全力リラックス!辻タダオ
おぐまゆきとのユニット「中前適時打」メンバー辻タダオのブログ。生年1964、生れ高松、育ち三多摩、元々の「本籍」は那覇、多摩市在住町田市勤務。中学吹奏楽部 町田市立忠生中学校 ・高校吹奏楽部 都立町田高校 ・大学ビックバンド 立教大学NSH 職歴 パチンコホール業界 →ブルーベリー農家。大阪近鉄からの東北楽天ファン。中前適時打は2016年4月結成。作詞作曲、key&vo 漫画原作等を手掛ける。心の師谷岡ヤスジ。無党派。表現規制反対派。ピアノはコードブック派我流。断煙断酒断パチ継続中。
神秘化への誘惑
自分の場合は「芸名」ではあるけど、
シンガーソングライターとして、
最初にサイト開設してから10年以上たってて、
書きたいことを書きたいように
すでに書いちゃってるので
いまさら自分を「神秘化」するのはもう無理なわけです。
職歴、学歴、家族構成、年齢とか
詳細まではそりゃ明かしてませんけど
まあおおざっぱには
自分が何者であるか
ってのは書きまくってますね。
なぜそうしたのか
ってえと
そりゃもう
「自分の正体を神秘化すると
書きたいような文章を書けない場合もある」
ってゆうね。
それはヤだな、と。
で、最初のサイト開設当時は
「会社員」でしたから
自分の思ったことをガンガン書いて、
会社の上層部の人に閲覧されて
「文章」ですから解釈はどうにでもなるので
「おいおいおまえは会社を批判する気か!」
とか怒られて不利益を蒙る的なリスク
はもちろん頭の中にありましたよ。
ありましたからそのへんは突っ込まれないように
気は使ってましたね。
無論、端から「会社批判」で憂さをはらそう
なんてな気持ちは毛ほどもなかったし。
というか当時の用語の「ホームページ」
を始めました!!!!
つって会社の人には宣伝したりしませんでした。
ですが「辻タダオ」として活動してることは
上司同僚部下全方面に宣伝済みだったので
いずれ発見されるだろうなあ
とは思ってまして
ま、それはそれでその時考えればいいや
って感じでしたね。
でやはり徐々に「発見」されて
上司の方に「見たよ」と言われたりし始めましたが
特に更新のペースが落ちることもなく
特にとがめられることもなく
退社の日をむかえました。
ま、ある意味
「思想表現言論の自由」は担保されてたってことです。

「自己規制」って言葉がありますけど
結局なんだか世の中息が詰まるなあ
ってのは全分野全方位で無意識のうちに
各個人が行う「自己規制」が根っこにあるような。

以前に書いたような気もしますが、
前職退社→就農
の間の時期に
職業訓練校に通ってた時
「就職コンサルタント」さんの授業もあって
「履歴書に書かないほうがいい趣味」
を次々に挙げまして
ギャンブル、プロスポーツチームの応援、特定アーティストの追っかけ
が三大「就職にヤバい趣味」ってことでしたw
まあ人を雇う立場で考えれば
そりゃそうだろうなあ
とも思うんですけど、
だがしかし
それじゃあいくらなんでも世知辛過ぎなんじゃないか?
と。
というかそんな風潮だから「不景気」なんじゃないか?
と。
会社を構成する人員が
「会社以外の何か」に人生第一の意義を見出しているってのは
確かに経営陣としては面白くないだろうな
ってのは容易に想像がつきます。
「忠誠心の有無」という観点で。

ただまあ私が「退社」したのは2010年なので
そこそこ時を経てるんで
今現在どうゆう空気になっているのかは
わかりません。

会社によっては
あんまり「忠誠心」アピールされても困るんですけど
みたいなのもあるし。
主にリクルートとかw

ま、なんにせよ自分は
「自分の正体の神秘化」には失敗した
シンガーソングライターである
と成分表示を明白にしておきましょう。

もちろん
デーモン閣下や世界の終りみたいに
「正体神秘化」してるミュージシャンの存在を
否定するつもりも毛頭ありません。
それこそ
「思想表現言論の自由」ですからね。
ただ
自分はそれはやらない
ってだけのことです。
なんとなくわかったこと。
事の起こりは
ツイッターとFBに
ほぼ同時刻に
「歌手六角精児」をたたえる内容で投稿。
特に深い考えはなく
たまたま録り貯めてた
シンガーソングライター六角氏
の渾身の名作
「お父さんが嘘をついた」の録画を見て
ゲラゲラ笑って
PCも立ち上げたままだったから
お気楽に投稿しただけ。

