全力リラックス!辻タダオ
おぐまゆきとのユニット「中前適時打」メンバー辻タダオのブログ。生涯一東北楽天ファン。中前適時打は2016年4月結成。
釘と忠誠心
さて、あのホリエモンの
寿司職人の修行は無駄
とか言ってる動画を
ひまつぶしyoutubeでなんとなーく見た。
まあ、半分くらいはあたってる気もするし
でも業種にもよるよなあ
ってのもある気もする。
で、自分が長年在籍してた
パチンコホール業界であるが
ここに関しては「トイレ掃除」から始まる
丁稚奉公的なところがあった。
業界離れてもう7年経つんで
いま現在どうなってるのかは知らない。
いわゆる「下積み」重ねて
何年か過ぎないと、
パチンコの「釘」やら
スロットの「設定」やらに
関われるポジションにはつけないわけだ。
そりゃまあ単純に
「多額の現ナマ」直結の世界なんで
店、あるいは会社への
「忠誠心」があるかもどうかもまだわからない
ポッと出の「若造」にはまかせられない
ってゆうのがあるからね。
ガバガバに開けた釘の台を友人知人親戚に
教えちゃう
とかそうゆうモラルハザードを警戒してるってこと。
そうゆう意味では実は
「お堅い」職場でもあったのだ。
以前にも書いたけど、
本配属される前の「面接」で
そういう類の「不正」やっても
必ずバレるし
地獄の果てまで追うからね
とか念押しされまくったもの。

で、パチンコ規制で
「釘無くなる?」の件なんだけど
もう自分自身
パチンコもスロットも全く打たないんで
なんともあれなんだけど
現場の店長クラスだったら
「釘ナシ?ラッキー!?」みたく考えてる人も
一定数いるんじゃないかなあ。
ま、ほんとあくまで「一定数」であって
「主流派」ではないとは思うし、
思っていても口には出せない
みたいなのもあるだろう。
やはり
「釘調整命!」という感じで
「釘」を神聖視する人の方が多かったように思うし、
いまでも多いのだろう。
なのでその人達の気持ちを慮ると
なんともご愁傷様としか言い様がないんだけど
冷徹に「経営」側から考えると
釘調整に掛かってた時間やら
人件費やら
光熱費諸々やら
全部削れちゃうじゃん!
ってなるわけですよ。
でまた「働き方改革」とかいってる
時代ですからこりゃもう渡りに船ってやつですよ。

で自分個人としては
釘調整初めて任されるようになったときは
嬉しかったのは間違いない。
その頃はまだ
「新台入れ替え」ってのが3か月から
半年に一度くらいのペースでしたからね。
で版権モノがやたらと増えて
「週一で入れ替え」とかが当たり前になってくると
さすがにこれはいくらなんでも
ブラック企業状態だろう!
って「後付け」なんすけど
思いますね。
「店休日」もほぼ無くなり
どこもかしこも年中無休状態ってなると
毎週毎週
「開店時間」までには
かならず目標の「回転数」になるように
試し打ちとかしながら
細かくそれも人出も使って
「調整」ってことで
「週一徹夜」は必須であり
さらに「目標」と程遠い回転数の調整しか
出来なかったとかなると
翌日も徹夜であり
そのまた翌日も
ってなってたなあ。
それがなくなるって
働く側と経営側は実は「楽」なんすよね。
一番「被害」被るのは
ユーザー側なんでしょうかね。
ほんとの意味で厳密に「釘調整」が無くなるのか
どうかは業界離れてから長いので
おいそれと何かを断言はできませんけど。

誰が言ったのかは忘れてて
出典を示せないのは恐縮なんすけど
基本パチンコだのスロットだのってのは
「店と客との戦いではなく、客同士の戦い」
ってのがあって
まさに本質を突いてると思うんですけど
まったくもって
「理系の情報戦」の世界なわけです。
「文系のメロドラマ」ではないです。
釘とかも結局「視界からの情報」なわけでして
その意味がわかってれば
ある程度は「勝率」あがる
みたいなね。
高齢者の常連のお客様
とか
そのへん無頓着な人が多かった
(今現在のことはわからない)
記憶があるので
年寄りから若者への所得移転が
最も頻繁に行われていたのは
パチンコホールの中だった
とも言えるわけです。
以前にも書きましたが
あの有名な「海物語」の機種名が言えず
「ほれほれ魚が出てくるあれだよあれ」
みたいなお年寄りってけっこういましたからね。
あとスロットの「目押し」が出来ずに
ジャグラーのGOGOランプ点灯するたびに
店員を呼ぶお年寄りとかも
その人は「店のカモ」なんじゃなくて
サクサクぶん回してどんどん稼ぐ若年層
にとっての「カモ」ってことなんすよ。

それからあんまり詳しいことは
ちょっと怖くて書けないですけど
機種そのものに「バグ」があって・・・・
みたいなのが
あると
こりゃもう
「インサイダー」の勝ちみたいなのも
あったようななかったような
ああもうこれ以上おっかなくて書けないやw

なので事の本質は
とにもかくにも
「釘調整がなくなる」ってのは
勝率をあげるための「情報」の量が
かなり減る
ってことです。
ユーザー側からしてみれば。

まあでも漫画にあるような
「釘師」ってのは
私が業界に入ってから5~6年くらいで
ほとんどもういなかったと思います。
わざわざ高いギャラ払わなくても
自前の社員で普通の給料で事足りる
みたいなね。
そうそうあと
警察関係の申請書類の作成も
入社したてのころは
「代書屋の先生」に頼むのが通例だったのが
PCが店に3~4台常備されてるのが当たり前
って時代になってからは
これまた自分でやることになってたなあ。
釘調整よりも
そっちの方がキツかったかもw

