とはいえ、この映画のあらすじ、とは本質的に関係ない
細部のみの話なんですけど、
ただ「神は細部に宿る」ってこともあるので、
マジでこれ以降の文章の閲覧は「自己責任」でお願いします。
将来有望視されたエリートサラリーマンだった若大将が
「諸事情」により青森に「左遷」されます。
そこに「偶然」、司法制度の上では「敵」である司葉子が
やってくるのです。
で、なんだかんだで駅前の喫茶店で対話することになります。
そのシーンで女性店員が
無造作にテーブルにカップを置いて
そそくさと立ち去るんだけど、
中身が溢れて受け皿が汚れてる!
みたいなことになるのです。
で、若大将がニコニコしながら
「いやあすみませんねこのへんではこんな感じなんです」的な
ことを言い、
司葉子も何も動じる雰囲気なし、みたいな、
おそらく十秒にも満たない短いシーンなんですけど、
なんかそのおおらかさに胸が熱くなる、みたいなね。
若大将の笑顔に勝るものなし!
みたいな。
ただそれだけ
です。
ちなみに音楽は武満徹です。
これがまた泣けるんですよね・・・・・
六弦舎三浦さんのライブが銀座であって、
そこのお店の「バーテン&出演者」でもある北村義人さんの
お誘いもあって私もそう遠くない将来に出演することになりました。
詳細決まったら告知します。
で、タイトルの件なんですが、
ライブ終了後さらにもう1件三浦さんご夫妻の
いきつけのお店に連れて行ってもらったんですけど、
やはりその「サービスの行き届いたお店」はいいですね。
ははは。
まあなんというのか「大きな会社の大きな組織」が
繰り広げる「過剰サービス」はやっぱちょっとなあ・・・・
とかまだ思いますけど、
少数精鋭のこだわりぬいたおもてなし
ってのはやはりいいものですね。
勉強になりました。
お客様商売の立ち仕事がメインの会社だったから、
そりゃもうある意味体育会というか軍隊テイストの方が
色濃かった。「ド文系」のぬるい世界に比べると。
あくまで比較論なので、「もっと厳しい会社」に比べれば
全然楽だったろうし、おそらく全然「民主的」だったのかも。
いずれにしても「超ダルい」学生生活を最低成績で過ごした私は
「お堅い業種」は無理と想定し、「水商売」を選んだわけだ。
バブル当時はそれでも大丈夫だったのだ。
いまは「水商売系」業種でもかなりのスキルを要するみたいなので、
その点では正直私は恵まれていたと思う。昨今の若年層の方々よりは。
昨今、いろんなお店を見て思うのは
ほんとに「接客向き」の人材のみがきっちり配置されてるなあ、と。
そのこと自体はユーザーサイドからしてみれば悪いことではないだろう。
まぶしいような若い男女店員が輝く笑顔で接客する、と。
年配の従業員は滋味あふれる表情と深い商品知識で人を感動させる、と。
ということで「中途半端な店員」とかは見事に皆無になったと思う。
ある程度の規模と店舗数をかかえている会社においては。
愛想がいいでもわるいでもない
商品知識があるでもない
とかあるいはどっちもないないづくしの
積極的に悪い店員なんかはこりゃもう絶滅危惧種なわけだ。
わたしは年齢的に「ないないづくしのひどい店員」を
この日本国で見たり接したりしたことのある世代である。
で、思うのは、
店員さんの接客技術が高かったり
商品知識が奥深かったりすること自体はいいことなので
それはそれだ。
でもそれがなかったところでどうなのか?と。
なにしろいまは「お客様」の方が
商品知識に長けていることも多分野であり得るわけなので、
なんだかんだでお客様と店員が商品知識をを競い合うってゆうような
ことも発生し得るわけである。
それはそれで「創造的」なコミュニケーションの在り方かもしれない。
でもあえて言う。
自分の買いたい商品を包み隠さず正当な価格で売ってくれさえすれば
それでいいじゃないか、と。
ほんと「おつりの額」を間違える、とかなければそれでOKだし、
最悪「間違えた」としてもそれを指摘したらわかってくれる、くらいでもOK
ではないだろうか。
昨今は「貧すれば鈍する」なのか、
製造業その他従来強かった業種がダメなら
その間隙をついて伸びてきた「サービス業」の
この「サービスのありかた」を「国技」として海外に
売り込もうみたいな論調もある。
わたしはこれに関しては全く賛同できない。
あきらかに「サービス過剰」であるし、
わたし自身が「過剰なサービス」を求めた記憶もない。
日本国民が「過剰なサービス」を求めているのかどうなのかすら
わからない。
仮にこの「ジャパンスタンダード」の
「過剰な接客サービス」がグローバルスタンダードになったとしても
そんなに喜ぶべきことではないだろう、と思う。
そうなったら
人類全体が「余計に疲れる」だけだろう。
なんか今年は「練習試合」の段階から放映が多いですからね。
