「犯人逮捕」があって
テレビもネットもそれでもちきり
みたいな昨日でしたが
やっぱり「LINE」大活躍なわけですよ。
わたしはウィルコムのPHSと
あと畑用のドコモの「老人向け」ガラケー
しか持ってないので
LINEとは無縁だったんですけど、
娘が高校進学決まって
案の定
いままで与えてなかった
携帯とかスマホとか
を欲しがりまして
ま、合格記念ってのもあるし
いまのご時世ってのもあるし
妻も私もそこは妥協して
じゃこの際家族ごと
ウィルコムは解約して乗り換えるぞ!
とあれこれパンフレットなんぞを物色していたわけです。
そこへ凄惨な少年犯罪で
LINE大活躍!!
みたいな報道見ますと
なんだかなあ・・・・・・
ってなりますよね。
LINEとかなきゃいいのに
とすら思います。
思いますけど、
友人知人の皆々様
LINEを大いに活用してる方も
たくさんいらっしゃいますので
「LINE」の存在を声高に全否定し
使用してる人を非難するつもりも
毛頭ございません。
というか
スマホでも携帯でも
与えようではないか
と親として一度宣言したものを
こうゆう事件があったから
って撤回するつもりもないので
いずれにしても
娘は「スマホ」を持つことになるわけです。
どう考えても「携帯」よりは
「スマホ」を欲しがってますからねw
で、スマホを所有しはじめた者に
「LINEはやるな」
とは
言いにくいご時世です。
というか
「家族ごと乗り換え」
の際
自分も「スマホ」にしちゃおうかなあ
とか考えてたのでw
で、自分でスマホを所有するとなると
そりゃもう使い始めの頃は
ありとあらゆる機能をなんでもかんでも
猿のように使い倒して「娯楽」として
遊びまくろうとするのは間違いないので
LINEなんかもやるでしょう。
おそらく。
やってしまうでしょう。
間違いなく。
そうなったときに
娘に
「おまえはダメ」
ってのはちょっと理屈がとおりにくい。
あと善後策として
「LINEやってもいいけど
全部おとうさんやおかあさんが
見られるようにしなさい」
みたいなのも
考えられなくもないわけです。
ただ、
これも微妙ですよね。
だって
「見たい」って思えませんもの。
おとうさんも今回スマホに変えるけど
LINEだけはやらない
なのでおまえもやるな
ってゆう
手もあるけど
まあ
なんの説得力もない
のかなw
ほんと
めんどくさい世の中ですよ。
昔馴染みの語句が無くなったり変わってたり
それこそ「平成の大合併」では
縁起が悪い
と思われた地名が無機質なものに変わって
水害への危機意識が減ったり
とか
いろいろありまして
なんでもかんでも変えたり
新たに作ったり
すればいいというわけではない
ということがだんだん肌身に染みてくる
今日この頃ですが
まず驚いたのが
古い話で恐縮ですけど
「禁治産者」
が
「成年被後見人」
に変わってた、
と。
禁治産者
のほうが
字数も少ないし
パッと見
の意味の伝わりやすさは
圧倒的に上なんですけどね。
それでも
成年被後見人
に変えることにより
事務関係、印刷関係、
看板関係、ハンコ関係、
いろいろな業者さんが
臨時収入を得られます。
あとは
「成年被後見人」の
語句の意味を懇切丁寧に
説明する職業の人とか。
「日本のここがスゴイ」
で
いちばん「輸出」すべき
なのは
もしかしてこうゆうところなのかも
と
ふと思います。
面倒くさがらずに
制度や仕組みをどんどん変えろ!
と。
さすれば
その都度その周辺に
いろいろな需要が生まれ
雇用も生まれる、と。
いやほんと
さながら「永久機関」みたいなものですよ。
まあでも
専門用語というか
業界用語みたいなものは
当事者性
ってものがないと
接する機会すらないんで
いつのまに変ってても
文句は言えないのかなあ
とかちょっと
諦めの境地に達しております。
禁治産者
とか
成年被後見人
なんかは
いわゆる宅建というか
不動産業界関連や
法律関係の仕事と縁がなければ
一生知らずに人生終える人がいても
おかしくないでしょうし。
で、ここからは全然違う方向にいきます。
浅田彰
ってゆう学者さんがいまして
若い頃から頭角をあらわして
かなり話題になりました。
自分が丁度学生になった頃でした。
数少ない著作も売れてました。
そのひとつに
「逃走論」ってのがありまして、
人間を二つのタイプに分けます。
「分裂病気質」
と
「偏執病気質」
です。
いま手元に原本ないんで
語句の細かい部分の正確性は担保できませんが、
それぞれをカタカナにすると
スキゾフレニー
と
パラノイア
だったと思います。
で、浅田氏の論調は
スキゾの方に
「優位性」を置くものでした。
パラノイアは
一点集中型のストーカー気質
というか職人気質
なのに
対して
スキゾフレニーの方は
注意があちこちに分散して
より「軽やか」に生きられる
ので
そっちのほうがいいよ!
