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全力リラックス!辻タダオ
おぐまゆきとのユニット「中前適時打」メンバー辻タダオのブログ。生涯一東北楽天ファン。中前適時打は2016年4月結成。
マウンティングマウンティングヤッホーヤッホー
私はことあるごとに、
ネット上においては
ノンポリ無党派層であることを
明言してきたし
また一歩突っ込んで
非グローバリズム
非新自由主義
的な立場であるとも表明した。
で、それは「積極的選択」であるとも言った。
ものは言い様
ってのを援用すると
「ノンポリ無党派」を名乗るってことは
「全方位的に反抗的で
そうやすやすと他人のフォロワーには
ならない強い意思の持ち主」
だとも言える。
なんだかカッコいい感じではないか。
裏をかえせば
「すべてのことについてめんどい
と思ってる」だけなのかもしれないのにw

で、今日の引用ネタは
「外国では…」 とにかく気持ちいい“出羽守説法”の万能感
ってゆう中川淳一郎の記事。

ほとんど100%納得の内容。
とだけ言っといて
あとはいろいろ自分の思うところを。

で、まず
「日本語読解力」の点で念押ししておくけど
この記事で批判というか
まあ「揶揄」の対象になってるのが
共産党の女性議員なんだけど
書き手の中川淳一郎が
特別に「極右の反共主義者」でないように、
私も「極右の反共主義者」ではない。
あくまで「ノンポリ無党派」の
「反」ではなく
「非」グローバリストである。
そこのところは勘違いのないように。
で、それについても
「ノンポリって言っておけば得られる
とにかく気持ちいい日和見説法の万能感」
ってゆうような批判や揶揄の対象になっても
まあおかしくはないだろうなあ
ってのも承知のうえでやってる
とだけ言っておく。

で、この記事や
この記事に対するコメントでも
「出羽守説法」が内包する
「マウンティング感」についても触れられてるので
まずは自分の個人的体験から
「ぼくがかんじたマウンティング」の例をば。

もうねこれはなにをおいても
前職「パチンコホール業界」在職時の
「元マルOン中途採用者」のマウンティングぶりの
超絶物凄ことといったりゃありゃしない
そりゃもう大騒ぎさ
の件。
これに尽きる。
これ一択と言ってよい。
いま冷静に考えれば
「元マルOンだからどうしたっての?
それが何?」
なんだけど
当時は「飛ぶ鳥落とすどころか
死んだ魚も生き返らせる勢い」の
まさに「天下のマルOン」だったので
中くらいだったり小さかったりするホール業者は
「元マルOン」キャリアの者を
こぞってありがたがって採用しまくった
ってゆう哀しい歴史もあるわけだ。

で、結果としては
来るもの来るものことごとく
「マウンティングマウンティングヤッホーヤッホー」
状態であり
既存の現場の者どもと齟齬をきたしまくって
わりかし短い期間で去っていく
ってなケースが多々あり
業界内中途採用市場において
「元マルOン必ずしも万能ならず」という空気が
流れるようになったのである。
ま、「マルOンであればなんでもかんでも
ありがたがっていた」という
「異常」な状態が
正常化しただけ
とも言える。

ってことで
「互助会」が付与する
八百長的な「権威づけ」的コピーライティング
みたいなもんは
最早通用しないわけだ。
「ほぼ日」の糸井重里まわりも
大木運び
で炎上する世の中なわけだ。

こうゆう現象を見るにつけ
私のようにはっきり「表明」しないだけで
全方位的に反抗的
というよりは
「懐疑的」な姿勢を取り得る
積極的無党派層は
確実にしかもかなりなペースで
増えているのだと思われる。

