全力リラックス!辻タダオ
おぐまゆきとのユニット「中前適時打」メンバー辻タダオのブログ。生年1964、生れ高松、育ち三多摩、元々の「本籍」は那覇、多摩市在住町田市勤務。中学吹奏楽部 町田市立忠生中学校 ・高校吹奏楽部 都立町田高校 ・大学ビックバンド 立教大学NSH 職歴 パチンコホール業界 →ブルーベリー農家。大阪近鉄からの東北楽天ファン。中前適時打は2016年4月結成。作詞作曲、key&vo 漫画原作等を手掛ける。心の師谷岡ヤスジ。無党派。表現規制反対派。ピアノはコードブック派我流。断煙断酒断パチ継続中。
途中で飽きずにサクッと読了
滝山コミューン一九七四 (講談社文庫)
原 武史
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そんなわけで、自分の場合
「小学校6年間団地住まい」&「鉄道好き」
ってゆう著者との「共通点」があったし、
年齢的にも著者が2学年上
ってことでそんなに大きくかけ離れてはいないので
スーッと読めた。

で、「ソビエト連邦式集団主義教育の実践の場において
苦しむ早熟な少年の苦悩」
ってゆう話なのだが
早熟だったか否かで言えば
わたしは「児童」の間は一貫して
ただの洟垂れ小僧であって
「自意識」とか「自我」」があったのかどうかの記憶すらない。
ということなので「団地&鉄道」以外の
共感ポイントは皆無ではある。
塾も私立中学受験も無縁の世界だったし。
しかし、であるがゆえに
世の中にはこんな学校があったり
こんな児童もいたんだ
ってゆう驚きも大きかった。
まああとは四谷大塚に通って慶応義塾の中学に行く
ってゆう能力財力の有無ってところも大違いだ。
口開けながら洟垂らしつつ野球ばっかやっていた自分とは大違い過ぎる。
まあしかしそれでも面白かった。
やはり「児童」の時期の個人差って凄いんだなあ、と。
で、いま書いているこれをアマゾンのブックレビューじゃなくて、
この個人的なブログでやってるのは
ここから一方的に自分の個人的な話になるからである。

前述したように
おそらく「早熟」の少年ではなかった自分の場合
児童の頃の「記憶」はかろうじて5年生くらいからの
高学年時のものは多少ある。
ってことで「物心」ついたのを「小5」として、
「高3」までの「クラス担任制」のある教育環境で過ごした8年
をざっくり振り返ってみたところ、
この著書で槍玉に挙がっている「片山先生の5組」のような
「アツいクラス」にぶち当たったのは8分の2であった
人は生涯のうち2割5分の確率で「アツいクラス」に当たる
ということであろうか。
いやいやそれはあくまでケースバイケースだから
「アツいクラス」に属した経験ナシ
ってことも十分あり得る。

で、私の記憶では「小6」と「中2」が
「アツいクラス」である。
もちろんこの本の「滝山コミューン」と全くおんなじなノリでもないし、
というかはっきりいって全然ヌルかったとは思うのだが、
自分の時系列のなかでは「アツい」ことに間違いはない。

「小6」のクラスの記憶も実はおぼろげなのだが、
なにしろとにかくこのクラスの担任の先生に教わった数々の言葉のうち
ものすごく記憶に残っているのが
「馴れ合い」と「リコール制度」の二語なのである。
で、そのクラス在籍時に洟垂れ小僧だった自分は
児童の間はついにその二語の意味を真に理解することはなかった。
周囲の早熟な同級生が「それは馴れ合いってことだよな」とか
「こうなったら委員長はリコールするしかないな」とか
アジってたりとかしても
マジな話
「ちょっと何言ってるんだかわからないんですけ・・・・以下略」
状態であった。

ということで、
わたしの解釈における「アツいクラス」の定義であるが
「指導要領」と関係なく
個人の判断で生徒に教えるべきことを決め、
実際に教えてみるってゆうようなことを実施する担任がいる
ということかな。

「担任制クラス公教育」は日本国の場合12年あり、
しかし小学低学年の間の記憶は齢40も過ぎれば
「かすかな記憶」すらないので
「小5」を起点とした場合は「高3」までは
8年間あり、あくまで自分の場合は
その8年間のうち6年、つまり7割五分は
「とおりいっぺん」の人たちであり
しかも
「コミュニケーション苦手」
な人たちであった。

で、そのことに私は痛痒を感じているかといえば、
まったくそんなことはなく
むしろ「丁度いい塩梅だったなあ絶妙に」とすら思うのだ。

時間的に2割五分だった「アツいクラス」の時間について
そりゃもう「アツ」かっただけに
なんかこう「感動」した記憶もいくつか鮮明に残っているのだが
しかしそれが2年も3年も続いたら逆にどうたったか?
と。

で、「特にどうということもなかった」
7割5分の「コミュニケーション苦手」な
ごく平凡な「担任の先生」のクラスだった時のことについては
そりゃもう「クラス活動」に関しては
主だってどうこうなんにもありはしないんだけど、
休み時間やら休日やらに
同級生同士で何気なく過ごした
「くだらない」時間の
記憶が「アツいクラスの感動的時間」の100倍レベルで
鮮明に蘇ってくるのだ。

「正式な学校行事」
じゃなくて
休み時間
放課後
休日

「人生において糞の役にも立たなかったあれこれ」
の時間のほうが
手に取るように状況を思い出せるのである。

ということで
わたしの言いたいのは
人々をアツく煽る行為
を全て否定するつもりはないが
なんかどうでもよさそうな
なんでもなさそうな
そんな時間やら日々を、
むしろ
大切にすべきではないか

ただそれだけです。



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