ましかし、
概ね2か月に1度
のペース
だったので
そんなに凄いことでもなんでもないわけです。
が
まあホッとしましたよ。
で、これで何かの資格を得られるとか
そうゆうことではないんですけど、
とりあえずは
「業界のアウトロー」にはならずに済んだ
って感じですかね。
JAであれ、国を筆頭とした「行政」であれ
「情報」と「人材」のネットワークを持ってますからね。
まあ「新自由主義」を支持している層の皆様や
「有機無農薬栽培」を支持している消費者の皆様からは
圧倒的に評判が悪い「JA」や「日本の農政」であるということは
私も重々承知しております。
承知しておりますが、
なにしろ自分自身は
地盤も能力的根拠も何もないところから
始めてますので
すべてにおいて「フラット」な心情で臨もうと思ってます。
で、毎度毎度の
「エゴまるだし」で恐れ入りますが
基本的に「自分の身体に浴びせたくない」って部分が
大きいので
やはりできるかぎり「無農薬」は続けたいとは思っています。
思っていますが、
「農地面積2倍」になって
どうなのか?
ってところはほんとまだわかりません。
既存の「ブルーベリー畑のみ」の運営であれば全然大丈夫ですけどね。
ってゆう
それだけのことなんですが
ちょっとここ2日ばかり
風邪&胃腸の不調
とかでオリンピックの最終盤とか
松井オープン戦で巨人相手に2回パーフェクトとか
あまりマメには見れませんでしたよ。
各所の更新も当然出来ず、と。
で、次3月5日のマーキーで
「就農の様子見」
の為ライブも一旦休みにはいるわけですが
そこに向けて「新曲」も出したいのもヤマヤマ
ですけど
なかなかそううまくはいかないものです。
で、よくあるわるいクセで
そうゆうときに限って
「読書」をしたくなってみたりとかね。
最近は自慢の蔵書より、
興津要の古典落語の講談社文庫版
だの
柳沼重剛訳のギリシャ・ローマもの関係
だの
にハマっております。
そんなのを読みながら、
曲を作るにしても
それとは全然関係ない感じにしたい
とか、
変に意固地になってみたりなんかして。
で畑もしばらく見てないし、
税金年金関係の支払いも
あるし、
あと研修の「修了式」もあるし、
それらはべつにいいんですけど、
「賃貸マンションの更新」
ってゆうのもひかえてまして
これはまあ娘の受験その他を考え
当たり前のように「更新」するんですけど
家賃2か月分プラス不動産屋さんへの手数料
がドーンと出ていくわけですよ。
で、来年の3月に娘の進路が決まったら
どこに住むかまた考える、と。
「就農先」が町田ですから
町田市に引っ越すのが妥当なんでしょうけど、
多摩市もなんだかんだで8年になってきますと
愛着もそこそこあるし。
景色と
散歩のしやすさ
と
車の運転のしやすさ
と
使える図書館等の公共施設の利便性
から言うと
意外に町田より多摩かな
とかね。
そんな先のこと考えても
仕方ないんですけどね。
とかなんとか
思考回路は散漫になっているので
なかなか曲が出来ないのでした(笑)
問題が浮上してまして、
たしかにその通りではあると思います。
だからと言って
森元首相の人物評価を
全面的に見直す
という気持ちにも
個人的にはなりません。
ま、そのへんは個人差
って
ことで。
いずれにせよ、
「報道機関の悪意」
ってのは
未来永劫なくならない
と肝に銘じて接する他はない
とあらためて思いましたよ。
強調しておきますが
国語能力が劣っているので
文脈にもとづいた「要約」
すら出来ない
社会人としての
基本的スキルを欠いた
人材しか集まってこない
「報道機関の能力劣化」
ではなく
個々人の能力の優劣とは関係のない
何十年も続く
「悪意」は
昔と変わらず
これからも存在し続ける
ということなのです。
事の本質は。
そう捉えたほうが
当たっているのではないか
と思います。
ゆとり教育その他の影響で
報道機関に携わる人間の
能力が劣化しているのではないか?
