仙台の試合雨天中止の報に接し
いやもうなんすかそれますます鬱だなあ
ってなってなんかこう野球に代わって
長くてダラダラしたもん見なきゃ腹の虫がおさまらない
という状況でやたらと長いっていう知識だけはあった
「サタンタンゴ」ググってたらなんとアマプラでまだ
未視聴だったチャンネルに挙がってたんで
さっそく無料お試しに登録して野球の試合開始時刻くらいから
見始めてその夜はおよそ三分の一、
翌朝起床後三分の一、
昼食後三分の一、くらいなペース配分で7時間18分見終えた。
まあ明るい内容ではない、くらいの予備知識もあって
野球中止の鬱気分のところへもってきて
そんな明るくない長い映画みて大丈夫なのか?
みたいな懸念を人は抱くかもしれないが
むしろそのへんは逆に大丈夫なのが人間心理の微妙な綾というもの。
どうせ東北楽天の試合も暗いし
暗い内容どーんと来い!みたいな。
アマゾンレビューとか
みると映画マニアかそうでない一般ピープルか
で極端に評価分かれる感じになってるが
自分はもう文句なしに楽しんだっすよ。
じゃおれは映画マニアなのかってえと
そのへんはそうでもないというか
立派なマニアの皆さまの域に一歩でも近づければ
と願う通りすがりの者です
といったところか。
そういうことに関しちゃほんと
「専門」分野であるはずの音楽にも言えることで
音楽に興味ない人に比べればかなりマニアックな知識は
持ってると自負するものの上には上がいるってのもあって
自分なんぞを音楽の「マニア」と名乗るのはとてもおこがましくて
出来ない、っていうようなそうゆう謙虚な心持ですよ。
ええそりゃもう。
でサタンタンゴは初見で
半分くらいみて
ああこれ一応そこそこ凝った作りになってるんだあ
パルプフィクションっぽい時系列の並べ方的なやつ。
と、まあそうゆうようなことも事前予備知識なかったんで
なるほどなるほど
と楽しめたっていうね。
あとは社会主義末期のハンガリーのさびれた田舎町の
わびしい暮らしっぷりの匂ってくるような描写ですよねえ。
たらいの水でびちゃびちゃ陰部洗浄しますか
しかも部屋の真ん中で
とか、
寒そうな雨の中傘さすやつ一人もいない
とか、
リードとか繋いでない飼い犬なのかなんなのかわからない犬が
やたらとみすぼらしい
とか、
実に味わい深かったっす。
あと重要な役のインチキ詐欺師みたいな俳優が
ちょっと「信じるか信じないかはあなた次第です」
でお馴染みハローバイバイ・関暁夫っぽい風貌なのが
ツボにはまりましたわ。
すげえいい感じの口からでまかせ出放題!!
みたいなね。
とここまで言っておいてなんなんですけど
あなたも是非見た方がいいですよ未見なら
とまではね。
ま欧州の芸術映画にありがちなことですけど
動物屠る的描写包み隠さず
ってのがここでもやっぱり普通にありました
ってことなんで
その辺はご承知おきください。
あと個人的には
酒場で酔っぱらって村民が踊りまくる時の
アコーディオンが奏でる音楽が
いったいなんなんだこれは?
って謎に感じました。
クレジットされてる作曲家のオリジナルなんだろうと
推察されるんだけど
ジャンル的に分類不能な音でしたわ。
Twitterが各種機能いろいろ有料化になったり
放置アカウントは削除しまっせー
とかだったりもあるので
一応ユニット中前適時打と
ソロ活動の作品発表用かつBOT風垢と
二つのツイッターアカウント
なんとかかんとか更新だけはした。
で「ツイートまとめ」で毎日更新する形になってた
ここのブログは
まあ自力でマメになんか書いておくしかないな
ってことで今こうして書いてるんだが
毎日必ず更新!!