ということで
おっかないことが多いので
やっぱり業界内部で長く生きていくためには
「忠誠心」問われるぞ
ってお話でした。
期待値さがれば
さてまたしても
「規制」が話題になってる
パチンコ業界なんだけど
私の予想は
それでもやるやつはやる
って感じかな。
というか大当たり一度の出玉が
1500発以下の
時代とか過去にもあったし
それはそれで楽しんでた記憶ある。
実際わたしが「学生時代」だった頃は
エキサイトヒーローだの
エキサイトライダーだの
といったセブン機を打ってたんだけど
一度の大当たりの出玉数は
確か1300発前後だったと思う。
でしかも「一回交換」ってゆうね。
相当シブいルールだとも言えるが
それでも
「勝つ」ときは勝ってたと思う。
というかそもそも
「勝ちの上限」とか言ってる時点で
え?なになにもしかして
正式な公的な賭博として認められたの?
とか一瞬思ったんだけど
どうやらそのへんはまだまだ曖昧なようだ。
というか
一撃5万発
とか
一撃一万枚
とか
いう世界よりは
実は
出玉制限あったほうが
勝ちやすいんじゃないだろうか?
いやほんとマジで。
そこらへんみんな見落としては
いやしないか?
いまは手元にないんで
正確なことは言えないけど
伝説の田山プロの一日の目標収支って
確か7~8千円だったような。
で、地道にこつこつそれを積み上げていく
みたいな。
なわけで
パチスロ4号機全盛時代の
一撃5万枚
つまり
「100万円」の時代
のほうが
悲惨な負け方してた人の数
多かったんじゃないかなあ。
いやほんと
いまは諭吉がどんどん消えていくけど
いざとなったら「5万枚モード」もあるし
とかいってさらに諭吉が消えていく
みたいな。
「一日の勝ちの目標額7~8千円」
って割り切っちゃえば
十分いけるんじゃないだろうか?
とかいって
お客様のみんながみんな
一日7~8千円勝つ
ってなっちゃうと
店はつぶれますw

なかなか凄い規制ですね。
出玉上限1500個
とか
釘をいじれないように封入式
とか
景品上限額を6000円に引き下げる
とか。

私は20年
ホール業界でお世話になりましたので
パチンコ、パチスロに関しては
「擁護」派なんすけど
「依存症」だったこともあるので
まあ、なんらかの規制とか
より細やかな依存症対策とかは
あってもいいかなあ
とも考えていたわけですが
今回のはなかなかに凄い
というか
予想以上の内容でしたよ。

まあ、でもよくよく考えてみると
自分が若かりし頃にパチンコにハマり始めた時なんかは
いわゆるセブン機って1回の大当たりの出玉が
確か1300個くらいだった気が。
で、大当たり終わったら
その都度計数機に玉を流す
ってゆう「1回交換」ってゆうルールが主流。

でまた計数機から出て来る「レシート」は
あれですよ
「パンチ穴」があいてる
細長ーいやつ
だったりねw

なので中高年以上の
ヘビーユーザーは
はいはい1500個も出れば十分!
って感じで
これくらいの規制じゃ
パチンコそのものをやめる
とかしないような気がするw

ただ、ほんとに真面目に
「釘」はもう絶対に店側の人間は触れません
ってなるのは
スゴイっすね。
ほんとにそうなるんであれば。

これまでこのカテゴリーで
「業務」として
「釘」に関わったことについては
一言も書いてないと
思うんですが
今回の規制の件に触れても
やっぱりちょっと書きにくいので
細かいことは書きません。

多分今回の件で
こうゆう視点で
ものを書くのは
おれしかいない!
ってな
独自の意見を開陳しますと、
釘に触れない
ってことは
店の「業務量」としては
大幅に時短になるわけで
「全日本もう早く帰りたい協会」に賛同する者としては
ホール業界うらやましいぞ!
みたいなねw

「釘」に関しては
それに携わる人間が100人いたとしたら
100人100様の
ノウハウや考え方みたいなのがあって
常に激論が戦わされてたような気がするんですけど
もうそうゆうことにエネルギーを割かなくても
いいってことですよね。

寂しいと考えるか
楽になってラッキー
と考えるか
も人それぞれでしょう。

私はあきらかに
後者のタイプっすw

ま、ただ現場離れて6年以上だし
と同時に
プライベートでも
全然打ってないので
なんとも言えないかなあ。


パチンコ、パチスロとインテリの人
ここのところ6年ばかり
まったくもってパチンコもパチスロも
打ってないんだけど
ふと自分が若かりし頃
従業員として働いてた時に
「王様手帖」だったか
「王様の手帖」だったか
名称は
どっちか忘れたけど
サイズ小さ目の
ユーザー向け小冊子が
ホールの片隅に置いてあったのを
思い出した。
パチンコ、パチスロに関する
コラムやらエッセイやらマンガやら
が載っていて
そこそこ豪華執筆陣だった。

蛭子さんのマンガも載ってたし
エッセイでは
柄谷行人の名前もあった。

パチンコ、パチスロに関しては
いまではだいぶ減ったようだけど
「専門誌」「専門マンガ誌」も豊富にあったし
それとはべつに
店舗の人間が読む
「業界誌」も数多くあった。
というか
もう業界を離れたのでよくわからないけど
「業界誌」はまだまだたくさん出てるのかもしれない。
上質な紙を使って
豪華な製本で
買うと2千円くらいしそうなしつらえなんだけど
まあなんだかしらないけど
店にどんどん送られてくる
みたいなね。
プレイグラフとかグリーンベルトとか
そうゆうやつ。