で、ここがポイントなんだけど
ツイッターに関しては
その前の日あたりに
「幅広く情報収集」するために
政治的なスタンスの全然ちがう
さまざまな「論客」のアカウントをフォローしまくった
のでした。
共産党よりもさらに左
とか
次世代の党よりもさらに右
とか
そりゃもう手当たり次第に。

無党派層の
有権者として
「プロパガンダ合戦」の
有り様を把握しようと思ったわけですよ。

それを踏まえ
何気ない「六角礼讃ツイート」に戻りますと、
ツイート実施後、就寝。
そして起床、PCチェックすると、
「通常」なら有り得ないペースで
「リツイートしました」「フォローされました」
「お気に入りに登録されました」のお知らせメールを
着信してたのです。

最初、
六角氏を露骨に誉めるとか
真面目な会社員の人とかには無理だろうから
それで共感を呼んだのかなあ
くらいに考え
六角氏の威力すげえ!
くらいにしか思わず
あんまり深く考えませんでした。

自分の場合2ちゃん勃興期から
店舗運営の局面で
ネット上の修羅場は経験してたので
何も恐れるに足りず
って感じでした。

で、一面識もない
「新たに」リツイートやお気に入り登録や新規フォローを
してきた方々のアカウントをザーッとチェックしてみたのです。
チェックしてみたら
右から左まで幅広く
「政治的スタンス」を明示した方々が多かったです。
それと自己啓発orアフィリ系がちらほら。

それがわかって感じたことは、
ただひとつ。
極右から極左までとりこむ六角パワーすげー!
ってのと、
どっちにしても皆様
「組織のしばり」
に相当疲れてるんだろうなあ
ってこと。

小さな木の船の
板の下は地獄ってゆうのと
同じような心持の
自営業者ですけど
精神的自由ってのは
何にも捨てがたいなあ
って
あらためて思う
ここ数日ですよ。
1984年の幻の女
さて前回、
村上龍著「コインロッカーベイビーズ」を徹夜で読んで
怒涛の勢いで小論文入試に臨んだ件を書いたんですけど
それはもちろん
「コインロッカーベイビーズ」を読んだら
小論文入試に受かるはず!
という「戦略」があったわけではなく
受験という「目の前の壁」にヘナヘナとして
「快楽」を追い求めてしまったんだけど
結果、「合格」だったってゆう
ただそれだけなんですよ。
じゃ何故
受験で大事な時に
受験に役立ちそうもない
「コインロッカーベイビーズ」を読む気になったのか?

基本「小論文入試」は当時
やっと始まって海のものとも山のものともわからない
って状態だったんで
「1浪」の真っただ中だった私は
普通の「文系三科目私大入試」を前提に
受験準備をしてたのです。
で、代ゼミの「私大文系コース」に籍を置き、
代ゼミ
に通うために
よく小田急に乗ってたわけです。

でもその代ゼミも
ほとんど真面目に通ってなかったのです。

年末あたりの大詰めになっても
模試の成績芳しくなく、
ああこりゃもう「二浪」覚悟かな、
と思い
ある種の「リスクヘッジ」で
立教大学文B入試も受けてみるか
と軽く考えて願書出した
ってゆうノリだったのです。

でそれ以外は普通に
「英国社」の三科目入試でして、
実際に試験が始まって
手応え的に
ああ、こりゃダメだな
みたいな日々が続き、
で「立教文B入試」の前日か前々日くらいに
昼間の乗客の数の少ない小田急
に乗っていたら
向かいの席で
ハードカバーの
「コインロッカーベイビーズ」を
ブックカバーもせずに
足組みながら堂々と読んでいる
「お姉さん」がいたのです。
まあ間違いなく年上な感じなんすけど
十九二十歳の野郎共であれば
余裕で「鼻血ブー」なムードでしたw
私は即座に
村上龍のコインロッカーベイビーズなら
文庫版もあるはずなのに
なんでこの人はハードカバー版を
これ見よがしに読んでいるのだろう?
あ?でも自分どっちにしても
「コインロッカーベイビーズ」はメモってなかった!!
つって
速攻で講談社文庫の
上下二巻を買って帰って
読みふけって止まらなくなり
夢中になって読み終わったら
もう受験会場に向かう電車の中だった
と。

