は「リア充」自慢をする。

私はなにを隠そう
「交換日記」経験者なのだ。

これは同世代でも
なかなか
そんなにない「経験」だろうと思う。

なんだけど
やはりその
「恥ずかしい」
気持ちが先に立ち
50過ぎて
「あの時何を書いたのか」
ってのは
ほとんど思い出せない。

ただ1点だけ、
その
「彼女」が
アバのチキチータの
「訳詞」を書いてたのは
鮮明に覚えている。

なので
チキチータを
なにかの折に
耳にすると
反射的に
泣いてしまうw

「交換日記」
本体は
いまはもうどこにあるのかわからないし、
読みたい
とも思いませんw
オコエはどうなるのか
ってのは
熱心な長年の一ファンでもよくわからない。

とりあえず
久米島から本島金武町に移動しても
まだ一軍に残って
しかも初の「対外」練習試合で
一安打一盗塁一打点
と結果は残した。

報道では
物凄い
「吸収力」で
日に日に成長しまくり
みたいなことも言われてたりするし
どうなんだろう。

ただ甲子園で見た
守備走塁は
間違いなく「本物」だったと思うし
一本だけ見た本塁打の軌跡も
強烈だったので
それを信じて
昔の
荒川ー王
みたいに
池山ーオコエ

伝説の師弟コンビとして
語り継がれるようになればいいな

祈るのみである。
電化マイルス最高
ま、ビッチェズブリュー等のアルバム以降
の電気楽器多用の
マイルスデイヴィスの音楽って
ほんと誰が名づけたのかは知らないんだけど
「電化マイルス」としか言い様がない。
70年代初頭以降のギルエヴァンスとかも
それに近い感じありますけど。

フュージョンとかクロスオーヴァーって言葉もあるけど
それには全然あてはまらない気がするし。

いわゆるプログレとも違うし。

晩年のアルバムには
テクノやハウス的要素も
多少ちりばめられてたけど
まあ基本的に
「電化マイルス」の主要エッセンスは
テクノでもハウスでもない。

ほんとに
「電化マイルス」としか言い様がない。

で素人が
「電化マイルス」の真似をしていいのか
どうなのか?
問題ってのは
「ジャズ業界」に長らく横たわった問題なような気もする。

マイルス本人のキャリアも
「ブルースセッション」から始まって
「ビバップ」を経て
あの境地に達している
ってことだし
脇を固めるメンバーも
「強固なクラシックの素養」を持ったうえで
あの魅惑のインタープレイを演出している
という側面もある。

ある日突然
「電化マイルス」の
なんらかのナンバーを
見たり聞いたりして
うおーなんてすごい音楽なんだ!
おれもこうゆうのやりたい!
って「楽器初心者」の人が
思ったとしよう。

でジャズ研に入るとか
オープンマイク的セッション大会
に参加するとか
あるいは奮発して
「レッスン」受けたり
「専門学校」や
「音楽大学」に入学したりして
「電化マイルス」的サウンドおれもやるぞー!
と意気込んだとしよう。

で、おそらくなんだけど
「人前で電化マイルス演奏するなんて
初心者には10年早い!」
とかなんとか言われて
バークリーメソッドかなんなかを
渡されて
まずはこれマスターしてからね
ってゆう流れなんだろうな
ってのが容易に予想がつく。

私も「JAZZ」系団体にいたことがあるんで
やっぱりああゆう音楽は
「きちんと手順を踏んだうえで」
やるべきものなのかもしれない
とか
多少なりとも思わなくもない。

でもなんとなく
そうゆう空気に
「疑問」を感じることもある。

誰にもなんにも教わらなくても
最初からイチローの「背面キャッチ」
が余裕で出来る
って人材も
この世の中にはたくさんいると思う。

サッカーのリフティングだって
誰にも教わってないけど
眠らない限り地面に落としません
って人もいるだろう。

電化マイルス的音楽も
それを聴いて
いきなり
おれも同じようなことやりたい
ってゆう
若者がいたとするなら
自由にやらせてみたらいいのではないか?
ってね。
チャレンジは自由ですからね。

