のことであると同時に
ポリティカルコレクトネス
の意味である
ということを知ったのは
トランプ旋風吹き荒れ始めてからの
ここ数か月のことなんすけど、
いやもうLGBTに関しては
我が国の大手報道機関においては
その4文字を発信する頻度が
かなり高いのに対し
PC(ポリティカルコレクトネス)の二文字は
なかなか見かけないわけでして
ああもうそんなことやってると
日本でもヒトラーのちょびヒゲで揶揄されてる
現安倍政権よりも
もっと凄いのが反動的に
わさわさと出て来るかもしれない
ってゆうような「想像力」がないんだろうなあ
ってちょっと思いました。
PCって
かいつまんで言うと
少数者、弱者に配慮して
言葉の言い回しを
新たに変える
ってことでして
そりゃまあそのこと全部が全部ダメ
とまでは
私も言いませんけど
やはりそのちょっと
いくらなんでも
そんな細かいところまで
目くじらたてるんじゃねえ!
ってのは
正直ありますね。
子供の
供
が
隷属的だから
「子ども」
にすべし
とかそうゆうやつ。
子供の
ほうが文字数ひとつ少なくて済む
ので
わたしは今後も
子供で通しますよ。
そんなもの。
ということで
私はPCに関しては
「人類の進歩」などとは
毛ほども考えておらず
単なる「非効率化」であり、
むしろ「思考の退化」であるとすら思います。
母国語の語彙数削ってどうする!
みたいな。
実際、
「農家」とか「農民」よりは
「百姓」のほうが
圧倒的にカッコいい
と思うしw
とここまで言っておきながら
あれですけど
くどいようですが
私は政治的には
「無党派層」です。
右ならこうあらねば
左ならこうあらねば
とか
そうゆうのが
とにかく嫌ですね。