あのお姉さんの面影は
滅茶苦茶強烈だったっす。
でももう細部までは思い出せません。

まさに「幻の女」ですw
AO大江村上
ということで、
学校制度ってうっかりしてると
どんどん変わっていくんだな
ということを痛感してるんですけど
実際自分が「就業」して
多忙な時間を過ごしていると
そんなことにはかまってられませんし、
たまたま自分の場合は
「宮仕え」から
「自営業」に移行して
娘の受験期
ってのをむかえて
ええ?なんでそんなことになってるの?
と気付く余裕があった
ってゆうね。
普通に宮仕えサラリーマンのままだったら
全然気づかなかったと思いますよ。

ほんと
自分が「小論文一発入試」で大学進学していながら
いうのもなんですけど
ここのところの「内申」のあり方とか
中学の段階で「ディベート」の授業やるとか
そりゃちょっと
どうなんですか?
って思わざるを得ません。

慶應大学のAO入試に関しても
え?いつのまに?
って感じだし。

で、何度も申し上げますように
わたくし「無党派層」なので
慶應大学のAO入試が
特定の党派層の利益になっている!
とか
一般入試との比率構成を考え
ごく普通の受験生にとって不公平だ!
とか
騒ぎ立てるつもりは全くなく
自分で選択して実施している制度なわけだから
それは「母校」関係者全体の選択でもあるわけで
長い歴史と伝統を持つ慶応大学の当事者の皆様が
そうしていることに対し
なんらの文句もつけようがないです。
「大学の自治」
ってのも喧伝されてますしね。

なのでここは
長い歴史と伝統を持つ慶應大学において
いかにAO入試という制度が浸透していったのか?
ってゆうことの
詳細なドキュメンタリーとか読みたいです。
誰にも役立つでしょう。
コミュ力
交渉力
その他全て諸々の能力MAXで
慶應大学と折衝して
「組織改編」を勝ち取った
ってことですもんね。
朝ドラのネタになってもおかしくないですよね。

ってなことで
表題に大江村上
って書いたのは
自分の「小論文一発入試」の時、
課題というか例文に大江健三郎のエッセイが出まして、
そんなことは事前には露知らず村上龍の「コインロッカーベイビーズ」を
試験前夜に徹夜で読んで臨む流れになって、
その場の勢いで
「戦後民主主義」批判の文章を書いた
と。
それだけは鮮明に覚えてるので
タイトルにいれました。

当時は小論文一発入試対策塾などないので
自分がその論文入試にかけたコストは
コインロッカーベイビーズの書籍代のみですね。
大江健三郎の書籍は親の書棚のを読んだのでw

自分が「学生」になれたのは
大江村上両氏のおかげなのは間違いないです。
ですけど
そのことを涙ながらに感謝する気持ちは
一切ございません。
早熟な子供じゃなかったんで
「物心」ついたのは小5くらいかな
と。
自分の場合。
それ以前の記憶あんまりないし。

あとその「異性との交遊」ですけど、
いまどきは小学生同士で「コクる」ってのも
ごく普通なようですが
自分の時代はほぼ皆無だったような。
ま、それは地域差とかあったのかな。

ということで
昨日触れた「偽小4」の人は
オルグされてほいほい引っかかったのではなく
信念の早熟政治少年だったみたいで
そこは謹んで訂正いたします。
ある意味「生まれながらの戦士」だったのでしょう。
だから評価するとかしないとか
そうゆうことでもありませんけどね。
ただただ推移を見守るのみです。
カルトとかセクトとか
さて、
小4成りすましの慶大生が話題になってるんだけど、
もちろん「擁護」する気持ちは皆無であって
馬鹿だなあ
としか思わない。

ってことで、
ちょっと危機感を覚えたのは
その人みたく
あっけなくオルグされちゃう若者が
今後どんどん増えてくるのかなあ
みたいな。

自分が同じ年頃のときは
民青の特徴
原理研の特徴
もっと過激なセクトの特徴
とかを
逐一教えてくれる「先輩」とかいたんですよね。

前にも書いたかもしれないけど、
いまはそうゆうのは
「学生同士のネットワーク」で防ぐんじゃなくて
大学当局が「啓発」してるってことみたいで
これから高校大学を過ごそうとしてる
娘を持つ親としては
なにげなくおしえていくしかないなあ
って思います。
ほんと
そんなものにとりこまれちゃったら
人生の無駄遣いですからね。