的な。
確かそんなような論調でした。
まあいかにも軽かった
「バブル」の時流に浅田氏が
合わせたのか
いやいや浅田氏自身の卓見だった
のか
とかは
学者ではない私には
もはや判断のつかないところではあります。
ま、いずれにせよ
あれから30年
たっても
こうしておおざっぱにでも
覚えているのですから
かなりの影響力があったのは確かでしょう。
で、時は過ぎ
何故急に
浅田彰の「逃走論」を意識したのかというと
ここのところ
自分のライブのMCで
「いやもうなにしろ自分の場合
作風がバラバラなものでして」
みたいなことを言ってることが多く、
で
そもそもなんで
自分は作風バラバラなんだろう?
と。
で、
「分裂病気質」
ってのを思い出したわけですよ。
やはりその
己を知る
ってのは大事なことですからね。
なわけで
「分裂病」
とか
「スキゾ」
とかで
検索をかけてみるんです。
すると
驚いたことに
これまた
精神医学「業界」の都合なのか
そういった類の物事は
味噌も糞も一緒に
一切合切
「統合失調症」
にあてはめられてました。
いやもう心底驚きましたよ。
で、一方の
「偏執病」
パラノイア
の方は
それはそれで
ウィキペディアで
一項目ありました。
が、内容的には
薄い感じでした。
じゃ、あの時代の浅田彰の熱狂は
なんだったのか?
と思い
浅田彰のウィキペディアを見ますと、
スキゾVSパラノ
の二項対立の件
とかまるで記載されてないわけです。
「逃走論」の書籍名は
記されてましたけど
その内容に関しては
完全スルー
でした。
この時点で
三重にびっくりですよ。
スキゾVSパラノ
が
あらゆる意味で
「無かったことになっている」
という事実に。
自分は「浅田」信者でもないし、
ニューアカデミズムと呼ばれた
柄谷氏等一連の皆様の書籍もかなり
読み、多かれ少なかれ影響は受けたかもしれませんけど、
いま現在それらの方々のどなたの「信者」でもありません。
いやほんと
世の中ってのは
奇怪なものですので
ちきりんさんは
あまり好きではありませんが
やはり
自分の頭
は出来るだけたくさん使った方がいい
と思いました。
ってことで
いろいろあれこれ
ネット各所で読んだり
調べたりしてみましたが
自分はいまのところ
分裂病でも偏執病でも
統合失調症でもありません。
創作で行き詰まったり
時にはうまくいったりする
ただのシンガーソングライターです。
どこかの地方自治体で
「税金」を使って
コンパニオン付きの酒席を催すことが
長年の慣習になっていた
というのが問題になり
それについて何の疑問もなく
受け入れて参加してた者、
また
それとは逆に
そんな慣習には疑問を抱き
酒席には参加しなかった者、
それぞれにインタビューしてて、
もうそりゃあたりまえのように
前者は「時代遅れの悪者」扱い
で後者は「悪習に挑んだ正義の傑物」扱い
であった。
個人的にはやはり
「税金」使って
ってなると
悪者扱いされて当然だろうな
とは思う。
やはり金の出所ってのは重要である。
ただちょっと気になるのは
勢いで
「コンパニオン=悪」みたいな
ムードも若干漂ってた気がしないでもないところだ。
やはりカタカナ語ってのは
何事につけ
定義があいまいになるので難しい。
国民栄誉賞の長嶋茂雄氏
のお亡くなりになった奥様が
「東京オリンピックのコンパニオン」
だったのは有名な事実である。
ということで
オリンピックのコンパニオン
と
自治体の酒席に参加するコンパニオン
では
同じ「コンパニオン」でも
どうやら意味合いが違うらしい
くらいなことは誰でも気づく。
気づきはするんだけど、
私としては
そうゆう細かいことは
どうでもいいと思う。
何故そう思うのかというと、
私自身も
「コンパニオン付き酒席」に
参加したことがあるからだ。
で、いまここでそのことを述べたからといって
特に「衝撃の告白」をしたつもりもないし、
何か特別、感情の奥底でうごめくもの
とかべつだんなにもないし、
まして「罪の意識」とかもない。
実際「お酌」をしてもらって
適当な世間話をして
終わったら三々五々別れる
ってだけのことだし。
それ以上深くあれこれやろう
ってゆう人もいるんだろうけど
それにしたって「当事者同士の勝手」
だし。
私の場合はいわゆる
「同業組合」という私企業の寄合い
における
「コンパニオン付き酒席」だったので
「国民の血税」
とは無関係なのであり、
その点からの「倫理面」での攻撃は
受ける筋合いはない。
ただ若干の疑問点があるとすれば、
「女性に酒席でお酌や歓談のサービス」
を受けるのであれば
「自腹」のほうが
カッコいいかなあ
とかそれくらいである。
組合の酒席の金
は
私じゃなくて
私の勤務している会社のオーナー
そしてその他組合に属している会社のオーナー
の金ですからね。
で、
会社のオーナー
には
いろいろな人がいますので
「コンパニオン付き酒席」に寛容
というか、
そうゆうこと大好き!