とか
ちょっと前まで自分も思ってましたが
それは決定的な間違いでしたね。
最初から「悪意」がある
ということですよ。
森元首相を
擁護はしませんが
報道機関は「能動的な悪意」を
自由自在に発揮しまくる
ということが
よく判った一両日でした。
真面目に
「国語教育」は
インディーズで実施する他ないのかな
とか
それくらいの危機感はあります。
冬季オリンピックでもうちょっと
メダル取れてもいいんじゃないの?
とか
一瞬思ってしまうんですけど、
一番の盛り上がりポイントであるところの
男女のフィギア終わって
男子金
女子メダル無し
という結果は
なんとも残念だったわけですが、
ここ2日間の浅田さんの
プレイぶりは
なんというか
いろんな意味で印象度が強すぎて
どう表していいのかわからないっす。
ただほんとにこれだけは強調したいんですけど、
ド素人でも
すぐに見分けられるレベルで
「立ち居振る舞いの美しさ」
ってものを
如実に感じました。
なので、
競技者として
次のオリンピック頑張れとか
単純なエールを送る気持ちもありません。
とにかく
浅田さん
は我が国の誇りだと思います。
まあ雪で大変だとしても
スカパーのHDチューナーに
録り貯めてた
市川雷蔵の映画を
のんびり見てたわけです。
で、1週間経ったら
スカパーのアンテナが
おそらく大雪の影響でぶっ壊れて
スカパーの「リアルタイム視聴」は
おそらくカスタマーセンターに電話して
作業員の人に直してもらわない限り無理
みたいなことになってるわけです。
で、それはそれとして、
我が家には
「スマートTV」もあるので
いろいろ「youtube検索」かけて見てたら
「鉄道映画」で
ハマってしまいましたよ。
元々
「鉄ヲタ」気質あったんですけど、
本気で探すと
凄いのあるなあ
みたいな。
雪害で酷い目に
遭わなければ
生涯出会わなかったであろう
「貴重な映像」に出会えた
ってことを
プラス志向でとらえよう
と思う今日この頃です。
で
こうもいろいろと
生活に悪い影響が出るとは
びっくりというか
なんかこうジワジワと来るものがあるわけです。
いま一番大変な山梨県からは
かなり遠く離れた
三多摩地方であっても
スーパーもコンビニも品薄状態ですからね。
というか首都圏全体で
「ジャンプが発売日に読めない」
とか
「AMAZON、急ぎで頼んでも無理と言われる」
とか
「ホームセンターで雪かきスコップ買えない」
とか
「食パン全然ない」
とか
震災の時との比較は難しいんですけど
ちょっとまた別種のややこしいことに
なってるなあ
と思いますよ。
でまたオリンピック開催時期に
重なっている、と。
いろいろ思うところもございますが、
前回投稿で
「スカパーのアンテナ壊れたけど
我慢する」
とか書きましたけど、
それは深い意味は特にございません。
自分は「我慢できる」ので
そう書いただけで
いわゆる
「非常時の自粛ムード」
を煽る意図は毛頭ございません。
雪害でいろいろ大変は大変だけれど
いつもの日常というか
普通に楽しいことや娯楽にいそしむことの出来る人は
いつものように行動すればいいだけのことです。
雪かき
出来る人はすればいいし、
仕事の都合で
出来ない人は
それはそれで気に病むこともないでしょう。
もしかして
オリンピックやってるおかげで
「一方向に流れる」
のがたまたま防げてるのかな
とも思わないでもありません。
ただ、
NHKの報道姿勢に関しては
疑問に思わざるをえません。
オリンピック特別報道期間
ってことで
お得意のクローズアップ現代を休止して
競技前後の楽屋話的な番組流してるんですけど、
意味あるの?と。
というか
柔軟性ないの?
と。
あらかじめ呼んじゃった
「大物ゲスト」との
契約不履行とか気にしてるの?
とか。
莫大な放映権料とか
しちめんどくさい契約条項とか
いろいろあるんだろうなあ
とは思いますけど
競技時間の競技そのものの報道は
まあいいとして
楽屋話に時間割くんだったら
自国の自然災害の窮状について
詳しく突っ込んでいくのが
本来の役割じゃないの?