そこだけは親として
子に貢献しようと思いますよ。

ゼロからスタートはまさに博打
ってゆう農業なわけですけど、
まあ、もうこうなったらなるようになれ
って感じでして
新たに借りた農地はどう考えても
「肥沃で実入りがいい」という土地ではなく
考えてみればそんな土地あったら
誰かがとっくにおさえている
ってのが世の常なわけですので
結果にこだわり過ぎずに技術や知識を習得する場所
ってゆう位置づけでいきます。
てなこというと、なにのんびりかまえてるの?
と思うかたもいらっしゃるでしょうが、
なんでそんなにのんびりしたこといえるのか
というと「賃料」がべらぼーに安いからです。
新聞購読代3か月分いくかいかないか
のレベルなのです。年間で。
で、「やはり私達の力量では無理でした」
とかいって借りるのやめたとしても
なにか罰則があるわけでもなく
というか逆に地主さん側にしてみれば
ここ気に入りました売ってください
という展開に急になっても逆にビビる
というなんとも微妙な空気もあるわけですよ。

そんなわけなので
あいかわらず、
低コスト路線で臨みます。
「資材」にはなるべく金をかけない!
と。
なのでむろん「お薬」関係も使いません。
自分の体を慮って。

どっちかというと
湿りがちな土地なので
どう考えても
当初構想してた「オリーブ」とか
全然向いてないんですけど
土壌流出防止
の為になんらかの樹木は植えないとだめなので
試しに買った苗は植えてみます。
あとその他何種類か果樹植えますよ。
ダメ元で。
いやほんと雨続くと土が流れちゃうんですもの。
で、草生栽培的に牧草的なのも植えて、果樹以外は
ハーブ類で埋め尽くします。

さて「技術や知識を習得する場所」と位置付ける
ってさきほど書きましたけど
ほんと農業の場合も
「健康法」や「原発に対する考え方」や
「憲法に対する考え方」なんかといっしょで
「正反対の立場のもっともらしい理屈」が
飛び交っているので
講習会とか研修会とかいろんな集まりに出る
とか
書籍を読む
とか
ネットで調べる
とか
いろいろやってると
門外漢的立場だった者からすると
混乱しまくるわけです。
一体誰を信じればいいのか?
みたいなね。
ですがまあここは大体の方向決めて
自分の感だけでえいやっ!といきます。
でなるべくコストをかけずに
お金は貯める方向で暮らして、
5年たってダメだったら
「水商売」に転身します。
もともとそっちの方が向いてるし。
死んでなければ(笑)
歌の二人称
さて、
作風バラバラのシンガーソングライター
なので
当然「二人称」もバラバラでなんでも使う。
「君」「おまえ」「あんた」「おめえ」「おめいさん」「貴方」くらいかな。
ニューミュージック全盛期は「優しさ」の時代だったので
さだまさしが「君」以外の言葉を使っただけで
そこそこ物議をかもしてたような記憶があるんだけど
いまはもう「なんでもあり」の時代ですからね。
でふと気づいたのは
「おたく」って歌詞の中にはいってる歌ってちょっと思い浮かばない。
まあ、もう別の意味が強すぎるからかなw
あとややこしい二人称としてつとに有名なのが
大阪弁の「自分」なんだけど
それで思い出すのはやはり
「河内のおっさんの唄」の「ワレ」の使い方。
これ「自分」ってのと同じ意味ってことですよね。

で、昨今では
「ユー」ってのもあるみたいですけど
さすがにこれはちょっと抵抗感ありますね。
ダルビッシュ有の有と区別がつきにくいし。

ってことで、
昨日から一人称、二人称
について書いてるのは
たとえば
「君と僕」で統一する方が
世界観は固定化するし
聴いてるほうも混乱しないのかな
とかね。

でも私は
いろんな一人称二人称を繰り出して
人々を混乱させることにします。
今後もw

いずれにしても
文科省の指導要領改訂における
「英語教育早期化」
には
反対します(笑)

百害あって一利なし
ですよ
そんなもん。

こうゆうのこそ
ペンクラブあたりが速攻で反対すべきでしょう。
なぜそうしないのか意味がわかりません。
歌の一人称
さて、ツイッターで書いた気もするんだけど、
ものすごく名の通った昔の映画で
ほんとは見てないんだけど
見た気になってた映画ってのもあるもので
自分の場合は「キューポラのある街」がそれだった。
川口市に10年住んでたわりに実は見てなかったのだった。
スカパーでやってたのを
昔見たけどだいぶ昔だしまた見て思い出すか
つって画面眺めてたら、
吉永小百合の打撃技術に驚嘆し
ようやく、あ!これ見るの初めてだ!
と気づく。
おそらくだけど「下町の太陽」と混同してたような。
倍賞千恵子と吉永小百合じゃ全然ちがうんだけど。
でまあ映画の筋とか背景とかの感想は
いまここでぐだぐだ述べるつもりはなく、
吉永小百合が自分のことをずっと
「あたい」と言ってて
そこがなんとも萌える感じだった。
世代が違うので
なんで「サユリスト」が多いのかよくわからなかったんだけど
みんなこの「あたい」にやられたのではないか
と勝手に推測しているところ。