って人もいますし、
逆に
そんな無駄なことはやめろ
って人もいますし、
まあそれぞれです。
でも
「組合」の意志は
市区町村レベルか
あるいはそれ以上に
細かく区分された組合ごとの
「組合長」が決めるわけでして
ここのところが実に複雑で
複数以上の店舗を持つチェーン店の
オーナーが酒席を設ける事が嫌いなタイプ
だったとしても
いちいちそんなことで波風たてても時間の無駄
って部分もありますから
「組合長」が
そうゆうことの好きな人だと
「酒席は必ずコンパニオン付き」
ってことになります。
私がそうゆう酒席に参加してた頃は
オーナーから特に
細かい指示を受けたことはありませんが
オーナー自身はもちろん、
組合の酒席は場合によってコンパニオン付き
という事実は把握してたのは間違いありません。
ということで、
冒頭で述べたニュースでは
「酒席」に参加しなかった者
のインタビューで
「いまはもうそういう時代じゃないだろう」
って堂々と宣言していましたし、
もしかしたら私がいた業界でも
組合の酒席参加禁止令
とか出てるのかもしれません。
離れて5年たつのでよくわかりませんが。
自分としては
公的機関
じゃなく
民間組織
なのであれば
経費使って
コンパニオン付き酒席を実施する
ことに関して
「倫理的問題」は何もないし、
お金もまわって
みんなしあわせ
ってことでいいんじゃない?
としか思えません。
なんでそう思うのかというと、
「水商売」が潤わない国家は
国家たり得ない
と
わりと本気で考えるからですw
ぼったくり店は
マジでなくして欲しいんですけど。
ってサタデーナイトライブのことです。
米FOX局の「人気長寿お笑い番組」の。
huluでほぼ最新の回まで
ここ2年くらいのものを
わりとくまなく見たんだけど、
エディーマフィーやジョンベルーシが活躍してた
時代と比べればおとなしい印象あるけど
やってるネタそのものの「過激性」に関しては
そんなに変わってなかった。
メジャーなスポーツの選手やオーナーが
「差別発言」で処罰を受けたり追放されたり
というような報道も見聞きしてたので
そうゆうナイーブな問題には
いくら「自由の国」アメリカといえども、
テレビなんかではあまり触れないようにしてるのかな
とか勝手に海の向こうで思い込んでたわけです。
しかし、
SNLを見るかぎりにおいては
そんなことは全くなくて
相変わらず
「典型的なOO人」ネタのオンパレードですね。
OOには黒人がはいったりユダヤ人がはいったり
典型的なWASP、がはいったりするわけです。
もちろん上記にあげた
「差別発言」のニュースに関しても
ネタに盛り込んで笑い飛ばしたりしてますし。
ま、つまり
「ネタ」として扱うのであればなんでもアリ
ってゆうノリなんですね。
日本の場合は
「ネタ」としてとりあつかうのも一切ダメ
的なノリですけど、
欧米はそのへん真逆で
「寸止め状態まで悪ノリするぞ!」
という強固な意志を感じますよ。
となると
あのフランスのイスラム風刺画なんかも
彼らならやりつづけるだろうな
って感じですかね。
私個人としては
ちょっとやり過ぎなのではないか?