と。
全国すべてじゃなくて
関東甲信越だけでも。
ほんと
受信料払う価値あるのかどうか
の疑問も
最大限に針がふれてきましたよ。
「就農」がらみで
農地の状態を一刻も早く
把握しておきたいところでもあるのだが、
免許取得後1年
ってゆう運転キャリアなので
当然のように
雪が融けるまで運転は慎むように
と家人に言われるので
多摩市の賃貸マンションで
ほぼ缶詰状態。
でスカパーのアンテナが
多分壊れた。
おそらくどこかショートしたものと思われる。
サービスセンターかなんかに
電話して業者の人に来てもらうしかない
という状況なんだけど
なんかそれも気がひけるので
雪が融けて
世の中が落ち着くまでは
スカパーなし
で我慢しようと思う。
最悪3月末のプロ野球開幕に間に合えば
特段困ることもないし。
スカパー映らなくても
ネットが活きていれば
「スマートTV」のyoutube検索で
いくらでも時間はつぶせる。
江古田マーキーのブッキングライブは
3月5日で一度「休止」します。
「就農」がらみですので、
マーキーが嫌になったとか音楽が嫌になったとか
そうゆうことではありません。
「仕事」のペース配分がわかったところで
速、復帰するつもりですし。
決められた日
に
約束通りにかけつける
ってのが
出来るのかどうかしばらく不透明
ってゆうことですね。
ですので
逆に
曲作り
とか
録音とか
そっち方面は
マイペースでやっていこう
とは
思います。
まあただそうゆうのも
「次のライブまでに」
ってゆう
「締切」がある感
が
大切だってゆうのも
重々承知はしております(笑)
なので
出来るだけはやく
「復活」します。
単純に
「雪害」のみでは
「人生最悪」どころか
逆に「人生最高」の出会いやら
なにやらあれやら
老若男女を問わず
明るく過ごした人もいるでしょうし、
普通に
雪害勘弁してください
ってゆう
ダウナー系の老若男女もいるでしょう。
自分の場合は
もう完全に
「雪で凹む」系の後者のパターンでした。
来年はこれに備え
頑張る!!
とか
絶対に言い募りません。
なんというか
「絶望感」にさいなまれる
のも自由だし、
「雪害」を逆手にとる
のも
人それぞれの
自由なのではないか
と
いま思っています。
自分個人としては
「雪害」めんどくさいので
早め早めで
防いでいこうと思いますんで
これからは
除雪スコップ常備しますよ。
いやほんと
マジで。
強い雨風の多摩地区。
昨日夕方ごろの天気予報の予測量を超えた
積雪量だったので
いまは雨風の影響で高い建物の屋根から
あるいは
電柱や標識や信号の上部から
まとまった量の雪が
どんどん地面に落ちてるんですけど
時々ドスンってゆう
いままで聞いたこともないような衝撃音と
衝撃波を感じてますよ。
先週末に比べても
交通状況
事故の発生状況
とか
より悪い気がします。
そうゆうわけなので
自宅マンションの玄関周りを気にしながらの
オリンピック観戦
羽生さんおめでとう
ってところでしたが
いまひとつ集中して見れませんでした。
しかし逆に
「あの時こうだったなあ」
ってゆう
記憶は残るってことかな。
70年代ロックの泣きのギターで臨む
ってゆうので
見てたら
「史上最高100点超え」とか
なって
ビックリしてしまいましたよ。
ロックとスケートと日本男児は偉大だ!
