気晴らしに何かの「創作活動」をその都度やる!
と宣言したのでとりあえず先ず今この「雑録」に
手を付けてるわけだ。
「創作活動」の種類、内容はなんでもかまわない
ってことにしたので
ブログで雑録書くのも当然それに含まれる。
それにしても最近はツイッターに慣れちゃってるので
2年前より過去さかのぼって15年くらいはずーっと
継続的に出来ていた「毎日のように何か長文を書く」ってのも
かなり億劫になってきてるけど
思いつくままにいくと
橋本治の「浮上せよと活字は言う」
って本に書いてあったんだけど、
橋本治は「枕草子」現代語訳を書いた行きがかり上
イギリスの映画監督ピーター・グリーナウェイと多少やりとりがあった、
ってことだったようだ。
でピーター・グリーナウェイの「プロスペローの本」という映画は
自分も数か月前にDVDで見た。
で、ああこれシェイクスピアの「テンペスト」なんだ、
ってのを知って、当たり前のように「未読」だったので
映画見たあとに図書館で借りて読んで、
さらにはブックオフで100円で福田恒存訳の新潮文庫も買った。
この一連の「観たあとに読む」の行為の流れは橋本治も同じだったようだ。
ってだからつまり「プロスペローの本」のことを橋本治が書いてる
ってなことは知らずに映画は観てたし、
その後数か月内に橋本治の未読の本のページをめくってみたら
あ、こないだ観た映画の話じゃん!
ってなった、とこういうわけだ。
で、だ。
自分が驚いたというか言いたいのは
橋本治がグリーナウェイと接触あったり
とか
橋本治も自分も
あるいは日本人全般も
「テンペスト」当たり前のように読んでる、知ってる
ってほどにはシェイクスピアに慣れ親しんでない
ってかみんなろくすっぽ本読んでないじゃん!
ってことをあらためて痛感する!
とか
そうゆうことは最早どうでもよく、
「テンペスト」って新潮文庫だと最早タイトルすら見えない
つまりは「あらし」ってことか!
とか
そうゆうことも最早どうでもいいわけで
ともあれ自分が驚き
ちょっと憤ってさえいるのは
映画「プロスペローの本」に出演している
多数の全裸の登場人物たちの
性器部分無修正の本編を
映像処理技術を担ったNHK職員その他
製作に関わった当事者等
一部関係者のみで日本国内で上映視聴する機会があった
ってところなのである。
おいおいおい
だったらおれにも見せろよ!
ってそうゆうことを言いたいんじゃなく、
だったらもうその時点から
「無粋な性器ボカシはよしましょうよ」って
声高に言っとけよ、と。
そう言いたいのだ。
特に「皆様のNHK」職員なんかは
性器丸出し映画の制作に関わったのであれば
なおのことである。
自分の基本姿勢は
表現の自由どんどん推進派
なので。
というかまあ
映画「プロスペローの本」が日本初上陸、初公開された当時、
そして橋本治がそれに関して旬の時期にいろいろ書いてた当時、
とはまた状況がだいぶ変わってて
ポルノではない欧米映画の性器描写に関しちゃ
レンタルDVDだとほぼ解禁状態にいまはなってるんですね。
これが。まあリリース時期にもよりますけど直近数年だと。
年明けくらいのCSでもヴィスコンティーの「イノセント」とか普通に無修正だったし。
「イノセント」なんかは観りゃわかると思うんだけど
わいせつうんぬんかんぬん以前に
性器無修正じゃないと話が見えなくなっちゃいますからね。
脚本の造りから考えて。
「プロスペローの本」
も隠したら意味が通じにくくなるところあるな。
なんにせよ「性器ボカシ」はどう考えてもナンセンスの極みっすよ。
とりあえず今現在は欧州映画の「性交場面」ではないところの
全裸人物の主に「男性器」に関しては解禁っぽい流れのようだけど
自分の意見は
「性交場面」だろうが「性交以外場面」だろうがなんだろうが
男性器だろうが女性器だろうが
ゾーニングはきっちりすることを条件に全部解禁でよろしく!
ですね。
ま、とにもかくにも
伊藤整、野坂昭如、大島渚、等の先人達に敬意を払いつつ、
今現在を生きる、ろくでなし子の援軍でありたい!
と思う一市民ですよ、と。
今日のところは言いたいのはそれくらいかな。