ってことで
そうゆうことをいろいろ
思い返してみると
遊技だ博打だとかの議論もありつつ
実はけっこう
「どインテリ」な人が数多く関わってる業界なのだ。

実際、
メーカーで台の開発なんかやってる人は
理系のエリートだろうと思うし。

ただやっぱり
羽根モノ
権利モノ
一発台

流行ってたころの方が
「理系の知性」を大いに発揮できたんだろうなあ
とは思う。

やたらと
リーチ画面の時間が長い
セブン機とか
あれ
知性いらないっすもんね。
むしろ
「知性邪魔!」
みたいなところあるし。

伝説のプロ
故田山氏は東大在籍歴あるんだけど
その頃といまでは
やっぱり
「ゲーム」の有り様が
全然違うことになってるような気がする。

スロットに関しても
1.・5号機の頃は
あの呉智英が
「スロットってのは奥深い」って
ハマってたし。
(ウィキペディアみてもそのことは載ってません)

いま業界から離れて
「自営」になったんだけど
やっぱりパチンコ、パチスロが
メインストリートに出てこれないのは
つくづく「税」の問題かなと思いますよ。

マルサの女一作目の
伊東四朗の店
みたく
思われてるフシがあるんじゃないでしょうか。
あそこまで
露骨に脱税狙いをしている
店や企業もそうそうないとは思いますけど
なにせ領収書のない商売なんで
他と違って
税金細かく申告したくても申告できない
みたいなところあるし。

そのへんも
家族申告の依存症防止策
やら
マイナンバー
やらで
変ってくるのかなあ。

よくはわからないけど。

4号機の恩恵全く受けず
ってことで2000年代前半
一世を風靡したパチスロ4号機
を懐かしむユーザーも多いだろう
とは思う。
いわゆる「万枚」が普通に有りえる射幸性。
でしまいには「5万枚」とか有り得たってゆうね。
5万枚って100万円ってことですからね。
まったくもって狂ってたとしか言いようがない!
と。
と否定的に考えるのは何故かというと
私はそんなに出したことがない
というか
個人的な勝負では負けまくり!
なのに
店の運営側
として
予定外に出されまくり!
みたいなw
いい思い出ひとつもなし!
みたいな。

出すつもりなくても
つまり「低設定」にしてても
「万枚」出ちゃうことが
よくある
ってゆうね
そこがとてもやっかいでした。

台数少な目の店だったりすると
1台「5万枚」出ちゃったら
それだけでもう頭パニック!
みたいなね。

4号機がなくなった時は
ほんとうに心の底から嬉しかったですよ。

ああ、これで
本社の管理部門の人に
逐一怒られなくて済む
みたいな。

いやほんとに怒られましたからね。
で、その都度
出したくて出たんじゃんくて
勝手に出たんです!(真実)
と強調。
しまいには現場に来られて
全台の設定確認されましたからね(真実)
で自分はやましいところはないので
どうぞどうぞ心行くまでご確認くださいませ
って感じ。

ほんとあんなものなくなってよかったです。

どうせおれは
「万枚」出せないし
みたいなw

あ、でも
タイトルの
「4号機の恩恵全く受けず」
ってのは正確ではないかな。
個人的な勝負
では
負けまくったけど
給料というか年収は
高かったからね。
4号機の射幸性の高さのおかげで
売り上げ凄かったですからね。
わたしの絶好調時代
さて政府与党は
ついにパチンコや公営ギャンブルの
依存症対策に具体的に乗り出すようで
ほんと自公政権って人々の暮らしに
介入してくるよなあ
ってゆう印象強いんだけど
なんなすかね、大きな政府なんすかね。
ま、それはさておき
自分がほぼ「依存症」だった頃のことを書こう。
というか今現在「借金」ゼロなんで
依存症歴はあったけど
意外に勝っていたのかも?
と思い
記憶をたどり
もっとも勝っていた頃について書く。

中野坂上なんすよ。

中野坂上。

大型チェーンじゃない
200台規模の個人経営の店が2軒あったのです。

それこそ「マルサの女」の
伊東四朗がやってたような
ああゆう感じの店。

で、どう立ち回っていたのか
ってえと
まず羽根モノから打ち始めて
次に権利モノ
次にセブン機
で仕上げは爆裂1.5号機「アニマル」!
みたいな。
わらしべ長者みたいなものです。

で、稼ぎ方としては
それこそ伝説の田山プロのように
「1日7000円」くらいが目途。

スロット4号機時代の
「万枚」なんてのはなかったんで
地味にこつこつ稼いでたわけです。

で引越しして
西荻窪に行ったら
完全に「負け組」人生。

そうゆうときに
電車代惜しまずに
中野坂上まで遠征するのが
プロってものです。

でもほんと
中野坂上でずーっと
勝ち続けてたら
音楽やってなかったかも
とか
ちょっと思うし
複雑な心境ですね。
大阪大手チェーンのサクラ&LINE
実に隅から隅まで
酷い話でして、
店長が「スロットの高設定台教える」という
釣り針で「サクラ」を募集して、
儲けは店長自身と「折半」という条件で、
さらには応募してきたのが女性だったので
肉体関係をも迫る、と。
でそのLINEでのやりとりが
世に出まくり!と。

最初自分も
普通に「ひどい話だなあ」
と眉をしかめていたのですが、
LINEの画面見てるうちに
怒りを通り越して、
笑ってしまいました。

なんだこいつー!?
みたいな。

闇金ウシジマくん
でも
ここまでのやつは
いないんじゃないか!?
くらいなw

ということで
こうゆう人間を生まない為に
普通のホール企業がやること
といえば
もうまず「入社」とか「配属」の段階で
徹底的にビビらせる、
もっときつく言えば
震え上がらせる、くらいな感じでしょうかw

まずは「ようこそ」と
迎え入れつつ、
業界の掟
みたいなのを
説明していくわけです。

あいさつはちゃんとしよう
とかなんとか
とおりいっぺん
世間一般常識の
ソフトな部分をまず説明したあとで、

で、「ホール業界というのは
特殊なところがありまして」
とおもむろに始めるわけです。

まずは、起こり得る「悪事」の
ほとんど全てを「最新情報」に照らして
畳み込んで説明します。

で、ちょっと間を置いて、
「以上のような事情があるので
我々はあなたをそういった類の行為を
絶対にしない人と最初から決めつけて
見たりはしません」
つまり、
「気を悪くしてもらっては
困るのですが、ある程度
疑いのまなざしを向けながら
接するということになります」
みたいなね。