さてそれで表題の
「歌の一人称」なのだが
自分の場合
作風バラバラのシンガーソングライター
なので
「おれ」「僕」「わたし」「あたし」「わし」と
そのあたりも統一性なくその都度使い分けている。
ま、圧倒的に「おれ」が多いのは
思春期に筒井康隆中心に読書していた名残だろう。
「僕」を使うのはやはりその
「女性側に精神的優位に立たれている様子」
を表す時で「マダムれいこ」とかがそれ。
「角のスナック」とかね。

それはそれとして
ここ10年ほどの傾向なのかなんなのか
特に関西京都方面の出身というわけでもないのに
自分のことを「うち」と言う若年女性をちらほら見たような。
というか自分とこの娘も一時使ってた。
それから前職在籍時のバイトの若年女性とか複数。
なんでなのかはよくわからない。
なんかそうゆう漫画とかアニメとかがあったのか
とかもわからない。
単に「私」とか「あたし」と言いたくないだけなのかも。

そんなわけで、
「しめのめん」が「おれ」の歌だったので
次は女性一人称の曲にしようと構想中なんだけど
吉永小百合の「あたい」が強烈過ぎて
どうすればいいのかよくわからなくなってきたのである。
「あたい」ってえとあの「ひとり咲き」も強烈だし、
まあおいそれと手は出さないほうがいいのかも。


健さん死去については
ツイッター&FBでも触れましたので
ここではシンプルに
つつしんでご冥福をお祈りします。

でやはりその
アオイホノオで若かりし頃の庵野氏とかが
当時面識のないアニメ界の先輩を
「OOさん」とさんづけで呼んでしまうように
なんかこう「健さん」ってなってしまいますよ。

自分の場合は
昭和館地下
とかではなくて
千石の三百人劇場の「マキノ雅弘特集」回顧上映や
DVD在庫が最大限に豊富だったころの新宿ツタヤなどで
かなり「任侠もの」の「健さん作品」に触れました。
あとはスカパーもか。

何故そんなにハマったのかというと
やはり「谷岡ヤスジ」師匠の影響でかいですね。
ヤスジ師匠「次郎長もの」も画いてて、
当然「ギャグマンガ」ですから
「このへんで高倉健も怒り出すところだもんね」
みたいなセリフもガンガン出て来るんですけど
ああ、こりゃ任侠ものを茶化してるんじゃなくて
完全に愛してるんだな
とかひしひしと伝わってきまして
生ある限り任侠映画はたくさん見よう
と若かりし頃に誓ったわけなのです。
ま、もちろん健さん同様
50本超えてくると
ワンパターンさに飽きがきましたよ。
そりゃもう。
でもまあなんかちょっとした細部の進め方の違い
とか見つけると嬉しかったりもするので
余裕があれば延々と「未見」の作品探して見続けるつもりではあります。
ありますがずぼらな性格でメモもあまりちゃんととってないので
同じ作品二度見三度見続出になること必至!
みたいなw

いずれにしても、
「次回作」がないのは残念ですし、
あとFBで東映任侠路線以外で印象に残る作品として
「ブラックレイン」を挙げたんですけど
丁度封切りの頃に歌舞伎町の映画館で見た直後に
松田優作の訃報に触れた記憶が鮮烈に残っていたのです。
「高倉&鶴田」とか「高倉&池部」はいっぱい残ってるけど
「高倉&松田」はこれでもう終り!!??
というようなショックを受けました。
あとは「監督北野&主演高倉」が見られなかったのは、
ほんとうに無念で泣きそうになります。
ライブの後は東京ドーム3連荘だったので
ここのところ更新滞ってました。

日米野球は
まさかのノーヒットノーラン試合も含め
まあ堪能できましたよ。
3日でホームラン5本に3塁打3本とか
派手さもあったし、
カノを筆頭に「これぞメジャーの内野守備」ってのも
随所にあったし。
ま、そのカノの骨折欠場は残念でしたけど。