とやや思いますけどね。
あの報道の時
最初実物見てなかったんで
「自由」尊重の意見を軽めに開陳したんですが
物を見た途端に
かつてフジテレビがやらかした
「王監督侮蔑問題」を思い出してしまったのです。
あの時も賛否両論でしたが
私は明白に「フジテレビがやり過ぎ」と感じました。
「おれのことはいい、でも親の悪口はゆるさねえ!」
みたいな感覚があるんでしょうかね。
日本国民全般に。
ってことで
こうゆうことの線引きってのは
各々の感覚でしかないので
判断はいつでも難しいものです。
SNLですと
19世紀の扮装をした批評家
ってゆうネタもあって
これが小気味いいぐらいに
なんでもかんでも批判するわけです。
しまいには自国の宗教もネタにして笑ったりしてます。
あとは身体障碍者を題材にした「名作」とか。
で、スタジオの観客が「どん引き」して
ブーイングし始めるのも計算にいれてやってますね。
明らかに。
「人種」の表現に限ったことではなく、
性的少数者にしても
決してほめられた職業ではない人にしても
そうゆう人間の「人間賛歌」としては決して描かず
そうゆう人たちの
「他の一般の人と比べて変わったところ」を
誇張して表現し笑いをとろうとしてるのは
明らかなわけです。
日本国になると、
タモさんの「意味ある歌詞」批判
程度のもので
ちょっとした波風立つわけですから
そうゆう面においては
「平和ボケ」してるのかも。
日本のTV局だと
そうゆう題材は
「他の人と変わったところ」じゃなくて
「同じ人間なのだから」的色調で
番組を作ろうとしますもんね。
まず間違いなく。
特に日テレあたりw
松本人志の番組を
録画で興味深く見たんだけど、
そのなかで
武田氏が認知症で「徘徊」している老人について
ただボケているんじゃなくて
青春時代に若返って
当時の恋人や友達に会いに行ってる
ってなことを言ってて
私事なので詳細は省くけど
確かに明らかにそうゆう行動をとってた人を
私も知っている。
そこでふと思ったんだけど、
私の世代から見た
じいさんばあさん世代の皆様
は
生まれた土地からほとんど離れずに生涯過ごす
というパターンで暮らした人の割合が
高かっただろうと
まず推測してみた。
手元に統計があるわけじゃないんだけど。
過疎化とか限界集落とか
の報道に触れると
大概、
「若者」は出て行って
「年寄」は残る
ってゆう話の流れになってるし。
ただそのへんも
日本国のかつての風習
「長男最重要視」って問題もあるので
なんとも微妙なところでもある。
いま現在の「少子高齢化」と正反対の
「ベビーブーマー」ってゆう時代もあったわけで
そうなると「子だくさん」な家の方が多く
そうすると「長男」でない人もたくさんいたわけで
ふるさとの地べたにべったり
という人よりは
「人生常に放浪の日々」
ってゆう人の方が
潜在的には多いのかもしれないし。
どっちがいいとか悪いとか
そうゆう問題ではないのは確かだ。
実際自分の親の場合は
ベビーブーマー世代なわけで
親戚関係の状況を見渡してみると
あちらこちらに散らばって暮らしている。
そして自分の世代になると
それこそ皆
あちらこちらに散らばってるし、
仕事のからみで
いつまたどこに行くかわからない
って人も多いし
自分も会社員時代は
転勤多かった。
さらに自分より
下の世代
になってくると
グローバル化の影響もあって
海外のあちらこちらで暮らしている人
も実際増えてるし
これからさらに増えるのかもしれない。
と、
ここまでつらつら述べてきて
話の展開を一気に
無理やり
まとめる。
認知症になるならない
ってのは
いまのところ誰も予測はつかない。
認知症にならないための
「防止策」に関する
書籍なんかもたくさんあるけれど
何事にも「100%」ってのはない。
じゃ仮に
認知症になる
として
「どこで」なる
のか?
って意外に重要なのではないか
と思ったのである。
認知症になると
「青春時代に若返って彷徨う」
という症例が多い
として
「老後」を
国内外のリゾート地で過す
ことを選択すると
どこをどう彷徨えばいいのか?