と
素直に喜びます。
前回のオリンピックで
ドレスコードで叩かれまくった
国母さんも
いまは名コーチになってるみたいだし
冬季オリンピックって
ハイカルチャー
とサブカルチャーが
ごちゃまぜになってる
カオス状態が魅力なんだなあ
って
痛感しました。
3位になっちゃった
ってゆう自覚が全然ないみたいですね。
お殿様。
そりゃあんたは
悠々自適の陶芸家やってられる御身分ですからね
と
若年層に見限られたわけです。
世代間格差
ということに
真剣に向き合わないと
知名度うんぬんにかかわらず
選挙に勝つのは難しいってことです。
簡単な話
「所得倍増計画」
で実際に豊かになった
老人層が
「脱成長」とか
「エコ」とか
説いたところで何の説得力もないです。
いやいやおれはそうゆう党派には属してなかった
とか
そうゆう問題じゃないわけです。
経済界は「グローバル人材」を求める。
日本の若者が
それに適応できないのであれば
冷酷に外国人労働者を雇う。
そしておまえらは無力だと罵る。
しかし
政財界の頂点付近には
英語がしゃべれないどころか
「英語はかつて敵性語だったので」
とか言う人材もいる。
もうアホかと。
紅衛兵に糾弾されてもおかしくないレベルの
老害がはびこり過ぎなのは確かなのです。
しかし
日本国民は
「流血」をしてまで
というか
ジェノサイド
を実施してまで
自らの主義主張を押し通そうとはしない
世界一知的な民族なわけです。
2014年現在においては。
「無血」
か
「非暴力」
でなければ
「革命」
というか
「体制の変革」
は成しえないわけです。
ということは
「選挙」が全てなわけです。
その「選挙」において
極右とみなされた候補が
かなりの得票を得たことに
左派の論客が警戒感を示してます。
べつにそれは不思議ではないんですけど
ただ
あなたがた自身が
極右の台頭に
なんらかの有効的な手立てを打てたのか?
と。
実際問題
「プロレタリア」の
生活がここ十数年
よくなったのか?
と。
どう考えても
「成果」出してないでしょう。
民主党も共産党も社民党も公明党も。
実際問題
「コンクリートから人へ」
とかいう
わけのわからない理想主義的政策のもとで
職を失った人間も多いわけですよ。
まずそこから
根本的に自省することが無い限り
民主党を筆頭にしたリベラルというか
「左派勢力」の復活は
絶対にあり得ないと私は思います。
労働組合幹部
とか
絶対身分保障アリの公務員
とか
「そう簡単にはクビにならない上場企業の正社員」
とか
ではない
「本物のプロレタリアート」の
味方は
現在のリベラル勢力ではない
と
思われているからこその
極右候補の台頭
である
と早くきづいて
対策を練るべきでしょう。
ま、無理かな。
やっぱ、普通に考えて「耳が聞こえているのに嘘付いて聾者を売りにして金儲けしようとしているひと」に会ったら、どんな理由があっても仕事は一緒にしないでしょう。これはどう考えても擁護しようがないと思う。現代音楽とか人格性とかいっさい関係ない問題。(そしてこの点では共犯者多いはず)
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) 2014, 2月 11
「識者」の意見
としては
この東氏のものが最も
納得いきますね。
普段の東氏の言論活動の
半分以上について支持はできませんけど、
これに関しては
筋が通っていると思います。
で、
「三年前くらいから聞こえてた」
ので
ごめんなさい
とか偽作曲家が
言ってるわけですけど、
もうそんなのはどうでもいいんで
はやいところ
「組織犯罪」であったことを明かしてくれ
と、
そしたら
偽作曲家&ゴーストライター
二名ともに
司法取引で無罪放免でいいよ
くらいに思います。
ふざけるのもいいかげんにしろ
って話ですよ。
自分として
一番インパクトがでかい
というか
記憶に生々しいのは
やはり
1995年3月20日の
「地下鉄サリン事件」
である。
何故かというと
同日
おそらくTVで
ヘリコプターから撮った霞ヶ関駅付近の
騒然とした状況
とかがオンエアされてた丁度その頃、
「古典的な手口のパチスロのゴト師」
との神経戦に挑んでいたのだった。
当時はスマホも携帯もネットも普及してなかったので
世の中がそんな大変なことになっている
とか露知らず
「ゴト師来たかーこのやろー」
という戦いに全神経を集中していたのだ。
早番ただ一人の店舗役職者として。
埼玉県某所で。
で「犯罪行為」に関する話題だし、
よい子が真似をしてもいけないので
