関わった
ラスタ運動について
出演者全員
誰も否定的な発言をしてなかったんだけど、
それもまた疑問で
あの時代のジャマイカで
ボブマーリー本人が
ラスタ運動をする
ということに関しては
べつに異論はない。
しかし
ラスタ運動
には
「21世紀的先見性」があった!!
とか言って
2015年を生きる世界の現代人にも
援用できるかも
みたいな論調には到底納得できない。
「コミューン」
肯定論全開バリバリなんだけど????
みたいな。
コミューン
が出現しないように
個々人
または
個々の一族
が
不自由なく生活できるような
努力をすべきなのではないか?
と私は思うのだ。
コミューンを作ることが
目的
になるってゆう論調には
かなり違和感がある。
ボブマーリーが生きてた時代の
ジャマイカの現地の人達が
コミューン最高!
ってゆうのはそりゃわかる。
しかし
時代も地理も離れた
日本の知識人が
ラスタ的コミューン最高!!
なんて言ってるのは
全くもってただの欺瞞であろう。
たとえば
現代日本の
「シェアハウス」
の件だが
自分ならそんなもの
お断りである。
あれのどこに「快適性」が
あるのか
まったくもって疑問だ。
というか
「空き家問題」の方が
深刻なんだから
シェアハウス
なんかに尽力するんじゃなくて、
それこそ
「母子家庭」が
安価に
気兼ねなく住めるような
住宅を供給する方が
先決であろう。
そうゆう意味で
昨日述べた
ボブマーリー
ジョンレノンの話で言うと
レノンの場合
「イマジン」ではなく
「アクロスザユニバース」の
nothing's gonna change my world
という
「超わがまま」な
フレーズの方が
現代人にとっては
示唆に富んだ
重い言葉だと
考えるべきだろう、
と私は思う。
ジョンレノン
も
ボブディラン
も
ボブマーリー
も
「人を不快にさせない
安全な言葉づかい」
を選んでいない
ってことを
積極的に考えるべきであろう。