M78星雲から来まして
年は永遠の32歳です
とか
そんな感じですかね。
ははは。
50歳を迎える人間に届く
「歯周疾患検診のお知らせ」
とか市から来てるんですけどね。
ははは。
実際問題
WEB上の活動は
2003年に始めてまして
もうその時点で
「妻子持ちで野球好きの
昭和39年生まれ」みたいなことは
高らかに宣言しちゃってたんで
そこから新たになにかを「隠ぺい」
してもしょうがない
ということでして
まあどちらかというと
ネット上でベラベラと自分のことをしゃべる
的な流れで来ました。
もちろん100%自分を晒す
ってほどでもなく
そのへんはほんと
中途半端に
小市民的に
やってきました。
まあそのあたりは
人それぞれでして
考えてみると
私の知人の「音楽活動」をされてる皆様は
80%以上は「本名」で活動されてまして
私のように「本名」と「芸名」を使い分けてる
ってゆう人は少数派ですね。
あくまで「私の知っている人」圏
ではの話ですけどね。
でまた自分の場合は
「本名と芸名を使い分ける」
ということに
あまり深い意味は見出さずに
「辻タダオ」を始めた
という側面もございまして
ハナ肇に
「おまえは茶だ。今日から茶。」
と言われてそれに従った加藤茶
的な流れなんで
ほんと特に自分では何も考えてないんですよ。
ま、ただ
ご覧のように
「本名と芸名が分かれている」ことにより
PTA的価値観とは全く合致しないオリジナルソング
が
多い、と。
これはまあでも結果論なんですけどね。
ははは。
「本名」で活動していたとしても
俗物ブルース
も
燃えろスタジアム
も
大江戸煎餅音頭
も
マダムれいこに気をつけろ
も
普通に作って唄ってたでしょうし。
つまり
いちばん強調しておきたいことは
シンガーソングライターとしての活動開始
とはべつに
「ネット上でシンガーソングライターとしての
文章表現活動」を開始したのは
自分の場合は「40歳の頃」
つまりはアラフォーだった
と。
生まれた時代は
あとから選べない
のは重々承知なんですけど
もし、
「自分がネットと
深くかかわるようになる
最初の時期」が
20代
だったら
とか
30代だったら
とか
ちょっと想像してみたわけです。
自分の過去の記憶を振り返れば
若ければ若い時期ほど
「見栄」をはりたい感情強かったなあ
って思いますので
「シンガーソングライター辻タダオ」
の
内情は
もっと全然伝わってなかったでしょう。
ま、だからどうだ
って話なんすけど
「新たなテクノロジー」
と接する間とタイミングで
各自の人生の時間の流れの感覚も
千差万別なんだろうなあ
と
あらためて深くかみしめる
今日この頃でございます。