で、ですよ
「あなたが仕事に慣れ
職場の仲間とも馴染み
なくてはならない戦力になり
ステップアップして
ゆくゆくは店舗責任者に
なったとします」
ときて、
「そこまでの過程で
あなたは業務に精通
しているという評価を得ていますが
それでも誰かが必ずあなたを見ています」
と。
「そしてもしあなたが
知力の限りを尽くして
会社に損害を与えるような
悪事に手を染め
人知れず成功したと
思うことがあったとしましょう」
ときて
そこで
「しかし」ですよ「しかし」w
「しかしそのような悪事は
必ず判明します」
そう「必ず」を強調!

「解雇は当然ですが
もちろんそれだけでは
終わりません。」
そうそこでは終わらない。
でまた「必ず」が出ます。

「我々は親御さんが出ていらして
泣いて謝罪をされても
必ず刑事告発します」
そして
「それを見越して
逃げたとしても
必ず見つけ出します」
と。

ま、そんな流れですかね。

までも
大阪の店長のようなケースをみてると
それでも
やるやつはやる
ってことですね。
「バブル先延ばし」で生きてた
というのも日本の世の中全般でいうと
1990年ごろに「バブル崩壊」ってのがあって
失われた20年だとかなんだとか
巷間言われてるんだけど
パチンコ業界ってのは
いまはともかく
かつては「不景気に強い」
って言われてて
「世間一般」の「バブル崩壊」とは
全く無関係にどんどん
「パチンコバブル」的なものは
ふくらんでいって
さすがに「リーマンショック」と「パチスロ4号機撤去」と
まああとは「少子高齢化」で
やっと「終わった」感じですかね。
なので2008年くらいまでは
「うまみのある商売」
として
世間一般の「バブル崩壊」よりも
余計に18年くらい長く
「この世の春」を謳歌してたわけですよ。
よくよく考えてみると
なかなかに凄いことですね。

なので自分の場合の
「バブル絶頂期」
って2005年頃かなあ
みたいなw
自身の「年収」も最高潮でしたよ。

ま、やはり
「パチスロ4号機」

「絶頂期」
と重なる感じですかね。
一撃5万枚とか出る機種があったころですね。
つまりは
射幸性も最高潮
だった頃です。

ただその時期
マネージャー職だったんで
まあ「プライベート」な勝負では
負けまくりで
なにしろ仕事の拘束時間が長くて
自分で打つ
場合
勝つために
深く
考えるという余裕ナシ
みたいなね。

ということで
パチンコパチスロ打つ
よりは
やっぱり「呑み」に時間と金を使ってたなあw

で、自分で最も「バブリー」だったなあ
ってゆう記憶はですね。
「社員旅行」で行った韓国なんすよ。

まあいま韓国については
「外交問題」で何かと話題沸騰中ですが
それに関しては
わたくしノンポリ無党派層なので
なにもコメントはしません。

このブログでは
何度も申し上げてるように
サークル活動にせよ
職場にせよ
なんらかの「組織」には
まあ「派閥」みたいなものが
自然とできあがるわけで
自分の場合はいついかなるときも
「酒飲み派閥」に属するわけですw

当然「社員旅行の韓国」でも
酒飲み派が夜集う、とw

確か2泊3日くらいの日程だったと思うんですけど
最初のうちは
街中の普通の「呑み屋」さんみたいなところで
焼肉うまい参鶏湯うまいとか
普通に飲んでたんですけど
なにしろ
あの新宿歌舞伎町に「行きつけのスナック」
があったりした野郎共なんで
最終夜は誰かの鶴の一声の
「ぱーっと行っちゃおう!」を合図に
とにもかくにも
スナックだかキャバレーだかキャバクラだか
に行くぞー
ってなったわけです。

ましかし
異国の地ですから
「行きつけ」

「お馴染み」
の店があるわけでもない。

夜のソウルで
日本語で
「よっしゃパーッといくぞ
パーッと」とか叫んでる
日本の野郎ども集団
ですから
こりゃもう現地の「呼び込み」のお兄さんからすれば
絶好のカモキター!
って話なわけでして
たどたどしい日本語で
「パーッといきますか?」
と話かけてきて
「いい店ありますよ」
ときて
で、なぜかデカいワゴン車に全員で乗ってる
みたいなw

で延々20分以上走って
どう考えても
ソウルの街中
じゃない「ど郊外」の山の中
みたいなところまで
来てるんだけど
全員メートルあがちゃってるもんだから
誰もなんにも疑問に思わず
怖いとも思わず
おっしゃ山きた森きた林きた!
うひょー!
とか騒ぐのみw

で、暗い郊外の道中
一軒だけ
きらびやかに灯りが派手にともってる
わりと大きなお店に到着。

外観の
視覚的イメージでは
「ブルースブラザース」が間違って出演してしまう
「カントリー&ウエスタン」の店
みたいな感じだったかなあw

でも中に入ってみると
わりと入り組んでて
こじゃれた感じで
部屋がいくつもあって
ってゆう
日本の「スナック」では見ないような
変った作りでしたよ。

で、かなーり奥の方の部屋に案内され
ソウル最終夜のパーティー開始!
となり
そこから先は
ノリ的には普通に
カラオケの置いてあるよくある日本のスナック
とほぼ一緒。
現地のホステスさんたちは
片言日本語と英語半々くらいな感じで
やたらと「洋楽」唄ってた記憶が。