とかそこかまで気張らずにいくこととする。
考えてみれば7,8年くらい前は
東北楽天の試合ごとに
原稿用紙換算で5,6枚くらいの字数は
サラーっと書きなぐってたこともあったし
その気になればちょいとした文章の
ひとつやふたつやみっついくらでも書けるとは思う。
でまあイーロンマスク就任の影響で
なんだかんだで日々のネット上での
行動様式もこうした激甚な変化をせざるを得ない
っていうそのこと自体どう思うかってところだが
面倒だが起こったことに成行きのまま
適度な落としどころ見つけて対処するのみ
ってだけで特にそれ以上言いたいことなどはない。
開発者アカウント
みたいなのに登録して
以前同様の「ツイートまとめ」機能維持しようかとも
一瞬考えはしたが
とにかく自分のネットリテラシーでは
わけがわからなかったんで
それは早々に諦めた。
そうゆうところで無理して頑張ると
間違いなく「頭痛」にみまわれるので
そこまでしてやるほどのこっちゃないな、と。
まあそんなような感じである。
「ツイートまとめ」のみの更新だったのが
その連携機能消失によってさてどうしたものか
ってなことに。
「勝ち投手」になったってことだが確かに凄い。
自室で見てたが2回以降の立ち直ってからの
奪三振ショーは圧巻だった。
横に曲がるスライダー
縦に落ちるスプリット
どっちも魔球レベルだったなあ。
自分も高校の体育の野球の授業の時は
ランニングホームラン打って「完投」したことはあるが
そんなことは自分以外の誰も覚えちゃいないだろうなあ。
なにしろ「授業」だし。
ま、「完投」たって四球出さずに真ん中に
球を集められるからずっと投げてたってことなので
何点とられたかもよく覚えてないし
そもそも勝ったのか負けたのかも覚えてない。
なにしろ「授業」でのことだからね。
それはともかくNPBの試合も
場所によって「無観客」になるという
コロナの状況にあって
屋外で呑む者続出の件だが
ああおれも酒のみであり続けていたら
うひゃひゃひゃつってやってたかもしれないな、
と多少は思う部分もなきにしもあらずだけど
やっぱちょっと今あえてそれやる?
って気持ちの方が強いかなあ。
どっちにしてももう飲む気ナッシングなので
まあおれはやらんけどね、ってだけのことだが。
それはそれとしてやはりモンスターカスタマーは
腹立つね。
腹立つどころの騒ぎじゃなく
豆腐の角に頭ぶつけろとか思うもんねそりゃもう。
まあ齢57になろうという局面だから
キレて何もかもぶち壊し
ってゆうような愚挙には及びませんよ。
でもまあ大概にしとけよ、って強烈に思いますね。
基本、「モンスター来たこれ」って場合は
絶対に下手には出ませんね。
当たり前っすよ。
そんなもんつけあがるだけですからね。
下手には出ず、
こいつはどうも言うこと聞かなそうだ
って思わせて極力早くその場を立ち去らせる、と。
これが基本っすね。
について書くようなことを前回予告した気がするんだが
その前に今ここにあるグダグダのことについて触れておく。
ここ「全力リラックス!辻タダオ」だが
FC2のテンプレートをいじり倒しすぎたり、
両脇のプラグインにあれこれ詰め込みすぎて
表示が縦に伸びすぎたり、とかいろいろあって
スマホで見ると表示不具合多発してて
まあぶっちゃけ自分で自分のPCで
自分の過去の動向をチェックしたりするのに便利なように、
というような機能を期待して使用してるんで
もうここを更新したからといって積極的に告知宣伝してない。
なので誰も読んでないだろうと思われるが
小説を書くためのリハビリなので我関せずでいこう。
で過去目の当たりにしたグダグダの件だが
ここのブログもかなりいろいろ書き散らしてるので
まだ一度も書いたことのないグダグダについて
あれこれ思い出しながら進めていこう。
ちなみに自分の人生最大のグダグダは