ってことにならざるを得ない。
しかしだからといって、
青春時代の勝手知ったる土地に
帰ればいい
と単純には言い切れまい。
人には「思い出したくない過去」
とか
あるだろうし。
そして、
ここからが一番強調しておきたいことなのだが、
仮に幸運にも
「生まれ故郷」から一歩も出ずに
老後を迎え、
認知症になったとして
よし坊やアケミの家に遊びにいくべ
つっても
丘は削られ
小川は埋められ
って感じで土地の形が変わりまくっていると、
幼馴染にも初恋の人にも
会えない
ということになる。
というような唄を
作ろうと
画策しているところである。
いま現在
「最新」のオリジナル曲
であるところの
「せめてもの望み」の
歌詞を変更したものを
載せておきました。
3コーラス目
「炎風土水」
だったのを
「上下左右」
に変えたのです。
「炎」よりは
「上」のほうが
語呂としては合う
ってことを
物凄い時間差で気付いたわけです。
シンガーソングライターとして
完全に「ソロ活動」でやってますと
普通簡単にすぐに気づきそうなことに
なかなか気づかない
とか
ってよくあるわけです。
まあ仕方ないといえば仕方ない。
かつて一瞬「バンド」形態で
辻タダオオリジナル曲を披露する
という活動してたこともありまして、
その時は3人だったのです。
一人が
三人になると
どうゆうことが起こるかというと
「量産のペースがあがる」
と。
単純な話
アイデア量が3倍になるのです。
たとえば、
1コーラスめのAメロの
詞と曲の部分だけ
なんとなく思いついたので
メンバーに唄って聴かせてみるわけです。
そうすると
「あーはいはいそうきますか」
ってなって
他のメンバーが
次の部分を付け足してゆく
みたいなね。
オリジナル曲のバンド経験者は
ふむふむ
とうなづいていらっしゃると信じます。
信じますけど
まあそれぞれのバンドにもよる
のかな。
他のバンドにいたことないんでよくわかりませんがw
そんな経緯もありまして、
ネット上に公開している曲のなかで
「俗物ブルース」
と
「角のスナック」
に関しては
作詞作曲辻タダオ&ALL13
と表記させていただいております。
どう考えても
自分一人
では作れなかった曲でございます。
自分の関わる「農地」に関しては、
3月中に「土壌分析」の調査結果が出るので
それを受けて
何を植えるか等の
おおまかな戦略を練るつもりなんだけど、
それはそれとして
安倍政権の「農協改革」のニュースに関しては
他のニュースに比べれば
耳をかっぽじったり
目をかっと見開いていたり
してた気もするけど
いままで補助金の類は一円も貰ったことのない
零細小規模農業者としては
一両日中にどうこうなる
って話でもなさそうなので
いまはほとんどなにも気にしていない。
終戦直後の
「農地改革」
って
冷静に考えると
掛け値なしの「大改革」なんだなあ
って思う。
でこの期に及んで
農業を再度、「改革」
すると言うのであれば
それこそその
終戦直後の農地改革
並か
それ以上のことをしないと
抜本的な問題解決は不可能だろうなあ
とも思う。
でも
戦後70年あまり、
農業もそうだし
あらゆる産業
あらゆる人々
いろんな層において
「権利」の確立は
そりゃもう凄いことになっていて
それでガチガチに固まっていたりもするから
そうそうものごとの枠組みは崩れない。
なので逆に考えれば
「国鉄民営化」
とか
「郵政民営化」
とか
実はとてつもなく凄い出来事だったのかな
みたいな。
東西冷戦が
とっくに終わっているにも関わらず
首相が日教組日教組!
と叫んでいたりする昨今の日々だし。
ということで、
世情への感想
はこれくらいにして
水商売から農業へ移った者
として
やって欲しい
「農業改革」は
特定の地べたに貼りつかなくても
農民として生きていける世界
になればいいのに
ってところなんですよね。
これはまあ実に
矛盾をはらんでる
願望ではあります。
農業従事者がどんどん減り
高齢化しまくり
ってのは
やはりなんといってもこの
「特定の地べた」に張り付かないといけない
ってゆうところの
「不自由」な感じが全てだと思うのです。
それこそ
第三次産業のパート労働者と同じ感覚で
ここの農地はどうも職場環境がよくないので
あっちの農地へ行くか
みたいな
そんな流れにするしかない
と。
いまわたし
かなり「鬼」のようなことを言ってるかもしれない
とは思います。
でも
そうやって
各地を転々渡り歩いて
いろんな「農業」を経験したのちに
「スーパー農業者」に
なる人材とかが
初めて現れるんじゃないか、
と。
ということで、
私の描く
「農業改革」は
「産地間の人事異動の活発化」
でございます。
ま、
「土地」がからむので
かなり難しい
「理想論」
だとは思いますけどねw
「戦力外通告を受けた男たち」的な動画を
youtubeでいくつか見て
ふと気づいたんだけど
意外と「実家」がなんらかの自営業者で
ある場合が多いような。
取材対象者がたまたま偶然そうだっただけ
なのかもしれないけど、
さらに深く考えてみると、
「実家」が機能しておらず、
配偶者もおらず、
ってゆうような「元選手」だったりすると
ちょっと状況が悲惨過ぎて
番組として成立しない
ということなのかもしれない。
「共に支える理解ある家族」の画もなく
ただひたすら孤独に前進
してるんだけど
なかなか局面が打開できない
となると
取材する側もされる側も見る側も
頭を抱える
以外に何ができるのだろうか?
