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なんだかんだで大晦日ではあるが
平成2年以降、盆暮れ正月あんまり関係なし
ってゆう生活に慣れ親しみまくっているので
さらっと流そうかとも思ったけど、
ツイッター他、各所で書いたように、
メルカリで売るつもりのDVDを見始めたらハマる
の流れになったのであった。
で「果てなき航路」である。
ジョンフォードの1940年の作品である。
戦時突入の頃の船員の話である。
カメラ担当したのが後に「市民ケーン」を撮った
グレッグ・トーランドである。
原作はノーベル文学賞受賞者ユージン・オニールの戯曲である。
といったことを踏まえて「自分語り」中心の流れに突入しよう。
まずは大体この一作品一枚200円を切る
「廉価版」的なDVD10枚組を自分は6年前にアマゾンで買ってた
ってのをアマゾンの自分のアカウント見て
今日再認識したのだが当然覚えてない。
買ってから10枚のうち何枚見たのかも覚えてない。
ただ、購入以前に10作品全部どこかでは見てた。
レンタルビデオのVHSとか映画館とかテレビとかスカパーとか。
そのうちの何本かは1995年に今は亡き千石「三百人劇場」での
「生誕100年ジョンフォードの世界」ってゆう企画でスクリーンで見てて
「果てなき航路」もそこで見たのは間違いない。
千石ではあと「真珠湾攻撃」と「若き日のリンカーン」も見たと思う。
で、いまこの年の瀬、メルカリで小銭稼ごう、DVD売ろう、
もったいないから売る前に見ておこう、
ってなって、そこそこな種類も枚数もあるコレクションのなかから
「果てなき航路」に至ったわけだが、
それはそうゆう気分だったから、としか言い様がなく
何故そうゆう気分になったのか?ってのは
見終わってからわかった。
ああ、そこにいるのはおれだ、おれたちだ
って思える予感がして実際そうなった、ってことだ。
危険、汚い、キツイ揃ってます!!
みたいな3K仕事的な職場の話なのだった。
それを実に巧みな演出で語っているので長さを感じなかった。
戯曲が元になっているということなのだが
ユージン・オニールの「船員もの」シリーズのいくつかを
貼り合わせて脚本にした、ということのようなので
世に数多ある芝居原作映画に比べて「芝居っぽさ」はそんなになくて、
細かいストーリー性みたいなものは希薄で
時間に沿って出来事が並んでいくのだが
伏線やらオチやらもきっちりあるし、
船員役一人一人のキャラクター造詣も見事。
といまはこうして書いてるけど
1995年劇場鑑賞当時の印象は「グレック・トーランドのカメラワーク」
という技法の記憶の方が鮮烈だったのだと思う。
だからあらためて「どんな話だったっけ?」となったのだ。
1995年だと自分はまだ30超えだばかりだった。
なわけでこの映画に出て来る「ロートル船員」への感情移入とか
当時は全然できなかったのだろう。
一応ネタバレに注意して少しだけ触れると
立ち居振る舞いがアウトサイダー的な新参船員のエピソードとか
いま見るとなかなかに強烈で涙腺ゆるむ勢いなんだが
1995年時点では
さらっと流して見てたような気がする。
月日の流れってのを切々と感じるほかなし。
全体としては多人数の登場人物の悲喜劇を冷静に描いていて
「船の労働現場の話」
となると階級闘争的側面はほぼ必ずつきものなのが相場であり、
この映画にも船長等の「制服」組と、肩書なしの船員との間の対立やら溝は
描かれているのだが死に瀕している者は皆で上下の区別なく助けようとするし
また葬るときは全員で十字を切る。
そこはやはり「プロレタリア芸術」の理論には基づいていない。
そういうイデオロギー的なことは
自分は評価に交えないようにしてるので特にだからどうということはない。
で「自分語り」部分に移るんだけど
嵐に立ち向かう船員の場面で
「嫌がらせで大便器に異物混入されたパチンコ店」に居た自分と
自分たち、を思い出した。
1995年よりも前のことだった。
店側だったからどうしたってそりゃ治さなきゃしょうがない、
治さなきゃ、ああこりゃもう便器ごと外さないと無理だあ、
ちくしょうめ、このやろうめ、つって男4、5人で糞尿まみれになって
最後はもうヤケクソで笑うしかない、みたいな。
結局、人生糞だうんざりだ。そんな糞の中で死んだり死ななかったりするんだ、
ってなことをしんみり感じさせられる実に偉大な作品だと思う。