「青梅」と間違えて「大根」に行っちゃった、
ってやつで、これはもう繰り返し何度も書いた。
何度も書くぐらいのこうゆう大ネタに匹敵するようなグダグダ
を記憶を頼りに見つけ出そうってのも
なかなかに困難なことではあるが何とか頑張る。
で、最も最近のグダグダなんだが
去年の夏ごろの派遣先で
その日出勤してた多分社員の人だと思うんだが
当時業務経験3か月の自分からみても
「要領悪すぎ」って感じの壮年男性の人がいて
現場が文字通りのグダグダになってて
単純な話お客を裁ききれずに滞留させまくったうえに
最初はチラホラ怒りをぶつけてきてたものが
しまいにはあきらめの境地がその場を支配し
「だめだこりゃ」つって無言でいなくなる
ってゆう流れを体感したってゆうあの日だなあ。
あれは凄かったと思う。
いいやもう、つって無言で去る、しかも金払ってるのに、
みたいな。
こっちは対価もらってるのにサービス渡してないので
その分丸儲けじゃないっすか、みたいな、
なかなかに出会わない状況であった。
無言でお客が去っている間も
次から次へと押し寄せる新規客の対応に
要領悪く応じ続けているその人は
かしこまる、おそれいる、へこたれる、
とかそうゆう気配になる暇がまったくないので
ひたずらずっと同じ表情でバタバタしつづける、と。
実に超現実的な時間を過ごしたように思う。
最初は自分も「とばっちり」来るの嫌で
おいおいおい、とか思いながら脇でちらちら見てたんだが
途中で慣れてきて、
「なんとかならんのか」ってこっちを見てる客にも
「どうもならん」ってゆう表情であきらめさせるのが
かえって快感になったくらいである。
まあこれは各所で書いたことだが
昨今は各企業「ネット上で仕事のこと書くのダメー」
の世の中なもので具体的にどこであったことなのか
は伏せておくしかないのが残念至極である。
夏の派遣先なので例えるとするなら
お祭りの屋台で
ワタあめください
とうもろこしください
お面ください
シシカバブください
とか押し寄せてくるお客から金だけもらったものの
不器用すぎて作業を要領よくこなせないために
いつまでたっても必要な分を生産できず
ワタあめ代払ったけど
お祭りにさっさと戻りたくて
待ちきれなくなったお客に
ワタあめ渡さずに帰しちゃう
みたいなそんなような現場だった、ってゆうことだ。
祭りなんだからそうゆうこともあるさあきらめるんだな、
みたいなね。
なかなかにワイルドなグダグダさ加減ではないか。
自分は直接物凄いクレームを受けるとかもなかったし
今となってはよい思い出である。
たぶんそこの現場もお客多すぎて派遣のヘルプ呼んでるわけで
大局的に見れば儲かってるはずで
その程度のグダグダは織り込み済みだったのでは?
とすら今では思える。
なのでやはり「よい思い出」だとしか言いようがない。
その要領の悪い人は多分へこたれずにまだ同じ現場にいるんじゃないか。
とかいう場合の「グダグダ」なんだが
そもそもカタカナでは伝統的な辞書には載ってなく、
ググるとweblioでは「実用日本語表現辞典」を典拠にしてて
まあ成り立ちそのものがチャラチャラした語句なんだろうが
けっこう自分の場合は口に出しても書いても頭の中だけでも
使ってきていたような気がする。
じゃ周囲にこれを頻繁に口に出すというか使ってるような人が
たくさんいたかというとそうでもない。
大体家では誰も使ってない。
身近で使ってるのは自分だけということで
じゃなんで自分だけなのかといえば
これ使いがちなのは「芸能」系に身を置く層だろうと思われ
自分の場合は音楽関係周辺への出入りが多かったからだろう。
まああとはお笑い番組とかもよく見てたので
その場を仕切ってる重鎮的な芸人の人が
「グダグダですやん」とか言うのをそこそこの頻度で聞いてたからか。
まとにもかくにも
「しまりがない、めりはりがない、または、収拾のつかない状態。気抜けしているさま。だめだこりゃ、という状態。
