自分は右翼だから
大江健三郎は一切読まない!
とか
自分は左翼だから
石原慎太郎は一切読まない!
とか
そんな子供っぽい人は
世間一般では
少ないだろうと思うし
世の中わたりあるいていくためには
どちらの知恵も吸収しておくべき
と考えるのが
「普通の大人」のあるべき立ち居振る舞い
だろうと思う。
というか
そもそも
小説そのものが
それを著した作家の
普段の政治思想が右翼的だから
左翼的だから
つって
作品の内容にすべて影響する
という単純なものではない
ってなことは
普通に義務教育で国語を習っていれば
誰だって薄々気づくんじゃないかと思う。
それはそれとして右派左派各々の陣営の
商売の都合上、
反対勢力を口汚くののしったりするのであって、
実際は
「反対勢力」と意識するものがあるのであれば
それはもうしゃにむにその相手の著作を
「読みふける」
「線をひく」
「自分で注釈をいれる」
くらいなことをするのが
「言論」で勝負する者の
最低限の基本姿勢であって、
右翼が左翼を
左翼が右翼を
攻撃するための
「そんな汚れた思想に触れてはいけない」
的ないわゆる「不買運動」みたいな、
「読まない」ススメに
ひっかかるのが
一番ダメなことなのだ。
そうゆう「言論統制」みたいなことばかりしている
勢力があるのであれば
それこそ
「似非右翼」であり「似非左翼」なのだろう。
自分にとって
耳障りのよい人の意見
のみを鵜呑みにして
とにもかくにもそれにしたがってしまう
ってのは
楽なことではあるが
そうゆうことがもとで
「狂信的前衛的政治集団」とか
が大活躍してしまい、
普通の国民が迷惑を被る
ってのが
歴史上繰り返されてる
のである。
ということで、
ここで最も強調したいのは
黛敏郎の「涅槃交響曲」は最高だ!
と。
ただそれだけ。
昭和世代であれば
御存知の通り
キャリアの後半において
ほぼ「極右」の政治思想だった人です。
黛敏郎氏は。
しかしそんなことは
まったくおかまいなしに
黛敏郎の「涅槃交響曲」をBGMにしながら
大江健三郎の「性的人間」を読む
というようなことを私は出来る。
ただもちろん
みんながみんな
そうゆう人になって欲しい
などとも思わない。
なにを読む聞く、読まない聞かない
も
思想信条良心の自由
ですからね。
でもほんと
涅槃交響曲は
心を空にして聞くと
実に素晴らしいと思います。
※あくまで個人的な感想※
ですけどw