詳細はいつものように省くのであるが
その局地的戦いに
わたしは「勝利」したのである。
当時私は
「店長」「副店長」
に次ぐ「主任」的立場だったので
ゴト師なんかは
「見抜いて当然」という職責を担っており、
自分が店にいる間にまんまとやられたりした日にゃ
「何やってんの?おまえの目は節穴か?」
とか怒られること必至、みたいなポジションであり、
なのでその時は
敵にまんまと仕事されなくて一安心
とホッと胸をなでおろし、
でもけっこうえげつない手口の犯人を
我ながらよく見つけたものだ
というような誇らしい気持ちも
多少はあったりなんかして
自分からみれば「上司」であるところの
「副店長」や「店長」に報告した瞬間に
「おおよくやった誉めてつかわす」
とか言われて下半期の人事評価もうなぎのぼりに
なるにちがいない
とか埼玉県の片隅でほくそえんでいたのだ。
ほくそえんでいたのだが、
世の中はそれどころじゃない大騒ぎだった
と。
副店長や店長が遅番で出勤してきて
待ってましたとばかりに
報告したところで
聞いちゃいねえ
みたいな。
というか自分が逆に
「毒ガス事件」に驚いちゃって
いましがたの自分の戦い
とか
どうでもよくなっちゃたりなんかして。
というようなことで
よーく覚えているのである。
日本国において
「主義主張」
「思想」
に基づいて
「人を殺すことも厭わない」
というような過激思想が
というかいわゆる
「革命思想」が
完全に死ぬきっかけになった
事件だとつくづく思う。
「犯罪被害者」が声をあげ
脚光を浴びるきっかけにもなっただろう。
なにしろ
同日同刻
まさに自分も
「犯罪被害」に対処していたことを
考えれば
「人生」そのもの
に影響の大きな事件だった。
しかしそれだけの大事件であっても
いまとなっては
「当時まだ生まれてなかった」
世代も込みの「現代」になってきているので
桑田さんがいうとこところの
「教科書で現代史を教えない」
我が国であるから
団塊世代が口を酸っぱくして引き継ごうとしている
「戦争」の記憶
と同レベルのエネルギーを使って
「オウム」の記憶も
次世代に伝えるべき
だろうと思う。
あのような「邪教」の存在を
見過ごしてしまった世代の責任として。
ちなみに私がゴト師から
必死に守った機種は
「コンチネンタルⅡ」である。
それほどでもないものには
正当な評価というか批判というか酷評が下されるべき
という気運を醸成した
という
そのこと一点に関して
新垣氏の行動の
日本国民への貢献度は高い
と言わざるを得ません。
「コミュニケーション能力重視」
とかいって
国民の
「批判」「批評」能力がそがれまくって
お人よし
ばかりがそこらじゅうに
蔓延る
みたいな空気でしたから
それを阻んだ
ってだけでも
「国民的英雄」でしょう。
もちろん
「詐欺」その他の犯罪加担で
今後事実関係がどんどん明るみに出て
新垣氏がある程度の
「法的責任」を負わざるを得ないのは
避けがたい事実だとしても。
痛感してますよ。
もうなんかいかにも「業界人」っぽい人が
「そうは言っても彼のプロデュース力は凄い」
的な擁護論のような擁護論でないような、
「業界のしくみ維持」論みたいなのも出始めてますね。
それに対してはもちろん全然「賛同」する気持ちはないのです。
ないのですが
当たってるところもあるかな
とかね。
実際自分は長年「ソロ」活動を継続してるわけで、
おおむね自分一人だけでコントロールしてる
とも言えますが
やはり「完全に自分一人で全部やる」ってのも
物理的に無理があるわけです。
普通にライブハウスのブッキングライブに出演する
ってだけでも
それは「単独作業」じゃないですもんね。
ということで
「ソロ活動」をやっててつきまとうのは
「人は一人では生きていけない」
という人生の本質を踏まえつつ
しかし
「出来る限り自分のコントロールの及ぶ領域を確保したい」
ってゆうね。
そこいらあたりの心理的葛藤は避けられません。
まあほんと実に我がままな人種だと思いますよ。
「ソロ」の「シンガーソングライター」って(笑)
で、
AKB商法や偽作曲家の大編成オーケストラ志向
のように
「周辺」の領域を拡大して
「周辺」に集う方々の生活を潤すってのは
資本主義社会の一員としては模範的な構成員なんだろうな
とは思います。
思うんですけど
ここでわたくし何度か述べましたように
自分は「ヌルい資本主義」志向の人間なのです。
AKB商法も偽作曲家も
「かなりキツめの資本主義」
の原理原則に沿って動いている
ように感じます。