「gdgd」は電子掲示板などで用いられるインターネットスラング。」(実用日本語表現辞典)
というような有様はかつては、このかつては自分が中高大の学齢期
1970年代末から80年代末くらいまでの10年を指して言ってるんだけど、
いや、さらに延ばして正社員やってた2000年代序盤、
2001年あたりまでをも指してよかろうと思うがそのあたりまで
とにかく巷のそこここでありふれた光景であった。
自分が居住していた関東南部においては。
で、齢57になろうという2021年、
世の中全般見渡してみるとかつてのように
「グダグダ」はありふれた日常の一コマではもうない。
大体小田急の駅のトイレの個室とかそこらの居酒屋のトイレより綺麗だし。
ときたま訪れる大阪でも街角に8トラックカラオケの機械出して
勝手に大音量で歌う、とかもうやってないし。
世の中素晴らしくかっちりきっちりしてきたわけだ。
自分はいまここでそのことを嘆き悲しみ、
何かを提案しよう、とかいうような意図は有していない。
かつて目の当たりにした「グダグダ」を端緒に
話を切り出そうとしているのだ。
コロナ以降の諸状況に鑑みてということなんだが
そろそろその日常の流れになって1年になろうとしている。
つまり1年ほどまえに前職離職以来ほぼ10年ぶりくらいに
他人様の指示命令に従って動いて給金を得る、
ことになったわけだがそのこと自体の大枠については
特に疑問も抵抗もなくただただ行った先の現場が
辛いとかキツいとか暑い寒い重い高いとかの逆境少な目なら
いいな、と、とりあえず誰しも考える基本的な防衛本能を働かせ、
その結果としてほぼ9割9分小売りの販売接客の現場に
その都度行くというかほぼ自己都合の日程で
必要と思う分だけ行く、っていうそこそこストレス低めな
就労環境を得た。
派遣の時給仕事なのでそりゃまあ
役職付きの正社員、っていうような肩書の人たち
と比べればショボい収入しか期待できなのは確かだが
とにかくやっぱり気楽なのはいい。
何がいいってやはりその正社員につきものの
「書き物」系の業務がほとんどない。
実に素晴らしい。
あとミーティングとか会議の類もない。
実に素晴らしい。
それと人事考課の面接もない。
実に素晴らしい。
それとあくまで自分の行ってる現場は、
っていう個別の話ではあるがいまのところ
朝礼終礼点呼みたいなのも一切ない。
実に素晴らしい。
まったくもって素晴らしいことだらけなのである。
バブル期に喧伝された「フリーター」って
こうゆうことなんだろうな、とふと思う。
フリーター、ああこの境地ってことかあ
みたいな。
までもほんとつくづく「正社員」を経たうえで
このフリーター的境地もまたよし、と思うからよいのだ、
ということも冷静に理解し実感し、かみしめてもいる。
自分の場合ド文系でずぼらな成績劣悪学生だったので
売り手市場のバブル期でも就職活動そのものに
あまり興味なく熱も入らず
「ま、とりあえずボーナスってものを一度もらってみよう」
くらいな感覚で正社員になって
ダルくなったら「フリーター」でいいや
とか考えてたんだなこれが。
が意外にも就職先が「水商売」系で
もともとの性格にあってたのか
想定外で「20年選手」にはなってたってところ。
で、その後自営をやってみてつくづく正社員っていうものの
待遇のよさ凄さってのはまさに隣の芝生は青く見える
ってやつで羨ましい恨めしいと思うことも皆無ではなかった。
なかったがしかし
やはり一度自営で「人からガミガミいわれることほとんどなし」
ってのを体感すると正社員まあそりゃ待遇いいけど
べつにまた戻りたいとも思わない、ってなってきた。
ってところでコロナ来て出稼ぎの必要生じて
当然「正社員」うんぬんには興味なく
日銭稼ぎだ派遣だってところを志向して