要は「キャンプの様子」を長めに流すので
必然的に「練習試合」も映る、と。
ってことでスカパーの商売戦略にまんまと嵌ってるのでした。
で阪神戦をVHS録画しといたのを
サラッと見たわけですが、
投手陣はそこそこいいけど
打線はまだまだこれからかな、ってところでしょうか。
2-1のロースコアーで勝ってました。
ただ阪神打線のオーダーは完全に若手中心だったので
あんまし参考にはなりませんね。
いま現在隆盛を極めているように見えるIT企業だからだ。
なにしろこの方々はブログやSNSやらなにやら自分たちが提供する
各種サービスにおいて、ユーザーに対し、「いかに閲覧者から嫌われずに
幅広く支持を集めてページビューを増やすか」という視点にたって、
あれこれ指南しちゃうわけである。利用者にとっては本質的には
そんなこたあどうでもいい話なのである。アクセス数とかフォロワー数とか
そんなのは関係なく「いかにして自分が気持ちよくなるか」だけが重要だ。
いやほんとこれは大真面目に。人は基本的に「自分の気持ちいいこと」だけを
追い求めればいいのである。究極的に言えば「ネチケット」とか笑止千万だ。
メールでもSNSの投稿でも、それに対するレスポンスのタイムラグで
「人物評価」をするなんてゆうのはそれこそ「人権侵害」だと思う。
ネチケットやらSNSでの立ち居振る舞いとかやらを
ここぞとばかりに説き始める人間は私は一切信用しない。
どこのゴールドマンサックス野郎なんだ?おまえは?みたいな。
人類の敵であろう。ルールの数は増えれば増えるほど不幸になる、
ってゆう人生の基本がわかっていない赤ん坊なのだろう。
いまさら気づいたのですが今日は母子殺人事件で
「死刑確定」が出たんですね。
そのことの是非を問うってのは私には「判断材料」ありません。
つまり「死刑存続派」なのか「廃止派」なのかと問われれば
それはよくわかりません。けど、「死刑全く廃止」ってのは
ちょっとどうなの?って感じるってゆう一般庶民でございます。
世界の北野監督のご意見にある「死刑になりたがる奴」問題もあるので、
私としては「死刑になりたい奴は別の刑」
「死刑になりたくない奴は死刑」とかでいいんじゃないか、と。
思いますけどそうなってくると化かし合いですから難しいですね。
それはともかくとして日本語にある「重犯罪」と「軽犯罪」ってゆう
まずはそのへんの線引きでしょうか。強盗強姦殺人に重い量刑を課す、のは
いいとして、いわゆる「軽犯罪」に関して「甘すぎる」のではないか、と。
ぶっちゃっけわたしも「軽犯罪者」の「犯行」によって、
一生涯に渡って禍根を残すような憂き目に合いましたからね。いやマジで。
ほんとうに人生狂わされたといって過言ではありません。
なので「軽犯罪者」に対しても納得いく「処罰」は課して欲しいのです。
コンビニとか本屋とかでも「万引き」で店じまいするケースもあるわけです。
そんなのを放置しておいてよいのでしょうか?
そんなこんなであらゆる意味で「人権」の救済をお願いしたいです。
「重犯罪」だけでなく、「軽犯罪」でも苦しんでいる人間がいるのです。
それこそ「軽犯罪」をやられたことを心の負担にしている人間もいるのです。
このことだけは全日本国民にわかってもらいたいと思います。
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ってことでアルトマン三昧第二弾はこれ。
完全な初見でしたが、ああこうゆう話だったんだあ、みたいな。
セラピストに掛かる人たちと、セラピストと、またそういった人たちが
常連化しているレストランと、みたいな流れでしょうか。
あははは。馬鹿だなあこいつ。ってゆうような
落語を聞くときのような心持で最初からしまいまで見終わりました。
登場人物数は若干少な目ですが
「絵にかいたような正義の味方」はそこにはいない、ってゆう
アルトマン映画らしさは十分感じられる作品でした。
自動車教習所も教官を選べるようになっているというか、
ただまあ人の数にも限りがあるので、
最悪「ちょっと苦手」な感じの教官を避けることはできるというか、
そうゆうことをIT技術を駆使した端末上で行えるのです。
わたしも当初は「そんな排除と選別みたいなことはどうなのか?」
とか思って極力「選択」はしないようにしてました。
わたしにも「善人」でありたいという心があったということでしょうか。
しかしながら「なるべく早くスムースに免許取得したい」という実利も
求めたいところでありまして、誠に恐縮ですが、ちょっとここは
「選択」モードにはいらせてもらいますよ、ってなことが増えてきました。
やっぱ人と人ですからね。相性の良し悪しって出てきます。
同じ実技の教本でも説明の仕方が全然違いますからね。
いやほんと百人百様ですよ。マジで。
