痛感してますよ。
もうなんかいかにも「業界人」っぽい人が
「そうは言っても彼のプロデュース力は凄い」
的な擁護論のような擁護論でないような、
「業界のしくみ維持」論みたいなのも出始めてますね。
それに対してはもちろん全然「賛同」する気持ちはないのです。
ないのですが
当たってるところもあるかな
とかね。
実際自分は長年「ソロ」活動を継続してるわけで、
おおむね自分一人だけでコントロールしてる
とも言えますが
やはり「完全に自分一人で全部やる」ってのも
物理的に無理があるわけです。
普通にライブハウスのブッキングライブに出演する
ってだけでも
それは「単独作業」じゃないですもんね。
ということで
「ソロ活動」をやっててつきまとうのは
「人は一人では生きていけない」
という人生の本質を踏まえつつ
しかし
「出来る限り自分のコントロールの及ぶ領域を確保したい」
ってゆうね。
そこいらあたりの心理的葛藤は避けられません。
まあほんと実に我がままな人種だと思いますよ。
「ソロ」の「シンガーソングライター」って(笑)
で、
AKB商法や偽作曲家の大編成オーケストラ志向
のように
「周辺」の領域を拡大して
「周辺」に集う方々の生活を潤すってのは
資本主義社会の一員としては模範的な構成員なんだろうな
とは思います。
思うんですけど
ここでわたくし何度か述べましたように
自分は「ヌルい資本主義」志向の人間なのです。
AKB商法も偽作曲家も
「かなりキツめの資本主義」
の原理原則に沿って動いている
ように感じます。
どこからどう見ても。
なので、
プロデュース力
だの
チーム力
だの
プロジェクト
だの
コンセプト
だの
とかそうゆう大げさな
カタカナ用語なんぞは
この際とっぱらっちゃって
「大げさな物語的人生」を
持っていない
「そこいらのおっさん」
「そこいらのあんちゃん」
「そこいらのねえちゃん」
が
各自勝手に暴れて
実入りもある
ってゆうような
世の中にしたいものですね。
実際そうなるかどうかはわかりませんけど、
そうゆうふうになるように
言葉を選んで
ものを書くようにはします。
今回の騒動であらわれた
「品性下劣な劇場型組織犯罪」
のようなものについては
「臭い」を感じた時点で
言葉で叩き潰す
という行動に出ますよ。
まあ「気がつく」ことが出来れば
の話ですけどね。
それも「言論表現の自由」ですから。
というかそれは
子を持つ親としての責任
である
とすら大げさでなく痛感してますよ。
ちなみにこれは
あくまで※個人※の意見ですので
みんなもやろうよ
とか
言い募るつもりは毛ほどもございません。