全力リラックス!辻タダオ
おぐまゆきとのユニット「中前適時打」メンバー辻タダオのブログ。生年1964、生れ高松、育ち三多摩、元々の「本籍」は那覇、多摩市在住町田市勤務。中学吹奏楽部 町田市立忠生中学校 ・高校吹奏楽部 都立町田高校 ・大学ビックバンド 立教大学NSH 職歴 パチンコホール業界 →ブルーベリー農家。大阪近鉄からの東北楽天ファン。中前適時打は2016年4月結成。作詞作曲、key&vo 漫画原作等を手掛ける。心の師谷岡ヤスジ。無党派。表現規制反対派。ピアノはコードブック派我流。断煙断酒断パチ継続中。
私が不毛でないと感じた唯一の世代論について
語ろうと思って、
その踏み台として
この「ゆとり教育は成功だった」
の記事のリンクをまず貼っておく。
「コメント」欄にあふれる数々のツッコミに
私もおおむねほぼ同意。
実にどうでもいい内容の文章だ!
とだけ、ここに記し、
あとは我田引水の持論を展開することにする。

この記事では
「ゆとり」とその前後
「バブル」とその前後
あたりの
まあ「いま現在」にそう遠くない時期の
「世代論」が展開されているわけだが
「ゆとり」にせよ「氷河期」にせよ
「バブル」にせよ「団塊」にせよ
個々人の差異がかなりあるし
各々の「世代」をひとくくりにして
まとめて何か特徴づけよう
ってのは無理があり過ぎると思う。
物事なんにでも「例外」はあるし。
語句の定義も曖昧な部分あるし。

世代論を展開するのであれば
やはり
戦前戦中戦後
のように
「00前」とか「00後」とかの方が
論理的な文章は展開しやすいと思う。

より現在に近い
ところで
区分けするのであれば
たとえば
震災前と震災後
であるとか
壁崩壊前と壁崩壊後
とか
オウム前とオウム後
とか
小泉訪朝前と小泉訪朝後
とか
単純に昭和と平成とか。

もっと細かく言えば
共通一次前と共通一次後
とか
マイナンバー制前とマイナンバー制後
等の
制度の変更面でも区分け出来るし、
テクノロジー面では
モバイル前とモバイル後とか
DTP前とかDTP後とか
娯楽面では
シネコン前とシネコン後とか
観客実数発表前と観客実数発表後とか
インフラ面でいうと
川口市の埼京線開通前と埼京線開通後とか
北日本の青函連絡船廃止前と青函連絡船廃止後とか
まあ分け方はその気になればいくらでもあるし、
それで何かを書けばおそらくそれなりに
意味のあるものにはなるだろう。
そして何に意味を見出すかは人それぞれ
ってことで
ここからが本論。
「私が不毛でないと感じた唯一の世代論について」
である。

私が思うに
それは東海林さだおのエッセイにあった
「ホステスにモテるモテない」の話である。

そりゃまた随分はなれた時代に飛んだなあ
と思われるかもしれない。

しかし手元にその本の現物が無い
にも関わらず
しかも何十年も前に読んだもの
なのにも関わらず
大筋その内容を覚えている
ということは
その文章が平易でわかりやすいうえに
大いに納得のいくものであった
ということなのである。

で、東海林さだおのエッセイの総分量、
過去から現在における総出版点数は多すぎて
どの書籍に収録されていたのか最早わからないし、
あるいは絶版になっている書籍なのかもしれないので
出典を明示できないのはご容赦いただきたい。

そこに書かれていたのは
大体こうゆうことである。
1937年生まれの東海林さだおは
終戦時の年齢8歳ということになるので
大雑把に言えば「戦中派」ではあるが
「戦時に物心ついてた」わけではないし、
当然「戦闘経験」も「従軍経験」もない。
しかし一世代「年上」の
1927年以前生まれの
しかも男性であれば
「戦時に物心ついてた」のは確実であり
さらには「従軍経験」も「戦闘経験」も
あったかもしれないわけで
銀座のバーやスナックやクラブで
ホステスに向かって「戦争」を語る際の
「話の重み」が全然違う!と。
ひいては「モテ方」が全然違う!と。
これを
あのタンマ君やアサッテ君調の絵柄なんかも
交えて切々と、そして時に淡々と語っている
みたいな内容であった。

「世代論」ここに極まれり!

私個人はいまだに感じているのである。
DTP前世代であれば
DTP覚えればいいじゃん!
であるとか
オウム後世代であれば
後付けでオウムの知識を覚えて
カルトにハマらないように気を付けよう
であるとか
個々に「修正」が効くのだが
こと戦時、戦中に関しては
個人でどうにかする
ってレベルではないまさに
「どうしようもなさ」であふれかえっている
と。

「10年の歳の差」は
いまこの時代であれば
まあまあそんなのたいしたことないっす
と言い切れるんだろうけど
東海林さだお規準で考えると
まったくもってそうゆうわけにはいかず
まさにこれぞ「世代間格差の極致」だと思う。

ごくごく冷静に俯瞰して考えれば、
「東海林さん、でも
戦争に行かなくて済んだのだから
よかったじゃないですか」
ってゆうことになるんだろうけど
そんなありきたりな論に堕することなく
しかし淡々とした筆致で「世代」を語る
ってところがエッセイスト東海林さだおの醍醐味なのだ。

で、
そうは言っても
その東海林さだおの生まれた時代の
前後プラスマイナス10年のどこかで
自分も生まれたかった
などとは毛ほども思わない。
そりゃ「戦争とかマジ鬱陶しいんですけど」
としか言い様がないですからね。
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