で箸にも棒にもかからない
ってゆう場合は
容赦なく批判すればいい、
と。

多分マイルスも
おれみたいな音楽をやりたければ
まずブルース覚えて
ツーファイブの理屈わかって
モードは何かを身体に沁み込ませて
そこからやっとスタートだな!
なんて野暮なことは
天国で言わないと思いますよw
政治宗教と芸は別もの
前にも書いたと思うんだけど
大江健三郎は左翼だから
石原慎太郎は右翼だから
つって
その著作物は一切読まない
ってゆう姿勢はとらない。

音楽でいうと
黛敏郎は右翼だから
坂本龍一は左翼だから
聴かない
って
そんなの人生もったいなさすぎる
ってことだ。

私は創価学会員では
ないけど
堂々と創価学会員であることを宣言して
活動している芸能スポーツ分野の方々の存在を
否定するつもりはないし
応援したいとおもう人は応援する。
ただし
「創価学会への応援」はそこに含まない
ってただそれだけ。

共産党も一緒で
「赤旗まつり」には
超一流の芸
を持ってる
様々な芸能人の人がたくさん出演してるけど
共産党支持者だから
そんな人間の芸は芸でない
って話では
当然無い。

同じく自民党についても
自民党支持者の芸能人は
人に非ず
なんて毛ほども思わない。

だから
例えば
プロアマの境界線
微妙なレベルの
ミュージシャンなり
アーティストなり
なんなりが
イベントで
政治信条を表明
することは
まったくもって
自由
だと
思う。

ただ
「強引なオルグ、勧誘、折伏」
というような
「強要罪」的行為があったら
それには同意しないし
逆に訴えるぞ!
と。

署名捺印しないと
この会場から出れません
とか
もしあったら
それは「犯罪」ですからね。

幸いにして
いままで
「芸術」関係で
そのような酷い目に遭ったことはない。

これからもそうであって欲しいものだ。
表現物の「禁止」ってのは無能の言い訳。
今日より明日、
明日よりあさって、
「生身」で「生活」している
女性の「人権」を取り巻く環境が
よりよいものになることに
私はなんの不満も疑問もないし
そうなる為に「有効」な施策であるのなら
何も反対する必要も感じない。

しかしながら
何の役にも立たないどころか
逆に「有害」な施策である
と感じれば
それはただ冷静に批判するのみである。

女性に対する性暴力表現を有する
漫画やビデオは販売禁止にすべき
ってゆう国連の考えは
ほんとうに意味が解らない。

私はここで
「漫画」とか「ビデオ」は
フィクションの表現物
と捉えて言っている。

いわゆる「リアル」な
ヤバいやつ
とか
はそりゃまあ発禁なり
関係者に対する取り締まりなり
なんなり
すればいいと思いますよ。

でも三次元での「演技」とか
二次元の「描写」まで
一律禁止
とか言いだすのは
頭がおかしいとしか思えませんね。

それこそたとえば
「戦争の悲惨さ」
を伝えるときの
「映像作品」で
洋の東西を問わず
「女性市民」が
「敵兵」に「性的暴力」を受ける描写
とか世界中に枚挙にいとまがないくらいにあるし、
もちろんそのほとんどは「女優」さんや「男優」さんが
「演技」をして作られてたわけですけど、
それ全部
販売禁止って
言いだすってことは
究極
「視聴禁止」につながるのは必至で
もしそうなったら
タランティーノ作品とか見れなくなるんですけど!
って話なんだけど
国連の無能な人達はそういうところまで
頭が回らないんでしょうね。
馬鹿につける薬は無し
としか言い様がないです。

そんなことに労力と時間を割くなら
ちゃんと
「生身の人間の拉致監禁」
ってゆう
より重大な犯罪に対して
なんとかしろよ
と。
ただただそれだけです。
今日のNHKFMセパ対抗プロ野球ソング三昧は
「12団対抗」というかたちになってて
阪急近鉄がごっちゃになってたのが不満だったのと、
プロ野球 音の球宴
主催のお二方の監修、
御当人たちの意見が100%反映されてない感じもあって、
全体的に物足りなかった。
「猛牛河内音頭」も流れなかったし。

まあでも
MVSの「カープ選手数え唄」とか
よかったし、
あと途中の
「ノムさんVS有働アナ」
の監督ネタは
ほぼノーガード、ノンオブラートの
トーク炸裂で面白かった。

