全力リラックス!辻タダオ
おぐまゆきとのユニット「中前適時打」メンバー辻タダオのブログ。生年1964、生れ高松、育ち三多摩、元々の「本籍」は那覇、多摩市在住町田市勤務。中学吹奏楽部 町田市立忠生中学校 ・高校吹奏楽部 都立町田高校 ・大学ビックバンド 立教大学NSH 職歴 パチンコホール業界 →ブルーベリー農家。大阪近鉄からの東北楽天ファン。中前適時打は2016年4月結成。作詞作曲、key&vo 漫画原作等を手掛ける。心の師谷岡ヤスジ。無党派。表現規制反対派。ピアノはコードブック派我流。断煙断酒断パチ継続中。
拘束時間の変遷
長雨になってきたなあ・・・・・・
ってことで昨日パチンコ・パチスロの件に触れ、
昨今話題の「残業代ゼロ法案」で
あれこれ思い出すこともあり
本日は久々にこのカテゴリーでの投稿。

私がホール業界に身を置くことになったのは
1990年。
総合レジャー会社で1年半の各業種実地研修を終え
自ら「選択」したのだ。
主な理由は
①給料が高い
②飲食業等に比べると身体的負担が軽い
③新台入れ替えがない限り、ほとんど残業がない
といったところで、
他にはすでに「半年」のホール経験で知っていた
「ホールの中で呼び出しランプに素早く反応するのは
スポーツ感覚でなかなか面白い」
とか
「アイドルタイムがほとんどないので
時間が早くたつ」
とか
「騒音の中で動き回るので
自由に放屁できる」
とか
若者らしい気分も作用したような気がする。
顧客トラブルも
「事件や変化があって毎日飽きない」
くらいに思ってたし。
いまはもう嫌だけど(笑)

さて上記にあげた
三つの動機のうち
今回は③の
「新台入れ替えがない限り、ほとんど残業がない」
について掘り下げる。

1990年頃は実際そのとおりだったのである。
定められた拘束時間で綺麗に仕事は全て終わって
とっとと帰る、と。
それも自分のような入り立ての一般社員やバイトのみならず
店長クラスも一人残らず全員帰る、と。

こりゃまあなんて素晴らしい業種か!
と。

で、その頃「新台入れ替え」は3か月に一度
長ければ半年に一度くらいのサイクルだったので
さすがに入れ替えの日は長時間残業になるんだけど
そのくらいの頻度なら逆に「たまの祭り」ってなもので
作業が終わればいつも以上に「どんちゃん騒ぎ」!
みたいな。

といった感じで
いま思えば夢のように幸福な労働環境だった。

それが10年後には
泥沼の「長時間労働」の日々に変わっていたのだった。

何故そうなったのか。
主な理由は以下のとおり。
①新台のリリース数が飛躍的に増えて
入れ替えの頻度が「週一ペース」になった。
②いわゆる「イベント」全盛期で
その準備や撤去に関わる細かな仕事の量が増大
③コンプライアンス系の細かい仕事の量も増大
④周辺機器の精度が飛躍的に向上したために
釘や設定に関する、より細かなデータが収拾可能になり、
調整作業に「凝る」ようになった。
⑤500台を超える中型大型店舗も増え、
施設そのものの管理業務も増大
⑥組合の申し合わせによる店休日
という制度を廃止する地域がほとんどになり、
入れ替え作業日は常に深夜残業で対応。
等等

こうなると
「ぼくたちまるで公務員みたいだね」
という牧歌的な雰囲気はまるで無くなり
定時に全員帰る
というのは物理的にも不可能であった。
「目の前の終わらせる必要のある仕事」
が終わらない仕組みにいつのまにやらなってしまっていたのである。

台数300台の店

特にイベントなどなにもせず
新台入れ替えも3か月に一回くらいで十分

十分な利益があがる
という時代は過ぎ去っていた。

ま、それもこれも
マルハンを筆頭とした大型チェーンの台頭
が原因だろう。

大型チェーンの資金力をあてにして
メーカーもどんどん新機種を作る。
作れば他の中型チェーンや小型店も
遅れをとるまい、と買う。
ふと気づくとどこの店も
「週一」で入れ替えやっている、と。

ということで
小さいものや中くらいのもの
にとって
大型化とか集約化等は
迷惑な話だということが
パチンコホール業界にもあてはまるのであった。

これは業界全体の構造の問題なので
所属していた会社にうらみつらみはもちろん
全くない。

で、業界が「最高潮」だったのは
パチスロ4号機が全盛だった
2005年あたりだろうか。
その頃はやたらと朝帰りが多かった記憶がうっすらある。

イベントの準備も
台数が多いと
一般社員に残業してもらわないと
下手すると開店に間に合わない
なんていうこともあって
「残業全盛期」でもあったのだ。
その頃は「役職」ついてたので
もちろん自分に「残業代」は発生しない。
「深夜手当」のみである。

で、役職者と一般社員の年収逆転現象
とかも発生しまくっていた。

おそらくこのころのホール業界の一般社員

年収ベースで一部上場企業並み
を達成していた人がたくさんいたと思う。

2005年当時は
そのコストを吸収するだけの勢いは
業界にあったということだろう。

が、もちろん
異様にかさむ残業代
に対して改善するように
管理職として指示されてはいた。
自分もあれこれ手は打った。
がしかし
すでに「残業代込み」で生活設計立てちゃってる人
とかも少なからずいるので
笛吹けど踊らず的な面があったような気がする。

いわゆる「生活残業」ってやつね。

さてその後行政の指導によって
射幸性の高すぎるパチスロの4号機が
強制的に5号機に移行したことや
リーマンショック等もあり
目に見えて客足は遠のいていった。
私が業界を去ったのは2010年だが
まだその頃「イベント」はやってたので
「残業」時間もそこそこ長かったような気がする。

で、いま
イベントは
これまた行政指導によって
ほぼ全くできない
ということになっているらしく
まだ業界に残っている知人に聞くと
「残業」は飛躍的に減っている
とのこと。

なんだそりゃ
羨ましすぎる
と言ってしまいましたよ(笑)

震災後の節電にからみ
「店休日」も復活してるようだし。

でもパチンコ・パチスロ依存症
をぶりかえしたくないので
業界復帰は目指しません。








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