やってみたらああこれね、これならオッケーね
ってなったってことですよ旦那。
時間きたら「じゃあがってください」って言われる立場なので
「引継ぎ」うんぬんで残ることもないし。
ほんと大げさでなくほぼ全出勤日「ノー残業」ですよ。
最高ですね。
まあ「出世欲」は満たされないことほぼ確定ですが。
でもまあ年取ってきたらそれでいいんじゃないかな。
今日はPCのフルキーボードで書いてる。
なぜまたブログで書こうと思い立ったかというと
派遣外仕事の頻度も意図的に減らしてて、
いろいろとまた「アウトプット」に時間を割こう割こう
と思いつつもいざ時間に余裕できてみたら
さてなにから手を付けていいのかわからない、
といった感じで音楽でも文章でも漫画原作でも
とんと「作品」として結実する気配がないんで
なにはともあれ「手を動かす」んであれば
ブログでダラダラ長文書くことから始めりゃいいんじゃないか、と。
さてこのカテゴリーの前回投稿の時と比べて
コロナの状況が何か極端にどっちかの方向にいってる
感じはなくて「音楽活動」ままならないってのも変わらず。
これに関してはユニット中前適時打では既存レパートリーの
「練習」だけはやってるって流れ。
それだけだとなんか煮詰まってくるんじゃないか、と
中前では数年とんとない「辻タダオ作曲」の曲を
なんとか繰り出そうと思いながらもこれが中々出てこない。
野球漫画の原作もコロナ以降全く気乗りせず
最後に作ったのはノムさん追悼的なネタで
それが大きなネタ過ぎたのか次が出てこない。
で相方はすでにエブリスタで少々の銭を得ている
「小説」方面も過去の経験活かした「パチンコ」ネタのを
構想練ってるんだけど書いては辞め書いては辞め
の繰り返し。
何かと話題のホール経営者視点の大河小説「パチンコ」
をひとまず読んでから考えよう、ネタかぶると困るし、
とか思いつつ買って読まなきゃってなるとハードル高く
この関所もクリアするのまだまだ先な様相。
ネタにするなら今やってる派遣仕事の件が
記憶も鮮明だし何か面白くなりそうな気もするが
まだちょっと生々しいうちにはなんか手つけられない。
とただただいろいろ右往左往逡巡しまくってる
ってだけのことをこうしてダラダラ書いて発表して
なんになるんだ!って話だがまあ自分自身のリハビリだ。
時間に余裕できて「インプット」はけっこうできてる。
本読んで映画見て音楽聞いて、とか。
最後の「音楽聞く」はここ数年来ない急遽のハイペース。
これは車を運転する機会が増えたからだ。
車でiphone充電するのと同時に音楽も聴ける
ってのが判って以来いろいろあれこれ入れ替えながら
運転中にかけてる。
ただ「新しい音楽」を意識的にチェックするみたいな
お勉強っぽい行動ではなく
ひたすらクラシック中心に長い曲をながして
ボーっと繰り返し聞くのみ。
でこうゆう時に一番ちょうどいいのがブルックナーと気づく。
ブルックナーべつにそれまで特に好んではいなかったが
なんかこう実にちょうどいい気がする。
それがなんなのか細かいところわかってきたら
またそれを記しておこうかと思う。
なにはともあれ各種依存症やら鬱やらパニックやら
そういった「症状」全般引き続き「寛解」中。
断酒丸四年は余裕でクリアできそうだ。
かつての自分を思えば信じられない有様なんだが
実際ほんとにまったく飲みたいって欲求湧いてこない。
不思議といえば不思議なんだが
まあ気楽にこれからも続ける。
もう横着ここに極まれりの境地なんだけど
ツイッターかなんかでチラッと見た記憶だと
つの丸先生も寝転がって漫画描いてました。
違ってたらすみません。
でとりとめもなく話変えると
スカパーでタクシードライバーの4Kレストア版
やってるので録りながらちょっと観て
眠くなって来たので後で見ようと思い消した
んだが少なくとも5回くらいは見たけど
確かにワイパーが弾く水滴の様子とか