ま、でも
ほんと
「音の球宴」のイベント会場に直に行くのが
「満足度」高いんだろうけど
希少イベントなんで
今年の「関東開催」は行けないっす。
残念。

それと今日の番組自体10時間の長尺だったので
途中聞き逃した
「中日」コーナー
秘曲が多かったようで
それもまったく残念至極でした。
ヤスジソムリエしょにょ4
さて「データダウンロード」で読む
ヤスジ全集、
自分でもヤスジ本「日本一」のコレクターを自称し、
過去に流通出版されたけどいまはもうどこにも売ってない
大量の「紙書籍」を所有してるんだけど、
それでも「初見」のエピソードが今回やはり
たくさんあった。
そうゆうのを読むと
ほんとに感涙ものなわけだ。

で今回は
アギャキャーマン
全集第九巻の
37~44p所収の
「ペタシと釣り師」

「そゆの大嫌い」の巻である。

定番キャラ「ペタシ」は
全裸にタオル一枚
で現れる
「落ちぶれた高学歴」風のオヤジで
浜辺で「ペタシと釣り師がからむ」
ってのは
かなりたくさんのパターンがある。
でこのパターンの場合は
大体毎度毎度
「ペタシと釣り師は初対面」な設定である。

今回とりあげたエピソードは
「初対面」という「状況設定」を極限まで活かしきり、
とにかくお互い相手の言葉尻やらリアクションの仕方やらを
ことごとくあげつらって
「そゆの大嫌い」とひたすら応酬しあう
ってだけの
単純明快な展開なんだけど
これがまた抱腹絶倒必至!
みたいなw

ペタシが釣り師に
「釣れてますか?」
と尋ねれば
釣り師が
そんなこた私の勝手じゃないですか
そゆの大嫌い!
と言い、
釣り師がペタシに
どちらからお越しですか?
と聞けば
そんなこたあどうだっていいじゃないですか
そゆの大嫌い!
と言う。
そんなのが延々と繰り返されてるうちに・・・
みたいなそんな話です。

実になんの生産性もない
くだらない話なんだけど
やっぱりこの面白さは
他では味わえないんすよねえ。

学者的な言い回しを使えば
これは
人間のさけがたい
「コミュニケーション不全」を
スルドク描いた作品なのだ!
みたいなことも言えなくはないんでしょうけど、
そんな小難しいことを考える前に
「そゆの大嫌い!」の
理不尽なまでの応酬に
ただただ笑ってしまう
みたいな。

これでもほんと
最近「オープンマイク」開催してるお店も増えて
加速度的にいろいろなお店に「出演」するようになって
その都度それこそ「初対面」のミュージシャンの方と
お会いすることが増えて
「ファーストコンタクト」の会話
みたいな機会もどんどん増えるんですけど
そうゆうときの「緊張感」ってのを
如実に表しているような気がするんですよ。

初対面だと
「どこまでシャレが通じるのか?」
「何が相手の琴線に触れるのか?」
とかわかりませんもんねw

そんなわけで
「ペタシと釣り師のそゆの大嫌い」
ミュージシャン必読の神回
に認定いたしますw

アメリカわけわからないっす。
ってことで
大統領選面白いですね。
いやほんとは
全然「対岸の火事」じゃなくて
結果によったら
「日米外交」とか「安全保障」とか
ものすごい「様変わり」する可能性もあるわけで
「面白がってる」場合じゃないかもしれません。
なんだけど
まあ人生「笑って」過ごすほうが
ナンボかお得なきがするし、と。

ここでは無党派層であることを
しつこく何度も説明してますが
それはべつに
政治に完全に無関心
ってことじゃなくて
「ネタとしての政治」は
面白いと思います。

高校生の頃とか
都知事選の泡沫候補が
ものすごく「充実」してたんで
「政見放送」見るの楽しみでしたしw

なにしろ「ノーカット、無編集」が基本ですから
この世で一番面白いTV番組は
「泡沫候補の政見放送」を置いて他にない
って真面目に感じてましたね。

東郷健とか赤尾敏とか
「役者」が揃ってたし。

その頃に比べると
「泡沫候補」もかなり小粒になってきたかなあ。

でその「都知事選泡沫候補充実時代」から
30年くらいたって
「超先進国」のアメリカの大統領選で
おいおい都知事選の泡沫候補か?
的な色合いな感じのキャラクター達が
大活躍!
ですもんね。
ほんとに世の中一寸先は闇というか
まあ
世の中ってのはとにかく「変わる」ものだ
ということを痛感させられまくりなわけです。