WBCのたんびに「長打力不足」感が否めなかった
侍JAPANもそのへんはかなり解消されてきつつあるのも
良かったですね。
柳田山田中田筒香とか
同じ打線に名を連ねてるのは
なかなかに夢がふくらみますよ。
まだまだ皆若いですからね。

でまあなんつっても則本が最高でした。
ありゃメジャーだろうが宇宙人だろうが
打てませんって。


席も2階の最前列付近や
内野のポール際でフェンスが邪魔にならないあたり
で獲れたので言う事なしでした。

で特筆すべきは
MLB攻撃時に鳴り物がないんで
「打球音」が聞こえまくりで実に楽しかったですよ。
モーノーの本塁打も凄かったですけど、
プイグのツーベースの音と打球の速さも
印象大でした。
丁度目の前で超美技やってたし、
これまた若いので将来楽しみですね。
江古田マーキーライブ近づいてきました。
11月12日(水)江古田マーキー18時半会場19時開演 出演 三浦廣之/水谷吉克/辻タダオ ¥1000(別途ドリンク代)のライブに向け鋭意仕込中ですが、おかげさまでオリジナルの新曲披露できそうですよ。どんな曲かは当日のお楽しみってことで。久々復帰ライブですから景気いい感じでいきますよ。と言っておきながら当日気が変わって暗い曲中心になったりしないとも限らないのが辻タダオでございますw でも新曲は必ずやりますよ。
収束したかに見えたデーブ批判復活
なんか今度は
秋季キャンプの進め方がブラック企業っぽい!
みたいな論調。

ここでも何度か述べましたが
元大阪近鉄ファンなので
関根御大を怒らせた場面を生で見たので
デーブへの批判はまったく無根拠な陰謀だ!
とかは思わないし、
自分としてはなんかやらかしたら
その都度ああだこうだというつもりでもあるんですけど
「秋季キャンプの細かい進め方」
って
じゃあ他のチームは報じられているのか?
ってのもありますし、
例年「秋季キャンプ」は薄く報じられこそすれ
休日がどうこう
実際の練習方法がどうこう
とか
そんなのあんまり見たことないです。
というかそもそも
ストーブリーグとか
キャンプ関連とかの報道は
そんなに根を詰めて見た記憶ないです。
個人的に。

あくまでシーズン中の試合
がメインですからね。

ストーブリーグで
好きな選手が贔屓チームからいなくなったとしたら
そりゃまあ寂しいですけど
まあ春以降なんとかしてくれ
としか思わないのが普通なのかなあ
とか思います。

デーブの場合
「疑惑のデパート」
鈴木宗男氏並みの扱いになってまして、
もちろんデーブ鈴木両氏に肩入れして
味方して地位と名誉を保全して差し上げよう
なんてゆうボランティア精神はございませんし、
元近鉄ファンとしてデーブ氏を擁護する動機は
全然浮かんでこないんだけど
なんかこう
この空気は解せないんですよ。
どうしても。

デーブはそりゃもう
ここまでのバッシング報道というか
過去の実際の悪事もあって非難轟轟ってことに
なってるわけですから
バッシング側の
「野球音痴の三木谷オーナーに
舌先三寸でとりいっただけの無能者」
という理屈もわからないではないんですけど
ほんとにそれだけなのか?
ってのは拭いきれません。

もしかしていろんな政治勢力の
いろんな思惑とか
からんでるのかな?
とか。

極端な例をあげて恐縮ですけど
奈良県の女子高生殺人事件で無罪になって
釈放された66歳男性が大阪で38歳女性をメッタ刺しにしましたよね。
昨日。

もうこれ
「司法」の信頼丸つぶれ
って話ですよね。

三権分立のうちの
「司法」がこの有り様ですからね。

ということで
元大阪近鉄ファンとして
デーブを積極的に好きになる理由は
全くないんですけど
「最高裁」ですら信用できない国家ですから
「一部マスコミ報道」とか
信じる理由が全くないです。
かといってデーブを信じる
ってことではないんですけどw




健康法や食べ物飲み物の良し悪し
は常に諸説紛々で素人としては
いつも混乱している
ってゆうようなことをツイートしたんですけど、
わたしの家ではやはりその
「夫のメタボ腹」を気にして
妻からの「なんでもかんでも好きに食べないように」指令が
ずーっと出てたんで
ビール&ポテチとかの黄金の組み合わせ
とかほぼ10年くらい家庭内ではお目にかかってなかったんですけど
夏くらいから、家族が寝静まったあとに
ひそかにポテチ食べまして、
「うわあ久々に食べるとやっぱ美味い!」
ってなるわけでして
湖池屋ののりしおとか最早芸術!
と悦にいってたら
「発がん物質」報道キター
みたいな・・・・・・・