実に鮮明に映ってたな。レストアだけあって。
自分も1987年と1989年の二度NYに行ったけど
というかNYとか表記せずニューヨークって
きっちりカタカナで書ききるのが本筋だと
考えるタイプの人間なんだが何度も言うように
スマホ&老眼という状況はそういう気力を削い
で止まぬのであった。
とにかくタクシードライバーの十数年後も
NYはアンモニア臭に満ちてたのは間違いない。
と書いててNYって書くよりNYCって書いた方が
なんか音楽業界っぽいので今後そうするとして
そのNYCも今はコロナの混乱で大変なようで
自分はそういう大変さ物騒さ、それにまつわる
天変地異みたいなものはどの場所ででも
体感したことはないわけでそれに関しては
運がいいとしか言いようがないわけだ。
東日本大震災の時もピンポイントで
多摩モノレールは動いてたしウィルコムの
PHSも平常運転だった。今思うと不思議だが。
まあただ今回のコロナに関しては自分も確かに
天災に例外なく巻き込まれたわけで
ライブは以前のように出来ないし
それはそれとして別途大枠で考えても
懐事情も芳しくないので派遣日払いも始めて
生活のペースは疲れる方に様変わりなんだが
精神状態はコロナ以前かつ断酒開始以前と
比較すれば格段に良い。
鬱でもアルコール依存でもない寛解継続中。
実際問題断酒開始前の状態だと仕事得る為に
外に出るとか無理無理無理無理無理無理。
だったのは間違いない。
現場の最前線作業員として働くのは
齢55過ぎようってところでどうなのよ
ってのはあるがおそらく技術の日進月歩で
昔に比べれば体力消耗度の点で楽になってる
のではないかと思う。多分。
最新式の諸々の機器とかに触れるにつけ。
問題は事故だな。なんせ色々行くし、
雇う方もこっちが居つかない前提だから
この場所のこういうところが危ない
とかそういう情報まで手取り足取り指導する
なんてなことは絶無に近いので
自分である程度その場所に潜むリスクを
予測、察知しながら動かないと
ちょっとしたことで大怪我とか十分有り得る。
床と靴の素材の相性悪く滑りやすい、
その逆で滑りにく過ぎて躓きやすい、
とかその場で気付くことも多々あるが
そういった件で注意喚起してる現場とか
そうそうあるもんじゃないんだなこれが。
なわけなのでまず転ばないよう注意だ。
であとやっぱり作業ってもんは手早さが
要求されるのは全職種共通。
それに応えるべく慣れるよう心がけ、
実際慣れてきて調子に乗ってホイホイと
スイスイと動いてたら道具の置き場所なんかに
ちょっとした固い素材の出っ張りがあると
そこに引っかかってリストカットさながら!
みたいなことも起こり得る。いやほんとに。
あと着慣れてない制服作業服の袖が室内の
境界の建具に引っかかるとか。
あとで振り返って
あの時一歩間違ってたら死んでたかも
みたいな瞬間けっこうある。
いやこれほんとマジですから。
なので今後も死なない程度に頑張る。
ブログどんどん書いて
左右のプラグインにはさまれた
中央本体部分の空白を無くす運動を展開中。
ってことで外仕事が始まる前の隙間時間。
パリーグは既にロッテ勝ち決定で
ソフバンvs日ハムは僅差でソフバンリード、
贔屓チーム楽天は終盤突き放され敗色濃厚。
とかいろいろ書いてて思うんだが
例えばチームの表記なんだが
「ほんとうの自分」としては
ソフバンだ
日ハムだ
楽天だ
と書くよりは
ホークス、ファイターズ、イーグルス
と下の名前できっちり書くべき
と思ってるしそうしたいのはヤマヤマだが
老眼&スマホ
の状況だとそうも言ってられない。
したがってこの雑録的文章において
辻タダオという人物には
誠実さのかけらもみられないとか
感じる人がいた場合
否それは違う!
私は本当はチーム名略称使ったりしない
誠実そのものの人間なのだ!
全ては老眼とスマホが悪いんや!