で、こりゃちょっと違うノリだなあ
ってなったのが
テレキャスだかストラトだか忘れましたが
エレキをもったお兄さんが
いきなり部屋に入ってきて
洋楽中心のカラオケの
伴奏をするんですよ。
で、これがけっこううまかったりする。

なのでメートルあがりっぱなしの
酒飲み集団は
ただ普通に
ブラボー!
とか叫ぶのみw

バカですよねw

そんなこんなで
2~3時間過ごし
最後お会計
「おひとりさま6万円」
ときましたw

ここから先は
いろいろプライベートな問題も
はらんでますので
あまり細かいことは書きません。

これがわたしの
「ソウル6万円事件」です。

テレキャスだかストラトも
込みの
6万円ですw

念の為言っときますけど
「乗ってきたワゴン車」に
普通に乗って
普通にホテルまで
誰も怪我とかせずに
帰りましたけどねw

実に「バブリー」な夜だった。
営業時間短縮、店休増は羨ましい。
ってまあロイヤルホストのニュースを
受けて言っております。

いろいろ見方もあるでしょう。

まあ単に顧客減少で売り上げも落ちてるし
それぐらいで経営的には丁度いい
ってだけのことなんだけど
そういう言い方だとマイナスイメージに
なってしまうので
従業員の負担減
というプラスイメージに持っていこう
みたいなね。

これに関連すると
政府がしきりにライフワークバランスを強調し
電通にも強制捜査が入り
長時間労働撲滅の動きが加速化してるわけですけど
これもまあ
「管理職」でない
「残業代」の出る「一般社員」に
いままで通りの生活残業代
みたいなものは
もう出せないよ
ってことなんでしょう。
首相が経済団体に「賃金上げ」要求
ってのも
そのへんも込みの
一種の「プロレス」なんじゃないか?
とかね。

思想信条的には
どっちとも言えないんですけど
極めて個人的な好み
を言わせてもらうと
時短大好き
休み増大好き
派なので
タイトルのように
「羨ましいぞこの野郎!」
みたいに思うのですw

私のホール業界社員時代の20年

振り返りますと
「労働時間」だけで
捉えれば
最初10年楽な部署の公務員並み、
後の10年きょうびのブラック企業並み、
みたいなね。

まあ両方体験できたのは
よい人生経験ができた

無理矢理言えなくもありませんが
ぶっちゃけ
後の10年はやはり
ちょっと消耗度的にはきつかったっす。

何度も書きましたけど、
その原因は
メーカーが版権モノの旨味を覚え
やたらめったら新機種をリリースしまくったので
入れ替えの頻度が恐ろしく増して
店舗のマネジャークラスですと
24時間とか48時間とかの連続勤務が
月に3,4回くらいあるいはもっとある
ってのが当たり前の状態になり、
でまたそれだけの「人件費」かけても
会社も十分コスト回収出来たし、
自分たちも「高収入」を得られた為に
みんなそこそこ「満足感」もあったので
冷静に「労働時間」だけ考えれば
立派な「ブラック企業」状態だったんだけど
誰もそうは思ってなかった
ってことです。

まほんと
そのあたりはなんとも言えない
というか個々人の「好み」とか
時代の流れの問題なので
私としては
「男子一生の仕事」みたいなのを
貫けなかったことに関しては
自分が在籍してた「ホール企業」に
は一切なんの恨みもなく、
やっぱり「糞台」込みで
おまえらいくらなんでも市場に機械出し過ぎなんだよ!
という観点から
「遊技機メーカー」
に対しては
そこそこいまでも「怒り」を覚えております。
正直なところ。
ですがそれもあくまで
私が「無精者」だからそう思うだけであって
色々な考え方があっていいんじゃないでしょうか。
自分はそんな流れにはとても付き合いきれない
と思っただけのことで
実際、最後の方は「投げやり」になってたと思うし。
流れについていけた人は
いまでも頑張ってますからね。

ただそのやっぱりまだ
「またパチンコ打ちたい
スロット打ちたい」
って気にはならないなあ。
勝てる気しないから。

だからと言って
「パチンコ撲滅!」
なんてゆういかにも無粋なことを
言うつもりも
全くございません。

世の中
娯楽が多い方がいいに決まってる
と考える
快楽主義者なのでw
悪気はないんだろうけど結果だまされた件
自分の若い頃の最大の愚行は
やはり何の「戦略」もなく
ただダラダラとパチンコやパチスロを打って
結局そこそこ負けた
とw

戦略を持ち
「勝とう」として
勝ててた時期もあったんだけど
転勤がちで
あちこち住む
という仕事のスタイルの流れになってからは
「打つ店を選ぶ」
ということも面倒になり
「入っただけで負け確定」の店で
ダラダラ負ける
ってゆうね。

ちなみに店名は出しませんし
同業者としては
そりゃ「出さない」のが正解だと思うし
自分をさんざん負かしてくれやがったな
とか恨むつもりも一切無いっすねw

で、べつに「犯罪行為」でもなく
とくに人倫にもとる
というほどのこともないんで
書きますけど
まだ「従業員同士のお金の貸し借り」が
会社で「禁止」じゃなかった頃なんかは
よく「パチンコ店員同士」
大勢で打ちに行ってましたよ。
当時は「店休日」もありましたからね。

で、ほんと
「ただワイワイがやがや大勢で打ちに行く」
ってだけで
「パチスロ4号機」や「イベント全盛」
だったころの「ノリ打ち」の
若者集団とは全然違って
「全員負け」とかよくあって
タネ銭切れた者から
櫛の歯が抜けるように
ハイドンの告別交響曲にように
一人一人店から消えていく
みたいなw

アホとしか言い様がない、とw

パチンコ店員
必ずしもパチプロスロプロのように
上手くはない!
とw

でまあ
負けてる人間が
勝ってる人間に金借りる
ってのは
当たり前のようにやってました。
やってましたけど
こうゆうのってのは
なんだかんだで「もめごと」が起きるのであり
結局は「借金禁止」になりましたよ。
でもおかげで
いま現在破綻せずになんとかやってる
みたいなのもありますからね。
当時は反発心を覚えたものですがw