考えてみりゃ
ベルリンの壁
とか
ソ連
とか
実にあっさりなくなったなあ
みたいな。

で、最近よく見る
スカパーのニュースザップで
モーリーが
サンダースの若者の支持率が高いのは
若者がソ連を知らないから
ってゆうようなことを言ってて
ああ、なるほど
って思ったんだけど
逆に
アメリカって「インテリ層」の若者でも
地理歴史に弱いの?
どうゆう教育してるの?
とゆう疑問も覚えましたよ。
ツイッターでもつぶやきましたが。

自分の場合は
「思春期」が
バリバリの「冷戦期」に被ってますんで
そのへんはやはり「世代間ギャップ」とかあるのかな。

よくわかりませんね。
日本の場合は。

少なくとも「サンダース支持層並みの若者のうねり」
とか起きてないし、
起こそうとしてたような「気配」は
ありましたけど「不発」のようだし、
ま、それに関しては「無党派層」としては
特になんの感想もコメントもございません。

ちょっと前に
「日本はアメリカの周回10年遅れのフォロワー
ってかつてはよく言われてたけど
いまは世界が混沌としてるので
意外とそうでもないかも」
みたいなことを書きましたが
「リアリティーショー」の仕切り
経験済みの
「TVタレント」
でもあるトランプの勢いがここまで強いってのも
なかなかに凄いことで
トランプ大統領と北野武首相の日米首脳会談
とか実現したら
あ、やっぱし日本はアメリカのフォロワーだったのか!?
って思ってしまうかもw

だってこれ
「絶対にありえない」
とか
誰も
断言できないでしょう。
こうなってくると。
「演出」はどの程度まで許されるのか。
なんというのか、
またパチンコを引き合いに出して
恐縮なんすけど、
「リーチ!」ってなって
エヴァだったら
ゲンドウが訳知り顔でなにかつぶやいて
アスカの暗い過去や
シンジの中二的性衝動等が描かれ
そうかと思うとミサトさんが
やたらと前向きなことを言ったりして
とかが次々と液晶画面にあらわれ
結局「当たり」じゃなかったりすると
イライラするし
この数分間はいったいなんだったんだ?
という虚無感に襲われるし
逆に「次」の長いリーチ
は「当たる」んじゃないか?
と根拠のない自信が芽生えたりするのであって
そこらへんがパチンコの
魔力なんだろうけど
わたしは
「糞長いリーチ演出」は
業界の「自殺行為」だとシンプルに考える。

だってその間
プレイヤーは玉の打ち出しを止めて
画面に見入る
わけだから
どう考えても「売上」減にしかならない。

馬鹿じゃないの?
とおもってしまいますよ。

他分野だと
高校サッカーとかバレーボールの
ベンチや控室の様子
をリアルタイムで垂れ流す
あれ。
そんなことやってる暇あったら
ビッグデータで
選手の動きの傾向なんかを
冷静に伝えりゃいいのに
って思いますね。

全然いらないでしょう。

「感動話」なんかどうでもいいんで
純粋にスポーツを伝えろよ!
と。

ほんとそこいらあたり
日テレやフジは酷いテレビ局だと
常々思いますねw

あと不愉快なのは
地上波のワイドショーでよくある
「ワイプ」ってゆうあの小画面ですね。

あれまったくの無駄だと思いますよ。

人間が本来もつべき
「ここぞの集中力」をそぐだけですもの。

特にイケメンでもない
「ミヤネ屋」の宮根の
したり顔のワイプ画面なんて
ほとんど「公害」でしょう。
あんなもの。

今日明日で
やめて欲しいです。

いやほんと真面目な話。

美男美女であっても
ウザいしw

そうゆう技術は
「軍事」部門だけに
応用してください
としか言いようがないですね。

そんなこんなで
いろいろ言ってきましたが
私もシンガーソングライターとして
「ステージ」に100回以上立ってきましたので
「演出」することすべてが悪いとか無駄だ
とか言い立てるつもりもございません。