までも
メーカーも加熱方法の変更をして
対策してるってことなので
もちろん「ポテチは一生食べない」
と心に決めたりはしておりません。

昨日までの常識がひっくり返っても
平然としてられるのが
日本国の特徴ですからね。
いい悪いは別にして。

ってことで
話はあさっての方向へ飛び
その「アサッテくん」とかでもおなじみ
東海林さだお先生のエッセイは
中学高校浪人生の頃に
次から次へと読み倒してたんですけど
書籍名わからなくて恐れ入りますが
「ホステスにモテる話」みたいな
まあわりと定番なネタが出てきて
戦争前後の生まれた年によって
モテ方が違う件
みたいなのがあったような。

戦時中の苦労プラス突如の戦後民主主義への転換
での心の葛藤をメロドラマチックに語る自分より年上のおっさん
はモテる、と。ホステス思わずもらい泣き!
みたいな。
対して自分は「戦時中の苦労」ネタが少ないし、
民主主義への転換における心の葛藤の度合いも
おっさんに比べれば薄い、と。
ってことでおっさんほどにはモテない、と。
まあそんな感じの東海林節炸裂だったような。
「モテなさ」アピールのエッセイはことごとく面白いんすよね。
かなり脚色されてるんだろうな
ってのはわかったうえでそれでも面白い。

さてでも
これ自分がおそらく高校生の頃に読んだので
まあ「昭和」のお話ですよね。

いまだとどうなんでしょうね。
何か歴史的な大事件を前後して
自分の人生観なりなんなりも大きく変わって・・・
みたいなことをホステスさんに語って
モテるのか?
「戦争を知らない子供たち」世代が。

自分の世代だと
阪神淡路大震災
地下鉄サリン事件
東日本大震災
あたりが
「歴史的大事件」でしょう。

他人様のことはわかりませんし、
あくまで推測なんすけど
東海林先生の時代とは違って
「苦労話」は敬遠される傾向にあるような気がするので、
まあおおげさにメロドラマチックにスナックやキャバレーで
しんみりしたこと言わない人が多いんじゃないでしょうか。
酒の勢いでそうゆう話を「うっかり」してしまったら、
「いけねえ、辛気臭くなっちまった、よっしゃカラオケだカラオケ!
アンルイスのああ無情でお願いします!」
ってゆうような展開になることが多いんじゃないか、と。

というか実際
そんなような現場何回か見ました。
あまり大きな声では言えませんけどw
「ゆとり」教育世代ではないんだけど、
「ゆとり」教育という政策に対する批判、
とか
その教育で育った「ゆとり世代」を揶揄する
とか
そうゆう立場にはなり得ません。

何故かと言うと
自分で勝手に「ゆとり」やってたから(笑)
誰に言われるわけでもなく。

どうゆうことかとゆうと
なんでもかんでも一生懸命
って感じじゃなかった
とまあ単純にそうゆうことですよ。

それは教育問題
というより
単に性格の問題なのかもしれませんけどね。

たとえば体育の授業とかは
季節ごとにいろんな種目やりますよね。
でまあ人間ですから「趣味嗜好」とか
好き嫌いとかあるのは普通
と考えるのが私なので
野球とかソフトボールとかサッカー以外は
完全に「適当」にやってましたよ。
「人より優位に立とう」って気持ち一切ナシ!
みたいな。

あと図画工作は完全に苦手だったので
酷い時には提出物を提出しない
とかやってました。

ってことで
体育とか美術とか技術家庭の教師には
よく怒られたというか殴られたこともあります。
前にもどこかで書いたような気もしますけど。

それから何十年も経ってますけど、
体育や美術や技術家庭の先生たちには
なんの恨みもありませんし
特になんとも思ってないし
それらが「強烈な記憶」ってわけでもないです。

自分の責任において招いた結果
としか
考えられませんからね。

たとえば
大人になって
自分が特定の教科がずーっと苦手だったのは
教師の質が悪かったんだ!
ってゆうようなことを言いだすのは
どうなの?