みたいな。
それはさておき、
何度か書いたように
私は小学高学年の時分に
地元少年野球リーグに
「チーム設立」して新規参入
したのであった。
一番単純な「動機」は
「新規チームならレギュラーとして試合に出られる」
ってゆうねw
あとは
既存のチームの
デザインもそこそこ凝った
「かっこいいユニフォーム」
は値段がかさむ
という問題もあった。
そんなのもあって
既存のチームに入りたい
と言っても
親に反対された記憶がある。
「そんな金ないよ」的な。
じゃ
自分たちで
安上がりなチーム作る!
ってのも
動機のうち
かなりなウェートを占めてた。
そこまですると
親も「反対」する理由を失うわけである。
で過去にも述べたように
作ったチームは
「ベアーズ」で
ユニフォームは左胸の部分に
「B」の一文字のみ。
その他余計な装飾一切ナシ。
当時の地元リーグで
最もシンプルなデザインであったのは
間違いないだろう。
さらに言えば
その記念すべきユニフォームは
自分の手元にはない。
何故なら「借り物」だったから。
ただそれが
「チーム」から
借りたのか
「ともだち」から
借りたのか
そこのところは
もうあまりにも昔すぎて
覚えていない。
わりと重要なところなんですけどねw
おそらく
「ユニフォームは借り物」
ってところで
親も妥協したんだろうなあ
と
いまになって思う。
ま、簡単な話、
親は
私という児童には「プロ野球を目指せるほどの野球の才能」なんぞは、
皆無である
ってのを傍目で見てわかっていたので、
無駄なコストはかけたくなかったのだろう。
まったくもって
妥当な判断でした。
なにしろ
「食の細いやせた少年」
でしたからw
高機能BD再生専用プレーヤーで
youtubeやらHULUやらで
「自分の見たいコンテンツ」ばかり見て、
ニュースに関しては
ヤフーのヘッドラインに載ってて
たまたまその時見た
ってゆうもの以外は
どんどんどんどん
置いてけぼり
になってるんだけど
それでも特に困るということもない。
私の場合、
何度も言うように
「シンガーソングライター」を標榜して
ネット上のあちこちで文章投稿してるんだけど
ほんと
「シンガーソングライター」
以上でも以下でもない
ってゆうのは
実は非常にありがたい立場なのかもしれない
とか
最近ちょっと思う。
なにしろ
「シンガーソングライター
とはこうあらねばならない」
というような原理原則みたいなものが
あいまいだ。
そこがまたいいのだ。
というか
そんなこと誰にも決められないし。
それぞれが
自分でやりたい
もしくはなりたい
「シンガーソングライター」像を
模索すればいい
と。
ロックとは
ジャズとは
フォークとは
ヒップホップとは
ってゆう
ジャンルごとの
ある程度の規則
ってのは
こりゃもう間違いなくある。
ぼくのばあいは
ロッカーでもジャズマンでもなく
シンガーソングライターなんです
と宣言すれば
わりかし自由にふるまえる。
こんなことをここから
言い訳がましく
記すのもあれなんだけど
念の為ばっちり書いておくと、
「ロックでもジャズでもフォークでもない
私はただのシンガーソングライターです」
ってゆうと
なんだか
おれはロックやジャスやフォークとやらの
ジャンルなんかは
超越した存在なんだ!!
って言いたいのかおまえは?