ダウンスイング至上主義とレベルスイング至上主義と
アッパースイング至上主義が混在してる感じですね。
あと「勘」重視なのか「理論」重視なのか?とか。
で私の好みだとやはりその「勘重視」派の教官の方がいいです。
「理論派」にあたると「うわーきた」って思っちゃいますね。ははは。
ああもうその「たとえ話」とか頭が混乱するからやめてー
みたいなね。
というか単純に「口数が少ない」方がいいのかな、とかね。
なにしろ当方「加齢」によって同時にいろんなことを処理する能力が
若年層の方と比べると落ちてますので、
あんましいろんなことを言われても聞けないんですけど、みたいな。
ま、免許とるなら若いうちだな、ってね。
あとほんと綺麗事抜きで「教官選べるシステム」は
早い段階から抜け目なくどんどん利用したほうがいいです、と
今後教習所に通う予定のある方にはアドバイスいたします。
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ってことで、
ここのところアルトマン作品で
いままでDVD化されてなかったものが続々出てたんですね。
去年の秋口あたりから。
全然知らなかったので狂喜乱舞してアマゾンで3作品買いました。
で、まずはこのナッシュビル見終わったんですけど、
実に凄い作品でした。
アルトマン作品と「音楽」ってことで言うと
遺作の「今宵フィッツジェラルド劇場で」とかすぐに思い浮かびます。
ステージ場面がほんとに楽しいんですよね。
で、75年のこの作品も生演奏場面がめっちゃ楽しいっす。
ネタバレ回避でこれ以上詳細は述べませんけれど、
DVDの「特典」でよくある
「頭から終わりまで監督が語り続ける」ってゆうオマケが
このDVDにもついてまして、
「ええ?そうだったの!?」的な話題がてんこもりでした。
アルトマン恐るべし!みたいな。
というか、
「音楽とは何か?」
「映画とは何か?」
みたいなことを嫌でも考えさせられます。
これで991円は安すぎる!
と言わざるをえません。
24時間テレビとか巨人戦とかを放映している局である。
あのナベツネさんがやってるところですよ。
ナベツネはあれだけ露悪的なのに
自分のところの番組はどこまでいっても
「偽善」の嵐、ですもんね。
GOINGとか見てると
「番組に出てくれた人」はとにかく善人、
ってゆう感じにしか見えません。
が、その番組に「出てくれた」選手を嫌う理由もないです。
アスリートですから調子の良し悪しもあるでしょう。
それにしても「番組に出てくれる」選手
の特別扱い
がちょっと目に余る気がします。
ということで、
このような会社に
「ジャーナリズム」の機能を期待するのは
無駄なのだろうなあって思います。
左右両陣営共に極端な行動をとってきた過去があるので、
それはちょっと穏やかじゃないですね、と思う、ってゆう
ただそれだけなのだ。というか、各々の思想がまだ信じられていた時代
ならともかく、なんだかなあってゆう捉えられ方をしている時代であっても、
「組織の論理」でもって「党勢拡大」に向けた活動は止まないわけで、
その「少数精鋭」の活動によってますます「一般庶民」の
人心は離れていくわけだ。
「なんの根拠があってあなたに説教されなきゃならないの?」
ってゆうね。「はいはいそんなこといいながら反対勢力は殺すのね?」
みたいな。この「反対勢力は殺す」ってゆう穏やかでない側面に
アレルギー反応を示す有権者が多いと思われるので、
まずは「考え方の違い」くらいのことで人を殺すのはやめよう、と。
とりあえずはここを基本とすべきである。
経団連の悪口
電通の悪口
AKBの悪口
天皇制の悪口
ナベツネの悪口
とかとにかくなんでもいいのだが
言論機関のエリートサラリーマンが
めんどくさいので臭いものにふたしよう
とか思ってるうちは「日本国の再興」は絶対にあり得ない、
と思う。
左右両陣営共に「業界の上層部」が腐っているのであれば、
どんどん情報公開していけばいいと思う。
「私は右翼だから美しい」
「私は左翼だから美しい
「私は中道だから美しい」
ってゆうそのどれもが信ずるに値しない世の中になったのである。
私は右翼だ
私は左翼だ
私は中道だ
っつって、
とにもかくにもわかりやすく
「綱領」くらいは発表して欲しい。
いまの「二大政党」が
右なのか左なのか
あるいは
新自由主義肯定派なのか否定派なのか
とか
そのあたりがわかりにくいのが
いろいろと面倒くさいことになる原因なのだろう。
で、言いたいのは、
とにもかくにも「グローバリズム」への「対処法」を
ほんとに細かく述べて欲しい、と。
まず「政党」選びはそこからだろう。
グローバリズムが良い悪いという価値判断ではなく、
「世界がグローバル化している現状」
に対し日本国としてどう対応するのが好ましいのか?