大人として(笑)

本質的に
人間
他人のめんどうを全面的にみる
ってのは不可能でしょう。

なので逆に仮定の話ですけど
私の体育や美術や技術家庭の成績が向上しないことによって
それらの教科担当の教師の人の
「勤務評価」がさがったとして、
私がその先生たちに
「すみませんわたしのせいでご迷惑をおかけしまして」
とか
謝る義理もないわけです。

どうしようもない
ことは
どうしようもない
のです。

で、話は
「小学校の運動会の組体操の高層化」ですよ。
事故で訴訟も起きてるのに
早急に廃止へ向けて各方面が動く
ってこともない、
と。

このことの本質は
あらゆる党派は「動員」を最重要視している
ってことだと思います。
右翼と左翼は
まさにコインの表裏ってことです。

単純化すると
右派は「従順な兵隊」が欲しいし
左派は「従順な革命の闘志」が欲しい
と。

四の五の言わず
こうなったら10メートル級の人間タワー作っちゃいますよ!!
とか
はりきる生徒
がいればいるほどありがたいわけです。

「脱ゆとり」が進んだのは
政治的右派が勝利したからではなく
おそらく左派のほうにも
「このままでは優秀な革命の闘志がいなくなってしまう」
ってゆう危機感があって
双方の利害が一致したからではないか
と邪推してます。

何故こんなことを思ったのか?

娘の学校行事を見て
思いました。

自分が児童生徒だった頃と比べ、
どの行事も
「観客」の視線を意識して
パフォーマンスとしての質が
異様なまでに向上している
と感じるのです。

見ていて楽しい
ともそりゃ思いますけど
一瞬
「そこまでやる必要あるのか?」
って疑念も湧くことありますよ。

半島の上のほうでよくやってる
「マスゲーム」と
何がちがうのか?
とかね。

ただまあ
自分もそのマスゲームとかビデオかなんかで見て
「おいおいおい」とかつっこみながら楽しんだ記憶もありますから
そうゆうものは一切合財やめてほしい
とか言うつもりもございません。

ただただ
「感動的なパフォーマンス」を繰り広げてる
児童生徒のみなさん
一人一人が
ほんとうに感動しているのか
そして楽しんでいるのか
それが心配だ
ってことです。

右派に動員されるのも
左派に動員されるのも
個々人の自由な選択ですし
意識的に動員されて
「飯の種」を得ている大人もたくさんいますから
とやかく細かいことをああだこうだと
言うつもりはありませんが
児童生徒のみなさんが
「気がついたらわけのわからない場所にいた」
ってことにならないことを
切に祈るばかりです。
FBとツイッターでは書いたけど
変な終わり方だった日本シリーズに関しては
「変な終わり方だったなあ」
以上の感想ないっす(笑)
まあ今日あたり野球の試合ないのは
やや寂しい気もしますが
「スカパー10日間無料放送」期間でもあったので
逆に丁度よかったかも。
野球やってたら
「プリンスのPV一挙連続放送」のMTVとか
どう考えても見れなかっただろうし。

で話は飛んで
アップルの会長のカミングアウトの件です。
それについて
特に何の論評もするつもりはありません。
ただ
個人的に色々思い出した
ってゆうことです。

時間や場所は一切特定しませんし
まして個人情報なんかも全く出さずに
概略だけ書きます。
いろんな「店商売」の
ある一業種
とだけ言っておきましょう。

90年代初頭の頃に
「見た目は完全におっさんだけど
しゃべりはオネエ言葉な人材」だらけの
職場にいたことあるんですよ。

好き好んでそこに入ったのではなく
「研修」で行ったのです。
1か月。

で、さすがに人事担当の役職の方も
「そうゆう感じの職場だから」
って事前に教えてはくれました。

で現場にいってみて
「うわほんとにオネエ言葉だ!」
って初日から驚いたわけですけど、
意外にすぐ慣れました。
というのも
「店商売」って業種を問わず
やはりそのノリが「体育会系」というか
マッチョな思想が主流なわけでして
どっちかっていうとそれは自分の性格には
合ってないわけです。
「オネエ言葉」の皆様は
たんなる新人の若造に対しても
「丁寧な言葉」で接してくれるってゆうねw
そこは強烈に印象深かったですよ。
他の業種だと
「おまえこのばかまぬけ」とか
けっこう怒号が飛び交う経験したんですけど
ああ、ここはソフトな別世界だなあ
と。

さてそんな風に
「身内」にソフトな職種ではありましたが
では何故そこに居つかなかったのか?
と。

もちろん
「自分はオネエ言葉でしゃべるつもりは一切ない」
ってのが一番大きいんですけど
それに次いで
「お客様が怖い」
ってゆうねw
それに尽きます。