で、ですね、
「大勢」で打ってると
そりゃ両隣の台に
同僚、上司、後輩
が座ってるみたいなこともよくあるわけでして、
まあそれぞれいろいろ「個性」がありまして
なかには植木等ばりに
「口からでまかせ出放題」みたいな方もいらっしゃいました。
なんというか
私が打ってた台がなかなか当たらずに
イラつき始めたくらいのところで
「いやもうちょっと頑張れば出るよ」
とニコニコしながら声かけてきてみたり、とかw

で、当たらない台に見切りをつけて
他の台を探してたら
ニコニコしながら
「ここの台出ると思うよ」と示唆してみたり、とかw

当時も今も
痛烈に感じるのは
その言葉には一切
「根拠」がなかった
ってゆうねw

羽根モノとかじゃなくて
波の荒い「セブン機」中心に打ってましたからね。
大勢で繰り出す場合。

でもほんとに
「悪気」はなかったと思います。

だまそうとか
意図的にはめてやろう
とか
そうゆう風情ゼロでしたからね。

そんなこんなで
だんだんと
パチンコパチスロは
「一人で」打つ方がいい
と思うようになりまして
実際それを実行に移しましたが
特に「勝率」はあがりませんでしたよ。

パチプロ
スロプロ
のようにはいかず
ただ単に
ミイラ取りがミイラになっただけ
みたいなw
端境期の特徴
ってことで
パチンコ業界ネタ。
何度も「コンプライアンス前」と「コンプライアンス後」
の比較を書いてきたけど
今回はどっちとも言えない
端境期、2000年前後の状況について。

この頃は
「全業務マニュアル化」
「全業務IT化」
がどーんと押し寄せてきて
ようやく
事務所の机すべてにPCがある
という状況になった。

自分のいた会社は
中くらいの規模だったので
ある日突然
「全店にPC導入」とか
ある日突然
「全社全店ネットワーク化」
とか
そうゆう流れではなく、
「出来るところ
やった方がいいところ」から
順繰りだったと記憶する。

コンプライアンス前期
ってのは
チェーン経営してても
それぞれの店の責任者の
裁量が大きい「人治国家」状態だったのに対し、
コンプライアンス後
となれば
中くらいの規模の会社でも
もう立派な「法治国家」だ!
ってなるわけですよ。

まとにかくPCなんかは、「一斉導入」じゃなくて
「順繰り導入」だったりしたので
人治国家と法治国家が微妙に混在する
端境期があったのでした。

でその頃
日々の売り上げ集計その他もろもろの
データ把握に関して
あくまで旧来の「手書き」
要するに「電卓」に拘った責任者もいれば
最先端の「とにかくなんでもかんでも一発回答の
エクセル多用」に走った人もいて
私なんかは「早く帰りたい」派だったので
心情的には「後者」支持だったなあ。

でもね
「電卓派」
の言い分にも十分正当性はあって
電卓でやってれば
「数字」の背後の「理屈」は絶対に忘れない
というか
身体から抜けない
と。

その五年後くらいに
様々な「数字」に関する
抜き打ちテストがあったんですが
そこで
「電卓派」の正しさを痛感させられるほどに
「エクセル飛びつき派」の私は悲惨な成績でしたw

ただまあ、
エクセルの帳票を
「自分で作る」のも勉強にはなるし
一概には言えないかなあ。

これを使え
とエクセルファイルを渡され
ただ数字を打ちこんで
誤差なく今日の売り上げ確定させました
ってだけだと
確かに「理屈」は覚えられない。

ま、あと
電卓&手書きで
エクセルより早く作業終える
ってのも
慣れればやってできなくはない
ってのもあるしw

ちなみに
現在はたぶんさすがに
少なくともチェーン経営の会社であれば
各種集計のフォーマットは
全社全店統一のもので
徹底されていると思います。





コンプライアンスとは関係ない思い出話
ま、ちょっとここのところ
イーグルス関係がお留守になってますけど
見捨てたわけじゃないですよw
オールスターあったし、
その後もまた飛び飛びの日程だったりなので
そのうちまとめて。
あとはライブ頻度も高いうえに
スタジオリハもあり
ブルーベリーも始まるし
それと年金関係の諸手続きもあるし
と、
前職退職後
「もっともアツい夏」
となってまいりました
いろいろな意味でw

ということで
本日も
あまり複雑な思考回路を使わずに書ける
「パチンコ&パチスロのおもひで」。
今回はコンプライアンスとは
あまり関係ない話題。
いや関係あるかな?
ま、いいやどっちでもw

ホールには不審者、ゴト師、
様々な犯罪者集団が集まりがちでして
それはそれでやっかいなんですけど
個人的には「怒った普通のお客様」のほうが
いろいろ思い出に残ってますね。
で、怒りにまかせて
いわゆる「ハウスルール」に反する行為を
これみよがしにやる、と。
で店側の者としては
「ルール順守」をお願いにいく、と。
このループが場面的にはいちばん多かった。
「台をどつく」
「あからさまに掛け持ちをする」
ってゆうレベルの単純な行為。
「食事休憩札を置いて時間内に戻らない」
とか。
というか「食事休憩札」ってまだあるのかな?
あとは意外と酔っ払いにも苦労させられます。
負けがこんだ人が一旦外に出て
やけくそで飲んでまた打ちに来る!
みたいな。
それも「集団」だったりすると
「大声で唄わないでください」
とか
「通路で肩組んだりしないでください」
とか
言ったうえで
全員に「皆様お帰りください」
と宣告しなきゃいけない、と。