どこからどう見ても。
なので、
プロデュース力
だの
チーム力
だの
プロジェクト
だの
コンセプト
だの
とかそうゆう大げさな
カタカナ用語なんぞは
この際とっぱらっちゃって
「大げさな物語的人生」を
持っていない
「そこいらのおっさん」
「そこいらのあんちゃん」
「そこいらのねえちゃん」
が
各自勝手に暴れて
実入りもある
ってゆうような
世の中にしたいものですね。
実際そうなるかどうかはわかりませんけど、
そうゆうふうになるように
言葉を選んで
ものを書くようにはします。
今回の騒動であらわれた
「品性下劣な劇場型組織犯罪」
のようなものについては
「臭い」を感じた時点で
言葉で叩き潰す
という行動に出ますよ。
まあ「気がつく」ことが出来れば
の話ですけどね。
それも「言論表現の自由」ですから。
というかそれは
子を持つ親としての責任
である
とすら大げさでなく痛感してますよ。
ちなみにこれは
あくまで※個人※の意見ですので
みんなもやろうよ
とか
言い募るつもりは毛ほどもございません。
と
普通に暮らしている大多数の人は
日々そう思っているのでしょう。
実際、
「世間」を知らなかった学生時代までは
私自身ものほほんと暮らしてましたし。
でその後
あまり「普通」ではない
パチンコホール業界に20年身を置いたので
マンガやドラマみたいな出来事に
遭遇しまくりでしたよ。
アルバイトの面接の時なんかでも
「この仕事、マンガやドラマみたいな
出来事が頻繁に起きますので、その覚悟を
持って臨んでもらえますか?」
とかテンプレート的に使ってました(笑)
しかしそういった諸々の「出来事」について
ここに書くつもりは毛頭ございません。
その理由も述べません。
ということで、
そんな私ですら
「偽作曲家&ゴーストライター」事件
には
真面目に驚愕してますよ。
わけがわからなすぎて。
偽作曲家さんの
「NHKスペシャル」
妻が録画してたのを
一瞬見た記憶あるんですけど
速、視聴をやめて
PCに向かって、
ヘッドフォンしましたよ。
これは私の「審美眼」が確かだから
ではなく、
「趣味嗜好に合わないので関わらないようにしよう」
と思っただけなのでした。
で今回の事件報道まで
「現代のベートーベン」という用語すら
知らなかったくらいに
全くなんの興味ももってなかったんですけど
まず「売上16万枚」
ってことに驚きました。
で、いろいろなサイトで
「ほぼ大絶賛」の
業界人、知識人の評
が揶揄的にさらされているわけです。
その内容にも驚きました。
一体世の中どうなってんだ?
みたいな。
偽作曲家&ゴースト
の当事者2名
だけの問題なのか?
みたいな。
とりあえず2009年の芥川作曲賞において
三枝氏の強い推薦を蹴った
斉木氏、松平氏のコメントが聞きたいですね。
まあ関わりを避けて「ノーコメント」かなあ。
どんどん出てきてますよね
スキャンダルとして。
都知事選直前に。
それもあっちこっちから。
なんかいまにしておもえば
赤尾さんとか東郷さんとかが
毎回出てた頃が懐かしく感じてしまいますよ。
ただ
それでもやはり
「政治」を人生の中心に据える気持ちにはなりませんけどね。
もうほんと
その都度の「生活状況」を鑑み
自分の「生活」にとって
有利な政策を実行しそうな候補に投票するだけです。
それ以上でも以下でもないです。
右派も左派も
そりゃもう「生き残り」に必死ですから
「政治」を「人生の最大目標」に掲げ
自陣営の味方になってくれる人材を増やしたいのだと思います。
それについては
お互いせいぜい頑張ってください
としか言い様がございません。
私は「政治」を
人生の「目標」に組み込むつもりは
さらさらございませんので
その都度投票行動を変えていくと思います。
「一貫した行動」など
とるつもりはございません。
何故そう決意したか
といえば
「こいつは思想信条に基づいて一貫した行動をとってくれる」
と
腹に一物もった陣営に見込まれたら
「骨の髄までしゃぶられる」のみ
です。
そんなことは学校でも会社でもそして家庭でも
いまの日本国では教わらないでしょう。
なのであえていいます。
「青筋立てて一方的に主張する」なんてな行動は
百害あって一利なし
です。
もちろん
自分の心のなかの秘めたる想い
みたいなのは
誰にでもあるでしょう。
それは最後の最後までとっておきましょう。
を確認するため
みたいな意味合いの方が強かったわけです。
で、
使い方によって
「紀行文」
とか
「論文」
とかにも
利用できる
と実感しましたよ。
いまさらかよっ!
