
さて連日BSでヒッチコックやっていて、
もう過去にさんざん見たからいいや、とか
思いつつ、でも他に見るもんないし、
とりあえずチャンネル合わせておくか、
とかいいながら、
なんかグイグイ引き込まれちゃった類の人間です。
私も。
で、ここんとこ
裏窓
知りすぎていた男
めまい
とジェームススチュアートもの
を連日やってましたけど、
やはりその過去見た時と同じところで感動する部分も
ありますよ。
いわゆる「演出」の部分で
ああキタキタうわー出た出た名人芸!!
みたいな。
三枝師匠が「大阪のおばちゃん」と発声したその瞬間に
もう笑い出す、みたいな
そんな感じでしょうか。
で、それはそれとして
やはり「古典的名作」ってものの凄いところはですね、
鑑賞者たる自分の「加齢」という要素で
またさらに「面白さ」が増す、と。
今回は
ジェームススチュアートが
各作品において
周辺の人物と交わす会話の内容、
ってものが
いちいち面白かった、というか目からウロコでした。
過去
これらの作品を見ていたときには
筋の進め方がどうこう
とか
撮影の仕方がどうこう
とか
キャスティングがどうこう
とか
後でも触れますけどバーナードハーマンの音楽が
どうこう
とか
そうゆう方面でいろいろ考える部分が多く、
「登場人物が交わす具体的な会話内容」
に関しては
あまり強く記憶に残ってなかったのです。
で、いま
こうして自分が齢46になってみて
特に気合もいれずに何の気なしにダラーっと見始めて、
それにも関わらず、
なんの違和感もないわけです。
これらヒッチコック映画の登場人物の会話には。
半世紀以上前のコンテンツなのに。
人間、その境遇になれば
その言葉を吐くしかないだろう、
と、
思うより他ありませんでした。
どの作品においても。
ちゃんと「生活者の視点」を踏まえた言葉になってるんですよ。
「映画の登場人物の嘘の言葉」なんだけど、
なんか異様にリアルに感じる、と。
というか
あれですよ、
ヒッチコック作品の場合
みうらじゅん氏の作法であるところの
「感情移入」重視鑑賞法
が凄く効果的なことに遅ればせながら気づきました。
が、
それをするには「事前に何もかも知っておくように算段する」
という行動も必要ですし、
そうなると
「ヒッチコック作品を生れて初めて見た時の衝撃感」
が味わえないのは痛い、ってゆう側面もあるので
まあとにかくなんでもいいので
四の五の言わず
とりあえず一回見ましょう。
青少年の皆様は。
いまならまだ「非実在なんたらかんたら」で
都条例にひっかかることもありません。
サイコでも北北西でも、なんでもいいですよ。
見たことない人は。
で、これは誰しもそうなのだと思われますが、
「初見」の後、再度それも複数回見ることになりますからね。
でその都度
どう感じるのか
も千差万別だと思われます。
そこらへんが深いなあ、
とつくづく思います。
で最後に
事前に予告したとおり、
「北北西に進路を取れ」でもお馴染み
バーナードハーマンの音楽
の件に触れますけど
ここ数日で気づいたのは
この人は
完全な
「ライトモチーフ派」だ、と。
「ライトモチーフ」ってのは
短い小節数
で
人物造形なりなんなり
音でもって簡潔に何かを表す音楽技法
である
と定義できますね。
で、ハーマン氏においては、これがまた
いちいち
「その音の形以外にありえないですよね、
そうですよね!!」
という完成度。
とここまで言っておいてあれかなあ、
って思いますし、
もはや朝礼暮改とかどうでもいい感じなんすけど、
さきほどからあれこれいろいろ申し上げているように
ヒッチコック映画には「面白い要素」が
各分野多方面に渡ってありますので
どうかひとつ
「おれはヒッチコックのここが好き」とか
事前に限定せずに
淡々とした態度で鑑賞に臨み、
その後、大いなる感動体験を得ればいいのではないか、と、
心の底から思います。
私は実際
「北北西」のあの
グライダーが飛んでくる場面
ってのが
生涯最高の「映画体験」だと思ってます。
しかも
これには
「論理的根拠」は一切ございません。
ありのまま
見たまま
「なんか凄いことが起こってる」
と思っただけです。