そんなわけで
メンタル弱いとホール勤務は無理なのですよ。
島本和彦先生風の
「これぞまさに逆境!」
という姿勢が必要なのです。

私も入社早々、まずは「研修」から
ホール現場に回ったんですけど
そりゃまあめんくらったのは確か。

ではそれをあっさり耐えたのは何故か?
ってのは
前にも書いたかもしれませんが
「怒ってつっかかってきたり
これみよがしのいやがらせをしてくる」
犯罪者ではないお客様
ってのは
落語の「熊さん八っつぁん」だと思うことにしたわけです。
お、きょうも落語が始まった!
みたいな。
で言葉づかいは間違わないようにして
「無謀をたしなめるご隠居」になりきる
みたいなw

それとあと
「映画」的視点で言うと
おれがもし監督だったら
この人キャスティングしてみたい
と思う
とかねw

けっこうキャラクターが立ってる人
多かったような。

現在のホールの状況はよくわかりませんけど、
私が入社した頃は
西部劇とか時代劇とか東映やくざ映画とかから
飛び出してきたかのような雰囲気の人だらけでしたw
「芸能人じゃなくて一般人なの?」みたいな。
ここにいないでいますぐ「オーディション」行けばいいのに
みたいなw

そう考えると「毎日が娯楽」
みたいなものです。
働いてる方も。

と、なつかしげに書いてはいますが
そこに戻りたいとは
全く思いませんw

当時ほどメンタル強くないんで。

お店いくなら
そりゃ「打つ側」ですよ。
ただそれもちょっとあまり自信ないっす。
「知識」がなかなかすんなり頭に入ってこないんでw
コンプライアンス前とコンプライアンス後 4
久々のこのシリーズ、
今回は
「コンプライアンス後」の時期について触れてみましょう。

測ってそうなったわけじゃないんだけど
私がマネジャー職になったのが
丁度2000年頃で
まさに世の中
コンプライアンス重視の風潮ガンガン来てます!
ってことで
それまで「適当」だったことが
どんどんマニュアル化され
細かくなって
もともと「無精」な性格なもので
そうゆうのはやめてほしいなあ
と思う反面、
逆に「楽になってよかったなあ」
と思うこともありましたよ。
それはなにかというと
「表立ってあからさまに反抗的な部下」がいない
ってゆうねw

このテーマで前回投稿したとき、
「コンプライアンス前」期は
部下が上司をいじめる
「逆パワハラ」のほうが圧倒的に多かった
みたいなことを書いたんだけど
私が「上司」的立場になった時期は
潮目が変わってて
あからさまに「部下にいじめられる」恐怖
ってのはまるで感じないで済むようになってたw
業界における「新卒率」も高まったし、
あといわゆる「就職氷河期」ってのもあって、
とにかくどんどんみんなで「真面目」になっていった感じ。
スタッフの年齢層は若年化し
「わけありの中高年、それも夫婦で社宅住まい」
ってのは有り得ない世界に
あっという間に様変わりしたのです。

ってことで
若くて真面目で優秀な部下に囲まれ
いやあこんなに楽でいいんだろうか?
と思っていたら
あっという間に
どんどん抜かされました
って話なんですけどねw

それについては
途中で
パチンコパチスロ
という
取扱い商品そのものへの
興味を失ってた
ってのもあるので
特段後悔はしておりません。
コンプライアンス前とコンプライアンス後 3
そんなわけで、
わたしの場合は
大学を卒業後に
「新卒」でパチンコホール業界に身を投じたのだが
当時としては「異例」なことであって
現場は圧倒的に高卒率高く、
あと「大学中退」的な
インテリヤクザな感じの人とか
とにもかくにも一筋縄ではいかない野郎共だらけ!
みたいなw

でその
「飲む打つ買うの三拍子!」
的な
豪快!
適当!
な人材に事欠かない。

コンプライアンス前期
においては
競馬がらみの
「現金」が
職場で飛び交いまくってた。

そんなことでは
職務に集中できまい
と考えた
「本社」は
まず
「職場に競馬新聞を持ち込むこと
競馬に関する会話をすること」
を「禁止」した。

今にして思えば
当然の措置だと思うんだけど
当時は「目上の人」の言うこと
をそうやすやすと聞き入れない
ってことが「かっこいい」と思われていたので
そう簡単には浸透せず
結局のところ
競馬がらみの個人間の金のやりとり
ってゆう
わかりやすいトラブルが表面化して
競馬のみならず
「借金」禁止
になったのである。

車とか住宅の「ローン」を除き。

なわけで、
大勢でパチンコを打ちにいく
という行動も急速に激減した。
従業員同士で。

それまでは
勝ってる者
に金を借りる
とか日常茶飯事だったんだけど
就業規則で
「禁止」
なので
無理だな、と。

あと「サラ金」系金融機関からは
金を借りません!
みたいな「誓約書」を書いたような。

当時は
なんてくだらない規則なんだ!
と心の中で叫んでたのだが
いまにして思えば
家計「無借金経営」になってるのは
それのおかげ
なのは間違いなく
なんとも複雑な心境である。
コンプライアンス前とコンプライアンス後 2
コンプライアンス前期
というか
コンプライアンス無し期
において特徴的なのは
「目上の人」を
心の底から尊敬する
という気風が決定的に欠けていた
ということだ。

私が「社員」として
過ごし始めた
80年代末~90年代初頭は
60年代安保
70年代安保
の若者の反乱
っていう革命指向
とは全く別物で
そうゆう「革命指向」の「先輩」達も
「目上の人」扱いで
全部ひっくるめて馬鹿にする!
みたいなw

いわゆるバブル世代は
自分がバカな自覚はありつつも
かといって決しておとなしくはせず
快楽主義を第一として
それを妨げるものは
全方向で「馬鹿にしかえす」
という性向があったように思う。