どの程度なら
「丁度いい」
のか?
ってゆう正解は
やっぱりわからないです。

私は
JAZZ風な曲も
フォーク風な曲も
やるので
ステージ上で「しゃべる」ことに関しては
実に「あいまい」な態度でして
ま、「無言」よりは
多少なりともしゃべったほうが
お客様も和むだろうし
自分も落ち着くので
マイペースでやっております。
すくなくとも
「絶対にしゃべらない」
ってゆうスタンスではないですね。

ただその
大晦日から元旦の風物詩
「さだまさし」
のようになりたい
とも思わない
と。

それが普通の
「庶民感覚」
なのではないでしょうかw
一応大丈夫なネタで釘問題に切り込もう。
ま、その
「釘」は劣化して
折れるわけです。
パチンコの。
場合によって。

あの人気機種
「海物語」シリーズなんかは
いわゆるスタートチャッカーというかヘソというか
一番折れてはいけないところが実はけっこう
折れるわけです。

ま、それだけ
「稼働」が激しかった
ということでしょう。

で、一応
「行政上」の手続きとしては
「釘折れました」
つって
所轄の生安課に届け出て
台を「整備中」にして
稼働停止にして
新台入れ替え
のタイミングまでに
その台の釘を打ちなおしておいて
チェックをうけて
お墨付きを得たら
晴れて「再稼働」となるわけです。

海物語に関しては
そうゆう手続きが頻発して
とても面倒だった記憶があるわけです。

基本パチンコ台
って
べニア板に
真鍮の「釘」が打ちこまれて
できあがってるわけですが
※あくまで個人の感想です※
なんだけど
海物語とパチスロ4号機が「ピーク」だった
いわゆる「パチンコバブル」絶頂の時って
粗製乱造だったんじゃないか?
疑惑があるんですよね。

なんで、
一番折れちゃいけない場所の
釘が折れるの?
みたいな。

で、細部は申しませんけど
「海物語」の釘を打ちなおす時に
痛感したのは
べニア板の木目があらすぎて
とても打ち直しにくい、
と。
いやほんとマジで。

なわけで
パチンコ業界の衰退に関しては
「一週間一回は新台入れ替えをする」
ってゆう
アホでよくばりな習慣を作った
メーカー側にすべて責任があると思いますよ。
ほんとに馬鹿ですね。
とっくに「トップ確定」してるのに
おりずに役満狙う!
みたいなw

パチンコパチスローメーカー

グローバル企業
の似ているところは
そこらへんだと思います。

ま、いまは
そんな「馬鹿」は相手にしなくても
どうやら生きていけそうなんで
それはそれでいいことなのではないでしょうかw

やはり「のんびり物語」は凄い
ということで、
谷岡漫画の「アナーキー」な破壊力は
どちらかというと
マイナーな雑誌で
自由奔放に書きまくっていたから
生まれたものだ
ってのも
確かにそうなんだろうと思うんだけど
最晩年の
メジャーな
「モーニング」で
しかも連載してて
それも「カラー」使用だった
のんびり物語
は凄いっす。

「全話」神回!
といっても大げさじゃないですね。

以前にも書きましたが
「のんびり物語」は
終始一貫
「父と子」がテーマで
エピソード毎に
「泣き」だったり「笑い」だったり
「ドライ」だったり「ウェット」だったり
そのあたりが
その都度の感覚で
自由に描かれているのがとても良いのです。

以前なにかで投稿したときに
のんびり物語
は「妻」の存在が希薄な
「父子」の物語
だと書いたような気がするんですけど
今回読み直してみたら
「妻」の存在
わりかし全般的に重要じゃん!
ってことに否が応でも気づきましたw

「クジラ」の父と子
「馬」の父と子
の巻や
それから「河馬」の父と子の巻は
そのへんの「人情の機微」が
とても繊細に表現されてて
泣きそうになりましたよ。
JAZZは広いな楽しいな
ということで昨晩は
「本番」がいつ
というあてもなく集まった
セッションに2度目の参加。
シンガーソングライター4名、
サックス奏者1名、
ドラマー1名、
のうち
半分3名はJAZZ初心者
残り半分は
私も含め学生時代JAZZ経験者、
ということで
手探り感覚で
枯葉等の「どスタンダード」を
たどたどしくやったんだけど
やっぱり面白いですね。
JAZZ。
私なんぞがいまさら言うのも
そりゃまあおこがましいのは重々承知しておりますw