ってゆうゆうようなことを
「綺麗事」でなく即答できる政党が今後生き残っていくのだろう。
「起業」関係の作業に追われてまして、
「士業」の人にどこまで頼み
どこまでを自力でやるか?
ってゆうような塩梅も大体つかめてきたので、
その「自力」の部分で苦労してますよ。
「申請」とか「届出」とかその類の書類で。
昨今は大概「PDF」なんですね。ほとんどが。
お役所とかで予め用意されているものは。
前職の頃も「官公庁への書類提出」に関しては
作成段階からかなり頻繁にやってたので、
余裕ぶっこいてました、というか甘く見てました。
ものの2~30分で鼻唄交じりで終わっちゃうだろう、と、
考えてたんですけど、いまに至るも全然終わらないんですけど、
みたいなね。ははは。
最初、プリントアウトした未記入のPDFファイルに直接手書きを
しようとしたのですが「正副2部ずつ」ってことを考えると
それは滅茶苦茶ダルいことに3秒で気づき、
「自分のところの管轄の役所のファイルになるべく近い形の
エクセルフォーマットをダウンロードして細部を画像の切り貼り
とかで修正しまくる」ってゆう作業を始めちゃったんですよ。
これやりだすとなかなかキリがない、と。
自分のところの管轄の役所のフォーマットとは
あまり似ていないけど入力は楽そうなフォーマットを
ちょっとだけ修正して「概ね合ってるからこれでいいよね?ね?ね?」
で強行突破しようかな、とか何度も思いました。
思いましたが、ほんと「書類を受け付けるお役所」ってのは
そこに行ってみないと「細部へのこだわり」がどこまであるのかないのか
まったく予想もつかないものなのです。
適当な所はどこまでいっても適当ですし、
厳しい所は「責任者本人」が「正装」で来ないと許さない!
みたいな空気だったりするし。
ってことで電話で問い合わせをしてみたんですけど、
どうやら「意外におおざっぱでもOK」みたいな感じだったので
「おれのいままでのチマチマした作業は一体何だったのか?」
と思わざるを得ない今日この頃なのでした。
意外なことに「柔道」経験はそこそこあることに気付いた。
もちろん「有無を言わさず」「やらされた」のである。
まあ柔道が「格闘技」なのかどうなのか?とか
そうゆう定義づけの部分も細かく掘り下げるとキリがない。
ただとにもかくにも「人様の肌と触れ合う」って部分が
嫌なのである。なんでそう思うのかというと、
わたしは幼少時から児童生徒の時期にかけて
「小柄」な子供でありつづけたので、体格による有利不利ってのは
かなり意識させられたのであった。
するってえと「体格のでかい」者に翻弄されるわけだ。
「格闘技の真似事」で「遊ぶ」場合は。
そうゆうときの記憶をたどると「面白かった」ってゆうのは皆無。
ただただ一方的に遊ばれただけ、と。
なわけなので「ボディータッチ」が普通にあり得る競技とか
自分としてはあまり好きではないのである。
気持ちが悪いのでおれの身体に触るな!!みたいなね。
自分の過度な「野球好き」はこのあたりからきてるのかなあ、とかね。
それはともかくとして「柔道」だけは無理矢理やらされた時間が多くあった。
で、自分は「人の体に触る」のもあんまし好きじゃないし、
まして「自分の体に人から触られる」のも好きじゃないので、
「柔道」の時間は苦痛以外のなにものでもなかった。
ということで「柔道の時間」から早く逃れたいわけなのである。
受け身の練習とかやって
乱取りとかやって
最終評価の為に「試合」をやったりするわけだ。
私はこの「試合」において
一切合切「勝つ」気がなかったのである。
で、やる気のない素人同士の試合
において
「背負い投げ」で「一本負け」したことがあるのだ。
しかも相手は自分と同様に柔道にも格闘技にも勝つことにも
興味のないオタク系の同級生だったのである。
正直もしかしてこの相手ならおれも勝てるかも
と
算段していた相手に
「一本負け」したのである。
わたしのあまりの見事な
「負けっぷり」を褒められた記憶はある。
「学校の授業の試合で綺麗な一本とかあんま見たことないっす」みたいな。
ということで、
いま私が生きながらえているのも
「柔道」のおかげかもしれない。
ほんとだったらとっくに
「酔っぱらった勢い」にまかせて
路上で死んでてもおかしくないからね。
ははは。