「小林薫x中前適時打札幌ツアー」
たまたま宿泊先で
自分のショボいスペックのスマホでも
wifiスムースにつながったので
3日間のツアーのおおまかな様子は
ツイッターでマメに投稿しておいたので、
ここでは大雑把なまとめにはいろう。
というかその全部をまとめる前に
どうしても言っておきたいのは
一緒に廻った小林薫はやっぱり凄すぎる!
ってのと、あと
最終日の161倉庫に関しては
演者、ハコ、打ち上げの食べ物、
マスターけゑ志さんの人となり、
すべてにインパクトがあり過ぎたので
松田優作の「遊戯」シリーズで、
追跡&決闘が行われていたような風情の
建物の内部外部の画像をUPしておく。
161倉庫入口

入口から地下への階段

入口外から見た昇り下り階段

正面側2Fから踊り場を見下ろす

踊り場から正面入り口を見下ろす

161倉庫があるB1フロアー

B1フロアーから見上げる裏口

裏口側にあった年季ものエレベータ

裏口からB1への階段

161倉庫付近から裏口側方向を見る

店内部。TOPを飾った
Enigma To Cattlemutilationの皆様。
粗い画像ですいません。演奏かっこよかった。

ってことで画像じゃ現場の雰囲気の100分の1も
伝わらないのは承知のうえで載せてみましたよ。
画像撮りませんでしたけど
併設の飲み食い処「モリモ亭」も含め、
とにかくインパクト強烈な場所なので。
そんなこんなで
あとはほんとに大雑把にツアーを
自分中心目線で振り返りますと
なんといっても個人的には
10月12日の肝機能障害入退院以降初の
「連泊」のうえに
離職後に若干陥った「パニック障害」もあって
ほぼ10年弱全く利用してなかった
「飛行機移動」アリの
「ツアー」だったってことで
まったくもって自分としては
「辻タダオ10月革命」と言いたいくらいの
日々だったわけですよ。
一生乗らないつもりだった
飛行機に乗って
「旅に出た辻タダオ」が
「酒」一滴も呑まず!!
ってこれは
10月12日以前でしたら
考えられない事態なわけです。
入院したときに多少鼻血とか出てた記憶あるんで
どちらかといえば「無血」ではなく
「流血」の革命の部類ですねw
で、ここでは、何故酒を呑まないようにしたか?
ってゆう「事後」の話はもう複数回書いたので、
あえて「では何故入院するほど呑んでいたのか?」
について触れてみましょう。
で、自分なりに
あれやこれやいろいろ考える。
考えて考えて考えぬいてみる。
考えてはみたが
「これ!」ってゆう答えは出ないや
やっぱりw
「そこに酒があったから」
みたいな。
で、「酒ナシ」で過す
それも「札幌」ツアーだったわけで
酒ナシのメリット
は大いにありまして
そりゃ単純に二日酔いにならないから
メシが美味い!
と。
ツイッターで何度も強調しましたが
北海道の食べ物はほんとに
びっくりするくらい美味い。
ひととおり地元名物の
魚介類、味噌バターコーンラーメン、スープカレー、
ジンギスカン定食、ザンギ、ラーメンサラダ、等々やら
あと地元に根付く超優秀コンビニ「セイコマ」こと
セイコーマートの惣菜も数々食べましたし、
地元の乳牛由来のバームクーヘンその他の
甘いもの系も食べましたよ。
酒飲まない代わりにw
従来でしたら3日なら3日間ずーっと
「ちょっとなんも食べる気しないっす」
とかいって周囲のテンション下げまくり!
なのがデフォルトでしたから
そこからして全く大違いなわけですよ。
で、わりかし
早寝早起き昼寝もあり
的な「睡眠障害とは無縁」みたいな
生活ペースだったし、
あとは一切酔わないため、
常に「冷静沈着」な行動が出来るので
ソロツアーのレポートとか読むと
旅先で常になんかしらやらかしている
「音楽界の筒香」おぐまゆきの
音楽面ではなく、「日常行動」面での
サポートはかなり出来たような。
中前適時打での旅もだいぶ回数重ねてますけど
おぐまの場合、傍で見ていて
おおさすがに旅慣れてて凄いなあ
と感心する場面も多いには多いんですけど
反面、「昭和の用語」で表すと
もしかしてこの人「ドジ」とか「おっちょこちょい」の
部類の人なのではないだろうか?
ってのに今回「完全シラフ」だった私は気づいたのです。
主に「方向」感覚とかそのへん。
中前二人ともまだ「体調万全」
ではありませんが
お互い助け合う精神は芽生えた
ってことで
「辻タダオ10月革命」
いいことだらけ!
みたいなw
ただ6年前に「禁煙」した直後に体験した
「食欲大増進による激太り」には
注意しておきたいところ。
断酒したはよいが
食べ過ぎ
で
肝臓ますます悪化
とかも有り得ますからね。
ってことで
ツアー仲間であった
小林薫の
ぼくの半分はすでに腐っている
がやたらと胸にしみわたる日々でした。
ああ、これはおれのことを唄っているのに違いない!
みたいなw