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全力リラックス!辻タダオ
おぐまゆきとのユニット「中前適時打」メンバー辻タダオのブログ。生涯一東北楽天ファン。中前適時打は2016年4月結成。
わかりやすく例えても結局わからない件。
ということで、
昨日は盟友saxのdellaさんが出演するという
ジャズ系インストバンドのライブを見に三茶に行った。
最近三茶に行くのは大概、誰かのライブを見に行く
ってゆうケースがほとんど。
でそれもメンバーの多い大所帯のバンドが
複数出るという企画系がほとんど。
そのたびにぎやかで楽しそうだなあ
と羨ましく思いつつ、いつも一人か二人多くても三人
くらいで活動している自分を振り返り、
よしおれも少ない人数でもにぎわい出していくぞ、
と自分にはっぱをかける
というパターン。
ってことで三茶、三軒茶屋には
生涯通じて「回数」はそこそこ訪れているのだが
その「地理」がなかなか体得できない
という「覚えられない」話に移行する。
音楽の話とはズレる。

覚えなきゃいけない
覚えておいた方が得
なのに
覚えられない理由の
まずひとつめは
単純に「覚えたくない」
「覚える気がない」ってのがあるだろう。
それはまあ「自分」の側に責任がある話だ。

で、「覚える」対象の方に問題がある場合も
あるのではないか、とも考える。
なんでもかんでも
「覚えられない自分が悪いのです
しょせん自分は無能な人間です
生まれてきてすみませんでした」
と卑屈になってたらキリがないし
そのうちほんとに死にたくなってしまうかもしれないので
時には「他責」にしてみるのも
厳しい世の中生き抜いていくためには
必要な知恵ではなかろうか。

で、三軒茶屋である。

世田谷線でも田園都市線でも
改札抜けて駅敷地外に立った瞬間に
毎度毎度「方向感覚」失うのは
こりゃもう「三軒茶屋」という名前が原因だと
考えてほぼ間違いあるまい。
「三軒の茶屋はどこだ?」
と周囲見渡しても
それらしきものが見当たらないのだ。
ここで期待を裏切られるわけだ。
さきに行ってた熊さん八つぁんやら
御隠居やら若旦那やらが待っていそうな
茶屋が見当たらず右往左往せざるを得ない。
往来の激しい「一本道」の両側の右か左に
茶屋が三軒ある、という造作ではないのだ。
なんじゃこりゃ?
って話である。

人類はものを覚えるために
「なにかにたとえる」という技をもっている。

で、三軒茶屋だ。
ここでむりやり「たとえる」の技を持ち出すとするなら
「ジョナサン」と「マクドナルド」と「コメダ」
をラインナップに並べるのが妥当であろう。
三軒の茶屋はジョナサンとマクドナルドと
コメダのことだ!ってことにしてしまうのだ。
しかしこれもなかなかにやっかいで
なにしろ入口の面している方角が
この3店全部バラバラであり
面してる「通り」も違う。
というか違うのか違わないのかもわからない。
フラフラ適当に歩いて街中に分け入って
ん?ちょっと待てよ?と思い
ふりかえって
「えっとさっきのジョナサンが
あそこだから」とかやろうとしても
その「さっきのジョナサン」が視界から消えてたりする。
なにしろ道路が斜め方向に交差しまくってるうえに
進行方向深まるにつれて曲がってたりするから。
そして壊滅的に人の思考回路を寸断するのが
電柱の街区表示板だ。
「三軒茶屋」を歩いているつもりなのに
いつのまにやら「太子堂」になってたりするという
空前絶後のトラップがあるのだ。
ということで
三軒茶屋で迷うおれは悪くない。
おれなんか大学「地理学」専攻だったし。
なので三軒茶屋で迷うあなたも悪くない。
三軒茶屋のせいにしても罰はあたらないはず。

で、さらにさらに
三軒茶屋の件からも飛んで
人が根本的に物を覚えられないとか
覚えてもすぐ忘れてしまう
という広く一般的な話に移行する。

これも先ほど述べたように
一番の原因は
「覚えたくない」
「覚える気がない」
ってゆう本人の心理面にあると思う。
ようするに
嫌々覚えなきゃいけない状態
ってやつ。
不得意科目の試験
みたいなそうゆうやつ。
で、そこへもってきて
加齢による記憶能力の低下
なんかも加わると手におえない。

デジタルデバイド気味の高齢者に
PCとかモバイルとかITとかを
教える時とかにぶつかる困難のほとんどがそれ。

ああ、あれだけわかりやすく噛み砕いて教えたのに!!
みたいなの。

「デスクトップ」は
ほれこの机あるでしょ
まさにこの机そのものだから
つって
で「フォルダー」は
ほれそこに婦人会の会報のはいった
クリアファイルあるでしょ
まさにそれだから
みたいなことをゼスチャーも交え
これ以上ないわかりやすさで説明できた!
とこちらも自負し、
教わった側も
「いや実にわかりやすい!
ニクイねこのコーチングの天才!!」
ってなったとする。
というか実際そうなったことも確かにあるのだ。

だがしかし
ひと月もしないうちに
「でその検索ってやつなんじゃが・・・・」
ってなるのだ。

でいろいろ問い直すと
「ん?デスクトップは机?
はてはてそりゃまた」
ってなっていたりする。

これをくりかえしているうちに
教える側も
「フリーズ時の対処の仕方」
とかまで手取り足取り説明する
なんてな気力はなくなってきてしまい、
いいからいいからこっちでやっておくから
ってなるわけだ。

ま、こうゆうのも人それぞれで
高齢者でも使いこなしてる人はたくさんいるし
なんともあれなんだが
結局なんだかんだで
「当事者性」の濃い薄い
ってのが全てなのかな
という気がしてきた。
「もの覚え」に関しては。

だいたいネットだってPCだって
最初に始めたひとたちはもう
「高齢者」なわけなので
PC2台持ちモバイル3台持ち
の高齢者だっているだろう。
あ、あれね、あれはおれが開発したんだよね、
みたいな人もいるだろう。
まさにそりゃ「当事者」だ。

でデジタルな機器全般に関して
「当事者性」を覚えることのないデバイド側は
なんでデバイド側に止まり続けるのかってえと、
「いやあそんなの作ってくれって頼んだ覚えは
ないんだよねえ」
ってゆう心理を保持し続けているのである。

「開発」した同世代に嫉妬や恨みの感情も
持っているかもしれないしいないかもしれない。
あるいは「開発」してくれるのはありがたいんだが
もっと早く、わしの元気な時にやってくれればのう
みたいなのとかね。
ケースバイケースだろう。

で、あとは
べつにそうゆう細かいことは自分でやらなくても
周囲が全部やってくれちゃう
という上流階級の方々に関しては
わたくしから申し上げることは特にございません。
後進世代の邪魔さえしなければ何の文句もありません。

というか
つきつめると
「もの覚え」悪くなってるなあ
ってことは
自分の人生の「当事者性」を失いつつある
ってことなのだ。

なかなかに怖いことだ。

怖いけどまとにかく
「意識」を持ちながら暮らしていこう
という気持ちに
最近なってきてるので
「大掃除」しながら
「引出し」の機能を全廃しようかな
と最近目論んでいる。
「引出し」は何かの「たとえ」じゃなくて
文字どおり「引出し」そのもののこと。
机とか化粧台とかそうゆう家具についてるアレ。
アレは結局、「物」自体が消えるのと一緒に
「意識」も消えてるような気がするのだ。

この「引出し」全廃作戦についての顛末は
またいずれ書きますよ。
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