みたいな風に解釈されても仕方ないわけだ。
それに対しては
「いやいやいやそんなこと全然ないっす、
おれなんかよりはロックやジャズやフォーク
という音楽ジャンルそのものの存在の
方がはるかに価値が高いです」
としか言い様がない。
そんな状況のなかで
一零細業者として
おそらくほとんど売上的な成果は
あがりにくいんだけど
それでも
「おれのうた」だあ
「あたしのうた」だあ
つってやっていくのが
市井のシンガーソングライターなのだ。
ほんと
それ以上でも以下でもない。
そしてそのことは
喜ぶべき要素満載であって、
悲しむべき要素は皆無である。
俳句教室や
短歌教室は
形式が定まってるので
成立し得るだろう。
しかし
「シンガーソングライター教室」は
無理だろう。
そんな教室があるとするなら、
それは
イカサマ詐欺師
である
と断定できる。
がしかし、
そうゆう教室の存在を確認したとしても
無理には立ち向かわない。
そんなのは
時間の無駄だから。
いまは野球系の動画にハマっちゃいまして、
よくよく探すと本場MLBの昔の名選手のガチなやつ
とかけっこうあるんですね。
まあ字幕なかったりするんで
わかりにくいのは仕方ないとしても
普通に「ホームランダービー」とか銘打たれた
30分くらいのTV番組で
ミッキーマントルVSウィリーメイズ
とかやってたりして
本場は奥が深いなあ
と感じ入ってるところです。
白黒だけど意外に画像鮮明で
打球も追えてるし。
さてそれはともかく
音楽の話題ですけど
前回投稿は
全くなんの説明もナシに
歌詞だけ突然載せて
音源もアップしてないので
なんのこっちゃらわからない
って感じになってると思いますけど
2月11日にGINZA TRILLさんで
世界初演した「せめてもの望み」の歌詞です。
ご覧いただければお分かりいただけるように
いつものように
特に深い考えもなく作った曲でございますw
当日のMCで
「世界平和の為にも
人は大きな望みなどは
持たない方がよい
という気持ちを込めて作った歌です」
とかなんとか
しゃべったような気がするんですけど
100%嘘ではないにしても、
やはりそんなことよりは
「明日とにかく新曲なんか披露しなきゃなあ
でもなかなか出来ないなあ、
しょーもない状況だなあ、
ほんとしょーもない。
まったくしょーもない。」
とか心の中で呟いていたら出来た
と。
よくある辻タダオのパターンでしたw
次はなんとか
違うパターンでいきたいなあ。
予告したのは
昨今
「思想表現言論の自由」
ってのが
なんかややこしくなってるんじゃないのか?
と
若干思うので
一応
予防線をはってみました。
とりあえず
いっておきますが、
わたくし
「生涯無党派層」
なので
安倍政権であろうが
野田政権であろうが
そんななかでも
普通に生きていくんだ
としか思わない者であります。
ありますが
「自由」
は最大限
尊重されるべき
と
考える者であります。
昨夜、自分にとっては「お馴染み」の
GINZA TRILLさんで
オープンマイクが
あるというので
何事も経験
ってことで
参加してみたんだけど、
実に楽しかったっす。
子供の頃
「うたごえ喫茶」
に連れて行かれたこともあるわけですが、
あれはちょっと和まなかった。
それと「身内」じゃなくて
「職場」の皆様とのカラオケ
ってのも
場合によっては
修羅場とか地獄と化すことがありますね。
その点、
オープンマイク
は
見ず知らずの一期一会の人達
との間の
時間なんだけど
なんかこう
実に「丁度いい」
感じがしました。
うたごえ喫茶
だと
皆で肩組んで合唱できる曲
じゃないとNG
的な雰囲気あるし
職場のカラオケ
も
ジメジメした曲NG
みたいな雰囲気
あったりしますよね。
オープンマイクは
そうゆうのはなくて
完全に
「なんでもあり」
状態で
互いに認め合う
って感じで
実に居心地良かったです。
ただまだ
GINZA TRILLさん
だけしか体験してないので
他のお店のオープンマイクが
どうゆうムードなのかは
わかりませんので
ここまでわたしが述べてきたことを
盲信しないようにしてください。
BD&DVD再生専用機が
意外に高機能で
youtubeの高品質な動画を
見まくっているわけですが、
シカゴとかアースウィンドアンドファイヤー
とかの
名だたる欧米のバンドが
メンバー入れ替わりながらも
精力的にライブをやってる映像見ると、
日本の伝統芸能の
「看板」とか「屋号」みたいな概念が
輸出されてるんじゃないか
とか一瞬思いますね。
海外ミュージシャンの私生活
とかまでは全く詳しくないんですけど、
たとえば
「全員子孫」のみのビートルズ
とかストーンズとか
有り得なくはないですよね。
というか
たとえ「直系」の親族に
音楽の才能を有する者がいなくても
そこは「養子縁組」みたいなことで乗り切る!
みたいな。
とにもかくにも
洋楽の大御所
ってのは
既に「古典化」してるのは間違いなく、
「学ぶべき対象」になってるわけですよ。
そんなのロックじゃない!
