「音楽活動以外の創作活動」
なんだけど、すぐまた再開。
これはこれで
ずっとやっていこう、と。
やって出来ることはやる、と。
で、それやってたら
肝心要の「音楽」というか
歌のほうの「詞」もすらすら湧いてくる感じ
になってきた。
相乗効果ってやつかな。
ただ、
湧いてきて
書き付けたものが
即「人前に出せる」レベル
かというと
そうは問屋が卸さない
というか
そんなに世の中甘くない
ってのはもちろんあって
四六時中
そうやって「創作」しているということは
まあほとんどが「産みの苦しみ」の時間
ってことですよ。
で、芸風真逆の中前適時打の相方
おぐまゆきと
そこは意見一致した
ってのは
こうゆう音楽活動を
ガンガンやってて
他人様から見れば
「楽しそう」ってことになるんだろうけど
実は全く逆で
楽しいこととかほとんどない
みたいな感覚になるわけです。
ステージにあがってる
その時は
「非日常」というか
普段の自分とは違うテンションに
なるので
その一瞬
楽しいというか
ある種の快楽というか
恍惚感は得られるし、
そのうえ「出来栄え」もよくて
万雷の拍手喝采
ってなれば
幸せこのうえない
ってのは確か。
でもそれはその時だけ
のことなんすよ。
なので「出来の悪い」
ステージ
だった
と
自覚する日
というか
そうゆう時の方が多いんだけど
ステージで「幸福感」無い
ってなると
あとどこに「楽しみ」ってあるの?
ってゆうね。
で詞や曲を作る
ってゆう時間もあり
ステージに向けて
演奏技術をみがく
ってゆう時間があり
そのほとんどは
苦悩と葛藤の時間なわけです。
敬愛するジャズピアニスト山下洋輔は
ピアノと対峙する時間のことを
「希望と絶望の繰り返し」と
表現してまして
それ以上細かいことは書いてなかった
と記憶するんですが
「絶望」の時間の方が長いんじゃないかな
とか思うわけです。
ま、そうゆう感覚って
私やおぐまゆき
だけでなく
「人前」で
「おれがおれが」
ってゆう
ある種「わがまま」なパフォーマンス活動を
続けてる皆様は
均しく持ち合わせてるんじゃないかなあ。
まあでも
「ほんの一瞬のしあわせ」
が
それはそれで凄いので
それに賭けて
もがいていくしかありませんね。