馬鹿なわりにけっこう強気!
みたいなw

で強気に出られた根拠は
景気もよかったので
労働側にとっては「売り手市場」なので
少々の「無茶」やっても
そう簡単には解雇されない
ってゆう
いまにして思えばある意味
「労働者パラダイス」だったわけだ。

当時「ハラスメント」系の言葉は
ようやくセクハラってのが
ぼちぼち出始め
みたいな記憶あったんだけど
昨今流行の「パワハラ」よりは
実質的に
「逆パワハラ」
の方が多かったんじゃないかなあ。

なにしろ
「目上の人」を
容易に尊敬しない気風の者だらけ
だったからw

「いまそこにある危機」
ならぬ
「いまそこにいる上司」

なにはともあれ
言い負かしたり
ギャフンと言わせたり
そうゆうことが
とても楽しい!
みたいなw

なので私より5歳10歳くらい年長の
当時「マネージメント」職やってた
先輩の皆様は
かなりの御苦労を背負ったのではないだろうか。

わかりやすく例えると
「卒業生に卒業式当日にお礼参りされちゃう教師」
みたいな恐怖と
365日対峙せざるを得ない
ってこと。

もちろんいまでもそうゆうことは
あるんだろうとは思うんだけど
当時の方が
「部下が上司をいじめる」的事例は
圧倒的に多かったんじゃないかなあ。

でまた
「インターネット無し」期
でもあったから
全てが「口承伝承」の世界でもあったし。

いまではあり得ないこと
として
印象に残るのは
「本社」が
従業員教育の為によかれと思って導入した
「研修」プログラムを
「おれには合わない」的論理で
真っ向否定して
出席しないとか
出席したとしても
講師に論戦を挑む!
みたいな行動をとる猛者を
複数人以上知ってるんだけど
当時は誰もそのことで
なんの処罰も受けてないし
むしろ逆に「英雄」扱い!
みたいな。

このへんはちょっと微妙なところで
「データ」無しに
適当なこと言ってる「講師」ってのは
日々現場であれこれ追われて理論構築なんて
やってる暇のない人間でも
すぐ見破ることは出来るわけだ。

で、その後
いまでゆう「ビッグデータ」を用いて
そのうえ口も達者
というコンサルタントが現われた途端に
現場の「猛者」皆撃沈!
ってのも見た。

ただそれももう随分前の話なので
なんともあれなんだけど
ホワイトカラー職種のほとんどがAIに
とって代わられるとしたら
「腕利きのコンサルタント」に求められる資質は
ハードボイルド小説に出てくる「情報屋」
みたいなものなのかなあ
とか、
ふと思いました。



コンプライアンス前とコンプライアンス後 1
の両方を会社員として体験できたのは
自分としては良かったと思う。

1989年~2010年まで会社員やってて
明確に何月何日から始まった
という類のものでもないんだけど
「コンプライアンス」が叫ばれ幅広く浸透しはじめたのは
ほぼ2000年だと思う。

なので自分の場合
会社員時代の前半10年が
丁度「コンプライアンス前」期
であり
後半10年が
「コンプライアンス後」期
であると考えていいだろう。

ということで
1989年~2000年までの
コンプライアンス前期
あるいは
コンプライアンス無し期
が一体どうゆう時代であったか
まず振り返る。

いちばんわかりやすく例えるなら
「森繁の社長シリーズ」
「クレイジーキャッツの無責任シリーズ」
等の会社映画の雰囲気がそのまま全部
とまでは言えないまでも
まだかなりな濃度で残っていた
とまあそんな時代だった。

適当!
豪快!
みたいな。

私の場合はそのうえ
なにしろ「パチンコホール業界」
だったので
適当!
豪快!
さ加減が
他の業界に比べて
さらに3割4割増し!
といった有り様だったように思う。

そんなわけで
その内実について
シリーズ化して
追々書いていくので
お楽しみに。

ちなみに
「危ない」
「誰かに累を及ぼす」
みたいなネタは避けますので
過度な期待は禁物ですw



一応大丈夫なネタで釘問題に切り込もう。
ま、その
「釘」は劣化して
折れるわけです。
パチンコの。
場合によって。

あの人気機種
「海物語」シリーズなんかは
いわゆるスタートチャッカーというかヘソというか
一番折れてはいけないところが実はけっこう
折れるわけです。

ま、それだけ
「稼働」が激しかった
ということでしょう。

で、一応
「行政上」の手続きとしては
「釘折れました」
つって
所轄の生安課に届け出て
台を「整備中」にして
稼働停止にして
新台入れ替え
のタイミングまでに
その台の釘を打ちなおしておいて
チェックをうけて
お墨付きを得たら
晴れて「再稼働」となるわけです。

海物語に関しては
そうゆう手続きが頻発して
とても面倒だった記憶があるわけです。

基本パチンコ台
って
べニア板に
真鍮の「釘」が打ちこまれて
できあがってるわけですが
※あくまで個人の感想です※
なんだけど
海物語とパチスロ4号機が「ピーク」だった
いわゆる「パチンコバブル」絶頂の時って
粗製乱造だったんじゃないか?
疑惑があるんですよね。

なんで、
一番折れちゃいけない場所の
釘が折れるの?
みたいな。

で、細部は申しませんけど
「海物語」の釘を打ちなおす時に
痛感したのは
べニア板の木目があらすぎて
とても打ち直しにくい、
と。
いやほんとマジで。

なわけで
パチンコ業界の衰退に関しては
「一週間一回は新台入れ替えをする」
ってゆう
アホでよくばりな習慣を作った
メーカー側にすべて責任があると思いますよ。
ほんとに馬鹿ですね。
とっくに「トップ確定」してるのに
おりずに役満狙う!
みたいなw

パチンコパチスローメーカー

グローバル企業
の似ているところは
そこらへんだと思います。

ま、いまは
そんな「馬鹿」は相手にしなくても
どうやら生きていけそうなんで
それはそれでいいことなのではないでしょうかw