とか
その教育で育った「ゆとり世代」を揶揄する
とか
そうゆう立場にはなり得ません。
何故かと言うと
自分で勝手に「ゆとり」やってたから(笑)
誰に言われるわけでもなく。
どうゆうことかとゆうと
なんでもかんでも一生懸命
って感じじゃなかった
とまあ単純にそうゆうことですよ。
それは教育問題
というより
単に性格の問題なのかもしれませんけどね。
たとえば体育の授業とかは
季節ごとにいろんな種目やりますよね。
でまあ人間ですから「趣味嗜好」とか
好き嫌いとかあるのは普通
と考えるのが私なので
野球とかソフトボールとかサッカー以外は
完全に「適当」にやってましたよ。
「人より優位に立とう」って気持ち一切ナシ!
みたいな。
あと図画工作は完全に苦手だったので
酷い時には提出物を提出しない
とかやってました。
ってことで
体育とか美術とか技術家庭の教師には
よく怒られたというか殴られたこともあります。
前にもどこかで書いたような気もしますけど。
それから何十年も経ってますけど、
体育や美術や技術家庭の先生たちには
なんの恨みもありませんし
特になんとも思ってないし
それらが「強烈な記憶」ってわけでもないです。
自分の責任において招いた結果
としか
考えられませんからね。
たとえば
大人になって
自分が特定の教科がずーっと苦手だったのは
教師の質が悪かったんだ!
ってゆうようなことを言いだすのは
どうなの?
と
大人として(笑)
本質的に
人間
他人のめんどうを全面的にみる
ってのは不可能でしょう。
なので逆に仮定の話ですけど
私の体育や美術や技術家庭の成績が向上しないことによって
それらの教科担当の教師の人の
「勤務評価」がさがったとして、
私がその先生たちに
「すみませんわたしのせいでご迷惑をおかけしまして」
とか
謝る義理もないわけです。
どうしようもない
ことは
どうしようもない
のです。
で、話は
「小学校の運動会の組体操の高層化」ですよ。
事故で訴訟も起きてるのに
早急に廃止へ向けて各方面が動く
ってこともない、
と。
このことの本質は
あらゆる党派は「動員」を最重要視している
ってことだと思います。
右翼と左翼は
まさにコインの表裏ってことです。
単純化すると
右派は「従順な兵隊」が欲しいし
左派は「従順な革命の闘志」が欲しい
と。
四の五の言わず
こうなったら10メートル級の人間タワー作っちゃいますよ!!
とか
はりきる生徒
がいればいるほどありがたいわけです。
「脱ゆとり」が進んだのは
政治的右派が勝利したからではなく
おそらく左派のほうにも
「このままでは優秀な革命の闘志がいなくなってしまう」
ってゆう危機感があって
双方の利害が一致したからではないか
と邪推してます。
何故こんなことを思ったのか?
娘の学校行事を見て
思いました。
自分が児童生徒だった頃と比べ、
どの行事も
「観客」の視線を意識して
パフォーマンスとしての質が
異様なまでに向上している
と感じるのです。
見ていて楽しい
ともそりゃ思いますけど
一瞬
「そこまでやる必要あるのか?」
って疑念も湧くことありますよ。
半島の上のほうでよくやってる
「マスゲーム」と
何がちがうのか?
とかね。
ただまあ
自分もそのマスゲームとかビデオかなんかで見て
「おいおいおい」とかつっこみながら楽しんだ記憶もありますから
そうゆうものは一切合財やめてほしい
とか言うつもりもございません。
ただただ
「感動的なパフォーマンス」を繰り広げてる
児童生徒のみなさん
一人一人が
ほんとうに感動しているのか
そして楽しんでいるのか
それが心配だ
ってことです。
右派に動員されるのも
左派に動員されるのも
個々人の自由な選択ですし
意識的に動員されて
「飯の種」を得ている大人もたくさんいますから
とやかく細かいことをああだこうだと
言うつもりはありませんが
児童生徒のみなさんが
「気がついたらわけのわからない場所にいた」
ってことにならないことを
切に祈るばかりです。