学生時代はビックバンドでトロンボーンやって
併行してコンボ遊びの時にピアノもやって
って感じだったんだけど
中高ユーフォだったのを
トロンボーンに代えて
ビックバンドに入るんだ!
って思ったきっかけは
ギルエヴァンスを聞いたのと
あともひとつデカかったのは
渡辺香津美の「KYRYN」の向井滋春ですね。
若気の至りってやつで
入部したての頃は
ジャズトロンボーン奏者になるんだ!
って思ってましたよ。
中高ユーフォはそこそこ吹けてたし、
根拠のない自信みたいなのありましたw

で以前にも書いたと思うんですけど
「音色」はそれなりに作れたんだけど、
やはり肝心の「タンギング」の技術が
どうにもこうにも「プロ並み」になれない
ってことに気づき
谷啓への道
はあきらめた
って流れですねw

そこに特に深い考えはなかったです。

で、就職して
しばらくJAZZどころか
音楽自体から遠ざかったのも
ただ単に「パチンコ三昧」だったからで
深い考えはなく
で何故か
「シンガーソングライター」として
活動し始めたのは
「パチンコに使う時間を減らさねば」
ってのと
「なんだかササーッと歌が出来た」
ってゆう2点のみで
これまた深い考えはなかったのでした。

一人で自作自演だけやってると
色々な労力が省けるので
楽といえば楽だし
「自分のやりたい表現」ってのに
集中できる
というメリットがあって
それこそほんと学生時代にやってたJAZZなんて
あんな面倒なことはもうあまりやりたくない
とすら思い込んでいたフシもありましたよ。
スタンダードジャズのナンバーを
なんの工夫もアレンジもなく
フォーバースなんかもいれて
どストレートにやる
なんてそんな糞面白くもないこと
やってられるか!?とかね。

で久しぶりに
普通に「どスタンダード」をやる
ってことで判った
JAZZのすばらしさは
みもふたもない
あられもない
ことなんすけど
こ、これは「ボケ防止」に最適ではないか?
と。
いやほんとマジでw

学生時代に
理屈っぽい教え魔的な先輩に
古ぼけたJAZZ喫茶に連れて行かれ
店内のデカいスピーカーで
大音量で鳴る様々なナンバーを聴きながら
各奏者の「ソロ」になると
「コーラスの頭でテーブル叩け」
と「指導」された日々が甦りましたよw

自分では合ってるつもりでテーブル叩いても、
「繰り返し記号」を加味してカウントしてないと
「そこじゃない!」って言われたりとかw

とにもかくにも
なんだかんだで
人間「数字」とか「計算」って要素は
常々忘れないようにしたほうがいい
ってことに気づきました。
麻雀なんかもまたやりたいなあw

あ、もちろん
当然
エモーショナルな部分もJAZZには必要ですよ。

よくわからないフォローもいれつつ
終わります。
ヤスジソムリエしょにょ2
タイトルもヤスジ風にしてみた。
ちなみに前回投稿を
「しょにょ1」に変えるつもりはない。

今回とりあげるのは
全集第六巻アギャキャーマンの
81p~88p所収の
「アオの狸寝入り」の回だ。

話としては
馬のアオが狸寝入りをしていたら・・・
ってだけのことであって
これを読んだからといって
クッキングパパやこち亀のように
なにかの「薀蓄」が増すわけではなく
とにかく己の人生の何かの役にはまったく立たない。

そこがヤスジ漫画の醍醐味なのである。

働き疲れた脳みそを
「シュワーッチ」
するのが
ヤスジ漫画なのだ!
とご本人も言ってたような気がする。

ということで、
「村(ソン)」は
ワンパターンなようで
意外とワンパターンではなく
変幻自在だ
ということに着目してみよう。

「村(ソン)」に限らず
メッタメタガキ道講座から
一貫してるのは
「連続性」がない
ってことである。

よくいわれてることだが
この前死んだやつが
平然とまた生きて活躍する
ってのが
ヤスジワールドなわけだ。

つまり死が軽い扱いなのだ。

というか
「設定」という概念が
とても「軽い」のである。

サザエさんでいったら
ちゃぶだい囲んだ
各人物の座り位置
みたいなものは
揺らがないようにできている。

しかしヤスジは違う。

「村(ソン)」の」風景、
地平線があって雲があって太陽があって
一本道があって
遠目の「タゴ」が見えて、
となれば
大概手前の一本木とその土手では
牛の「タロ」がキセルをふかしているはずなのだが
今回の「アオの狸寝入り」の巻では
その「タロ」がいるべき場所に
平然と「アオ」が寝転がっており、
結局「タロ」は一切出てこない。

