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全力リラックス!辻タダオ
おぐまゆきとのユニット「中前適時打」メンバー辻タダオのブログ。生涯一東北楽天ファン。中前適時打は2016年4月結成。
「ごく普通」とは何か深く考えさせられる。
この
ごく普通の家庭から世界レベルの「10代ゴルフ選手」が育った理由
という記事のタイトルそのものに使われてる
「ごく普通の家庭」ってゆうその語句から
あれやこれやいろいろ考えさせられた件について書く。
なのでゴルフそのものとか畑岡選手の人となり、とか
についてはほとんど触れないのであしからず。
ここで言おうとするのはただ単に
「常套句」は
はたして「常套句」として機能し得るのか?
ってこと。
この「ごく普通の家庭」のような言葉とか。

記事をそんなに長く読み進まないうちの
早い段階で畑岡選手の家庭について
「ご近所の人談」という形式で説明的に記されている。
それによれば
畑岡選手視点からの「家庭」の概況は、
①実家は茨城県郊外の田園地帯で母方祖父母宅と
畑岡宅の2棟が建っている。
②祖父は元公務員。(記事文中では「役所勤め」)
③父は家具販売の現役会社員で学生時代
「陸上部」で走り高跳びの選手。
④母は「元ゴルフ場従業員」でいまは専業主婦(かも)
となっていて、
わたくし思いますに
④がある時点で全然「ごく普通の家庭」じゃないじゃん!
と。
いやほんと。
確率論で言っても。

大雑把に均して
「普通」な点を言うのなら
①祖父母世代は公務員として生計を立てた。
②父母世代は会社員として生計を立てている。
の2点。
ま、これは日本国中全国津々浦々
よくあるパターンの家族構成ではあるだろう。
しかし「ごく普通」って言い切るんであれば
職種その他細部も追わないと、
わたしのように「え?それって普通なの?」って
感じる者多数なんじゃないのか?
「役所勤め」ったって
役所にもいろいろあるし。
会社員といってこの場合は「家具販売」なので
ものすごく「変わった」印象は受けないけど
人生いろいろなように
会社も「いろいろ」なのではないのか?
で記事の書き方としては
シレーっと流れてるけど、
母親が従事していたという
「ゴルフ場勤務」の経験者って
日本の給与所得者、元給与所得者全員の総数から
割り出したら、かなりの「少数派」だと思う。
少なくとも自分の「親戚筋」にはいない。
さらに言えば子息に「ゴルフを指導」する母親、
というか「指導できる母親」もいまだ会ったことはない。
さらにさらにいえば父親の「元陸上部員」ってゆう過去も
元文化系部活所属員である自分からすれば
まったくもって「別世界」だったりするし。

つまりこの記事というのは
読めば読むほどに
「表題との矛盾」が加速度的に噴出しまくる仕掛けに
期せずしてなっているのだ。

筆者は表題に「ごく普通の家庭」という
一見ありふれたような語句を
忍ばせることによって
「はきだめにつる」的な
ストーリー展開を意図したのかもしれないが
結果的に第三者からしてみると
そうはなっていない
ってゆうね。

だってどう考えても
アスリート家系の
しかもゴルフ環境至近の
「ゴルフエリート」まっしぐら人生
以外のなにものでもないじゃないですか。
この畑岡選手ストーリー。

「ごく普通の家庭」とかいう
語句で
庶民性とか平民性とか
まあ「ぼくたちあたしたちと
そんなにかわらない」のに
こうして立派な人も~~
というニュアンスをだそうってゆうこのやり口は
どうにもこうにもあんまり好きじゃないんですよ。
ゴルフや畑岡選手が「好きじゃない」のではなく、
この「記事の書き方」が好きじゃない
ってことですからね。
しつこく念押しますけど。
ま、記事の書き方というより
ほとんど表題の付け方
ってことかなあ。

ま、ようは
美談でもないのに美談にする
苦労話でもないのに苦労話にする
ってゆう
「盛る」っていう行為かな。
これは。

で結果的に「盛る」効果は出てない、と。

で、話は極私的な領域に飛びますけど
中前適時打結成後全国各地に行き、
元々やってた首都圏も含めて
「ライブ本数」増えて
「出会い」も増える。
そして自然のながれで
時に「初めてあった人」の「境遇」やら
「身の上話」やらを聞くこともある。
もちろん大多数は弾き語りやったりユニットやったり
バンドやったり企画やったりお店やったり
ってゆう「音楽関係者」ですよ。
で「音楽関係者」ってのも
その他の分野の「関係者」からすれば
十分「特異」に見えるでしょう。
その「特異」に見える狭い世界のなかでも
「境遇」はもうそれこそバラバラで人それぞれで
一定の傾向ってのは見いだせない。

いったいぜんたい
「ごく普通の家庭」ってなんなんだ?
ってことですよ。

そんなの最初からなかったんじゃないか疑惑
ですよ。
これはw

なので本人たちが
自分たちは普通と思って
何食わぬ顔して暮らして
それで幸せならばいいんじゃないでしょうかね。
他人がとやかく言う事じゃないですよ。

てなこと思いつつ
「沙知代さん死去」の報を受けて
想像以上になにか得体のしれない
喪失感を覚えている自分を発見した
きょうこの頃なのでした。
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