安倍さんはそう言う
しかしそこは違うと思う。
が、まあそこはなんとなく賛同する。

志位さんはそう言う
しかしそこは違うと思う。
が、まあそこはなんとなく賛同する。

糸井さんはそう言う
しかしそこは違うと思う。
が、まあそこはなんとなく賛同する。

って考えるのが
あたりまえで
普通の大人でしょ
ってことだ。

ということで今後
これまでは
あまり批判の対象になってこなかった
「大御所」もどんどん矢面に立たされることに
なるんじゃないかな、と思う。

で、それは
「世の中がギスギス」しはじめた
ってゆう
「悲しい」事態ではなく
ただの「正常化」である。

これまで
「面白い」「素晴らしい」
とされてきたものは
ほんとに面白いのか素晴らしいのか?
ってな疑問がどんどん表明されるようになるわけだ。
互助会のフタがはずれまくって。

繰り返すが
これは
ただの「正常化」である。

なぜわたしはしつこく
そう主張するのか?

これについてもまた
自分個人に引き寄せて述べようではないか。

いま現在はまた
「立場」を微妙に変えているかもしれないのだが
私は実の親がそれぞれ
いまの政治勢力図に置き換えて例えるなら
「自公」側と「立民&共?」側に
思想信条的に真っ二つに分かれ
実生活においても別れた
とおおざっぱにいえば
そんなような時期がかつてあって
さらにその両方の「居場所」を
行き来していたこともあったのだ。

以前にも多少触れたかもしれないが、
結局その際
「思想信条的」に
自分はどっちの側にもつかなかった
ということである。
ただ単純にそれだけ。

で、そこには
哀しいとか悲しいとか嘆かわしいとか
その逆の
面白い素晴らしい望ましい
とか
そういった一切合切のエモーショナルな要素皆無
であった。

右には右の良さも悪さもあるね。
左には左の良さも悪さもあるね。
そして自分は
どっちの「兵隊」にもなりません。
ってだけなのだ。

考えても欲しい。
あなたがその立場になったら
どうする?と。(朝日新聞調)

ということで
酒席とかで
こうゆう「身の上話」は
嫌がる人もけっこういるし
それをさらにネットで書くのは
さらにさらに嫌う人も
いるんだろうけど
自分の場合はある程度そのへん
書いておかないと、
自分で「説明」をするときに
自分も「納得」出来ないし
読む人も「納得」しないだろう
と思うので、
細かい個人情報は省いたうえで
おおざっぱには書くようにする
という方針でやっているのだ。

なんというか
「自公側」
「立民&共?側」(?なのはまあ多分「合流」はしないだろうってこと)
どっちの「身内感覚」も
そこそこ知っちゃってるんで
あーはいはいそうですか
ってならざるを得ない。

ってことで
最近は右の互助会にも左の互助会にも
どっちにも入っていないように見える
モーリーロバートソンとか小谷野敦とか
そうゆう言論人というか文化人の文章を
積極的に読むことが多いんだけど
べつにそうゆう人達の言う事を
ありがたく拝聴する空気が生まれる前から
「右も左も関係ない!!」って動きは
一般市民の間から「自然発生的」に湧き上がっていた。
そうそれがあの
「プロ野球1リーグ10球団化」に反対する
「市民運動」である。
日本で唯一成功した市民運動だ
とすら言いきれる。
だが、
モーリーロバートソンも小谷野敦も
野球は好きではないようだし
というか
インテリ、文化人関係
野球嫌いの人が多いのは間違いない。
それは
あの時「ナベツネ批判」した文化人がほとんど全然
存在していなかった
ことでわかる。

がしかし
べつにそれも特に嘆かわしいってほどの
ことでもあるまい。

インテリや文化人は
互助会や権威の庇護のなかで
生きていたし
いまでもそれはほとんど
変らないけど
一般市民にしてみりゃ
「ナベツネ」なにそれ?
業界の権威?
芸能界のドン?
そんなの知らんもーん
ってゆう
広大な「宇宙船地球号」(リベラル調)
のなかの
「悲喜劇」の一幕である
と思えば
なんてことはない。

大体ぐるっとまわって
いまでは
ナベツネよりは
ホリエモンのほうを
「みんなが知ってる」状態ではないか。

歳をとってよいのは
こうゆう「栄光盛衰」的な
「悲喜劇」をシミジミ味わえる
ってことだなあ
と最近つくづく感じる。
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