それでも成り立つところが
ヤスジ漫画の「自由」さなのだ。

村(ソン)のアイドル花っぺ

性格が
その都度全然違う。

つまり
「性」に積極的なのか
消極的なのか
で真逆に描かれたりする。

ということで
「論理的整合性」
みたいなものを
一貫して
「完全無視」
なのが
ヤスジワールドの醍醐味なのである。

しかし
そこに描かれたものは
実に「繊細」なのだ。

ストーリー

ほぼない。

しかしこの世界感
他には絶対ない!

というのを
「狸寝入りしているアオ」を
いじる「タゴ」の姿で味わって欲しい。

これはアメリカの
ドタバタアニメ
にもない世界だと思う。
ビッグネームが次々と
お亡くなりになる世の中。

モーリスホワイト氏に合掌。

これはもう自然の流れなので
それ以上深く何かを語るつもりはなく、
前向きな話をすると、
EW&F
とか
あとシカゴとか
そうゆう「大所帯」の
ビッグネームなバンドとかグループって
落語とか歌舞伎みたいに
「屋号」残して
孫からひ孫の代までずーっと
続いていく
ってことでいいんじゃないでしょうかね。
「興業」を続ける
って意味で。

著作権その他諸々
いろいろな問題あるんでしょうけど
「人類共有の財産」ってことで。

さて谷岡作品の肝は
私が考えるに
やはり「村(ソン)」が中心の
アギャキャーマン
とか
ベロベーマン
だと思うわけだ。

ってことで
「谷岡ヤスジソムリエ」
第一回は
全集の第六巻
アギャキャーマンの
97p~104p所収の
ペタシ「蟹」になる
の回だ。

全裸にタオル
の「ペタシ」は
いわゆる定番キャラなんだけど
この回が発表された頃は
べつにペタシなんていう「呼称」も
なかったような気がする。
パチンコやパチスロの「機種名」なんて
誰も気にしてなくて
「これ」とか「あれ」とか
言ってた時代だったし。

いきなり浜辺で
「なんで私は蟹になったんだろう?」
とかいって「人間」なのに
頭の横からはさみ出て胴体ほぼナシ!
ってところから始まるわけだ。

で「回想」シーンにいって
あれこれやって
ああだこうだとなって
オチに至る
みたいな。

そんなわけで
谷岡ワールド
意外に「蟹」は
重要なタームな気がする。
谷岡ヤスジ関連の基礎データは
こちらのサイトに依拠しております。
http://sokuyomi.jp/product/collective/taniokayas_001/CO/0/?
とりいそぎ以上です。
気づかぬうちに出てた「全集」
を、
概ね「ダウンロード」データで
チェックしたので
しばらく御無沙汰だった
この「谷岡ヤスジ関連」カテゴリーの投稿も
再度活性化させていこう、と思う。

さてまず、
何故普通の書籍という形態ではなく、
「データ」や
紙にしても「プリントオンデマンド」という
ややこしくてしかも価格設定高め
な販売方法にしたのか?
というのを
市井の一マニアだけど部外者
って立場で考えてみよう。

まず第一に
爆発的に売れる
土壌がいまの日本にはない
ってのは間違いない。

というのも
谷岡漫画には
昨今のトレンドである
BL要素
萌え要素
オタク要素

全くない
とは言えないにせよ
あまりにも独自な作風なので
幅広い層を拾って掬うような
マーケティング的小細工は一切ないし、
おそ松さん
のように「後付け」で
どうにかなる世界でもない。

で、エログロナンセンス
の要素も時にかなり
ドギツイので
児童生徒のみなさまにも
安心してお届けできます
というわけにはいかない。
いまの安心安全重視の世の中では。

