ツイッターでけっこうな長時間トレンドにあがってたので
自分も「反応」した
大人になってからの音楽の好みは14歳の時に
聴いた音楽で形成されている
の件。
当たらずとも遠からず、くらいな話
なんじゃないのか
と思って
ツイッターでは
14歳の頃はFM雑誌買ってなんでもかんでも聴いてたから
「なんでもかんでも」だ
ってつぶやいた。
で、PC電源落として
用事済ませて
再度電源入れてネットつなげたら
まだトレンドにあがってたんで
念の為に
「1978年のヒット曲」をググった。
この「年代流行」ってサイトに載ってた。
ご覧のとおり、
ピンクレディーの1,2,3フィニッシュ!!
の年である。
UFO
サウスポー
モンスター
でそろい踏みである。
で、54の現在
年がら年中
ピンクレディーを聴いてるか
といえば
全然そんなことはないので
やっぱりあの記事は出鱈目だ!!
と主張できなくもない。
できなくもないけれど
それはしない。
なんでかというと
「聴く」のは確かにしていないが
UFO
サウスポー
モンスター
全てイントロからなにから
身体に染みついちゃってるんで
わざわざ聴くまでもない
という側面もあるからだ。
さすがに当時の熱狂的な
「ピンクレディー女子」のように
「振り真似」までは出てこないけど。
そして「リスナー」視点では
いま現在ピンクレディーとは無縁だけれど
作詞作曲者
シンガーソングライターとして考えれば
阿久悠作詞都倉俊一作曲テイストってのが
完全に身体に染みついちゃってるところは
間違いなくあり、
なので「辻タダオ作品」は
フィクション系が多いとも言えるわけだ。
大体「燃えろスタジアム」という自作曲は
「サウスポー」に対応してる感丸出しだし。
まあ最初から「サウスポー」っぽくしよう
と思ってたわけじゃなく
どっちかといえば
漫☆画太郎風の曲を作ろうと思ってたのは確か。
で、結果「サウスポー」的でもあるなあ
と。でもそれはそれでいい!と思った、と。
そうゆう流れだった。
故ナンシー関が批評してたように記憶するんだけど、
UFOだのサウスポーだのモンスターだの
の何が凄いかって
比喩というか暗示というか
何か裏に隠された深い意味とか
そうゆうのを全然追い求めてない!
てゆうね。
ま、どの曲も
薄ーく「恋」はからめてはいるけれど
基本的には
サウスポーはサウスポーのことを
UFOはUFOのことを
モンスターはモンスターのことを
唄っているだけで
それ以上の何も「暗示」はしない!
みたいな
そんなようなことを書いてたと思う。
思わせぶりに「深さ」を追わない!
みたいな。
これはけっこう自分には「影響」あったように思う。
「深さ」とか「意味」とかから
逃げたい!!みたいなね。
そのへんは三つ子の魂百まで
ってところあるかもしれない。
作詞作曲
という作業をしようとした場合に。
意味と深さから逃げるのは
当時、阿久悠だけじゃなくて
「出所後の陽水」
と
「デビューしたてのサザン」
もやってたわけだ。
なぜか上海
とか
勝手にシンドバッド
とかね。
それも込みで
三つ子の魂百まで
ってのはあったかも。
しかしほんと1978年のランキングは
なんというかまあ濃いっすねえ。
ビリージョエル
サンタエスメラルダ
ビージーズ
アラベスク
って洋楽4曲50以内に入ってるってのも
時代を感じさせますねえ。
東北楽天の応援のしょっぱなに流れる
「青葉城恋唄」もこの年かあ
みたいなね。
ま、ちょっと
サウスポーとか
阿久悠とかに話を戻すと
これはもうあてずっぽうの自論なんすけど
一連のピンクレディー作品世界って
そこをさかのぼること3年前の
スピルバーグの「ジョーズ」の影響あったんじゃないかな
みたいな。
わたしが児童生徒の頃は
「映画」ってのは全部
「教育的効果」を狙ってるもので
見終わると
「知識」が増えたり
「徳」があがったりする
という効果が必ずあるものとして作られているもの
とゆう思い込みというか信仰に近いものがあった気がするのです。
「体育館」に集められて
無理矢理見せられる映画
ってほぼ大体そうゆうノリだった気がするし。
老若男女ほぼみんな
映画ってそうゆうもんだ
と考えてたフシがあった気がするんですよ。
そこにあの「ジョーズ」は
かなりなインパクトあったと思うんすよね。
なんだこりゃ
マジでサメの怖さ以外の何も描いてねえ!!
みたいなね。
それがなんだかスゲー!!
みたいな。
なんというか
対象物をむき出しのまま
そのまま描いてもいいんじゃん!!
みたいなね。
これに
「日記」マニアで
世の中の森羅万象メモりまくっていた
阿久悠が反応しなかったはずはない、
と
勝手に想像してみました。
78年前後の日記は
公開されてはいないようなので。