って話なんですけどね(笑)
Q1. これまで著作権料がいらなかったBGMに、なぜこれからは必要になるのですか?
A1. 音楽が営業用に演奏される場合には、生演奏はもちろん、カラオケ、有線放送の伝達、あるいはCDの再生であっても区別せずに著作権が及ぶのは国際的にはあたり前のこととされています。
ところが、日本の著作権法では長い間、著作権法附則第14条という規定により「録音物の再生演奏」で権利が及ぶのはディスコやダンスホール、音楽喫茶など特別な場合だけでした。「録音物の再生演奏」に権利が及ばないということは、明らかに国際条約違反だとする海外からの指摘もあり、1999年6月の国会でこの規定の廃止され、権利が認められたからです。
ってことでその
「1999年6月の国会」
ってやつの詳細を把握してないんですけど
そうゆうところは抜きにして
ザクッと言えば、
「国際的に当たり前のこと」
なんてなことを
気にしないでいれば
「BGMに独自性を持たせたい商業施設」の方々が
未来永劫「CD購入の顧客」でありつづけてくれた
かもしれなかったのに・・・
みたいなね。
であと疑問なのは「1999年6月」
とかだったら
現在の「CD不況」に比べれば
全然ましな状況だったように記憶しますが
なんでそのタイミングでこうゆうことをするのか
いまとなっては疑問ですね。
さてなんでいま急に
これに触れるのかというと
「店舗BGMにCDをガンガン使ってた時代」
の記憶が生々しく残っているからなのです。
前に何度か書いたかもしれませんけど、
「いままさにどのCDを再生するか?」
で店舗スタッフ同士で
かなりギスギスしたりなんかして(笑)
そりゃそうですよ。
「単調な接客業務」
をやり過ごすにあたり
「BGMが自分の趣向に合うか否か」って
意外にデカいですからね。
好きな「アルバム」だったら
それこそ「ヘビーローテ」で
3回リピートでも全然OKで
おかげでなんだか仕事が早く終わった感でいっぱい!!
みたいなね。
ということで
私も「BGMでかけるCD選択闘争」にそこそこ参戦しました(笑)
邦楽から洋楽まで
ジャンル問わず幅広く試した結果
「最も就業時間が短く感じたCDナンバー1」
は
リッチブラックモア&レインボウ
の
「バビロンの城門」
でした。
わたくし特に
「ハードロックorヘビメタ」オタク
ではないのですが。
このアルバム
全部聞いても
確か40分そこそこなんですけど
単調なようでいて
意外に起伏もあり
しかしハードロックらしい景気のよさもある!
みたいな。
でわたしはそんな感じでしたけど
「ドリカム命女子」
とか
「森高命男子」
とか
いろいろな人が
自腹で購入したCDをお店に持ってきてました。
というようなことを鑑みるに結果から見れば
「国際的に当たり前のこと」規準で
自国のCD購入需要を積極的にしぼませたって
そりゃあんた「責任者出て来い!」って話なわけですよ。
まあ出てこないでしょうし、
時代も流れて
その他の要因もからんで
「CD不況」はもう
どうしようもないんだろうと思います。
思いますが、
「音楽」そのものは
無くなりはしないでしょうから
特に何も悲観はしておりません。