谷岡漫画の場合のエロは
「性描写」
というよりは
ほとんど
「性器描写」
なので
どっちにしても
いまも昔も
大手をふって表通りを歩く
という類のものでもないし。

なにしろ
公式サイト
でも
キャラクター紹介の数少ないしw

マニア的観点で言えば、
「チクリ先生」とか
「診察トン」とか
「チュバチュバ隊」とか
なんで出してあげないの?
全部「バター犬」に背負わせて終わりなの?
みたいなw
じゃなんで「バター犬」だけは
許されてるの?
みたいなw
あと「押しかけ女房の豚のマリーナ」
も紹介してあげて!
みたいなw

ということで
ネタは浜辺の砂の数どころじゃなく
たくさんあるので
今後このカテゴリー
「谷岡ヤスジソムリエ」
として
どんどん書いていきますので
お暇でしたらお付き合いください。
清原の思いで
というか、
まず思い浮かんだのは
つい最近やってた「名球会」のチャリティー試合で
右に左に打ち分けてマルチ安打してた姿。
さすがにいまだに野球上手いじゃん!
みたいな。

で、札幌以外の
ほぼ全球団の本拠地も巡ったし
かつては12球団オールOKの姿勢で観戦してたし、
少なく見積もっても200回以上は
プロ野球生観戦の経験がある自分として
「生清原」の思い出を探ろうとするんだけど、
意外と出てこない。
生涯525本のうち「現場」で見た記憶があるのは、
あの10・12「ブライアントの4打数連続本塁打」が出た
伝説のダブルヘッダーの第二試合の終盤
(私は仕事の都合でブライアント弾は見れず、
第二試合の途中に現地に駆けつけたのでした)
ほぼ大差で試合の趨勢が決していたところで、
清原らしく
右中間に打ち込んだ一発
のみ
なんですよね。

巨人時代、
私はどちらかというと
「松井の一発」目当てで
東京ドームにはわりとよく行ってました。

でその
松井&清原同時在籍時代に
よく「清原には松井にはない華がある」
みたいな論調で持ち上げられてた記憶があります。
そう言われればそうかもしれないんだけど、
なにかちょっと疑問だな、と。

簡単な話、
「せっかく球場に行ってもその場にいないじゃん!」
ってゆうことなんですよ。

大選手なんだけど
「怪我で欠場」が多過ぎた
ということですね。

TV画面を通した
「思いで」ってなるとそりゃまあ
あれだけの選手ですから
「すごい打球だなあ」ってのはたくさんありますけどね。
イーグルスの試合が終わって
スカパーザッピングしていて
たまたま見たオリックスー横浜戦の
逆転サヨナラ満塁ホームランは
やはり鳥肌ものでしたし、
あと10・19のあとの
中日ー西武の日本シリーズ、
名古屋で打った「場外ホームラン」とかね。

ま、たまたま
私が球場に行ったときに
「清原はいない」
「清原の一発はなかった」
ってだけのことなんでしょうけど、
いろいろな意味で
もったいなさすぎる選手でした、
としか言い様がないです。
いやほんとに
老若男女、有名無名を問わず
皆々様が異口同音にのべる
ごくありきたりな
そんな感想しか出てきませんねえ。

同じく覚醒剤で服役した江夏豊氏は
細々とでも野球に関わる仕事やってますし、
時間をかけてでも更生して欲しいものです。
ライブお疲れ様でした。
花粉メガネと老眼鏡併用でYaYa さんライブ終了。花粉とは関係なく最後のほう鼻水出てしまいました。カナさん勝田さん出海さんマスターお疲れ様でした。楽しく過ごせました。カナさんがギター弾き語りでその後3名連続「男のピアノ弾き語り」という異色のラインナップ。四者四様で楽しかったです。機会が合えばまたよろしくお願いします。
ってこtで本日恵比須
最近、不真面目で自堕落な歌詞の曲しか
作ってなかったんで
ロマンチックでメロウでラブアフェアな
新しいオリジナル
なんとか間に合わせようかと思ってたんだけど
断念しましたw
結局「谷岡ヤスジ」精神でいきますw
久々に「村(ソン)のブルース」やります。
この曲は
将来CD作ったとしても収録しませんし、
youtube公開の予定もございません。
秘曲扱いとしております。
ではお近くの方は是非
bar YaYA ebisuさんまで。