と不誠実に言い訳しておく。
それはさておきというか
さらに付け加えるなら
相方おぐま生粋の横浜ファンは
真面目なので
自分が見ると負けるから
とか言って見ないという選択すら時にする。
ひるがえって私は負けっぷりを見届けたうえ
自虐的態度をとって自己の精神衛生維持に
努めようとしたりなんかする。
そういうわけなので
「ほんとうの自分」は
やっぱり誠実とかなんとかとは
程遠いってことに今気づいた。

海なんだが別に昨日今日行ったわけでもなく
某日外仕事で近くを通りかかったので
とりあえずiPhoneで撮ったってだけ。
何処だとも特に言う必要もないので言わない。
今日は名月の日らしいが特に見たいとも思わなかったので見なかった。
といっていつもいつも「自然」の景色に対して冷淡なわけではなく見て堪能し時に落涙することもあるが今日はそういう日では無かったってだけのことである。
まあ出来るだけ今日はOOOだからOOOしなきゃっていうような義務化された動きはせずにいようと考えることがこの頃多いには多い。
OOOだからOOOしなきゃ的な思考回路が強く働き過ぎたがゆえに鬱だったりアル依だったりにハマったという側面もあるし。
新自由主義、過度なグローバリズム、行き過ぎたポリコレみたいなものほとんど全部に自分も疑問を持つ者ではあるけどやっぱりそのOOOだからOOOしなきゃ的な家父長的な宗教右派的な教育勅語的なそういう強過ぎる規範みたいなものからは出来るだけ遠ざかりたいのだ。ありきたりではあるが。
まあめんどくさいからですね。
ええもうとにかくめんどくさい。
そんなめんどうくさいことおれにやらすとまた鬱とアル依を併発するかも知れんぞーと大声で言っちゃうかもしれないくらいにめんどくさい。
まあ大体この糞暑いのによくもまあ海に行こうなんて気になるもんだよなぁとか感心しながら撮ったんだよな上の画像。
気晴らしに何かの「創作活動」をその都度やる!
と宣言したのでとりあえず先ず今この「雑録」に
手を付けてるわけだ。
「創作活動」の種類、内容はなんでもかまわない
ってことにしたので
ブログで雑録書くのも当然それに含まれる。
それにしても最近はツイッターに慣れちゃってるので
2年前より過去さかのぼって15年くらいはずーっと
継続的に出来ていた「毎日のように何か長文を書く」ってのも
かなり億劫になってきてるけど
思いつくままにいくと
橋本治の「浮上せよと活字は言う」
って本に書いてあったんだけど、
橋本治は「枕草子」現代語訳を書いた行きがかり上
イギリスの映画監督ピーター・グリーナウェイと多少やりとりがあった、
ってことだったようだ。
でピーター・グリーナウェイの「プロスペローの本」という映画は
自分も数か月前にDVDで見た。
で、ああこれシェイクスピアの「テンペスト」なんだ、
ってのを知って、当たり前のように「未読」だったので
映画見たあとに図書館で借りて読んで、
さらにはブックオフで100円で福田恒存訳の新潮文庫も買った。
この一連の「観たあとに読む」の行為の流れは橋本治も同じだったようだ。
ってだからつまり「プロスペローの本」のことを橋本治が書いてる
ってなことは知らずに映画は観てたし、
その後数か月内に橋本治の未読の本のページをめくってみたら
あ、こないだ観た映画の話じゃん!
ってなった、とこういうわけだ。
で、だ。
自分が驚いたというか言いたいのは
橋本治がグリーナウェイと接触あったり
とか
橋本治も自分も
あるいは日本人全般も
「テンペスト」当たり前のように読んでる、知ってる
ってほどにはシェイクスピアに慣れ親しんでない
ってかみんなろくすっぽ本読んでないじゃん!
ってことをあらためて痛感する!
とか
そうゆうことは最早どうでもよく、
「テンペスト」って新潮文庫だと最早タイトルすら見えない
つまりは「あらし」ってことか!
とか
そうゆうことも最早どうでもいいわけで
ともあれ自分が驚き
ちょっと憤ってさえいるのは
映画「プロスペローの本」に出演している
多数の全裸の登場人物たちの
性器部分無修正の本編を
映像処理技術を担ったNHK職員その他
製作に関わった当事者等
一部関係者のみで日本国内で上映視聴する機会があった
ってところなのである。
おいおいおい
だったらおれにも見せろよ!