とか一個人で叫んだところで
どうしようもありません。
教科書に載る載らない
とかを
そこいらへんのおっさん
が止めたり止めなかったりとか
出来ないわけです。
簡単な話、
ワーグナーのバイロイト
と
60~70年代の洋楽の大御所
と
って大きな視野でみれば
歴史的にはそんなに離れてないわけですから、
じゃおれもバイロイトみたいな商売やろう!
と、
洋楽の大御所
関係各所の皆様が
考えたとして
何の不思議もないですよね。
実際プレスリーのグレースランドも
かなりの「集客力」のようですし。
ということで、
AKBとかで
クールジャパン
をアピールして
商売することに
ケチをつける
義理も理由も
何もないんですけど、
それよりも
「日本由来」のバンド名を持つ
古典的欧米バンドの
常設シアター
を誘致するのもいいんじゃないでしょうか。
TOTO
とか
JAPAN
とかw
おぐまさん企画「88健の彩」ライブ
皆様お疲れ様でした。
自分としては
「100%完璧」ってのは
他のステージでも
そうそうないんですけど、
まあお役にはたてたかな、
というくらいの感触でしょうか。
ま、辻タダオのステージに
過去から接したことのある皆々様は御存知のように、
「セットリストを事前に出して念蜜な構成のもとで運行」
というタイプではなく、
ほんと事前に考えてることって
とにかく最低1発はなんかのギャグを言って笑いをとろう
くらいです。いつもいつも。
ステージの出来100%ってことはほぼない
ってのは
このギャグが不発だったりした場合もあてはまりますw
さてそんなわけで、
昨晩は普通に自分の芸風の説明
とかだけしゃべってまして、
ダジャレやギャグとか忘れてましたw
娘の高校受験が一段落しまして、
久々に妻が客席にいた
というのは
そのこととはべつに関係ありません(強気)
あと、
それとは関係なく
いちばん最後に
これは恋だからという曲をやって
その前は「適当な即興をやってなだれこみます」
とMCで説明しましたけど、
それだと「嘘」ついたことになってしまいますので
事後説明させていただきますと、
これは恋だからの前の
インストの流れは「即興」じゃなくて
普通に板橋文夫さんの「グッドバイ」をやっただけっす。
マイクでしゃべった後で
鍵盤にふれてるうちに
やりたくなった
と解釈していただければ幸いです。
キーが同じAマイナーだった
ってことで。
てなわけで
次は2月11日のGINZA TRILLさんでの
オープンマイクに出ます。
でその次は
江古田マーキー3月11日(水)
で通常のブッキングライブなんですけど、
なんと
馬越さん三浦さんそして私というラインナップ
ということにさきほど気づきました。
こりゃまた濃いわけでして、
私も攻めの姿勢で臨みますよ。
というか
セッション的なのもありかなw
ただただ
「ご冥福をお祈りします」
としか言い様がなく
御本人や周辺の皆様
についても
あるいは政府の対応うんぬん
などについても
いまは何も言うつもりもない。
つまりなんらかの
「評価」をするつもりは一切ない。
それはそれとして、
この大きな事件の推移と併行して
国内での「殺人事件」もめったやたらと
報道されてて、
それもだいたい各社横並びで
同じように流してて、
そのことに非常に疑問を持った。
個人的に
「殺人犯が逃げ回ってて危ないっす」
ってゆう状況や
スマホ等を駆使した
ストーカー的事件等
我々小市民にとって
ある種の「注意喚起」が
必要な事件以外の
殺人事件の報道っていらない気がする。
つまり
痴情のもつれ
とか
肉親同士の憎悪
とか
で発生し
既に「犯人」も捕まってる
とか
そうゆう事件。
それを「報告」されて
で?なに?
飯がまずくなるだけなんですけど?
ってゆうね。
そんなのは
佐木隆三先生や週刊新潮や文春にだけ
報告してればいいんじゃないの?
と。
おれに教えてくれなくてけっこうですよ、
と。
完全に「時間の無駄」ですもんね。
もしかして
「いやがらせ」
なのか?
とすら時々思いますもんね。
で「安心」のブランド
テレ東
がこれからどんどん伸びるのかなw
WBSって
殺人事件
ほぼ絶対に扱わないし。
あ、だからと言って
「日経信者」なわけではありません。
念の為。
出演者全員「ピアノ弾き語り」
という企画なので、
ピアノらしさ
とか
そうゆうのを追求した方がいいんだろうな、
と。
あれやこれや
考えたんだけど
究極の「アドリブ重視」でいこうかな
とか。
かなりのギャンブルですけどね。
なんにせよ1月のマーキーライブ
とは
全く違った趣向でやるので
東高円寺にお越しになれる方は是非どうぞ。