ってそうゆうことを言いたいんじゃなく、
だったらもうその時点から
「無粋な性器ボカシはよしましょうよ」って
声高に言っとけよ、と。
そう言いたいのだ。
特に「皆様のNHK」職員なんかは
性器丸出し映画の制作に関わったのであれば
なおのことである。
自分の基本姿勢は
表現の自由どんどん推進派
なので。
というかまあ
映画「プロスペローの本」が日本初上陸、初公開された当時、
そして橋本治がそれに関して旬の時期にいろいろ書いてた当時、
とはまた状況がだいぶ変わってて
ポルノではない欧米映画の性器描写に関しちゃ
レンタルDVDだとほぼ解禁状態にいまはなってるんですね。
これが。まあリリース時期にもよりますけど直近数年だと。
年明けくらいのCSでもヴィスコンティーの「イノセント」とか普通に無修正だったし。
「イノセント」なんかは観りゃわかると思うんだけど
わいせつうんぬんかんぬん以前に
性器無修正じゃないと話が見えなくなっちゃいますからね。
脚本の造りから考えて。
「プロスペローの本」
も隠したら意味が通じにくくなるところあるな。
なんにせよ「性器ボカシ」はどう考えてもナンセンスの極みっすよ。
とりあえず今現在は欧州映画の「性交場面」ではないところの
全裸人物の主に「男性器」に関しては解禁っぽい流れのようだけど
自分の意見は
「性交場面」だろうが「性交以外場面」だろうがなんだろうが
男性器だろうが女性器だろうが
ゾーニングはきっちりすることを条件に全部解禁でよろしく!
ですね。
ま、とにもかくにも
伊藤整、野坂昭如、大島渚、等の先人達に敬意を払いつつ、
今現在を生きる、ろくでなし子の援軍でありたい!
と思う一市民ですよ、と。
今日のところは言いたいのはそれくらいかな。
みんながみんなちょくちょく
そしてかなり頻繁に抱えるものなのか?
って疑問はある。
バッドエンドな後味の悪い映画を挙げよ
みたいな記事とかアンケート風なコンテンツを
ネット上ではよく見かけるし
で、鑑賞したらトラウマ抱えました、
みたいなコメントもありがち。
そういったコメントは真剣な気持から
発せられたものがほとんどだとは思うが
ネットってのはみんながみんな
「ほんとのことしか言わない」世界ではないので
まあ、話半分に接するようにはしている。
映画はともかく幼少期とか
あるいは児童生徒の頃の
「物心つく前」の出来事で、
後から考えてみると
「あれがトラウマになってた」的なのってのは
「物語」の筋立てに使われることもよくある。
典型的なのは
幼い時の衝撃体験→凶悪犯罪者に
みたいな。
それも実際にそうゆう人もいるだろう。
しかし
さすがに世の中隅の隅まで
みんながみんなトラウマ抱えまくり
とは思えないわけだ。
ミスターチルドレンが
みんな病んでる
と唄ってたときも
「いやいやそんなにみんながみんな
病んではいないだろっ!」
って突っ込んだぐらいだし。
世の中みんな病んでる
みたいにはやし立てられて
もしかしておれもあたしも病んでるのかも
と思い込む構図が
蔓延してるのではないか?
と疑ってるわけなのだ。
まあもちろん
それはおれが単に人と比べて
大雑把で図々しい性格だからかもしれない、
みたいな自省の念も持って
逆側から自分をも疑うようにはしている。
してはいるけど
やっぱりどう考えても
そう簡単にトラウマは抱えないだろう
人というものは
ってな疑問はここのところふくれあがるばかりである。
あるけど真剣にトラウマに関する悩みを
吐露している人を揶揄するつもりもないし
露悪的に振る舞ってそこをつっつこうって気も無い。
自分も鬱をある程度抱えているし。
ただそれにはっきりとした原因はなく
日々の積み重ねの結果、と解釈している、と。
自分の場合「トラウマ」が原因だとは考えにくい、と。
とにもかくにも
「なんでおれはそんなにトラウマがないんだろう?」
とか思い悩まないように気を付けることとする。